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ダブルワーク  作者: 無口な社畜
第一章 傭兵団の魔術剣士
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四話 初顔との再会

 流石に言いすぎたかもしれないと思い始めたのは、事務所の受付に座って1時間ほど経った頃だった。


 ヴァールハイド傭兵団の事務所はソルの自宅から丁度裏手に立っている2階建ての木造建築だ。

 通勤距離が徒歩3分というソルにとっては非常にありがたい物件ではあるのだが、小さな頃から色々とトラウマになってしまった元凶でもある建物だけに、素直に喜べない部分の方が多かった。


 受付は当然ながら1階の入口のすぐ前方に存在し、入ってきた客が一番最初に目にする事が出来る設備であるとも言える。

 その受付席に腰を下ろした状態で頭を抱えているのが、母親に対して子供じみた主張を言い捨てて出勤してきたソルだった。


「突然激高して当り散らす。これじゃ最近の切れやすい中学生と一緒じゃないか」


 もうそんな年じゃないのに、と続けてソルは深い溜息を吐く。

 生まれてからハンディキャップを持つソルは、基本的には親兄弟に対しても負い目を持っている為、自然と様々な事に遠慮する事が多かった。

 その為、ああして怒鳴り散らす事など殆どなかったのだ。そういう意味で捉えれば、怒鳴られたソニアの態度は初めて反抗期を迎えた息子に対する戸惑いとも取れたのだが、当然、今のソルにそのような考えに行き着く筈もなく。


「……わかっているのにあんな風に八つ当たりしたのは、やっぱり“あっち”の事が引っかかってたからなんだろうな……」


 自己嫌悪に陥っているソルの頭に浮かぶのは、自分ではない自分の実体験。

 それは“あちらの世界”の夕刻に会った一人の少女の存在だった。

 見た目中学生程の茶髪の少女。

 幼い容姿に低めの身長。トレーナー姿で一見無害に見えた少女だったが、別れ際に見せた表情と雰囲気は、今までソルが接してきた人間とはあまりにも違うものを持っていた。

 それは嫌悪感や物理的、身体的恐怖というものでもなく、もっと深く暗いなにかだ。

 あの少女が持っていた何か得体の知れない禍々しい何かに当てられた。

 それが、今現在ソルが感じている憂鬱とした気分の正体だった。

 そして何より重要な事がもう一つ。


「あの娘は……このセカイの俺の名前を知っていた」


 そもそも、あの一言さえなければあそこまで動揺することも無かったのだ。

 本来ならば妄言と取られかねない非現実的な体験が、ソルが幼少の頃から味わっている二重生活なのである。 

 その事実を知る者は、本来その『夢』を見続けているソル本人以外にはありえない。

 にも関わらず、“あちらの世界”であの少女がソルの名前を口にしたというのなら。


「俺にとって最も都合よく考えるならば、ソル・ヴァールハイドが住むセカイが本来の世界で、塩山誠のいる世界がソル・ヴァールハイドの見る夢だってことだ」


 その結論の根拠は、少女がソルの名前を口にしたことにあった。

 本来夢を見ている本人でしか知りえない情報の発露は、今のところ誠の世界の中でしか起こっていない。

 自分しか知りえない情報なのだから、2つの世界の共通ワードが出た世界こそが『夢』というある意味では乱暴な理論ではあるものの、これが1人きりで考える時間がそれなりに取れたソルの行き着いた最終的な自分自身の心の防衛手段であった。


「……まあ、明らかに年下の女の子相手に何を怖がってるんだって話だけどな……」


 ある意味では職務放棄とも言えるソルの思案と態度だったが、机に突っ伏したままのソルの呟きを聞きとががめる者は今現在はこの場にいない。

 アルが事前に伝えてくれていた通り、ソルが来た時は事務所の中は無人であり、アルの字で書かれた業務内容メモが置かれていただけだった。


 だから、少なくともソルの独り言を耳に入れる事が出来たのは、今しがた扉を開けて入ってきた人物だけだっただろう。


「ちょっといい?」

「……?」


 その存在にソルが気が付いたのは、来訪した少女の声を耳にしたからだ。

 ソルの突っ伏している机の前。つまり、事務所のカウンターの前に立っていたのは一人の少女だった。

 白いローブにフードまですっぽりと被った、現代日本で言う所の変質者スタイルだが、フードから覗く顔と声でそれが少女であると判断できた。

 身長は低く、カウンターから上に出ているのはせいぜい胸から少し下までで、恐らく並んで立ったならソルの胸辺りまでしか頭は来ないだろう。

 髪はくすんだ金色で、僅かに見下ろしたフードから左右の髪が少しこぼれ落ちていた。


「! お見苦しい所を見せてしまい申し訳ございません。ご要望をお聞きしてもよろしいですか?」


 突然の来訪者と先程までの自身の態度にソルは慌てたように起き上がり取り繕うと、目の前の少女に対して要件を聞くために手元の用紙を引っ張り出す。

 しかし、ペンと用紙の準備をしながらも、ソルは自らの失態に至るまでの経緯に首を傾げている所だった。

 

