一話 ソル・ヴァールハイド
──目覚めはいつだって唐突だった。
木製の簡素な寝台に先程まで深い寝息を立てていた少年は、両目をカッと見開くと寝起きとは思えぬ速度で上半身を起き上がらせた。
時間は早朝。そう判断できたのは寝台の右手に位置する窓から差し込む朝日を見ずとも少年は経験則として理解していた。
起床後にまず目にするのは自らの右の掌。そして、室内──少年が18年使用してきた自室──を首をぐるりと回して確認する。
板張りの簡素な自分の部屋は、代わり映えのない見慣れたものだ。
壁に掛けられたひと振りの長剣、その傍には薄緑色のジャケットが掛けられ、よく見ればそのすぐ傍に置かれている机の上に少年のものであろう衣服が綺麗に畳まれて置いてあった。
それらの衣服は恐らく、寝ている間に母親が準備してくれておいてくれたのだろうと言う事も少年は理解していた。
少年はベッドから降りると立ち上がり、ベッドから降りてすぐ傍の壁に立てかけられている大きな鏡の前に立った。
少年の全身がすっぽりと収まってしまうような大きな鏡だ。
それは、少年が物心付いた時に両親に無理を言って買ってもらった物だった。
父と兄にはあまり良い扱いを受けていなかった少年だったが、数少ない味方だった母が何とか父を説得して準備してくれた一品。
鏡に映っているのはやや幼さを残しているとは言え、もう青年とも呼べる体躯をした男だった。
薄く青みがかった白い短髪に、少々眉を寄せた顔は苦虫を噛み潰したような不機嫌なものだったが、それは寝起きで機嫌が悪いというわけではない。
生まれてこの方朝の微睡みを経験した事のない少年にとって、起床直後の虫の居所の悪さはそれとは別の理由からくるものだった。
下着姿から伸びる両腕、両足は鍛え上げられたそれであり、自らの顔の形を確かめるように触れている右の掌に出来た固く固まったたこは幼少の頃から長い年月剣を振り続けてきた結果だった。
「……ソル・ヴァールハイド」
暫くの間自らの顔や髪に触れた後に少年──ソルは自分の名前を呟くと、朝日が差し込む窓へと目を向ける。
窓の外に広がる町並みの片隅で、自宅の軒先に揺れる“剣と杖の紋章”を刻んだ看板が視界に写る。
互いにもたれかかるように触れ合う剣と杖が織り成す三角形を見ながら、ソルはそれが自分を指した皮肉に思えてならなかった。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
ヴァールハイド傭兵団はロードレス連邦自治領インナーマーク最南端にある小さな町、トゥルースを拠点としている組織だ。
構成人数8名の小さな傭兵団ではあったがその歴史は古く、結成は120年ほど前まで遡る。
結成当時のインナーマークはロードレス連邦との戦争の真っ只中であり、国境付近であるトゥルースは常に両国にとっての最前線として激しい戦火に見舞われていた。
そのため、戦後自治領としての安定を得るまでの間、トゥルースの町は時にインナーマーク領として、時にはロードレス連邦領としてどっちつかずの状態にさらされる事となった。
荒廃する町並み。減少する住民達。戦火の中急速に消滅の危機に貧したトゥルースの絶望的な状況の中、立ち上がったのがジーク・ヴァールハイドという名の一人の青年であったという。
彼は右手に長剣、左手に杖を持ち、戦火に晒されたトゥルースの町を奔走し町の防衛に尽力した。
そんな彼に触発され、一人、また一人と町の若者達が加わっていき、自衛の為の青年団が結成される。
功績自体は国の歴史に残るような事ではない。
彼らはただ、自分達の故郷を守ろうとしただけであり、己の手の届く範囲の人達しか救うことは出来なかったのだから。
しかし、結果として戦火の中で消えるべき宿命を持っていた辺境の町は地図からその名を消すことなく終戦し、その激しさに対して犠牲者の数は驚く程少なかったという。
最初に立ち向かった青年も生き残り、自治領となった後も混乱を極めるトゥルースの町の復興の為にその生涯を捧げたという。
そんな彼を中心として戦う若者達の事を、住人達は何時しかヴァールハイド傭兵団と呼ぶようになっていた──
