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Chapter.5 8日後

 異変は、唐突に起きた。

 午前中に島の中央施設での投薬と検査を終えたアーシュが、自宅でパインの缶詰を開け、

 テレビの『セサミストリート』を見ていた午後4時半の事。

 ベッドに寝転んだ彼女の大好きなクッキーモンスターの顔面が唐突に歪み、画面に激しいノイズが走った。

 荒れ狂う砂嵐、揺れる映像、耳障りな雑音。

 小さなフォークを歯に挟んだまま眉を寄せたアーシュは、液晶テレビを手で数度叩いた後、

 壁に据え付けられたコードレスホンを手に取る。


 「……」


 だが、耳に当てた受話器からは一切の音もなく、見れば通話可能のランプすら点灯していない。

 リモコンでテレビチャンネルを代えても、ただただノイズだらけの画面が映るばかりだ。

 仕方なくテレビを消し、受話器とリモコンをベッド上に放った直後。

 生活音の消えた室内で、アーシュは遠いヘリのプロペラ音を聞いた。





 同じ時、3キロ離れた南の浜辺ではベルナルトが、釣り竿に掛った魚と格闘しながらに

 友人のメキシコ人と同じ音を聞いていた。

 噛み煙草を奥歯ですり潰しながらリールを巻く彼の横で、

 まるで丸太のような腕をした男が、夕焼け空を見て呟く。


 「ベル、ヘリが飛んでるぜ」


 「あぁ、今日は木曜日だ、食料の配給日じゃない……

  民間のヘリが誤って迷い込んだんじゃないか」


 「テレビ局のだったらいいのにな。【美人レポーターが行く、海洋自然ドキュメンタリー】……

  撃墜したら日焼け美人とウォツカでご機嫌になれる」


 このふざけたメキシコ産のならず者は、いつでもどこでも色恋事に余念がない。

 ベルナルトは水面すれすれで針から零れ落ちた小カジキに舌打しながら、竿を立てて餌のない針を引き寄せた。


 「……ご機嫌、か」



 見ればヘリの影は西のヘリポートではなく、次第に二人のいる浜辺へ向かって北上してきている。

 近づいてくる飛行音のあまりの凄まじさに、ベルナルトとメキシコ人の顔色が変わった。


 「…デカいヘリだな。プロペラが三つもくっついてる……

  どんだけ美人積んでんだ?」


 「ボケをかましてる場合じゃない、キャス……機銃だ!軍用ヘリじゃないか!?」


 叫ぶベルナルトの視線の先には、小型のガトリング式の銃口が2つ、地上に向けて備え付けられていた。

 弾かれたように釣り道具を置き去りにし、浜辺を走り出す2人。

 上空を飛行するヘリの風圧と影が、すぐに浜辺に達した。

 筋肉が発達したボディビルダーのようなメキシコ人よりも、痩せたベルナルトの方が足が速い。

 数メートルの遅れをとったメキシコ人のすぐ後ろに、上空から数十発の徹甲弾が発射され、

 砂の飛沫が高く舞い上がる。


 「ぅ…撃って来やがった!ふざけんなァッ!!」

 「振り向くな、キャスパー!!」


 冗談じゃねぇ!と何度もわめき散らす彼と共に、ベルナルトはなるべく直線的に走らぬよう、

 身を隠す事のできるアーシュの住宅群へと駆けた。

 2人の頭上を、爆音が過ぎてゆく…





 「何故彼らに発砲を!?」

 「何故って、警告だ。危機感を促してやったのだ」


 病院の地下室で浜辺をモニターしていたケイティに、男は腕組みをしながらあっさりとそう応えた。

 彼女達の周囲で、まるで泥棒のように荒々しく部屋中の資料や物品を回収する男達は、

 先日アーシュの頭蓋に穴を空けた医師連中だ。


 壁一面に据え付けられた監視モニターのテープや、ケイティのパソコンのデータを取り出し、

 机の引き出しの中身をコンクリートの床にぶちまけ、踏みつける。

 男達のまるで侵略者のような振る舞いに唇を噛むケイティの前で、腕を組んだ男が大声を張り上げる。


 「全ての資料を回収しろ!MOひとつでも残したなら射的の【まと】にしてやるぞ!!