 一人愚痴を零しながら、腐ったソルが周りを見ていなかったのは確かだ。

 しかし、いくらなんでもこの距離で扉が開く音を聞いていないのは変だし、そもそも近づいてくる足音にも気がつかなかった。

 

 ソルも曲がりなりにも傭兵である。

 自他共に未熟者だと認めてはいても、日々訓練は積んでいるし、実戦も経験している。危機回避能力も全くないという訳でもない。

 そんなソルに気付かれずに近づいて来れた理由として考えられるのは、故意に忍び寄ってきたのではないか。と、いうものだった。


「人を探しに来たの」


 そんなソルの葛藤もしらず、少女はややぶっきらぼうとも取れる口調で要件を告げる。

 対するソルは少女の依頼を依頼書に記入しながらも警戒は解かない。

 現在ではほぼ何でも屋と化しているヴァールハイド傭兵団において、人探しは特に珍しくない依頼だが、ソルがこの少女に違和感を感じる理由は中に入ってきた時の事以上に初見である事が挙げられた。


 人探しで傭兵団へ──


 この町では珍しくないその行為も、ほかの町では違うのではないかという考えがあったからだ。

 最も、ソル自身は遠出の仕事に赴いた事がなかった為、他の町の事情など聞いた話以外では知らなかったのだが。


「では、探している人の名前と特徴をお聞きしても?」


 けれど、そんなソルの考えも──


「塩山 誠」


 ──少女のたった一言によって霧散した。


「………………はぁ?」


 真っ白な頭でも顔を上げる事が出来たのは、唯の条件反射だっただろう。

 しかし、顔を上げたソルの目に飛び込んできた光景は、突然目の前に広げられた真っ白なローブと、白い布を貫通して迫ってくる銀色の輝きだった。


「っ!!」


 咄嗟に反応できたのはレムスとの訓練の賜物だっただろう。

 兄に比べれば遥かに遅いソレをソルは椅子から立ち上がりながら体を捻って躱すと、同時に引き抜いた長剣のひと振りで視界を塞いだローブを切り裂く。

 横一文字に切り裂かれて僅かに見えたローブの先では、突き出した右手を引きながら、左手に持ったダガーをソルに向かって振りかざしている少女の姿が見えた。


 その姿を確認すると、ソルは当初踏み出そうとしていた右足を後ろに戻し、残った左足で後方に飛んで距離を取る。

 しかし、少女は流れるような動きで正面の机に飛び乗ると、そのままソルに向かって跳躍した。

 

 剣速は兄とは比べ物にならない程遅い。

 しかし、その動きがソルに対してどうかと問われれば……。

 残念ながら少女のそれはソルの動きを上回っていた。

 

 しかし、ソルとて馬鹿ではない。

 不用意に飛び上がった少女に狙いを定め、手にした片刃の長剣の峰の部分で振り抜こうと試みる。

 だが、その動きを予期していたであろう少女は飛び上がった時には既に懐に入れていた何かを放り投げていた。

 結果、ソルの狙いは少女ではなく少女の投げた“丸い瓶”に対象が移る事になってしまった。

 しかも、峰の部分で打たれた瓶は粉々に砕け、中に入っていた液体共々辺り一面に撒き散らされる結果となってしまう。


 突如戦いの場となってしまった傭兵団の事務所内に広がるガラスの割れる音と独特の臭気。

 その中に於いて、ソルは自らの体験の中にあるその臭いの正体と、着地した少女がそのまま机の上に置いてあったカンテラを蹴り上げた行動を見た事で、慌てて空いていた左手をカンテラに向かって突き出した。


