三話 抜け落ちた初級魔術
──生活環境の違いで掌の形が変わる事に気が付いたのはいつの頃だっただろう──
少なくとも、その違いに気がついた時から、ソルも誠も起きて一番最初にする自分自身の確認作業が掌を見ることだった。
その理由としては、意識を失う直前の記憶の混濁が挙げられた。
世界を行き交う──
その行為がソルと誠が思う以上にリスクがあるからなのかは分からないが、大抵の場合は覚醒直後は意識を失う直前の事を忘れている事が多かった。
もっとも、ある程度落ち着いてからなら思い出すことは可能なのだが、起きた直前はとにかく余裕がない事が多いため、自分が“どちら側”の自分なのかが判断がつかないのである。
ソルも誠も死んだことがないから確認のしようもないが、一度心肺停止をした後に蘇生した人はこんな気持ちになるかもしれないと、何となく思ったこともあったくらいだ。
ともかく、そんな混乱した状況の中で、手っ取り早く自分自身を確認するのに役立つのが掌の形だったというわけだ。
そんな理由があったからこそ、ソルが覚醒してから掌の確認をしなかったのはよほどいつもと違う状況に陥っていたと想像がつくというものである。
そのソルはというと、起きた瞬間咳き込むようにベッドからずり落ち、そのまま這うように鏡の前に移動した所だった。
鏡に映っていたのは這いつくばっている薄い青色がかった白い短髪の青年だった。
ただ、その表情は青白く、まるで胃の物を全て吐き尽くした直後の酔っぱらいのようだし、普段寝る時は下着のみであるはずだったのに、何故かグレーの寝間着を着用していた。
鏡からの情報を読み取った結果を見てわかるのは、いま鏡の前で四つん這いになっている男、つまり自分がソルである事。
寝間着を着ているという事は自室で就寝したのは自分の意思ではなく、誰かが運び込んでくれたのだろうという事だった。
そこまで考えて、ソルは前日の──ソル自身の体感的には2日前だが──の記憶がジワジワと思い出されていく。
約束していた兄との訓練をする為に町外れの草原にまで行った事。
そこで兄に無常にも訓練を断られた事。
変わりに兄から1つの勝負を持ちかけられ、無様に敗れた事。
脳にまで響く、それでいて慣れきってしまった痛みを抱えたままその場でふて寝していた時にアルが迎えに来てくれた事。
その時にアルが両手首の傷を治してくれている途中でタイムリミットになってしまった事を──
「──ああ、そうか」
そこで初めてソルは床に座り込むと両手の掌を上に向けて見下ろした。
毎日剣を振り続けた事で無骨になった自分の手。そして、おそらくはアルが治してくれたのであろう傷一つない自らの手首を。
「俺は結局またアルに迷惑かけちゃったのか……」
がっくりと頭を落としてソルは大きな溜息を吐く。
かつて様々な技術を簡単にこなしていたソルが伸び悩むようになり、出来損ないの烙印を貼られる事になったのは、アルが母から魔術の基礎を習い始めてから1年ほどたった頃だった。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
あれは忘れもしない、ソルが9歳の夏の頃。
順調に力をつけて、父以外の団員には殆ど遅れを取らなくなっていた11歳のレムスに対して、剣術の初歩と初級の魔術を身に付けたはいいが一向に成長しないソルと、剣を扱うえで必要な身体能力と感覚が致命的に抜け落ちていた為に早々に父に見切られた上、母に魔術を教わっていながら1年以上芽が出ていなかった6歳のアル。
この頃は3兄弟の中ではまだ末っ子のアルがいた為、ソルの扱いは良くはなかったが最悪という訳ではなかった。
剣も魔法も中途半端だが、両方を扱える傭兵がそう多いという訳でもないから、まだ出来損ないと言われる程ではなかったのだ。
それが変わったのがあの暑い日の事だった。
その日は兄との訓練の約束を果たす為にソルは町外れの草原に足を運んでいた。
そして、そこで目にしたのは得意そうに剣を振るレムスと、その様子をニコニコと見ている幼馴染の女の子の姿。
