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Chapter.3 プロジェクト・リリー

 アーシュ=バールマン処刑の2日後、フロスト刑事が妻との電話越しの大喧嘩を終え、

 アンベル署に出勤してきた午前8時の事。

 オフィスの入り口にある自販機に小銭を入れようとした彼の肩を、相棒のビリーが太い指でノックした。


 「フロスト、機嫌が悪いとこ済まないんだが…」

 「別に悪くないよ。眠いだけだ」


 ジンジャーエールを買い、腰をかがめて取り出し口に手を突っ込むフロスト。

 ビリーは迫力のあるフロストの面構えに、署内で唯一対抗できる巨体を揺らし。

 相手が緑色の紙コップを手に再び直立するのを待ってから、濃い髭に縁取られた口を開いた。


 「…あんたに見て貰いたい資料があるんだ。今俺の机の上にある」

 「【クローバー・ピーク】の資料か?糞ガキども、また他人の船を燃やしたか」


 「環境保護団体の話じゃない。

  …そのぅ……多分、バールマン関係の資料なんだ」


 ジンジャーエールを含んだフロストの口が、ぎゅ、と安いカバンのように音を立てた。




 「…被害者はこれまでと同じく22歳の妊婦でしたが、外出中ではなく自宅で襲われたようです。

  名は、サーシャ・ランバリー……ハイスクールの教師です」


 オフィスで現場に立ち会った刑事の説明を聞きながら、フロストはビリーと並んで資料たる、

 ビデオテープの映像を眺めた。

 一連の事件を通して犯人が残し続けている、殺害シーンの記録。

 テレビのモニターからは、自宅内を必死に逃げ回る妊婦の悲鳴と、くぐもった犯人の哄笑が流れてくる。


 『警察ですか…ヒトゴロシがここにいます。すぐ、捕まえに来てください。

  ヒルストリート、ライトハイツ311……待ってます…』


 フロストは顎に拳を押し当てながらモニター越しに犯人の言葉を聞き…

 次いで、画面の端に常に映りつづけている黒いモノを指さした。


 「ショットガンに直接カメラを取り付けて撮影したらしいな。

  被害者が映る時、彼女はこの銃身の方を意識してる」


 「でも、変だな。他の事件じゃ被害者は皆身動きできないよう縛られていて、

  カメラは床かどっかに固定されていたぜ。今回だけスタイルが違うなんて…」


 「あぁ、模倣犯、かもしれない。多分前回の妊婦殺しとは、違うヤツだ」


 そうこう言う内に画面は被害者の腹部に肉薄し、ビリーや他の刑事が顔を背けねばならぬような……

 つまりは、射殺のシーンを映し出した。

 重い銃声、直後に途切れる映像。

 その場に居る者の中で唯一最後まで画面を凝視していたフロストは、

 音もなくジンジャーエールを飲み干し、紙コップを握り潰した。


 「……確かに、スタイルが違うな。

  犯行に使われた弾は散弾じゃないんだろう?」


 「よく分かりますね、スラッグ弾(弾丸が分散しない一発弾)のようでした」


 驚く刑事に潰した紙コップを手渡しながら、フロストはテレビの砂嵐を睨み、片手で頭を掻いた。

 ビリーがそんなフロストに気を使うように、咳払いをしてから問い掛ける。


 「フロスト、こいつはやはり、模倣犯の起こした別件だと思うかい?」

 「犯人は元々【2人】いた可能性もあるぞ、少なくとも6番目の殺人テープにゃ、おかしな点は無かった」


 「未だバールマン冤罪説を唱えているのかね、フロスト君」


 不意に会話に混じった上司の声に、刑事達が一斉にオフィスの入り口を振り返った。

 …誰も座っていない机の群の中、今年で56歳になる署長が、相変らずのしかめっ面でフロストを睨んでいる。

 フロストは今朝の妻との罵り合いを反省した時以上に渋い顔をして、両手を広げ釈明を試みた。


 「…模倣犯以外の可能性もあるなと、思っただけです」


 「思っただけ?いいだろう、そんな馬鹿げた考えは断じて外では口にするな。

  バールマン事件は既に解決したんだ」


 「………イエス、サー。口にしません」


 「フロスト君、他の皆も聞け。世間ではもうバールマン事件は過去の出来事なんだ。

  我々の使命は何だビリー!?」


 「…アンベル市の治安を守る事です」


 「その通り。治安が第一だ、刑事本人の満足などどうでも良い。

  ようやく訪れた平穏な空気をかき乱してまで真相を探る必要などどこにもないのだ」