  グリゴール!北区の電子ロックは外してきただろうな!?」


 「大丈夫です、3時間前に回線に侵入しておきました!全てのドアロックの解除を確認!」

 「よし、では主任!【コピーキャット】の状態は!?」

 「…70%が生存しています」


 主任と呼ばれ、返事をしたのはケイティだった。

 地下室にいてもなお聞こえてくるヘリの爆音に、男は初めて笑みを見せ、

 椅子に座ったケイティを振り返る。

 次々と電源を落とされてゆく監視モニターの前で、ケイティは彼を変わらぬスカイブルーで根目上げた。


 「自分の娘を、地獄に放り出すのね」

 「もう娘じゃない。母親殺しのバケモノなぞ、知った事か」

 「…バケモノにしたのはあなたよ」


 ケイティの眉間に、ベレッタの銃口が骨に響くほどの音を立てて押し付けられた。

 半自動拳銃を手に口端を狼のように吊り上げる男。

 その様子に先ほどグリゴールと呼ばれた人物が、慌てて声を上げる。


 「いけません!その人は本社に無事連れて帰るようにと……!」

 「この地下室に監視カメラは?」

 「は…?」


 「…ない。島で唯一監視されていない場所がここだ。

  グリゴール、つまりはこのモニタールームでは……私以上の権力者はいないって事だ」


 …グリゴールの年老いた顔が、凍りついた。

 男はケイティの眉間から喉、胸元へと銃口を下ろしてゆき……

 彼女の顔に徐々に嫌悪感がにじんで行くのを楽しみながら、いやに長い舌を出した。


 「グリゴールよ、とうとうその年まで下っ端だった君に、出世する男の秘訣を教えてやろう。

  ……出世する人間は、常に…どんな隙をも見逃さない」






 …ベルナルトと、もう一人見知らぬ男がアーシュの家に文字通り転がり込んで来たのは、

 ヘリの飛行音が消えて十分ほど経ってからの事だった。

 息を切らし、汗だくで飛び込んできた彼らに目を丸くするアーシュ。

 ベルナルトは砂だらけのジーンズを引きずり、玄関扉を閉めながら愛想笑いをしてみせる。


 「やぁ、アーシュ……むさ苦しい男どもで済まないが、かくまってくれないかね…」

 「いったい何事?怪我してるの?」

 「いや、ベルは無傷だ」


 ベルナルトに手を貸そうとしたアーシュの脇を、もう一人の男がのそりと、

 デニムスカートの尻を掴みながら通り過ぎていった。

 ぽかんと口を開けるアーシュをよそに、

 男はキッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターを勝手に取り出し、ラッパ飲みにしている。

 玄関に座り込んだベルナルトがそれを見咎めつつ、緑のシャツを脱いで顔を拭い拭い、事態を説明した。


 「浜辺で釣りをしていたら…大型のヘリが飛んできたんだ。機銃を積んだ、多分軍用のものだと思う……」


 「そいつが俺達を撃ってきたんだ。

  なぁ、リリーストーンのヤツらとうとう俺達を処分する気だぜ」


 アーシュは妙に声に粘りのある男を睨み、立ち上がる。

 依然目の下に色濃いくまを浮かべるアーシュの視線に、男はペットボトルから口を離し、何だよ、と両手を広げた。

 ブラウンの毛先が肩にかかった男は、30代前半と言ったところか。

 暗色の瞳をふちどるまぶたは丸みを帯びていて、どこか眠たげに見える。

 そして何より、袖まくりをした黒のジャケットから覗く腕や胸が、まるでゴリラのように盛り上がっているのだ。

 アーシュは彼のいるキッチンへ足早に近づき、まずはその胸に人差し指をつきつけた。


 「…二度と私のお尻を【掴まない】で」


 「キュートだから掴んだのさ。おかげで生き返った……

  外見以上に、いいケツだ。10年後も保証できる」


 「ベルナルト、このエロ野郎はキャスパー?それともアレックス?」


 「…前者だよ」


 玄関でへばっていたベルナルトが、ようやくリビングの絨毯上に這ってきた。