ソルが7歳の頃まではソルにベッタリだったナタリーも、この頃にはすっかりレムスにベッタリだった為、レムスとの訓練の時に傍にいるのは別段珍しい事ではなかったのを覚えている。
ここまでは先日の再現のような光景だが、違うのはレムスがちゃんとソルの訓練に付き合った事だ。
だが、二人でしていた訓練を邪魔したのは、少女の場を読まぬ一言だった。
『私、結婚するなら2人の内強い方がいいな』
今思えば悪意のない無邪気な言葉だった。
しかし、その場にはその言葉を冗談と受け流せる人間は一人として居らず、結果としてレムスはソルに勝負を挑み、ソルはそれを受けた。
結果は完敗だった。
それでも先日と違ったのはそこまで一方的ではなかったという点であろうか。
最もそれはなんの慰めにもならず、技術だけが先行した加減の知らないレムスに打ちのめされたソルは、大怪我を負ってその場に打ち捨てられていく。
得意げに立ち去るレムスの後ろを嬉しそうに着いて行くナタリーの姿を見ながら、ソルは自分の中で何かが抜け落ちていく感覚を味わっていった。
そしてその日も陽が傾く時間になるまでボロボロの状態で空を見上げて寝転んでいた。
気絶する事の出来ない痛みの中で、呻くことしか出来ずにただ空しか見る事が出来なかったソルに駆け寄ってきたのが、当時3兄弟の中で最も期待されていなかったアルだった。
アルはボロボロのソルを見て取り乱し、傷の一つ一つを触ってはポロポロと涙を零していた。
幼児の頃を除けば、アルの泣き顔を見たのはこの時が最初で最後だったかもしれない。
ずっとソルを探していたのか服は泥だらけで綺麗な髪に沢山のゴミが付いていた。
そのゴミを取ってあげたくて、手を伸ばそうとしても動かない右手。それどころか、動かそうとする度に走る激痛に更なる呻きを上げるだけだった。
そんな時だ。
頬を流れるアルの涙を拭う手がソルの視界に入ったのは。
大きさや形からそれがアルの手でない事は直ぐに分かった。しかし、その時広い草原にいた人間は2人の兄弟以外にはいないはずで……。
そこで気づく。
弟の涙を拭っていたのは自分自身の手で、伸ばした手の痛みがまるで感じなくなっている事に。
そして、その傷だらけの腕を必死に握っているアルの両手から、淡い光が漏れている事実に。
初級の治療魔術リーフ。
その効果は止血と鎮痛作用のみだったが、痛みに呻いていたソルにとっては言葉に出来ない程の救いと…………同時にどうしようもない絶望を感じた瞬間だった。
それは途切れることのなかった痛みがなくなっていく安堵感。
それは“少なくとも自分よりも下がいる”と自分を慰めながら生きてきた時間の終わり。
アルが魔術の才能を開花させたこの日に、ソルは自分が誰にとっても“半端者”になった事を自覚したと同時に、自分の中にこんなにも薄汚れた感情がある事も同時に自覚してしまった。
『ソルくん』と絶えず口にしながら、暖かな温もりを必死に注ぎ込んでくれるアルに対して。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「……情けない」
見つめていた右手を握り締め、ソルは思考を打ち消した。
結局あの日は治療が終わる前に──といってもリーフでは傷自体の治療は出来ないが──こちらのセカイの時間が終了してしまった為にその後どうなったかは詳しくはわからない。
ただ、あちらの世界から帰還してこちらで再び目を開いた時に、しっかりとベッドで眠る自分と同じベッドに潜り込んでいたアルの姿を確認したくらいだった。
その後の事を知りたくても兄と父が知っている訳はなかったし、母も困ったような表情で口を開いてくれなかった。
そして何より一番の理由は当事者であるアルがその事を一言も口にしなかった事だろう。
元々無口な弟で必要な事以外は話さなかったが、ソルが外出先で時間切れになった時の事は普段よりもより口が堅かったように思う。
あの日もそれは同じで、ソルが起きた音で目が覚めたであろう末弟は、感情の読み取れない表情のままソルの傍によると、眠る前に傷があった場所を順番に触れた後に何も言わずに去っていった。