「レスト!」


 咄嗟に組み上げた構成は、空系初級魔術の名称をキーワードとして魔術として発動し、カンテラ内部の空気を一瞬だが奪い去る。

 それにより灯りを失ったカンテラは床に落下し、一部を壊しながら“油”が撒かれた板張りの床の上を転がっていった。

 熱せられたカンテラ自体の温度で引火したら……と、正直ソルはヒヤリとしたが、咄嗟の行動は上手くいったらしい。

 しかし、一部が暗くなった室内に於いて、今度は入口近くに立てかけてある燭台に向かって動き出す少女の姿を確認し、


「させる……かあぁっ!!」


 一度腰を落とすと、少女の背に向かって猛然と突撃するソル。

 しかし、その行動を読んでいたのか、それとも初めからそうなるように誘っていたのかは分からないが、少女は自然な動きで振り返ると、そのままの動きで右手に持ったダガーをソルに向かって振り抜いた。

 

 振り抜いた筈だった。


「……えっ!?」


 この無礼な少女が焦った声を上げたのを初めて聞いた。

 と、ソルは場違いな感想を抱きながら、少女に向けていた切っ先を接近と同時に反転させ、柄の部分で少女の腹を打ち抜きながら、そのまま己の体もろとも少女の体を事務所の外へと弾き出した。


 向かい来る刀身に自らの刀身の側面を合わせ、そのまま相手の刃の軌道を変えるヴァールハイド流剣術の初級技『刃重ね』。

 ソルが習得することが出来た唯一の剣技であったが、この場で出す事が出来たのはある意味当然の結果だった。

 普段ソルが相手にしている化け物に比べれば、目の前の少女の斬撃など言葉通り子供の児戯に等しかったのだから。


 とはいえ、これで状況が変わったという訳ではない。


 ソルは少女と距離を取りつつ立ち上がると、周りの状況を確認する。

 場所は傭兵団事務所前の路地。

 時間は朝よりはやや昼に近い時間で、外に出ている人間もそれなりだ。

 国境に近いこの町の街道は一夜限りの旅人達が多いが、それでも知り合いの方が多いのも事実である。

 

 傭兵団の事務所である以上荒事は皆無ではないが、ある程度平和となったこのご時世そこまで多いわけでもなく、現に興味を引かれてソルと少女の二人に目を向ける人間も何人かいた。


(……不味いな)


 ソルに向かって不吉な笑みを浮かべる少女に視線を向けながら、ソルは内心で状況の悪さを認識する。

 そもそも、今回の騒動の切っ掛けは少女が口にした人物名にある。

 その名は本来ならソル以外の人間には知ることが出来ない情報であり、同時に出来れば知られたくない情報でもあった。

 当然、このまま目の前の少女と刃を交えれば、色々と聞かれたくない事を聞かれる事は明白だった。

 

(けど、今ならまだ……)


 ソルは少しずつ少女との距離を離しながら、現在の状況を考える。

 通りの人から見た場合、今の状況は事務所の中からソルが少女を突き飛ばした位の認識で止まっていることだろう。

 傭兵団に依頼しに来る客の中には無理難題を吹っかけてくる人間もいる為、団員が文字通り蹴飛ばして追い出している光景もある意味では日常茶飯事だったので、今ならまだその説明で通るだろう。