──ソル・ヴァールハイドは町を救った英雄ジーク・ヴァールハイドの血を引くヴァールハイド家の次男として生を受けた。
父は現団長であるアレス・ヴァールハイド、母は元団員であるソニア。そこに兄であるレムスと弟であるアルを加えた5人家族が、ソルにとっての帰る場所だ。
父は一言で言い表すならば豪胆な剣士だった。
剣士としての腕前も高く、傭兵団の中でもその強さは間違いなくトップであるだろう。
また、自他共に厳しい性格で、団員だろうと息子だろうと己と同等である事を強く求めた。
当然、ソル達──後に剣ではなく魔術に才能があるとわかったアル以外──も例外ではなく、幼い頃より見る人が見れば虐待とも取られかねない訓練を施されたものだ。
最も、そんな父の期待に応えたのが長男であるレムスだった。
心身共に父の遺伝を色濃く受け継いだレムスは、15を数える頃には父に肉薄するほどに成長し、20歳になった今では、傭兵団の一部の人間には『単純な剣術の腕のみなら最強はレムス』と言わしめる程になっている。
逆に早々に剣の腕はからっきしと父からそっぽを向かれたのが末っ子のアルだった。
母から美しい容姿を受け継いで、『どうして男に生まれたのか……』と、町の同年代の男子を嘆かせた無口な末弟は、その才能も母譲りの魔術だった。
早々に剣の訓練を止めたからなのか、元々鍛えても筋肉がつきにくい体格だったのかは分からないが、線の細いアルの右手から繰り出される魔術は凶悪を極めた。
団員だった当時、優秀な魔術師と呼ばれていたはずの母の目が丸くなる程の才能を持ち、15歳の現在では既に当時の母ですら扱うことの出来なかった魔術を習得しているほどだ。
そんなアルに対して剣術至上主義の父は気に入らないようだが、それでも実力は認めているらしく、重要な仕事には必ずと言っていいほどアルを連れて行っていた。
そして、次男のソルである。
彼は一言で言うなら『器用な男』だった。
幼い頃よりソルは何でもそつなくこなした。
初めて歩く事が出来たのも兄弟で一番早かったし、言葉を喋るのも、文字を理解するのも兄弟で一番早かったのはソルだ。
更に言うなら、父の扱う剣術の初級技である『刃重ね』を兄よりも早く習得したし、風の初級魔術『ソル』──『名前にちなんで』と母が最初に教えてくれた──を習得したのは弟が習得した年齢よりも早かった。
だが、そこまでだった。
新しい事に対して類希な順応力を示したソルだったが、そこから先に進む事は叶わなかったのである。
今では兄に剣では全く歯が立たない。
魔術で弟に勝とうなど口が裂けても言えない始末。
『半端者』。
それが現在18歳になったソルが所属するヴァールハイド傭兵団で通っている名でもあった。
最も、主にその名を流しているのは父であり、兄でもある。
同じように父から疎まれている弟と、いつでも3兄弟の味方である母だけはソルに普通に接してくれたが、普段無口な弟と、退役した母である以上状況が変わりようもなかった。
初代団長であるジーク・ヴァールハイドは剣と魔術は共に達人級であったらしい。
100年以上前の先人の事だ。多少は誇張されていても不思議ではないが、彼が剣と魔術を駆使して町を救った事が町の歴史として伝わっているのは確かな事だ。
……同じ魔術剣士なのに自分とは随分な違いだ。
「どうしたの? 急に笑って」
嘗ての英雄に自分を重ねて自嘲気味に口角を上げたソルに向かって、鈴の音のような声がかけられる。
その声色にソルは自分が今自宅の食堂で朝食をとっている最中だった事を思い出した。
顔を上げると一番最初に視界に飛び込んできたのはソルに向かって前かがみになって顔を近づけている母であるソニアだ。
汚れ一つない真っ白な長髪を揺らし、左隣から覗き込んでいる姿はとても3児の母とは思えない。現に、一緒に町を歩いている時にこの町に初めて訪れる行商人に呼び止められる文句の大半は『姉弟』である。
他に『恋人』や『夫婦』のワードが飛び出すこともあるが、そこはソルの中で認められるものではないので心の中で握り潰している。
そして、母と対面になるように座り、ソルの右隣で静かに食事をしているのが弟であるアルである。
見た目は母とよく似ているが、首のあたりで切られた髪の色が薄い青色なのと幼い顔立ちが別人である事を主張していた。