そして、それはその後も同じで、ソルが怪我をしてアルが治療をした時は決まってアルはソルの部屋で就寝し、起きた後に傷跡に触れた後に退出するのだ。
そこまで考えた所でソルは何かに気がついたかのように勢いよく顔を上げると、自身の右側に目を向ける。
振り向いた先にあったのは顔だった。それも、鼻と鼻が触れ合うほどにすぐ近く。
あまりにも近かったものだからソルの視界に入ったのは青い瞳と薄い青色の前髪だけだったが、それだけでもそれが誰なのかは直ぐに判断できた。
最も、だからと言って冷静に対応できるかというとそういうわけでもなく、ソルは反射的に身を引いた反動で尻餅をつくような体勢になってしまった。だから、
「お、おはよう」
その一言が言えたのはある意味凄い事ではあった。
最も、ソルの挨拶に対して声で返さないのがいつものアルだ。
それはこの時も例外ではなく頷くだけでソルに近づくと、体を支える為に後ろで支えに使っている手に優しく触れて近くに寄越すようにと態度で示してくる。
ソルはいつもの事とはいえ鼻で一つ息を付くと、体を起こして両手をアルに向かって伸ばす。
その姿は前倣えというよりは、施しを受ける為に手を伸ばす物乞いのようだとソルは自嘲気味に思ったが、アルは特に何も感じていない表情のままソルの右手を握り、左手でその手首を撫でていた。
真っ白な手で撫でられる手首は傷一つなく綺麗なもので、前日に骨が見えるほど砕けていた部位とはとても思えなかった。
しばらく撫でていた後、次はその対象は左手へと移り、同じように手首を撫で始める。
いつもであるならば、この後何も言わずに立ち去っていくのがいつものアルだ。
だから、ソルもその様子を見ながらアルの姿を確認する。
アルが14歳になった頃から流石に同じベッドで寝る事はなくなったが、ソルが怪我をした日に同じ部屋で寝るのは変わっていなかった。
だから、大抵この作業をしている時のアルは寝間着姿でいるのが常なのだが、今日は既に着替えていた。それも、濃紺のローブを着用し、肩から紐を回すようにして愛用の杖を背負っており、靴はブーツ。
その姿はどう見ても仕事用のそれであった。
部屋を見回すとアルがソルの部屋で寝る時に使っている組み立て式の簡易寝台は片付けられて部屋の隅に積まれており、布団も既に片付けられた後だった。
恐らく今日は仕事なのだろう。
周りの状況からそう判断するソルだったが、それだけの確認を終えてしまえる時間があった事に違和感を覚えて前方を見る。
アルはまだソルの左手の手首を撫でていた。
あの時のレムスの斬撃は、ソルから見て左側から振り抜かれた。
つまり、左手の方が右手に比べれば傷が深かったのは確かだ。
ソルは努めて見ようとは思わなかったので見なかったが、痛みから判断するに間違いなく関節が一つ増えていただろう事は想像がつく。
傷が深かったからいつまでも撫でているのだろうか? とも考えたが、よく考えずともそれ以上の怪我を治して貰っていた事は過去に何度もあるが、何時もは少し撫でたら退室していたはずだった。
なら、いつもと今日の違いは何なのか。
そう、ソルが考え始めた時だった。
「顔色が悪いようだね」
唐突に聞こえた声に、ソルは一瞬その声が目の前の少年からのものだとは信じられなくて、アルの頭の向こう──つまりは、扉の向こうから食堂にいる母親の声かと思ったのだが──を覗くがそこには誰もいなかった。
アルはまだ声変わりをしていない為声が高く、母親の声質とよく似ていた為に寝起きなどは間違える事がよくあったのだが、今回はそういう間違いでもないらしい。
ソルは一度は扉に向けた視線を恐る恐る下に向けると、丁度上目遣いをしていたアルの視線と合わさった。
それは言外に先程のセリフがアルのものだと示しているようなものだったが、普段必要な事以外は殆ど口にしないアルの気遣いの言葉に驚き絶句しているソルに対して、アルは珍しく呆れたような、或いは失望したような表情と溜息を残して立ち上がる。
その時、立ち上がった事でローブの隙間から腰に刺さった短剣が見えた。
「……仕事……か?」
「……」
