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Chapter.6 猛獣

 ……魅力的だった。加害者、という言葉。

 案外、被虐者の多くがそう思っているのではないか。

 目の前の…この、【糞】を………引っかいて、噛み裂いて、加害者になりたいと。

 だがそうなれば…法治国家では、法の番人が、自分を捕らえに来る。

 その後は公に認められた…正義や秩序のバッジをつけた連中に、よってたかってレイプされるだけだ。

 ……多くの被虐者達は、可能な限り最期まで…哀れな子羊として行動しようとする……


 あくまで、この島の外での話だ。






 曇った夜空の下、たった一人で息が切れるほど走らねばならないのは、

 全てあの軽率な【出世する男】のせいだ。

 中身がぎっしり詰まったジュラルミンケースを両手に下げたグリゴールは、

 病院を飛び出した後、迎えのヘリが待つ東のポイントへと急いでいた。

 あの男も、他の2人も、いつまでケイティに【悪さ】を続ける気か知らないが…

 愚か極まりない事だ。


 (プロジェクト・リリーの被験者を抱くなんて、眠ったグリズリーを抱くようなものだ……)


 脛を叩くかん木に小さく声を上げ、老いた医者は緩い坂になった獣道を走る。

 アスファルトの道路ではなく夜の林を行くのは、島民との接触を避けるためだ。

 ただでさえ異常な被験者たちが、あと数時間もすればますます凶暴になるのだから。

 ましてプロジェクトの内容を知り、精神安定剤たる【試薬】の常用も義務づけられていないケイティなら、

 ちょっとしたきっかけで本性をさらけ出すに違いない。


 グリゴールが坂を下り終え、舌打ち混じりになお前進しようとしたとき、

 その体が何か、硬い物にはじかれ、しりもちをついた。

 仰天するグリゴールの額を赤く細い光が刺し……

 彼の知る野太い声が、闇の中から放たれた。


 「遅いぞ、グリゴール」

 「…あ、あぁ……すまない。【未だ】なんだ…」


 声の主がフルフィンガーのグローブを嵌めた手を差し出して、グリゴールを引き起こした。

 赤い光の先に、スノーマスクの上に暗視ゴーグルをつけた顔がぼんやりと見える。

 その顔がいかにも不機嫌そうな声音で、構えたAR-15アサルトライフルを下ろしもせず、問い返す。


 「未だ、だと?あんたは此処にいるじゃないか

  ……少佐と、主任はどうした?」


 「まだ病院だ……あの男は、反省という言葉を知らんらしい」

 「……」


 「おかげで資料も半分以上残してきてるんだ。

  デビッド。君の部下を回収に行……」


 バン、とひとつ、乾いた銃声がその場に響いた。

 眉間への正確な射撃に表情を変える事も出来ず、グリゴールの体がうつ伏せに倒れ…

 びくりと、一度だけ跳ねる。

 引き金から指を離し、暗視ゴーグルの男、デビッドは小さく息を吐いた。


 「……悪いなじいさん。

 【4人同時に】撃つはずだった」


 デビッドの背後から、同じような暗視ゴーグルをつけた兵士が3人、のそりのそりと歩いてくる。

 彼らの銃とゴーグルが放つ光はデビッドの赤とは違い、緑色のそれであったが。

 地面に置かれたジュラルミンケースを回収する彼らに、デビッドは踵を返し、命じた。


 「コピーキャットとやらが出てくる前に、主任と資料を回収しろ。

  島民は撃つんじゃないぞ」


 「了解、他の3人はどうします」


 「医者と能無しか?足を撃って、転がしておけ。

  抵抗するようなら…迷わなくていいぞ」


 「能無しもプロジェクトの被験者ですが、よいのですか」


 問う部下に、デビッドは鼻で笑って、肩だけをすくめてみせた。






 同刻 病院 モニタールーム



 「……そろそろ切り上げないと、危険です」


 ベルトを締めながら言う部下の言葉に、

 ベレッタを手にした影は寝覚めの悪い犬のように唸って身を床から起こした。

 血と反吐の臭いが満ちる地下室に、立つ影はみっつ、うつ伏せに倒れた影が、ひとつ。

 ベレッタを持つ右手で額の汗を拭う相手に、倒れた影は数度えづき…

 その拳骨を何度となく入れられた顔を上げた。


 「………私も……」

 「駄目」


