歌声を。
窓から見る空は青く澄んでいて、太陽がギラりと照りつけます。
隣に座る貴方の手をぎゅっと握り締めました。
また貴方は優しく微笑みます。
あの街を歩く女の子達の話し声も。
あの小さな小鳥のさえずりも。
私には聞こえません。
小さい頃、大きな事故で、聴力を失いました。
幸い、死ぬ事はありませんでした。しかしその事故から、私は大好きだった歌を歌う事もなくなりました。
自分の声も、誰の声も聞こえないから。
死のうと思った事は、何度もあります。
それでも今生きていられるのは、きっと周りの人達のおかげ。
そして、貴方に会えたおかげ。
あれは、寒い冬の日でした。
私は母と共に街を歩いていました。
ふと見ると、大きな噴水の前に人だかりが見えます。
気になった私は人だかりの先をじっと見つめました。
そこには、一人歌う青年の姿がありました。
私は、歌にはもう興味がありません。だって、私の耳には何も聴こえないから。
だけど、私は聴こえない彼の歌を、一人じっと見守っていました。
うまく言えませんが、何か特別なものを感じました。
そんな私に、母は何も言わず寄り添っていました。
歌が終わる頃には、お客さんは私と母だけになりました。
彼は歌いきったかと思うと、嬉しそうに私に話しかけてくれました。
何を言ってるのか分かりませんが、お礼を言ってる様にも見えます。
母とその青年が何か話したかと思うと、青年は私に手を差し伸べてきました。
初めは訳がわかりませんでしたが、それがようやく握手なのだと分かって、私は彼の手を優しく握り返しました。
とても冷たいその彼の手と、優しい微笑みは、今でも覚えています。
それから、彼とよく会うようになりました。
初めは街でよく見かけたりすると声をかけてくれたりする程度でしたが、だんだん距離は縮まり、一緒に出掛けたりする仲にもなりました。
友達がいない私にとっては、彼に会うのがいつも楽しみで仕方がありませんでした。
そんなある日、彼が私に一通の手紙を送ってくれました。
そこには、こう書いてありました。
"俺と付きあってほしい。"
初めの一行を読んだだけで、私は驚いて仕方がありませんでした。
しかし、彼の目はまっすぐ私を見つめてくれていました。
彼なら、私の全てを受け入れてくれる気がする。彼の全てを、信用できる。
そう思った私は、手紙を読んだ後、優しく微笑んで、ゆっくりと頷きました。
子供のように嬉しそうに笑った彼のその笑顔は、何よりも眩しく感じました。
そんな幸せも、いつかは終わると何処かで分かっていました。
桜が舞い散る春の日。私の母は、心臓病で亡くなりました。
今まで誰よりも私を見つめてくれた母は、もう何処にもいません。
そして、今度は私の番がきます。
私はその日、確かパンケーキを作っていました。
彼を喜ばせようと思い、頑張って作りました。
お皿を取ろうと思い、椅子に上り
グラリと視界が曲がりました。
それからのことは、よく覚えていません。
ただ、目覚めると病院らしき所の一室にいて、隣に彼が居たのを覚えています。
母と同じ心臓病で、余命は残り1ヶ月と診断されました。
それを聞いた彼は、涙を流して私の手を握り締めていました。
初めて見たその彼の涙に、私は思わず
「泣かないで」
と、呟きました。
声を発するのは、久しぶりで、彼に届いていたのかは分かりません。
私は、その残り1ヶ月に、今までの事を、この日記に書き記しました。
今あなたがこの日記を読んでいるのなら、もう私はこの世にはいないのでしょう。
不思議と、死ぬのは怖くありません。
私は、この20年間、本当に楽しかった。
貴方に会えて、本当に良かった。
なんと感謝すればいいのか、言葉が見つかりません。
ただ、1つ思い残すならば。
最後だけでもいいから、聞きたかった。
あなたの、その―――
病室に、俺は一人たたずんでいた。
俺の隣にあるそのベットには、もう彼女はいない。
俺は、ある1つのノートを読んでいた。
愛する人が、最後に残していった、俺へのメッセージ。
彼女にとって、俺は大切な存在でいられただろうか。
彼女は、今も何処かで、俺のことを見守ってくれてるのだろうか。
目が熱くなるのを感じる。俺は1人、誰もいない病室で泣き続けた。
どうか、どうか、安らかに。
俺のこの歌声が、届きますように。
今は亡き彼女に捧げる。この――
短編小説です。
唐突に書きたくなりました。
恋愛ものが書きたかったんですが、ちょっと悲しいお話になりました。