ようやく驚きから回復したソルが何とか一言搾り出すが、アルはすっかりいつものアルへと戻り、無言でソルに背を向けて歩き出す。
しかし、その歩調があまりにもゆっくりで、まるで学校に行くことを嫌がる子供のように思えて、思わずソルは言葉を続けた。
「……父さんと……か」
「……」
アルの足が止まる。
ソルの言葉を待っていた。というわけではないのだろうが、そう尋ねられる事でようやく“必要な事”を喋ることが出来るようになったとでも言うように。
「今朝、国境からの峠道で商団が盗賊団に襲われたとの報が入って、アレス団長から傭兵団の主力メンバーに収集がかかったんだ。何故か僕も」
背を向けたまま話すアルの声の調子は事務的だ。
しかし、その中で『アレス団長』の部分と、『何故か』の部分に震えるような響きを感じたが、ソルはあえて指摘せず黙ってそれを聞いていた。
「主力は殆ど団長に同行し、他のメンバーは町の防衛に当たることになるから、“これから事務所に行ってもきっと一人だよ”」
「……そっか」
アルの言葉で、ソルは今日の自分の“仕事”の内容を理解する。
これは恐らく父親からの伝言だ。
それを、アルはソルを傷つけないように遠まわしに言ってくれているだけなのだ。
最も、そんな事をしてくれなくても、アルの言い回しだけでアレスが残したソルに対しての伝言の内容を理解することくらいは容易かった。
要するに、『邪魔だから大人しく留守番していろ』だ。
「……一人なんだ。だから──」
あまりにもいつもの事だったので、達観したように了承の返事を返そうとしたソルだったが、続くアルの言葉にそのセリフを止められる。
「──何があっても絶対無理しないで」
それだけを残し、結局あれから一度も振り向かずに退室していったアルの背中を見ながら、
「……あいつ……どうしてあんなに心配性なんだろう?」
普段無口なくせに気が付くと傍にいる事が多いアルの行動に首を捻りながら、ソルはようやく腰を上げる。
起きてから結構時間が経ったが、立ち上がったのはこの日はこれが初めてだった。
ソルは立ち上がったついでの様な流れで自身の左手に立て掛けれらている鏡に目を向ける。
そこに映っているのは寝間着姿の自分。
「顔色……か」
アルに唐突に指摘された顔色だが、朝起きた直後に見た鏡の中の自分の顔色よりは随分と良くなっているように見えたが、それでもいつもよりは良くないのだろう。少なくとも、アルに心配されるくらいには。
「言うほど悪いかな……それとも、俺も治癒魔術を使う事が出来ればあそこまで心配される事もないのかね」
ドアの方に視線を移し、右の平手で右頬を軽く叩きながら歩き出したソルだったが、
「……あれ? そう言えば俺……母さんから治癒魔術を教わった事無いような……」
自身の呟きに何かを思い出したように足を止めた。
幼い頃のソルはとにかく器用な子供だった。
だから、団員のみんなや両親はこぞってソルに様々な技術を教えてくれた。
結局、それは初歩以上の習得に繋がらなかったものだから、それ以上誰かがソルに何かを教えてくれる事は無くなってしまったのだが、魔術に関しては全ての系統の初級魔術を覚えた筈だった。
いや、覚えたつもりになっていた。
「どうして母さんは治癒魔術だけ教えてくれなかったんだ?」
それがあれば、昨日の出来事の後、アルの手助けがなくとも自力で帰ることくらいは出来たはずなのだ。
「ちょっと聞いてみるか」
一言呟き、ソルは食堂に向かって部屋を出る。
少なくとも、食卓での話題が一つ出来たと思いながら。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「……う~ん……」
朝の会話の切っ掛けになるはずだった話題は、そのまま親子の会話の終了という結果をもたらしていた。
この後仕事に行かなければいけないソルの手が食卓に並べられた朝食を口に運ぶ作業を止める事は無かったが、ソニアの前にある皿に盛りつけられた料理は依然として手をつけられていない。
腕を組み、目を瞑った状態で唸りながら頭を揺らしている状態で既に30分ほど経過していた。