アルは基本的には必要な時以外は喋らないので、誇張でも何でもなく丸一日会話を交わさない事も珍しくなかった。
現に、母に疑問を投げかけられている今現在でさえも我関せずとばかりにスープを口に運んでいた。
「いや、大した事じゃないんだ。少し昔の事で思い出した事があっただけ」
答えたソルに対して、「そう?」と言って食事に戻る母を目にした後、ソルも考え事をしていた間に止めていた時間を取り戻すように食事の手を早めていく。
ソルにとって基本的に食事はこの3人で行われていた。
それは単にソルとアルの二人が父であるアレスから出来損ない呼ばわりされている事と、ソルが生まれながらに持つ“ある体質”が理由だった。
兄であるレムスは父ほどではないにしても、仕事で役に立たないソルや陰湿なアルの事をあまり良く思っていないらしく、積極的に関わっては来なくなってしまっていた。
それでも、非番の日などは剣の稽古を付けてくれる時もあるので、嫌われているというわけではないようだったが。
そこまで考えてようやくソルの頭の中にこの日のスケジュールが浮かび上がる。
「そう言えば、今日は兄さんに稽古をつけてもらう約束してたな」
食事を終わらせ、食器をまとめてながら呟いたソルに対して、同席していた2人はそれぞれ違う反応を見せた。
「あら、そう?」とにこやかに返す母と、訝しげに眉を寄せながらソルに視線を走らせるアル。
その反応に思わず「今日初めてアルと視線があったな」等とその表情は無視して考えたソルだったが、
「何? 俺何か変な事言ったかな」
「……」
ソルの問いかけに特に何も告げて来ないアルの態度に大した事ではないのだろうと切り上げる。
もとより必要な事以外は口にしない弟だ。
単に反りの合わない兄を話題に出されて不機嫌になっただけかもしれないと考え、ソルはその場を離れる事にした。
母に出かける旨を伝え、玄関に纏めて置いてある木剣を片手に家を出る。しかし──
──扉がソルの姿を視界から遮るまで、アルの視線が外れることは結局なかった。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「嫌だね」
約束の場所に駆けつけて訓練の事を切り出したソルに対して、レムスが放った第一声がそれだった。
短く刈り込まれた青い髪は父の遺伝を色濃く受け継いだ結果であろう。表情こそ父に比べれば柔らかいが、乱暴な物言いなどそっくりだ。
今日は非番である為いつも愛用している鎧は身につけず、動きやすい軽装ではあるが、腰には長剣が下げられている。
真っ黒に日焼けした肌に鍛え上げられた腕は前で組まれ、今日訓練で使用するはずの木剣は握られていなかった。
「でも、今日は確かに俺に稽古を──」
「でも、じゃねぇ」
困惑したように続けるソルの言葉に、レムスは言葉をかぶせるようにぴしゃりと告げる。
「貴様の訓練に付き合ってやるのは俺様が暇な時だけだ。今日は確かに非番だが、俺様に用事が出来た以上訓練は無しだ」
腕を組んだままソルに対して指を差し、「当然だろ?」と続けるレムスにソルは二の句が継げられなくなる。
そんなソルに助け舟を出したのは、ある意味ではソルの約束を反故にさせてしまった張本人である少女だった。
「ちょっと。あんた今日ソルと約束があるなんて一言も言わなかったじゃない。知ってれば私だって──」
「あぁん?」
レムスの腕をつつきながら非難する少女に対して、レムスは不機嫌な声と顔のまま少女を威圧するように見下ろしてくる。
そんなレムスの態度に少女は一瞬「うっ」と身を引きそうになるが、直ぐにキッと睨み返していた。
少女の名はナタリー。
傭兵団員の一人剣士ジーンの一人娘で、彼女自身も傭兵団に所属している一人でもある。武器は弓であり、今もその背中に弓を背負っているのがその証拠だ。
あまり長くない桃色の髪を後ろで一つにまとめているため、まるでうさぎの尻尾のように見えた。
見下ろされている事からもわかるが背は低く、レムスの二の腕辺にようやく頭が届くという位置関係だった。
歳はソルと同じ18歳で、境遇が同じという事で3兄弟とは幼い頃から仲が良く、所謂幼馴染というやつだ。
