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Pitiless rain

 ジェニーは傘もささず、雨の中を歩いた。バス停にも向かわず、家のある方向へ。

 雨足はしだいに強くなり、彼女はずぶ濡れになっていた。どうにか時計のことを思い出し、はずしてバッグに入れた。だが、自分が濡れることなど気にもとめなかった。

 ジャックが、恋人とヨリを戻した。

 今週、一度も彼と目が合わなかった。話もしなかった。気のせいではなかった。彼は避けていた。女の子を──私を。

 彼の声が、笑顔が、彼と過ごした時間の数々が、走馬灯のように次々と頭に浮かんでは、消えていった。

 秋の冷たい空気と激しい雨が、ジェニーの冷えた身体を槍のように突き刺していく。

 かろうじて歩いていた。知らぬ間に涙が溢れていたが、自分でもどれが涙でどれが雨なのかわからなかった。雨はただ、彼女の耳元でうるさく音をたてている。

 彼のことばかりを考えていたが、足は自然と自宅へと向かっていた。この、車一台分ほどの幅のちょっとした近道を通れば、いつもなら二十分ほどで家に着くはずだ。だが足取りが重かったせいか、家に着くのに三十分以上もかかっていた。

 ずぶ濡れの姿で家の敷地に入ったジェニーは、玄関ポーチになにかが置かれていることに気づいた。近づくと、それが箱だとわかった。

 箱は薄い灰色に白いバラがいくつも描かれた包装紙で包まれていて、白い封筒がはさまれていた。

 表には、“ジェニーへ”と書かれている。見覚えのある、癖のある字。

 ──まさか。

 彼女は急いで封筒を開け、中の便箋を出して開いた。



  ジェニーへ

   誕生日おめでとう。

   今日は行けなくてごめん。

   代わりにとは言わないけど

   プレゼントを受け取って欲しい。

   素敵な一年になることを祈ってる。

                ジャック



 ジェニーの瞳からはまた、涙がこぼれた。声が出ない。必死で息を吸い、吐いた。

 涙を拭いて、少し濡れた包装紙を慎重に解いていく。そして箱を出した。蓋を開けるとそこには、新品の、色褪せたステインカーズがあった。

 思わず、左手で口を覆った。涙をこらえようとしたが、やはり無理だった。身体が吸収した雨を押し出すように、どっと涙が流れた。

 目がかすんで視界がぼやける。スニーカーの入った箱に覆いかぶさるようにして、声をあげて泣いた。声が枯れるのではないかというほどに泣いた。

 その声を掻き消すように、雨は彼女の背後でただひたすら強く降っていた。

 彼女はそのまま、闇に落ちた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 数時間後、ジェニーはふと、目を開けた。

 見覚えのある天井。ゲストルームだ。

 起き上がろうとしたが、身体がとても重かった。まるで自分の身体ではないようだ。頭もずきずきと痛む。

 どうにか上半身を起こすと、オレンジ色の小さな証明がいくつかつけられただけの暗めの室内を見まわした。窓の外は真っ暗で、まだ雨の音が響いている。ナイトスタンドにある時計を見ると、時刻は午前零時を過ぎていた。

 ベッドに背を向けた、二人掛けのブラウンのソファから見慣れた頭が見えていることに気づき、彼女は声をかけた。

 「ウィル、ウィル!」

 小さなうめき声をあげてすぐ、ウィリアムが飛び起きた。左右を見てからはっとして彼女のほうを振り返る。

 「ああジェニー、目が覚めたのか」

 「私、どうしちゃったの?」

 「どうもこうも、こっちが訊きたい」彼は目をこすりながら言った。「夜の八時前だったかな、お前が傘を忘れてるって、レナから電話があった。二十分もまえに店を出たっていうのに、家に帰ってない。連絡もない。車でバス停とバスの走るコースをまわってみたけど、どこにも見当たらない。すれ違ったかと思って家に戻った。そうしたら、お前がポーチで倒れてるのを見つけた」

 ジェニーはずきずきと痛む額を右手で抑えた。

 「ああ、そうね。ポーチで──」

 思い出した。ジャックが恋人とヨリを戻したと聞いたあと、雨の中を歩いて帰って、玄関ポーチで彼からのプレゼントを見つけた。泣いたことは覚えているものの、そのあとの記憶がない。

 彼は呆れたように説明を続けた。「それで、ずぶ濡れのお前をゲストルームに運んで寝かせた。なんでこの雨の中を傘もささずに歩くなんてバカなことをしたのか知らないけど、ちょっと熱が出てる。もう一度計って、薬飲んで、できそうならシャワーを浴びて着替えて、今度は自分の部屋で寝ろ」

 彼女は服が、プレゼントにもらったドレスがそのままで、しかも濡れたままなことに気づいた。

 「どうしよう、台無しにしてしまったかしら──」

 「いざとなったら僕がクリーニングに出してくる。時計は途中でバッグに入れたのか? 防水でよかったよ、なんとか無事みたいだ。携帯電話も」ウィルはテーブルの上の、タオルの上に広げた腕時計、携帯電話、鍵、バッグに目をやった。「とりあえず飲み物を持ってくるから、熱を計れ」

 そう言うと、彼は部屋を出た。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 しばらくしたあと、兄の言うとおりに行動し終わったジェニーは、自室のベッドに入っていた。部屋の中央にある小さな白い丸テーブルには、ジャックからのプレゼントが蓋と包装しつきで置かれている。

 ウィリアムはジェニーを探しに家を出る時、急いでいたせいか、箱の存在には気づかなかったという。一度友人たちと出かけ、夕方には帰ったが、その時はポーチにはなにもなかったし、家に居ても玄関のベルは鳴らなかった。ただ置いて行ったのだろう──と。

 彼はなにも訊かなかった。ジェニーがベッドに入るのを見届けて部屋を出る時、閉じかけたドアを再び開いて顔を半分だけ出し、「失恋か」と言ったが、それだけだった。

 深夜の静寂が、ジェニーにまたジャックのことを思い出させた。

 シーツを頭までかぶると、声を押し殺して泣いた。

 そして、そのまま眠った。

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