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Timbre of one way love

 十月のとある金曜日──今週最後の授業を終えたあと。担当生徒達による校内清掃を終えたジェニーは、ビニール袋にまとめたゴミを校舎裏の焼却炉まで捨てにきていた。

 「そのボロボロのスニーカー、いつまで履いてるつもり?」

 彼女の後方から大好きな声がした。瞬間的に心臓がときめいたことを彼に悟られないよう、ゆっくりと振り返る。

 「あら、ジャック」

 毎度のことだが、彼の姿を見るたび、身体中から溢れ出しそうな喜びを、今すぐ抱きしめて“好きです”と言ってしまいたいほどの胸の高鳴りを、まったく顔に出さないよう、笑顔を抑えるのには苦労する。内心は百二十パーセント嬉しいのに、彼に見せるのは四十パーセントほどの笑顔だ。

 「底に穴が開くまで履くつもりよ」と、ジェニーは誇らしげに答えた。

 ジーンズのポケットに両手を突っ込んだまま、彼は少し背中を曲げて悪戯っぽく笑った。

 「すばらしい節約精神だね。作った人も大喜びだ」

 身長百七十五センチという身長に、そろそろ切れと教師達に注意されてしまいそうな、目と耳をすっぽり覆う長さのきれいなゴールデン・ブロンドヘア。整った顔立ちと海のように青い瞳、十三歳の誕生日から二年おきにひとつずつ増えているという、左耳にある三つのピアス。

 彼のすべてに、ジェニーは夢中だった。

 具体的に言えばいつからかはわからない。が、高校の入学試験の時に見かけた彼に目を奪われてからで言えば、一年と八ヶ月の片想いだ。

 ジェニーは彼に微笑んだ。「そういうあなたは、また新しいパーカーを買ったみたいね?」

 「よく気づいたね。昨日買ったばっかりなんだ」

 「そうなの? だから」自分の首を指差して苦笑う。「首のところに値札をつけたままなのね」

 彼はぽかんとした。「え? 嘘だろ! 誰もそんなこと──」

 ジャックは慌てて両手で首のうしろを探った。

 彼女はおなかを抱えて笑った。

 彼はきょとんとしていたが、すぐに気づいた。

 「──嘘、か」

 ジェニーは目に浮かんだ笑い涙を指で拭った。

 「ええ」

 彼はほっとしてみせたものの、すぐに少しむくれてみせた。「なんだ、びっくりさせないでくれ」

 「ごめんなさい。でも、焦ったみたいね」

 「今日一日、誰もこの新品に気づかなかったし、もちろん値札のことも口にしなかった。てっきり、遠慮して言いだせなかったのかと──」

 彼女はまだくすくすと笑っている。そのせいか、ジャックも少し苦笑った。

 「笑いすぎ。覚えといて、絶対にし返すから」

 「お手柔らかにお願いね」彼女は笑いをこらえて言った。

 「お嬢さん」

 ジェニーの後方、焼却炉のほうから声がした。振り返ると、焼却炉にいる用務員の男性が彼女たちを見ていた。

 「楽しそうなところを邪魔して悪いが、そのゴミを燃やすつもりならこっちへ持ってきておくれ」

 彼女たちは顔を見合わせてから、彼女の左手にあるトラッシュバッグへと視線を落とした。

 「ああ、ごめんなさい!」

 慌てて男性のところに駆け寄った彼女は、トラッシュバッグを渡しながら彼に声をかけた。

 「おつかれさまです。ごめんなさい」

 「かまわんよ。時々、燃やし終わったあとにゴミを持ってくる生徒もいる。それに比べれば」

 男性の思わぬぼやきに、ジェニーは少し笑った。

 「せめて私が当番の時は、そんなことがないようにします」

 「ああ、頼むよ」男性は静かな口調で言った。「さあ、ボーイフレンドを待たせちゃ悪い。もうお行き」

 男性の言った言葉に少し反応しながらも、「はい、失礼します」と答え会釈をして、ジェニーはジャックのほうへ歩いた。

 ──ボーイフレンド。“恋人”という意味かしら。それとも、“男友達”という意味かしら。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 教室へと戻りながらジャックがジェニーに訊ねた。

 「怒られた?」

 「いいえ、まさか」

 「そう、よかった。でも、ゴミを運ぶのは男共に任せたほうがいいよ。女の子の仕事じゃない。」

 「あら。用務員さんが時々、ゴミをすぐに持ってこない生徒たちがいるって言ってたわ。女の子たちはそんなことしないだろうから、きっと男子だと思ったんだけど」

 「──覚えがあるような、ないような──」

 「ダメよ、困らせたりしちゃ」

 「気をつけるよ」

 校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下まで戻ったところでジャックが足を止めた。

 「そうだ、さっきの話だけど」

 「なに?」

 「君の誕生日、僕が新しいスニーカーをプレゼントしようか?」

 彼は、ジェニーが足に履いているボロボロの、ほとんどが砂や泥で薄茶色く汚れてしまっているくたびれた灰色のスニーカーを見た。

 誕生日など教えた覚えはないのに、なぜ知っているのだろう。そうは思ったが、訊けるわけはなかった。

 「とても素晴らしい、泣いて喜びたくなるような提案だけど、遠慮しておくわ。悪いし。──そんなにひどい?」

 思い悩んだ表情をした彼女も自分の足元へと視線を落とし、足首を捻って真上から横からとスニーカーを確認した。

 実際、いい意味で悪くなかった。

 百五十五cmという、彼女のコンプレックスのひとつでもある小柄な身長に、肩下まである長い髪。薄化粧の大きな灰色の瞳に、鮮やかなオレンジ色のカットソーがよく映える。

 部活動こそしていないもののスポーツは得意で、屋内での読書よりも外で本を読むことのほうが好きだ。文系ながらもそれなりに活動的で、そう考えればその履き古されたスニーカーも悪くない。スニーカー以外の靴も持っているし、資金不足というわけでもないのだが、そのスニーカーはまるで彼女のために造られたかのように履き心地がいい。