 血に染まった髪を撫で付けて、ケイティがベレッタを医師達につきつけた。

 顎で出て行けと命じる彼女に、医師達はジュラルミンケースを手に、迷わず階段を駆け上がる。

 …いつからか、どうしてか。男と女の立場が逆転していた。


 ケイティは自分の歯型が沢山ついた男を見下し、袖をまくったカッターシャツで口を拭った。

 べっとりと、赤黒い血と唾液と反吐が混じったものが、濃く跡を残す。


 「…駄目」

 「………し…」

 「駄目」


 駄目、駄目、駄目、駄目、駄目

 主任、と呼びかけようとする相手に対し、ケイティは低く静かにNO、を繰り返した。

 レコーダーに吹き込まれた短い言葉が、エンドレスで再生されているような。

 一切声質の変わらない、NOの群。

 電気の灯りが殆ど消えた地下室に、男の喘ぐ声と女のNOが満ちた。

 男の傷は多いが、浅い。両者の距離を保っているのは、ケイティが手にしたベレッタだけだ。

 その、半自動拳銃が……ケイティの胸を、なでる。

 重く冷たいベレッタの感触に、ケイティが綺麗なスカイブルーの目を千切れんばかりに見開いた。


 「あぁ……嗚呼嗚呼嗚呼。気持ち悪い……あなたを【抱いた】せいよ、少佐。

  あなたのような男は皆そうだわ。女を【敷く】気だから、ろくに体の手入れもしてない」


 「……」

 「聞いてるの?!」


 唇を剥き、歯を見せて怒鳴るケイティ。

 理不尽な激情を隠しもせず銃口を向ける彼女を、男、少佐は当り障りの無い程度に根目上げた。

 そして蚊の鳴くような声で、応えるのだ。


 「…聞いているよ……」


 「たかが少佐が、よくもボス猿面で私をこき使ったわね。この私を?

  私は誰、少佐。私は誰!

  街角で男を誘う娼婦に見える!?この【糞眼球】が!私を娼婦だと言ったのねェ!!!」


 輪郭が整っているが故に、ケイティの怒色は表情に直結している。

 歯を剥き目を剥き、眉間と鼻面に余りにも多い皺を寄せたケイティは…衝撃的ではあったが、

 少佐にとっては見慣れた、粗野な人間の顔に過ぎなかった。

 両手を相手に向けて差し出し、敵意は無い、と比較的冷静に示す事は出来た。


 「…主任……落ち着いてくれ。私達は今危機的状況にある…」

 「コピーキャットの事ね」


 ケイティの声が冷静に聞こえたせいで、少佐は僅かに口を吊り上げかけてさえいた。

 さぁ、これから上手い事言ってこのヒステリー女をまるめこむぞ。

 その決意の表情の横で、彼の左耳が吹き飛んでいた。


 「………」

 「あなただけよ、少佐」


 少佐のGの音を主にした、絶叫が迸る。

 9mmルガー弾…通称パラベラム弾が、

 少佐の耳朶を巻き込んでモニターのひとつに突き刺さっていた。


 「危機的なのは、あなただけ…」

 「イ…イカレてる!本当に撃…!!」

 「銃は撃つためにあるのよ」


 パン、と軽い音がそれから2度、続いた。

 もはや粗暴な表情を収めたケイティの弾丸が、少佐の耳朶の残骸と、

 それをかばう右手の親指を削り取る。

 静かな暴力に少佐は再度絶叫した。さながら、母親に折檻を受ける…子どものように。

 自分の銃を握る女から、地下室の奥へとはいずり、ほんの数メートル、逃げた。


 「やめろ!!私を殺したら……この島から出られなくなるんだぞ…

 【試験運転】に巻き込まれたいのかッ!?」


 「被験者は全て……試験運転の対象。そうでしょう、少佐」

 「いっ…今更何を……」


 ケイティがベレッタを構えたまま薄く笑み、階段へと下がってゆく。

 地下室の奥で震えだす少佐は、このまま閉じ込められる事を危惧してNO、を叫んだ。


 「…一人で頑張りなさい、少佐……

  アーシュはかわいいから、あなたほどには噛まないわ」


 「主任…ッ!生きて出られると思うのか!?私について来ない者は死ぬんだ!!」


 階段を上がったケイティが玄関に歩いて行く、足音が。

 少佐の頭上を、通り過ぎてゆき……


 暫くして。

 ベレッタが二度、火を噴いたらしかった。






 そしてその音を、病院からほんの少し離れた林道で……

 アーシュ達が、聞いていた。

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