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第十一話。

 この後、わたくしは侯爵令嬢として中将さまと結婚いたしました。


 結婚式の前、両親と再会してしばらくしてから、足の腱を切られました。父の命令です。――逃げることができないように、とのことでございます。


『あなたが、逃げ出したりせずに大人しく私と結婚なさらないから、こういうことになるのです』


 新枕の床で、中将さまが仰いました。


 二人の娘は、わたくしの両親と養子縁組みをし、わたくしの義妹として、シンデレラのそば近くに仕えることになったそうです。

 仲の良い三姉妹が、再び一緒に過ごせるようになったことは、わたくしを慰めてくれました。


 ある日、面白い読み物が出回っている、と、中将さまがお土産にくださったのは一冊の本でございました。

 『シンデレラの物語』と題されたお話は、大変によくできておりました。

 わたくしの悪役ぶりも、なかなかどうして、立派なものではございませんか。

 そう申し上げると、中将さまは困ったように笑っておいでになりました。


 わたくしが、シンデレラのことを考えない日など、ございませんでした。

 たとえば、わたくしが、この物語の継母のようにシンデレラを酷く扱ったとして、果たしてその悪意がシンデレラに通じるでしょうか。

 いえ、そもそもあのシンデレラが、自分の置かれた境遇を嘆いたりするでしょうか。


 シンデレラがそんな娘だとしたら、あの娘は、いまのしあわせを手に入れていないのではないかと、わたくしは思うのです。


 ただ素直に、あるがままに生きているからこそ、シンデレラは人もうらやむ幸せを手に入れることができたのだと。

 シンデレラ自身は、自分の幸福について、ただありがたいことだと思っているに過ぎないのではないかと。


 そこでわたくしはようやく、自分とシンデレラの違いに気づきました。


 母と同じ色の瞳を持たぬ自分を嘆き、父に強制された結婚を不幸だと決めつけ、愛人を作った夫たちを恨み、誰からも愛されるシンデレラを本当は妬みながらもそれに気付かぬ振りをしたこと。

 母と同じ色を持たぬ自分は、存在する意味がないのではないかと、誰かにそう言われるのではないかと、ずっとその日が来ることを恐れて、その恐怖から逃げ続けていたこと。

 そして、自分が存在する意味を求めて、もがき続けていたこと。


 ですが、わたくしは薄々気づいておりました。

 シンデレラは実は、なにもしていないのです。

 ただ一人の人間として、そこにあるだけでした。

 シンデレラを愛している者たちを、ただ愛していただけなのです。


 わたくしは、わたくし以外の某かになろうと、長い間無駄な努力を続けておりました。

 努力しても母と同じ色の瞳にはなれません。 

 どれほど仕事を頑張ったところで、結婚をせずに一人きりではいられませんでした。

 夫がわたくしを愛してくれないのは、わたくしが夫を愛さなかったからかもしれません。

 シンデレラのことが、妬ましくて羨ましくて仕方がないのは、あの娘が心から、わたくしを母と呼んで愛してくれたからなのです。 

 わたくしのできないことを、易々としてのけるシンデレラに、わたくしは自分の心の中の不安を掻き立てられました。シンデレラを見ていると、自分の存在が、ひどくちっぽけなものに感じられました。母と同じ色を持たぬ自分は、やはりなんの価値もないのだと思いました。ですが、シンデレラは、そんなわたくしさえも、愛してくれたのでした。


 わたくしにとって、それはひとつの希望となりました。


『さしずめ、私は牢番というところでしょうか。

 あなたを歩けぬようにして、一歩も外に出さぬように閉じ込めて。

 この屋敷はあなたにとって牢獄とおなじでしょう』


 ある夜、『シンデレラの物語』を読み終えると、中将さまが苦笑いして仰いました。

 わたくしは、中将さまのお胸に手を触れてみました。心臓が早鐘のように激しく打っております。

 この方も人間なのだ、と、わたくしは、妙に感心してしまいました。


 この方も、ご不安でいらっしゃることがあるのかもしれない。たとえば、わたくしの気持ちがどなたにあるのか、とか、そういったことで。

 不意にそんな風に思いつきました。


 こんなとき、シンデレラなら、どうするかしら。


 わたくしは、まず、中将さまの牢獄で生きることを決意いたしました。

 そのためにまず、中将さまを知り、中将さまにわたくしの気持ちをお伝えするところからはじめようと思います。


『わたくし、あなたと結婚することが嫌で、侯爵家から逃げ出したわけではないの。

 あなたが、わたくしではなく、侯爵の娘を必要となさっておいでなのではないかと思って、侯爵の娘なら、わたくしでなくてもよいのではないかと思って、それが嫌だったの。

 あなたが必要なのは、わたくし?侯爵家の娘?』


 結婚して以来、わたくしがこれほど長く話したのははじめてのことでございましたから、中将さまは大変に驚かれたようでございました。

 そばにあった水差しをひっつかむと、一気に中身を飲み干されます。


『ちょっと待ってください。そりゃ、私も貴族の端くれですから、あなたが貴族の令嬢であった方が結婚は成立しやすいとは思っていましたが…。

 第一、あなたが家出されたときには、私はまだあなたとの結婚のことは知らなかったのです。

 ですから、今はあなたが侯爵令嬢であってくださって都合が良かったと思いますが、あなたが甥の家庭教師だからと言って、私にあなたを諦めるつもりは毛頭ありませんでしたよ』


『それはつまりどういうことでございましょう』


 わたくしの心臓は、恐怖と歓喜と、ほんの少しの残酷さに、中将さまのお答えを急かしておりました。


 『つまり…、それは…、ですから、あなたが侯爵令嬢でなくても、私はあなたを愛しているということです!』


 薄明かりのなか、中将さまのお顔は、真っ赤になっておられました。そしておそらくは、わたくしの顔も。


『甥たちの家庭教師をしているあなたは、凛として美しく、めったに会わない私にも親切で…。

 ですから、噂の意地悪な継母が実はあなただと知った時には、正直に申し上げて、失望しました。

 ですが、あなたはやっぱり私の愛するあなただった!』


 そのときのわたくしの高揚した心が、わたくしの背中を押したのです。


『わたくしの瞳の色が紫色でなくても?』


『瞳?

 あなたの瞳が何色だって、あなたはあなたでしょう。

 あなたの瞳が何色でも、あなたが侯爵令嬢でなくても、私はあなたを愛しています』


 中将さまの碧玉の瞳は、わたくしの珍しくもなんともない薄茶色の瞳を覗き込んでいらっしゃいます。

 わたくしは、なんだか瞳の色にこだわっていた自分が、ばからしく思えて参りました。


『わたくしも、実は、あなたをお慕いしておりました』


 小さな声で申し上げたのに、驚くほど強い力で腰をさらわれ、熱い唇がわたくしのそれに押し当てられました。


 わたくしは、嬉しさと喜びに包まれておりました。

 わたくしの瞳の色が何色でもわたくしは愛されるのだと、わたくしはわたくしの愛するものを愛しているし、愛されているのだと、この方を信じようと、そう決めたのでした。

 

 わたくしは、どんなわたくしでも幸福を手に入れることができるのだと、ようやく認めることができたのです。



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