懐かしい人の体温と足音
チャイムが何度も押されて、心拍数があがる。居留守もいつまで使えるのかわからないくらい緊迫した空気。
比呂さんは少し考えたあとに窓を開け、そこから飛び降りた。慣れているのか着地の音は小さく、玄関にいる警察には聞こえないであろう音だった。そしてそれに続き武蔵が飛び降りる。軽く飛び降りた武蔵に続き飛び降りようとするが、二階から飛び降りるのはやはり怖い。
躊躇っていると下から比呂さんと武蔵が手を差し出してくれた。目を瞑り、それに飛び込む。二人の腕に抱えられ、なんとか降りることができた。比呂さんは怪我をしている脇腹を少し摩ると、狭いその道を走り出した。私と武蔵も続く。
比呂さんは走っている途中、やはり脇腹が痛いのか手で押さえるようにしていた。先ほど私が降りたときに、負担になったのかもしれない。罪悪感が募る。けれど謝れる暇もない。今は走らなければならないのだ。
いつの間にか武蔵の後ろから違う足音が聞こえて、追われていることに気づく。これで私も武蔵も共犯になるのか。なんとなくそれでもいいと思えた。
窓を飛び降りたあの瞬間、私は覚悟したのだから。
きっと大丈夫、だって武蔵がいる。
この先どうなるのだろうか、と考える。考える余裕があるということはまだまだ走れるということだ。よかった。
けれどやはり疲れというものはくるもので、私は少しずつ比呂さんに追いつけなくなってしまった。武蔵に後ろから声をかけられた気がしたけれど、なんて言っているのかわからない。思考回路がぐちゃぐちゃになって、口の中に血の味が広がる。あぁ、どうしよう。
なにかを乞うようにのばした手。意味は無い。けれどそれを握られた。比呂さんは私の手を強く握り、そして優しく引っ張ってくれた。暖かく大きな手に引っ張られ、私はまた走り始めた。比呂さんは前にいて見えないのに、どうして私が手を伸ばしているとわかったのだろうか。背中に目でもついているのだろうか。
不思議な人だな、と思った。
「あともう少しだから」
比呂さんのはっきりとした声が耳に届く。あと少し、あとすこし。
曲がり角を何度も曲がって、武蔵の後ろから足音が聞こえなくなってから走る速度を落とし、そして見たこともない廃工場のような場所についた。
そこはとてもほこりっぽくて、けれど月明かりが隙間から照らしていてキラキラとほこりが輝き、神秘的だった。武蔵は壁に背中を任せ座り込み、私も膝に手をついた。比呂さんだけケロリとしている。
まだ握られている手を離す気になれなくて、気づいてない振りをする。
武蔵以外の人に触れたのは、いつ振りだろうか。