最も──
「約束じゃねぇ。そもそも、どこの世界に自分の女よりも弟を優先する兄がいんだよ。俺様がんなブラコンに見えんのか? お?」
ソルの前に並ぶ2人は既に将来を誓い合った仲であり、近日中に契を交わす予定であった。
今日ナタリーがレムスを連れ出そうとした理由も、恐らくその辺にあったのだろう。
レムスの言葉にその辺の事を思い出したのか、途端に弱気になったナタリーが申し訳なさそうにソルを伺う仕草を見て、ソルは「ああ、相変わらずだな」との感想を抱く。
幼い頃、ナタリーと最も仲が良かったのはソルだった。
それは自惚れでも何でもなくそう思っている。
彼女と共に過ごし、時には喧嘩もしたものだが、そんな時によく見せたのがあの仕草だったのだ。
そして思い出す。
彼女はいつだって言っていたのだ。
『3人のなかでいちばんつよい人とけっこんするの』
当時、3兄弟の中で最も強かったソルに対して。
「……ちっ、しゃーねーな」
そんな居心地の悪い沈黙を破ったのはレムスだった。
レムスは自分の腰に刺さった長剣を抜くと、ソルの方に軽く投げる。
クルリと惰性で回転した長剣は、ソルの丁度一歩手前で地面に刺さった。
足首あたりまで伸びる草花が存在する草原に唐突に生えた金属に疑問を感じながら、剣と兄を交互に見たソルに対して、レムスは右手をソルに向ける。
「一撃だけだ」
突然の言葉に何の事か分からず戸惑うソルに、レムスは続ける。
「貴様は俺様の。俺様は貴様の獲物を使って立ち合う。ただし、付き合うのは一撃だけだ。俺様か貴様のどちらかが一撃入れたら終了」
レムスの提案にソルは思わずギョッとする。
お互いの武器を交換するとレムスは言った。
しかし、真剣を持っていたレムスとは違い、ソルが持っているのは木剣だ。その条件だとソルが真剣を使い、レムスが木剣を使うという事になるというのに。
「もしも貴様が勝ったら……そうだな。今日は無理だが、何でも一つ言う事を聞いてやるよ。そんときゃー訓練だろうが何だろうが付き合ってやる」
最も、負けると思っていないからこその約束なのだろう。
例えソルが真剣を使った所でその身に受けることなどないという自信があるから。
ソルは手にしていた木剣をレムスに向かって投げて渡すと、自らは地に刺さった長剣を抜く。
兄の手の形に変化した柄を握り、軽く振る。
両刃の長剣はソルの使用する片刃の長剣とは趣が違うが、それは勝負の言い訳にはならない。そもそも、アレスに教えてもらっていた剣技は両刃の剣技だったのだから。
「準備はいいか?」
右手に木剣を持ち、殆ど棒立ちの構えで声をかけるレムスにソルは頷く。
レムスの傍らには心配そうな表情を浮かべるナタリーの姿が目に入ったが、きっと彼女はレムスの心配は全くしていないだろう。
それはつまり、彼女の中ではレムスが負ける姿など一切なくて……。
「なら、いくぜ!!」
開始の声と同時に迸る衝撃。
“刃を重ねる”どころか剣を振り上げる暇もなく。
レムスの作り出した軌跡は真っ直ぐソルの手首を振り抜き、二人の約束もソルの手首も粉々に吹き飛ばした。
文字通り、本当に一瞬で。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
どれくらいそうしていただろうか。
レムスとの勝負に敗れたソルは、町の外れにある草原に大の字になって転がってぼんやりと空を見上げていた。
その空の色が次第に色濃くなっていくのを見るに、時刻はそろそろ夕刻に差し掛かってくる頃だろう。
一日が終わる。
比喩でも何でもなくソルは本気でそう思っていた。
手首の傷は本来ならば気絶するほどの痛みである筈なのに冴えに冴え渡る両の眼。
決して眠る事が許されない日中に、迫り来る一日の終わり。
それはソルが生まれながらに持っていたハンディキャップ。もしくは呪いか。
本来であれば直ぐにでも家に帰らなければならないはずだが、それでも動く気になれなかったのは何故だろうか?
こんな状態の弟をそのままにしていった兄に対して失望したから?
それとも、心配している素振りを見せつつも結局は兄について行ってしまった幼馴染に対して失望したから?