 「物を大切にできる人で羨ましいよ」と、ジャック。

 ジェニーは笑った。「あなたのクローゼットを片づけたら、ちょっとしたパーティができそうね?」

 「四名様までなら大歓迎だよ。ただし、僕が服を処分すればの話だけど」

 「一生無理そうね。部屋を服に侵食されなきゃいいけど」

 「じゅうぶんありえる話だと思うけど、そこまでぶっ壊れる気はないよ」

 彼女はまた笑った。

 午後のLHRをはじめる合図のベルが学校中に鳴り響く。二人は顔を見合わせ、「まずい!」と叫んだ。

 階段を駆けあがって左右に別れたが、ジャックに声をかけられた。

 「また来週、ジェニー。良い週末を!」

 彼女も立ち止まって振り返り、彼に八十パーセントの笑顔を向けた。

 「ありがとう、あなたもね」

 笑顔で手を振ると、ジャックはまた教室へと向かった。

 それを見届けると、彼女も大急ぎで走りだした。

 一年の時は別のクラスだったものの、校舎は同じだった。そのうえ、ジェニーが所属していたクラスに彼の友達がいたこともあり、ジャックはよくそこに遊びにきていて、ときどき一緒に話をしたりもした。今でも会えば挨拶は交わすし、時間があれば友人を含め数人で、時には二人だけの会話をするまでの仲になっていた。

 しかし高校二年生になってから、クラスが違うどころか校舎すら違っていて、顔を合わせる機会がぐっと減ってしまった。今日のように二人きりで話せることは、一ヶ月に一度か二度、あればいいほうだ。

 どこにいても彼の姿を捜すが、一日に二、三度は見かけるものの、彼が自分に気づいてないということも少なくない。もちろん彼は、気づけば笑顔で手で手を振ってくれる。それだけでも満足するべきだが、最近のジェニーは少し欲張りになっていた。

 同じ学校に通いながらも、別校舎というだけでこんなに会えないものなのかと、彼のことを考えるたびに溜め息をつきたい気分だった。

 会いたくても会えない気持ちが、恋心を一層強くする。だが会えないことに変わりはなく、もどかしい気持ちでいっぱいになる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 午後のLHRを終え、友人たちとお気に入りの店、ランチ・ブレッド・カフェで一時間ほど談笑したあと、ジェニーは家路についた。さきほどまで青かった空はオレンジ色に変わりはじめていて、二つの色の中間にある雲は紫色になっていた。

 今日の私たちね。

 自室のベッドの上、窓の外の空を眺めながら心の中でそうつぶやくと、彼女はカーテンを閉めた。そしてベッドマットの下に隠したノートと、サイドテーブルにあるペンを手に取った。日記帳だ。

 中学の時からのちょっとした習慣なのだが、絶対というわけではない。気が向けばその日のことを書き、眠くてしかたない日は書かない。書き忘れたからといって、前日のことを思い出しながら書いたりもしない。その代わり、書く時は嘘偽りなく、未来の自分が読むときに恥ずかしがったりしないよう、見栄を張ったりもしないこと。それが、日記をつけるにあたって彼女が自分に課した絶対条件だった。

 その精神は変わっていないが、ジャックを知ってからというもの、日記にはほとんど毎日、彼の名前が出ていた。彼に会ったこと、話をしたこと──もちろん友人たちのことも書くが、彼を見かけることすらなかった日は、書いても二~三行だった。彼の名前が出るときは最低五行、多いと今日のように、十行以上も使ってしまうというのに。

 今日のぶんの日記を書き終えると、ジェニーはベッド脇の壁に立てかけたギターを手に取った。

 このギターは三年前、趣味で音楽バンドを組んでいた三歳上の兄が使わなくなった中古品をくれたものだ。少し色褪せたそのギターには、“Rock Soul”という赤と黒のステッカーが貼られている。ジェニーはどちらかといえば、ポップやカントリーミュージックのほうが好きなのだが。

 ベッドの上であぐらをかき、ノートを脇に広げてギターの弦を弾きながら、書いたばかりの文章に音を与えていった。

 ある程度の弾きかたを妹に教えると、「あとは実践あるのみだ」と兄は言った。ギターと一緒に楽譜を数冊もらったものの、さすがに初心者には無理だと判断した。そしてぎこちない手つきで気まぐれにそれを弾きながら、日記に書いた短い文章を口ずさむということをはじめた。三年もそんなことを続けているので、今ではぎこちないなどということはなくなったが。

 うたい終えると、彼女はまた日記をベッドマットの下に戻した。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 数時間後、そろそろ眠ろうかとベッドに入り、ジェニーは目を閉じた。今日の出来事を思い出す。

 三年になるまで、あと五ヶ月と少し。来年こそは、同じクラスになりたい。せめて同じ校舎、同じ階に。

 いい夢がみられますようにと、心の中で恋の神様に祈った。

 そして、夢をみた。

 嵐の中、傘もささず暗闇に立ち尽くす黒髪の少女。

 箱を見つけた。

 中には、まっぷたつに破られた紙切れが一枚入っているだけだった。

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