Chapter.7 死体愛好
殺した…なァ……
殺して…弄んだなァ………
…人間の腕が、引っこ抜けるもんだと知ったのは………【はたち】の時か…
2年間、飽きるぐらい抱いて…死ぬまで離さねぇってマジに想ってたガールフレンドが……
ベッドの上で、壊れたバービー人形みたいに…バラバラになっちまってた…
ジョイの家族のように、強盗に襲われたわけじゃねェ……
殺ったのは、酒を飲んで寝こけてた…てめぇ自身だ……
何であんなひでぇ事をしたのか……今でも分からねェ……
泣いて、わめいて……イエス様を呼びまくって………
…でもな……気付いちまったんだよなァ……
死んだ彼女が………いー……い女でよォ……
動いてる時も好きだったが…虚ろな顔が、見た事ねぇほど、きれいでなァ……
冷たい体が、たまらねェ。死斑が浮いたら、抱かずにはいられねェ。
蛆が湧いたら…肉の柔らかさが、我慢できねェ。一度抱いたら壊れちまうのが…本当に残念だ……
…………捕まるのが、分かっていて……やめられなかったなァ………
やめるぐらいなら、死んだ方がマシだってよ…思ったなァ…
冷たい女が、きれい過ぎてよ……
動かない女が、世界で一番きれいでよ……
………………
振り向くアーシュの前には、鉄のスコップを握った、キャスパーが居る。
闇の降りた林道、ベルナルトを先頭に歩いていた3人は、
周囲の気配に五感を研ぎ澄ましながら、銃声の聞こえた病院へと向かっていた。
あれだけ響いていたヘリの爆音は、今は一切無い。
どこかに着陸したか、或いは用を終えて飛び去ってしまったか……
アーシュはどこから何が現われるかとずっと気を張り詰めていたのに、
ぶつぶつ呟きながら明らかに彼女の尻を見つめていたメキシコ男が、
その緊張の糸をたった今ぶっちぎったのだ。
「……【パブロフの犬】って知ってる?」
「有名な条件反射の話さ。食事の前にいつも鈴を鳴らしていると、
犬はやがて鈴が鳴っただけでメシを貰えると分かるようになる。
俺にとって鈴はお前さんのケツで、メシもやっぱりお前さんのケツだ」
「違うでしょ?鈴はこの筋引き包丁で、【エサ】は指の痛みよ」
声を潜めながらも馬鹿な会話をしている2人に、
ベルナルトが【早く来い】と小声で、しかし鋭く声を上げた。
包丁とスコップでささやかな武装をしている二人に対し、
ベルナルトは今のところ手に何も持っていない。
樹木の密集率が一気に下がる林道の出口から、彼は島の中央部たる、病院を覗き見た。
生憎林道から病院まではろくに遮蔽物もなく、距離もゆうに2キロは離れている。
噴き出た汗を袖で拭うベルナルトの両肩に、大男と女が顎を連ねた。
「…ヘリは見当たらないわね。どうする?銃声が聞こえたからには、
あそこに居るのは間違いなく敵よ」
「あぁ、島民の誰かが撃たれたんだろう。
……銃を持った相手にスコップと包丁で挑むのは至極、勇敢だね」
「今更だわ。
それに…皆病院に集まってくるんでしょ?」
「多分、緊急時の避難場所だからな。
津波や地震が起きた際にもっとも安全なのがあの病院だ。
半径2キロ以内に建造物はないし、どの海岸からもほぼ等距離の位置にある」
その代り、周囲からは丸見えだ。
そう付け加えるベルナルトの肩を押さえつけるように、キャスパーが木陰から一歩進み出た。
慌てて彼を呼び止めるベルナルトにしぃ、と人差し指を立て、
中腰でゆっくりと病院へ向かうキャスパー。
屈強なメキシコ男の影が、雲に半ば隠れた上弦月に照らし出された。
同刻 アンベル市 フロスト宅
寒風が窓を叩く夜。
少し遅く退社して来た妻を、カッターシャツの袖をまくったフロストが抱き寄せていた。
かざりっけの無い薄いベージュ色の玄関には、
普段パスタさえ満足に茹でられないフロストが四苦八苦して作った、
クリームシチューの匂いが満ちている。
帰宅と同時にコートごと抱きすくめられていた妻、テリー。
存外美味そうなディナーの匂いに、彼女は不安げなとび色の目でフロストを見上げた。
「どういう風の吹き回し?」
「……」
「…だしぬけに新婚時代のあなたに戻るなんて。
生活態度を正しても髪は戻らないわよ」
ふん、とわざと鼻を鳴らすテリーを、フロストは太い腕で抱いたまま離さない。
…いや、離さないどころか、持ち前の馬鹿力でますます強く抱き締めてくる。
息苦しいほどの抱擁に、テリーは手にした鞄を落とさぬよう気をつけながら、
夫の腕の中で苦笑交じりにもがいた。
「ちょっと、やめてよフロスト!今朝の事でも謝ってるの?
