第八話。
少し遅れはしたものの、王子さまは、そんなことでシンデレラをお嫌いにはならなかったようでございました。そして、現れたシンデレラを見ても、誰ひとり――中将さまでさえ――笑ったりはなさいませんでした。
シンデレラは感嘆をもって迎えられ、すぐさま王子さまと楽しそうにダンスを踊りはじめました。
『一体どんな魔法を使ったのです?』
中将さまは、わたくしのそばにいらして、そうお尋ねになりました。わたくしはただ二人の娘を見ただけでした。
娘たちは、三人とも、楽しそうにダンスを踊っておりました。
シンデレラは、生母の遺したドレスを――以前に皆さまにお話ししました、月の光のドレスです――着て、太陽の髪飾りをつけて、星の靴を履いておりました。本当に光り輝いて、大変に美しく、わたくしはシンデレラを必ず幸せにするという誓いを果たせることに、安心いたしました。
ですから、中将さまにダンスを申し込まれたときも、きっと正気ではなかったのでございます。
『あなたは、私のことを覚えておいでではないようですね』
久しぶりのダンスに悪戦苦闘しているわたくしに、中将さまはそう仰いました。
『私は何度か、甥たちの家庭教師をしていたあなたと、話をした覚えがありますよ』
『覚えていないわけではございませんけれども…』
口を開くと足元が疎かになってしまうので、私はそれだけお答えするのがやっとでした。
どうにか一曲終わったものの、私は疲れきっておりましたので、風にあたろうとテラスに出ることにいたしました。
娘たちは、元気に踊り続けております。
テラスに出ると、ひんやりとした風が頬に心地よく、わたくしは少しぼんやりとしておりました。
不意に、後ろから声を掛けられて、思わず悲鳴をあげてしまいました。
『そんなに驚かれてしまうとは…』
困ったようなお顔で、中将さまが立っておられます。
『申し訳ございません』
わたくしはスカートの端を少し摘んで、中将さまに謝りました。
『先ほどの話の続きをしてもよろしいですか?』
わたくしはうなずきました。
『あなたは、私のことなど、仕える主の弟だというくらいにしか思っておいでではなかったでしょうが、私は、あの頃あなたに想いを寄せていたのですよ』
突然のお話しに、わたくしは驚くよりも、なんだかとても可笑しくなってしまいました。
『まあ、それは存じ上げませんでしたわ』
『そうこうするうちに、私は士官学校に入学しなければならないし、あなたは執事と結婚してしまうし、私がどれほど物思いに苦しんだかあなたはご存知ないでしょう』
『ええ、まったく』
わたくしは、くすくすと笑いながらお答えいたしました。
中将さまは、笑い始めたわたくしを見て、いささかご機嫌を悪くされたようでした。眉根を寄せて低い声で仰います。
『姉から、執事が死んだと手紙が届いたときには、私は辺境の部隊に配属されていたし、あなたが再婚したと聞いたときには国境近くの小競り合いに駆り出されるし、まったくあなたは少しも一つ所にじっとしていてくださらなかった!』
『あら、わたくしだって娘二人を抱えて、生きていくのに必死だったんですもの』
なんだか胸の奥がぞわぞわするような気がいたしまして、わたくしは中将さまから少し離れました。
『どうして私には、なにも言ってくださらなかったのです』
『どうして中将さまにご報告しなくてはなりませんの?』
わたくしは居たたまれなくなって、もう逃げてしまいたいような気持ちになりました。中将さまは、なぜか苦しそうにわたくしを睨み付けておいでになります。
『どうして?そんなこともお分かりにならないのか!』
『ええ!分かりません!分かりたくもありませんわ!』
わたくしはそう言いますと、本当に逃げだしました。
『待ちなさい!』
ですが、すぐさま中将さまに腕を掴まれ、抱きすくめられてしまいました。
『無礼者!わたくしを誰と心得る!』
とっさに口から出た言葉に、中将さまはさっと顔色を変えられました。
その時です。お城の塔から12時を告げる鐘が鳴りはじめたのは。
あまりに大きな音に、わたくしは驚いてしまいましたが、それは中将さまも同じでございました。
中将さまの腕の力が緩んだ隙に、わたくしは、出来る限り速く走りだしました。
『待ってください!』
中将さまが追いかけていらっしゃったものですから、わたくしは近くの大階段を急いで駆け下りました。左の靴が脱げてしまったのは、その時のことでございます。
その後、なんとか辻馬車を拾ってお屋敷に帰ると、わたくしはそのまま倒れ込んでしまいました。