 ならば、ソルの今とる行動はたった一つだった。


「あっ!」


 唐突に背を向けて走り出すソルに、少女は驚いたように声を上げたが、それに答えてやる義理はソルにはない。

 その場から一目散に逃げ出してソルは近くの横道に飛び込むと、ソルはこの場を有耶無耶のままに巻くことを決意する。


 一瞬事務所をどうにかされる事も考えたが、あの少女がソルに対してのみ何らかの執着を持っているのはもはや疑いようのない事実だ。

 ならば、逃げ出したソルを放っておく事は考えにくく、間違いなく追ってくるだろう。

 何より、先程の戦いでお互いの実力はある程度把握しており、少女がソルをどうにかしようとした場合、今日以外にはチャンスが無い事もわかっていただろうから。


 戦力としてなら二人の実力はほぼ互角。

 しかし、動き自体は少女の動きはソルのソレを上回っていた。

 つまり、ソルがいくら逃げたところで簡単に捕まえる事が出来る。と、少女は考えるだろう。

 逆に、今日を逃せば自分の実力を遥かに上回る傭兵達の邪魔が入る可能性があるのだ。

 だから、多少厄介な状況になろうが、逃げたソルを追いかける以外に少女の選択肢はないのだ。


「だけど、追いかけっこの優越は足の速さだけで決まるわけじゃないんだ」


 かつての戦争で最前線として幾度となく戦地となったトゥルースの町は、崩壊と建築の繰り返しで裏道は迷路のようになっていた。

 一度裏道に入ってしまえば、トゥルースの町の住人でさえ、人によっては迷う人間もいるくらいなのだから、昨日今日滞在していただけの人間に把握しきれるものでもない。


 ──地の利は我に有り。


 迷路の様な裏道を迷わず走り抜けるソルは、心中笑みを浮かべながら、そんな事を考えていた。




~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~




「──そう考えていた時期が僕にもありました」


 裏道を抜けた先にある廃材置き場。

 その袋小路とも言える壁際で立ち尽くしながら、ソルは自嘲気味に呟いた。

 壁を背にして立っているソルの目の前に立つのは金髪の少女。

 ここまで走ってきたためだろう多少呼吸が乱れているが、浮かべている邪悪な笑みを見ている限り状況が好転しているとはとても思えない。

 そもそも、ソルの記憶が正しければ、この廃材置き場は袋小路でも何でもなく、大通りに抜ける小さな路地があった筈なのだ。

 所が、今ではその路地を塞ぐように廃材が積まれ、ご丁寧に反対側からバリケードが建てられていた。

 そこから導き出される答えは──


「嵌めたつもりが嵌められた……って事かな」

「身内に感謝するのね。そこのバリケード、いい出来でしょう?」


 更には傭兵団の中に彼女の仕事を請け負った人間がいたらしい事実に頭を抱える。

 どうやら、目の前の少女はしばらく前からこの町に滞在していたらしい。

 その理由に何となく想像付きながらも、ソルは聞く。


「──で。人探しの依頼をしておきながら、俺に襲いかかった理由を聞こうか」


 睨みつけるように眉を寄せ、目を細くして自分を見るソルに対して、少女は右手を口元に当ててクスリと笑う。


「理由なんて。依頼した人が見つかったから、今度はこっちの目的を果たそうとしただけよ?」

「……見つかった? 何を言ってるのかさっぱりわからないな」

「その反応だけで十分。って事に気がつかないなんてアスペなの?」


 あくまで無邪気にそう告げる少女に対して、ソルは心が騒めく。

 これ以上この少女と関わってはいけないとわかっているはずなのに、どうしても両足が動かなかった。


「酷い目ね」


 そんなソルの態度にも少女はあくまで嬉しそうに、


「折角見つかった『お仲間』に対する目付きとはとても思えない」


 しかし、続いた少女の言葉に、ソルの理性がとうとう“切れた”。


「その『お仲間』に対するお前の態度が! あれかぁっ!!」

「あはっ♪ 認めたぁ♪」


 剣を引き抜き振り上げたソルの懐に、両手にダガーを持った少女が飛び込む。

 普段ならば互角であった実力も、冷静さを欠いたソルではその均衡もあっさりと崩れ落ちる。

 結果、少女の手にしたダガーの一本がソルの脇腹を抉り、血飛沫が舞う。

 しかし、痛みで我を取り戻したソルの一言が、それ以上の被害を食い止めた。


「ブラス!」


 衝撃系初級魔術が発動し、少女の体が1m程吹き飛ばされる。

 最もそれは、誰かに強く突き飛ばされた……という程度の衝撃でしかなく、少女は直ぐにソルに向き直って笑顔を浮かべた。


「ソル・ヴァールハイド。ヴァールハイド傭兵団に所属する魔術剣士。団長であるアレス・ヴァールハイドの次男として生を受け、10歳の頃から傭兵団の一員として活動を始めるが──」


 あくまで笑みを絶やさずにソルの経歴をスラスラ述べる少女を見ながら、ソルは自らの脇腹に手を当てる。

 ヌルりと溢れる液体は自身の血液だけではないのだろう。

 徐々に熱を持ってくる傷口と、こみ上げる吐き気がそれを証明していた。


「──特に大きな功績は上げられず今に至る。全ての系統の初級魔術を扱えるというのが『売り』だが、威力はごらんの通りこの程度。14年しか生きていない下っ端盗賊の女の子にさえ遅れを取る始末。それでも敢えて取り柄を挙げるなら──」


 静かに歩み寄ってきた金髪の少女を見上げるように見てしまった事で、いつの間に膝をついてしまっているという事実にソルは初めて気が付く。

 右手の長剣は離していないが、上手く力が入らず、その切っ先は地面に落ちて僅かに沈んでいた。


「──簡単には死なない事。四肢を切り落とそうが、毒を盛られようが意識を失わずに生き続ける。流石に急所を潰されたりすれば即死するだろうし、出血し続ければいつかは死ぬ。でも、毒だけは効かない。いや、正確に言えば毒では死なない。苦しみもがくだけ。ハッキリした意識の中で、痛みと苦しみを感じるだけ」