気にしてないわよ、あんな喧嘩」
「…君を童顔だと言ったな」
「私はあなたをホモ野郎と言ったわ。
でもこれは、私を私の体のせいにして2ヶ月も放っておいたからよ」
「………どうかしていたんだ」
呆けたような顔をしたテリーの黒い髪が、照明の光を反射し白い艶の波を立てて揺れる。
…【どうかしていた】。
繰り返すフロストの唇が、冬海に落ちた子供のように震えていた。
明らかに様子のおかしい夫とのディナーを終えた後、
テリーはシャワーを浴び、寝室のベッドに足を組んで座っていた。
あれから彼女が何を聞いてもフロストは曖昧な言葉ではぐらかし、
ひたすらに妻をいたわり、割れ物のように扱う。
口喧嘩の耐えない夫婦であったから、テリーが不安になるのも無理は無い。
テリーか、フロストか。どちらかにとってとても悪いことが起きたに違いない。
(…相談するには、役者不足って事か……)
キッチンで食器を洗う音が途絶え、家に静寂が降りた。
…テリーとてフロストが憎くて口論をするわけじゃない。
結婚してからずっと危険な事件ばかり担当して、怪我の絶えない夫を見ていられないのだ。
刑事の妻としては、失格かもしれない。危険に向き合わない刑事には刑事たる意味がない。
しかし戦時中ではあるまいし、もう少し平穏であってもいいはずだ。
そんな思いがつい口から零れて、子供じみた悪態の応酬を生むのだ。
「…フロスト」
一言、夫を呼ぶ。閉まったドアの向こうからは、返事はない。
…夫があのドアを開けた時、自分はせめてとびきり愛しい顔で迎えよう。
この2ヶ月、一度も見せなかった笑顔を作っておこう。
何も語らず一方的な優しさばかりをぶつけてくるフロストに、自分が出来る事はそれだけだ。
話したくなければ話さなくていい。ただ、聞く覚悟だけはしておかなければならない。
…それがどんな凄惨な内容であっても。
(………俺の刑事人生は、お前に翻弄されっぱなしだ…)
テリーが寝室で唇を濡らしている間、フロストは玄関脇の物置部屋にいた。
足の置き場に困るほど窮屈な部屋の奥、頑丈そうな金庫に鍵を差し込み、分厚い蓋を開ける。
フロストの太い腕に、Benelli Model 3…ショットガンが握られた。
ポンプアクション(手動による排莢・弾丸装填)と
セミオートマチック(火薬のガス圧による自動排莢、弾丸装填)。
二種類の作動方式を持ち、十分な連射速度と高威力を誇る…米国警察にとって、馴染み深い銃。
そしてバールマン事件の犯人達が、妊婦殺しに使用する銃だ。
箱入りのショットシェルを一発ずつ装填するがち、がち、という音が、暗い部屋に落ちてゆく。
(縁を切ってやる)
下唇を剥き、硬質の音を立ててショットガンを鳴らす。
静かな怒情に顔面を染めたフロストが、玄関から……
寝室へと、ゆっくりと迫った。
「おかしいな」
他の2人を数十メートル後ろに伴い、病院の入り口付近まで歩いてきたキャスパーが、
唐突に弾け飛んだ地面を見下ろしてうなった。
彼の目前、正に靴先一寸に打ち込まれたパラベラム弾。
スコップを手にしたまま口端をひきつらせる彼に、
電気の通っていない自動ドアの向こうから、襲撃者が笑いかける。
ベレッタを向けたケイティが、逆の手で【赤い白衣】の胸を押さえ、
血のこびりついた金糸を揺らしていた。
「キャスパー。
動いたらその物欲しげな顔が弾けるわよ」
「…ケイティ先生」
弾痕のついたガラスの向こう、ケイティの後方に
キャスパーの知らない人間が2人、倒れているのが見える。
