回想、のちの
私の母は厳しい人だった。勉強も運動も、人の上に立たなければ苦い顔をされた。多分私は愛されてはいたのだろうけど、それはそれは厳しかった。元々シングルマザーで私に期待をかける気持ちはわからなくもなかったけれど。
有名な学校に行って、人を使う人になりなさい。
これが母の口癖だった。けれど勉強とは、環境や本人のやる気、そして少なからず遺伝子も関係するのではないだろうか。私が頭が良くなる訳でもなく、いつも中間の点数を取っていた。母はそれが気に入らなかった。でも私はそれ以上やるつもりもなかったのだ。私は人を使う人にはなりたくなかった。まるでお腹の中で母にやる気を吸い取られたかのように、私は無気力だった。なにに対しても無気力で、自分でもどうして無気力なのか考えたことすらある。それも数秒で考えるのをやめたけれど。
あまりに無気力な私を、母は見捨てた。
朝起きるとお金だけ置いてあり、それで生きていた。顔を合わせるのは月に何度か。母は私への情熱をホストへと向けていた。ホストの為に仕事をして、ホストの為におしゃれをして、時々会う母は女の顔をしていた。そして私が高校に上がる頃、母はお気に入りのホストといなくなってしまった。知らせにきたのはそのホストがいた、クラブのオーナーだ。わざわざ家を訪ねてきて、わざわざ牛丼まで持ってきてくれた。食べながら「お前の母親はいなくなっちまったよ」と一言いわれ、私は「そうですか」と返すだけだった。
それからオーナーは休みの度に牛丼を持ってきてくれた。自分のところにいたホストが駆け落ちしてしまった罪悪感からなのか、それでも私は少しだけ嬉しかった。繋がりがなんとなくあるだけでも嬉しかったのだ。オーナーは未だに家に訪ねて来る。前よりも来る頻度は少なくなったものの、それでも来てくれるのだ。馬鹿のひとつ覚えみたいに牛丼を持って。
生活費は毎月誰かが銀行に入れてくれている。多分母だろう。ふと通帳記入に行けば十万ほど入っているのだ。それで私は生きている。学費は奨学金だ。一応勉強はした。教育熱心な母がいなくなって勉強ができるようになるなんて皮肉だろうか。
でもそれが私なのだろう。どう転んでも親不孝にしかなれないのが私なのだろう。
機械的に目を開ける。白い天井が目に入る。あ、これ本で読んだ事ある。確かその本の主人公は記憶を失っていて、天井を見て意味わからなくなって発狂したんだっけな。私も発狂してみようか。そんなこと考えている時点で、発狂はしないけれど。起き上がろうとすれば軋む身体。なんだか手が白いぞ。自分の腕を摩ると、少し色が戻った気がする。
「戻った戻った」
なんとなくきゃっきゃっとはしゃぐけれど、自分は冷静だ。確か、撃たれたのだ。少年を庇って。そう、あの聡明な少年を庇ったのだ。なんだか変な感じだ。人を庇うなんて、一生しないと思ってた。それが普通なんだろうけど。
あれ、でも痛みは無い。身体は多少軋むが、痛みがまったくないのだ。どこらへん撃たれたっけ。お腹を触るが包帯の感触すらない。視界に、髪の毛が入る。あれ、こんなに髪の毛長かったっけ。髪の毛を触ると、毛根が微かに引っ張られる感じ。確かに地毛だ。
一体全体なにかがおかしい。
髪の毛を触っているとがらりと病室のドアが開いた。そこには大きな花束を持った、高校生くらいの青年が立っていた。ばさりと花束が落ちる。近づいてきた青年は私の手を掴むとはぁを息を吐いた。こんな知り合い、いた記憶は無い。
「あの、どなたですか」
「目を覚ました、よかった」
話しが通じない。青年はまだ、息を吐いている。強い力で握られる手がなんだか心地よくて、それ以上私はなにも言わなかった。