「いや、別に母さんの不手際を疑っているわけじゃないんだ。ただ、どうしてかなって思っただけで」
あまりにも言い難そうにしている母親に対しての助け舟のつもりだった事と、食事が終わったのでそろそろこの朝食の席を終わらせたいという2つの意味を込めたソルの言葉だったが、ソニアは慌てたように目を開けて、両手を目の前で振りながら朝食の場を繋ぐ。
「ううん。そうじゃないの。別に変な意味はなくて、ただ……」
「ただ?」
うーんとしばらく言いにくそうにしていたソニアだったが、流石にもう誤魔化しきれないと悟ったのか、ブツブツと呟くように理由を述べ始めた。
「……ほら、治癒魔術は他の魔術よりも繊細な構成が必要になるから、すごく集中力を使うのね。自分が大怪我を負った時に使うと、失敗する事が多いのもそれが理由なんだけど……ほら、治癒魔術は失敗すると危険だから」
「失敗すると危険なのは他のどの魔術も一緒だろ?」
モニョモニョと話すソニアの主張にソルは当然の事のように返すが、当のソニアは違うとばかりに首を振る。
「普通の人ならこんな心配しないよ。死んじゃうほどの強い痛みがあったなら、ふつーの人は気絶しちゃって魔術なんて使えないから。でも……ソルは違うでしょう?」
ソニアの言葉にソルは驚いたように硬直する。
そんなソルに目を背けながら、ソニアは言い難そうに続けた。
「……死んじゃう位我慢できないくらい痛くて苦しい時に、自分自身に治癒魔術を使ったらどうなっちゃうんだろう? 失敗して発動しないだけならいい。でも、もしも暴走して体組織を破壊でもしたら……」
自分の言葉で最悪の風景を想像でもしてしまったのか、ソニアは自分自身の肩を両手で抱きながら体を震わせた。
そこまで聞いて、ソルもようやく理解する。
これまで疑問に思ってきた事と、今日改めて気がついた事の理由の大部分が。
「……だから──」
「だからアルに俺の外での保護を頼んだのか」
母の言葉に被せるように、ソルの震え声が遮った。
その言葉に一瞬ぽかんとしたソニアだったが、直ぐに青ざめた表情になり必死に首を左右に振った。
「ち、違う! わ、私はそんな事頼んでない!!」
「違わないだろっ! だったらどうしてアルは俺についてまわるんだ! どうして俺が怪我をすると必ず迎えに来て治療をするんだ!? どうして俺の怪我が完治するまで傍にいて、過剰なまでの心配をするんだよ!? 全部! 全部っ! 母さんから頼まれたからじゃないのか!?」
ソニアを攻めるように暴言を吐きながら、ソルは自分の言葉で疑問がだんだんと確信に変わるような気がしていた。
そして、唐突に思い出す。
それは昨日の意識を失う直前にアルがソルに向かって言った言葉。
『──僕はその為にここにいる』
あちらの世界に引き込まれる直前、アルは確かにそう言ったのだ。
あの言葉は、母親に頼まれた自分の役割に対しての呟きだったのではないのかと。
ソルは立ち上がり、テーブルに両手をついて歯を食いしばる。
未だに「違う、違う」と言いながら両手で顔を覆っている母親に向けて。
「……弟に……ずっと守られて生きてきたのか……? 俺は……そこまで弱くて、情けない存在だと思われていたのか……?」
「違う。違うよソル。お母さんは……アルは……」
「もういい」
ソニアの言葉を打ち切って、ソルはソニアに背を向ける。
これから事務所で留守番という名の仕事に赴かなくてはいけない。
例えそれが屈辱的だとしても、それが今のソルに与えられた仕事なのだ。
それに、少なくとも父はソルに“一人で”それをこなす様に言ってきた。一人でやれると思ってくれたのだ。
「仕事に行くよ。色々酷いこと言ってごめん。でも、俺は……」
扉の前で足を止め、声を震わせ、右手が白くなる程に腰に差した剣の柄を握りながらも、ソルは言葉を絞り出す。
「俺は母さんやアルが思っている程弱くない!!」
扉を開けながら口から出た叫びはソルの本音か願望か。
ただ、少なくとも言えることは──
この日、ソルのこのセカイでのたった二人の味方が、ソルの中で味方では無くなってしまった。