彼らの腹の下に溜まった血は二人分と考えても、致死量を既に越していよう。
キャスパーの喉がぐ、と音を立てて上下し、
次いであからさまな媚びの笑みがケイティに向けられた。
「今夜はえらく魅力的じゃねぇか」
「魅力的…?この銃が怖いのね。
いつものあなたならもっと下品な言葉を使うでしょ」
「…さぁ、どう言うかな……普段なら…?」
「私のヒップだけを誉めるわ。最低な口調で。
【一発コキてぇエロ尻だ】なんてね」
血塗れのケイティはこの上なく落ち着いていたから、
キャスパーには向けられたベレッタが火を噴くタイミングが計れない。
さりげなく手にしたスコップで心臓を庇いながら、媚びを少しばかり抑える。
「俺ぁそこまで落ちぶれた言い方はしねぇ。素直にベッドにお誘いするさ。
…先生、悪いヤクでも打ったのか?」
「ヤクと言えば?あなた今日の投薬はまだだったわね。
と、言う事は……
キャスパー。向こうにいるのは誰と誰?」
「…ベルナルトと、アーシュ」
それを聞くなり、ケイティは声を張り上げてアーシュだけを呼んだ。
アーシュ、アーシュ。顔を見せて、アァーシュ。
【出て来ないとキャスパーをブチ殺すわ】
「…そりゃねぇだろ、先生」
「正直、男にはもうウンザリしてるのよ。
特にあなた達みたいな異常性欲の持ち主にはね……ハイ、アーシュ。いい子ね」
なっ、と声を上げるキャスパーの数メートル後ろに、
既にアーシュが筋引き包丁を手にやって来ていた。
その左隣につくベルナルトに、キャスパーが吼える。
「ベル!この馬鹿、何故止めねぇんだ!!」
「……我々に逆らう余裕は無い…ケイティ、説明して欲しい。
【彼らは何者だ?】」
ベルナルトが顎で僅かに示した方角。
キャスパーたちが通ってきた林道の辺りから、わらわらと現われる無数の人影があった。
それも10や20ではない。ぞろぞろと歩いてくる人影は重なって黒い波のように押し寄せてくる。
いったい、どこから。
息を呑むキャスパーを尻目に、ケイティが自動ドアを自力で押し開ける。
「来たわね、コピーキャット…
私達【島民】のプロトタイプ(試作型)よ」
「…プロトタイプ……だと……?ケイティ、何の話をしている!
彼らはあのヘリが乗せてきたのか!?」
「ベルナルト、悪いけどご覧のとおり時間が無いの。
詳しい事は自力で知りなさい……アーシュ、中へ……
あなた達は駄目!」
自動ドアをくぐろうとしたキャスパーに、ベレッタの銃口が突きつけられる。
それまで黙っていたアーシュがぎり、と歯を軋ませ、
ケイティの前まで進み出て、血のこびりついた顔を根目上げた。
「2人を締め出す気なの」
「そうよ。あなたはかわいいから入れてあげるの。
……でもこんな人達に尻尾振ってホイホイついて行くなんて、馬鹿ね」
「こんな人達?」
「ゲス野郎よ」
アーシュが包丁を捨てて、ケイティの頬を渾身の力を込めて、張った。
華奢な体躯に見合わず、アーシュの手はバン!と大きな音を立て……
ケイティの体を自動ドアのガラスに崩させた。
たまらず顔をゆがめ、生理的な細かい涙を零す彼女の胸元を…
アーシュが申し訳程度に、掴み上げる。
「……大好きよ、ケイティ。
スカイブルーなんて……人形みたいだけれど」
「…ァ…アーシュ………!」
「私を撃たないのなら、2人を入れなさい。
知ってる事も全部話すのよ、【バービー】」
ケイティはく、と喉を鳴らした後、アーシュの顔を両手で挟んで……
キャスパーに。ベレッタを取り上げられた。