「……ごほぉ……」


 ソルの口から鉄臭い液体が吐き出される。

 それは脇腹を刺されたからというよりは、もっと別の……いや、ソルももうわかっている。少女のダガーに刺された時、一緒に毒も塗りこまれたのだ。恐らく、ダガーの刃を媒体として。


「……盗賊なんてやってるとさぁ……」


 そんなソルの苦しみを嬉しそうに見ながら、少女は零す。


「毒を盛られる事なんて日常茶飯事な訳。家にいれば耐性を付ける為。外に出れば仲間からの訓練や嫉妬から。仕事に出れば同業者から。あらゆる場所から『毒』『毒』『毒』! ……でも死なない。死ねない。痛くって苦しくって、涙流しまくってゲロ吐きまくって小便糞を垂れまくっても死なないどころか意識を失う事もない。この世の地獄だよ、こんなのさぁ。だから考えた。必死になって考えたよ。多分……あんただって考えた事ある筈だよ?」


 傷口を押さえ、苦しみもがくソルの耳元に顔を近づけ、少女が囁く。


「──どちらかの世界の自分が死ねば、その体は一つになって、普通の人間に戻れるんじゃないか……って」


 少女の言葉に、ソルの両目がカッと見開く。

 それは少女の言葉に共感できてしまう自分がいた事に気がついてしまったからだった。

 思い起こされるのは嘗ての記憶。

 ある時はレムスにボロボロにされ、ある時は体育の授業で大怪我を負い、ある時は仕事で失敗して大怪我を負った。そんな記憶。


「でも、本当にそうなる保証はない。例えば、2つの世界はどちらかが嘘で、本当の世界の自分が死んだら、両方の自分が消えてしまうのかもしれない」


 例えるならばそれは究極の選択。

 よくドラマで見る時限爆弾の停止コードを切る場面が思い出された。

 選択が正しければハッピーエンド。

 しかし、間違ったら爆弾は爆発し、その先に待っているのは完全な死だ。

 解答は無い。

 完全なる2択。

 切ってみなければどちらが起爆コードなのかはわからない。

 

 ──そう、普通なら。


「だから、あたしは確かめる事にした。自分と同じ境遇の人間を見つけて、試しにそいつに死んでもらうの。でも、日本で殺人を犯しちゃったら色々面倒だからこっちの世界でね」


 そう言って少女は右手を上げる。

 毒の塗られたダガーを持ったその右手を。


「4年かかった。日本であたしと同じ境遇の人間を探すのはネットがあったから楽だったけど、こっちの世界じゃそうもいかなくて。でも──」


 言葉を切り、少女は笑う。

 その笑みは、誠の世界で会った少女が別れ際に見せた笑顔そっくりだった。


「──身内に感謝するのね。ネットの相談掲示板で知り合ったあんたの母親から聞き出せたのよ。あんたが子供の頃に口にしたっていう“こっちのセカイ”のあんたの両親の名前をね」

「……な……?」


 何を言っている?

 そう聞こうとしたソルの言葉は言葉にならず、まるで信じられないものを聞いたとばかりに全身が小刻みに震えだした。

 今目の前の少女は何と言った?

 母親?

 “あっちの世界”にいる自分の母親が、息子の誠を売ったと言ったのか!?


 そんなソルの反応についに堪えきれなくなったのか、目の前の少女は狂ったように笑う。

 何度も何度も生死の境を彷徨って、『自分』という心を壊してしまったとでも言うように。


「本当に。本当ほんとーに身内に感謝するのね!! 呆れるほどに口の軽い母親と!! なまじ有名だった自分のご先祖様に──」

「ソリューデッド!」


 狂ったような幼い声をかき消したのは、別の幼い声だった。

 最もその声は、強大な魔力を込めた風系上級魔術のキーワードだったのだが。


「あひっ!?」


 耳を劈く甲高い音の後に上がったのは、金髪の少女の上げた悲鳴だった。

 次にソルの耳に届いたのは、ダガーを握ったままの少女の右手が目の前の地面に落ちた音。

 ソルは見上げる。

 そこに映っていた光景は、右手の肘の先から夥しく吹き上がった血を目の当たりにして、半狂乱になった金髪の少女の姿だった。


「……ソルくんを傷つけたな……盗人……」


 次に聞こえたのはよく聴き慣れた──にもかかわらず、今まで一度も聞いた事のない声色。


「お前は──」


 ソルの視線が金髪の少女の背後……。

 袋小路の入口に立つローブ姿の少年に移る。


「──殺す」


 その一言がスイッチであったかのように。

 場末の廃材置き場に少女の絶叫と夥しい魔力と……直視できない殺意が充満した。

  

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