いや、きっと──
一番失望したのは、こんな醜態を晒しながらも無様に生きている自分自身に対してだ。
しかし、それも──
「……どうでもいいや」
「どうして?」
ソルの自嘲気味な呟きに答えるものがいた事を、ソル自身は特に驚きもしなかった。
ただ、一つ意外だったのはその人物がソルの呟きに疑問の声を上げた事だった。
「なんでアルがここにいるの?」
だから、ソルはアルの問には答えずに自らの疑問を投げかける。
そんなソルの問いに、アルはソルの右手を握りながら一言で答える。
「迎えに」
「……あっそ……」
アルに握られていた手がじんわりと暖かくなり、次第に手首の激痛が消えていく。
それだけでアルに回復魔術を使ってもらっているのだと気がつきながらも、ソルは感謝の言葉を一先ず預けて、
「お前は……今日の事知ってたんだな」
「……」
ソルが思い出すのは今朝のアルの態度だ。
ソルがレムスと稽古をすると言った時に明らかに驚いたような表情をしていた。
ソニアが知らなかった事をどうしてアルが知っていたのかなど聞きたい事は色々あったが、無口な弟がその問に答えるとは思わない。
だからこそ、ソルはそれ以上は何も言わず、ただ、続けられる治療に身を預けていく。
しかし、タイムリミットは無情にも迫り──
「……あ……くそ……目……が……」
「いいよ」
抗いようがない程に強い睡魔に意識を引っ張り込まれる感覚に苦悶の声を上げるソルに対して、アルは柔なかな声を掛け、握ったソルの左手を自らの胸元に持っていく。
「安心しておやすみ。僕は──」
ソルの意識が遠くなる。
猛烈な睡魔はソルの存在がこの世界に存在してはいけないと言っているように、本人の意思を断固無視しているように思えた。
だから、弟の手の温もりも、その声も理解することも出来ず──
「──僕はその為にここにいる」
──セカイは急速に萎んで消えた。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
──目覚めはいつだって唐突だった。
パイプを組んで作った簡素なベッドに先程まで深い寝息を立てていた少年は、両目をカッと見開くと寝起きとは思えぬ速度で上半身を起き上がらせた。
時間は早朝。そう判断できたのはベッドの右手に位置する窓から差し込む朝日を見ずとも少年は経験則として理解していた。
起床後にまず目にするのは自らの右の掌。そして、室内──少年が18年使用してきた自室──を首をぐるりと回して確認する。
白を基調とした壁紙の貼られた質素な部屋は、代わり映えのない見慣れたものだ。
壁に掛けられたカレンダー、その傍に黒のジャケットがハンガーに掛けられ、すぐ傍に置かれている机の上にはアラーム時間のセットされていない目覚まし時計が置いてあり、時間は6時を指していた。
少年はベッドから降りると立ち上がり、ベッドから降りてすぐ傍の壁に立てかけられている大きな鏡の前に立った。
少年の全身がすっぽりと収まってしまうような大きな鏡だ。
それは、少年が物心付いた時に両親に無理を言って買ってもらった物だった。
両親にあまりよく思われていない少年だったが、普段あまりわがままを言わない事もあって、渋々買ってくれたのを覚えている。
鏡に映っているのはやや幼さを残しているとは言え、もう青年とも呼べる体躯をした男だった。
短く切られた黒髪は中心で左右に分けられており、少々眉を寄せた顔は苦虫を噛み潰したような不機嫌なものだったが、それは寝起きで機嫌が悪いというわけではない。
生まれてこの方朝の微睡みを経験した事のない少年にとって、起床直後の虫の居所の悪さはそれとは別の理由からくるものだった。
下着姿から伸びる両腕、両足は鍛え上げられたそれであり、自らの顔の形を確かめるように触れている右の掌に出来た固く固まったたこは、幼少の頃から嗜んでいた格闘技の訓練で出来たものだった。
「……塩山 誠」
暫くの間自らの顔や髪に触れた後に少年──誠は自分の名前を呟くと、朝日が差し込む窓へと目を向ける。
窓の外に広がる町並みの片隅で、鉄筋コンクリートの建造物が視界に写る。
人工的に作り出された無骨なオブジェを眺めながら、誠はそれがセカイに必要とされていない自分に向けた皮肉に思えてならなかった。