 キャスパーはベルナルトにミネラルウォーターを投げてやってから、

 こりもせずアーシュの肩に腕を回し、薄くひげの生えた頬を近づける。

 女の細い肩に、ずしりと骨太の腕の重みがのしかかった。


 「話を戻そうぜ、アーシュ。ヘリは南から来て俺達を撃った後、そのまままっすぐ北へ飛んでったんだ。

  通りすがりの武装ヘリが、たまたま見かけた男2人を苛めてみたなんてこたぁあり得ねぇ。

  島の北で、何かしでかす気だぜ。もっと分かり易く言や、俺達はもうすぐ殺される、って事だ」


 「…そういえば、さっきから電話が繋がらないの。テレビも映らなくなったし」


 キャスパーがベルナルトを振り返り、顔を見合わせる。

 アーシュはその隙に重くデカい腕を肩上から押しのけ、流し台の方に逃げた。

 さりげなくそこに在った、フルーツナイフさえ握ってだ。


 「本当に島主が私達を見限ったなら、そりゃ、電気を止めるのは当然よね」

 「いや、違う。この家の照明が未だ点いてるって事は……」


 キャスパーが言いかけた途端、まるで見計らったかのように天井の照明がパチン、と音を立てて落ちた。


 「………そう……今、電線を断たれたんだ」


 アーシュとベルナルト、2人の視線を受けて、キャスパーはバツが悪そうに髪を掻く。

 じきに陽も暮れ、辺りに暗闇が降りるだろう。


 キャスパーの手がまた自分に伸ばされたので、アーシュのフルーツナイフがその親指を容赦なく突いた。

 短い悲鳴を上げ、手を引っ込めるキャスパー。皮ズボンに血を擦りつけながら、ロシア系の女に抗議する。


 「このややこしい時に仲間割れなんか!」

 「ややこしい時にサカらないで」

 「……不安になると柔らかいモノを抱きたくなるんだ。何でそう落ち着いてる?」

 「一度死んだからよ。あんたは違うの?キャスパー=ブラナガン」


 自分をフルネームで呼んだ相手に、キャスパーの顔面から表情が消えた。


 ベルナルトがごくりごくりと水を飲む音を立てる中、数秒の間を置いて、

 キャスパーはアーシュの脇に左手を上げながらゆっくりと回り込む。

 自分にナイフを向け続ける彼女の目の前で、太い指がステンレス製の筋引き包丁をスタンドから引き抜いた。


 「…あぁ、死んださ。だからこそ拾った命が惜しい……

  せめてこっちを持てよ。アーシュ=ベネリ」


 「バールマンよ。…アーシュ=バールマン」


 アーシュの名前を間違えたキャスパーは、しかも筋引き包丁の柄を握ったまま、刃先を差し出していた。

 2人の会話が一段落ついたところで、ベルナルトがペットボトルを床に置き、立ち上がる。

 腕をシャツの袖に再び通しながら、さて、どうする、と。


 「本国へ帰りたくない我々だが、この状況を見るにリリーストーンにこれ以上養ってもらう事は出来んようだ。

  勿論、先刻の発砲が何かしらの事故である可能性はあるがね」


 「本気で言ってるの、ベルナルト?」


 「そうだぜ、ベル。俺達は遅かれ早かれいずれは殺される定めだったんだ。

  悪党が無償で平和を満喫できるワケはねぇ。

  毎日飲んでる得体の知れねぇ薬が寿命を奪って行ってるかもしれねぇのを、

  俺達ゃごまかしごまかし生きてきただけだ。

  …寄生虫は宿主が薬を飲み出したら、他の人間に移るのが道理ってもんだ!」


 至極、身も蓋もない言い方をするキャスパーに苦笑した途端、

 アーシュ達の耳に再び、遠いヘリの飛行音が届き始めた。

 それも今度は、先程よりも数が多いらしい。

 重なって蜂の羽音のようになったプロペラ音に、ベルナルトが唾を飲み込みながら玄関に歩き出した。


 「監視カメラがある以上、我々の居場所は把握されているだろう。

  それでも、足掻いてみるか?逃げ場のない孤島で…ヘリを相手に………」


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