 刑事達は皆、目の前の男の本心を知っていた。

 署長は事件解決の後、市や、市長個人から受けた表彰を取り消されたくないのだ。

 しかもまかり間違って処刑されたバールマンが犯人ではなかったなどとなれば、

 彼だけではなく事件を【解決に導いた】多くの人間が不利な立場に立たされる事となる。

 今なお続いている妊婦惨殺をごまかしてでも、彼はアンベル市に平穏でいて貰わねばならぬのだ。


 「フロスト君、君には引き続きこの模倣犯を追って貰う。

  さっさと、この……大馬鹿者をしょっ引いて来いッ!!」


 「…喜んで。テディ署長」


 フロストはネクタイを正し、死にそうな目でカレンダー上の、遠い日曜日を確認した。




 「グッドモーニン、アーシュ。今何時か知ってる?午前10時過ぎよ」


 白い、清潔な部屋に突如ケイティの声が響く。

 ブラインドの狭間から覗く曇り空、一晩中つけっぱなしにされていた液晶テレビから流れる、子供向けのクレイアニメ。

 部屋の真ん中に置かれたベッドの上で、アーシュは下着姿で毛布に頭を突っ込んでいた。

 呼びかけ続けるケイティの声が、ベッド脇の壁に備え付けられたコードレスホンからだと気付くのに、

 少し時間がかかる。


 「アーシュ、アーシュ。電話を取って、アァーシュ」


 その声に、昨夜自分の服を脱がせたがっていた白衣の女の顔を思い出すと、

 アーシュは自分の下着を押さえながらようやっとベッドから起き上がり、コードレスホンを手に取った。

 ブツッ、と言う音と共に、受話器の通話可能を示すランプが赤く点灯する。


 「…グッドモーニン、ケイティ……人に起こされるのって8歳の時以来よ……」

 「ハイ、アーシュ。今あなたを【見てる】んだけれど、昨日より酷い顔ね」


 ケイティの台詞に周囲を見回すと、天井のライト脇と、

 部屋の床隅にカメラレンズが埋め込まれているのを見つける事が出来た。

 自分を監視できるのは、組織とやらの職員だけではないという事か。

 アーシュは感じた不快を隠す事もせず、ショートの髪を掻き回してベッドに胡座を掻いた。


 「一体何人に見られてるの?」


 「気にしないで、どうせ他の監視者とは顔を合わす事もない。

  それよりどう、新しい家の居心地は?」


 「……家…?」


 「いきなり眠ってしまうんだもの、悪いけれどあなたの家は勝手に決めさせて貰ったわ。

  掃除とか整頓とか、管理は自分でして頂戴。子供じゃないんだから」


 「ちょっと待って……ここ、何処?」

 「だから、あなたの家よ」


 アーシュはベッドから飛び降り、ドアが抜かれた長方形の穴から寝室の外へ出た。


 白い絨毯が敷かれたリビングには、小さな黒いソファとテーブルが置かれ、

 キッチンと玄関が境も無く繋がっているために空間全体が異様に広く見える。

 大きな窓の外にはアスファルトの道路と、薄い色の海が広がっていた。


 「…盛大な資金の無駄遣いね」


 「しかも元は国民の血税。

  でも、ま、政治屋の小遣いや、他国の軍事費になるよりは有意義かもね。

  さっさと着替えて。そろそろ迎えが行くわ」


 アーシュはコードレスホンを一旦寝室の壁に戻してから、リビングのソファにあらかじめかけてあったデニムスカートと、

 黒のレザーシャツを下着の上に着込んだ。

 島に来た時から裸足で歩き回っていたが、玄関に白のスニーカーも見つける事が出来た。


 ただ鏡が見つからなかったから、せめて顔を洗おうとキッチンの蛇口を捻ると、

 確かに水道が通っているらしく綺麗な水が掌を叩く。

 顔を洗い、ついでに喉を潤し、そういえば刑務所の【最後の晩餐】以来何も口にしていなかったと気付いた所で、

 玄関の木製ドアを誰かが叩いた。

 足元の小さな冷蔵庫を開けてみるも何も見つからず、

 アーシュは仕方なく身づくろいを切り上げて玄関に向かい、ドアを開ける。


 ……目の前に、黒髪の、無精ひげを生やした中年男が立っていた。


 「ミス・バールマン?」


 「…アーシュよ。

  てっきりジョイが来るのかと」


 「彼は今頃ベッドの中だ。私はベルナルト、ようこそアーシュ」


 彼が差し出す右手は骨ばっていて、握り返すとささくれた皮がちくちくと指を刺して来る。

 アーシュは緑のシャツにジーンズという格好のベルナルトに道路へ連れ出されながら、

 その茶色い目を眺め、訊いた。


 「ミスター・ベルナルト。もしかして…」


 「ロシア人だ。

  君はロシア系アメリカ人だそうだな……ケイティは冗談で私を迎えに選んだらしい」


 「似てない事もないわ。……これからどこに行くの?」


 「島の案内を頼まれてる。あと、ここでの暮らし方も説明させてもらう。

  生憎この島には車がないもんで、移動にはいささか苦労するがね」


 曇った空の下、ベルナルトは左手をシャツのポケットに突っ込み、道路を西へ歩き始めた。

 島の何も知らないアーシュはただ彼に続き、歩くしかない。

 右には砂浜と海、左には無数の白い家屋と、林が連なっていた。


 「…この島には何人ぐらいいるの?ミスター…」

 「ミスターはつけなくていいよ、アーシュ。9人だ。ちなみにここに建ってる家は君のもの以外空家でね」

 「空家…住んでた人は?」


 僅かに不安げな声を出したアーシュに、ベルナルトは軽く笑って首を横に振った。


 「国へ帰ったのさ。この島の事は、ケイティ達から聞いてるかい」

 「リリー…なんとかの、人体実験場」


 「その通り。しかし初めからそんな場所だったわけじゃない。

  元々は企業の開発部門の連中が住み込んで、極秘製品の研究をする島だった。

  現在島に残っている施設は全て、彼等が生活するために造られたものだ。君が着ている服や、靴も」


 「残り物って事ね……社会逸脱者のために、一からあんな良い家を建てるはずがないもの」


 「いくら合衆国政府に無駄金遣いが多くても、そうそう美味い話はないさ。

  不潔な牢獄に閉じ込められたり看守にいびられない代わりに、私達は死ぬまでモルモットに徹しなければならない」


 ベルナルトが牢獄や看守という言葉を出した事で、アーシュは彼が自分と同じような理由で島に来たのだと察した。

 一見、くたびれた中年男性にしか見えないベルナルトである。

 アーシュは足元のアスファルトが段々盛り上がり、坂になって行くのを感じながら、更に問い掛けた。


 「ある程度は覚悟してるんだけれど……

  ここで研究されてる事って、ろくな事じゃないんでしょ?」


 「勿論、ろくな事じゃない」

 「…どんな研究?」

 「国が欲しがり企業が儲かる研究だよ。詳しい事は知ったこっちゃない」

 「武器関係?」

 「知らないと言ったろ?君は【質問屋】かい」


 歩みを止めて振り向き、皺の寄った目を弧に歪めるベルナルト。

 そのまま詰め寄ってくる彼に、アーシュは妙な威圧感を感じて一歩あとずさる。

 …人の良さそうな笑みに、明らかに陰が差していた。


 「…失礼」


 「いいさ、私はガイドだから。

  だがジョイほど紳士的じゃぁないし……個人的な問題もある」


 ベルナルトが右の手の平を広げ、アーシュの目の前にゆっくりと近づけてくる。

 視界を塞がれ、やがて鼻面に例の刺々しいささくれが触れ……アーシュは思わず、鼻を鳴らして目を細めた。


 「……たとえロシア系でも、私はアメリカ人が嫌いだ。

  その上、長い孤島生活で女性にも飢えてる」


 「あの…私、性病なの」

 「本当に?何の病気だい」


 アーシュはベルナルトの手を両手で押しのけ、彼の素朴な顔を暗いグレーで根目上げた。

 見れば、ベルナルトは姪に冗談話でもしているかのように微笑していて。

 そこに想像していたような、好色な気配はどこにもない。


 「何の性病なんだね、アーシュ」

 「…不妊症よ。馬鹿」


 してやったり、という風なロシア人の顔を、アーシュは逆に手の平で押さえつけてやった。




 「ケイティ…あのベルナルトは……」

 「口だけよ。もう色気なんて枯れ果ててるわ」


 まるで盗撮屋か神様のように全てお見通しのケイティに、アーシュは手術台に寝たままため息をつく。

 ベルナルトに島の南側を案内された後、アーシュは再び島の中央……昨夜の病院へとやって来ていた。

 施設は一階建てで、一通りの医療設備は整っていると言う。

 アーシュが今寝ているのは施設の北端、中規模の手術室だ。

 相変らずの白衣で部屋を歩き回るケイティは、妙に針の長い注射器を5本も用意し、

 そのひとつに薬液を入れているところだった。


 「……何の薬?」

 「ワクチンよ。この島には面倒な毒虫がいるの」


 アーシュの腕を叩き、血管を浮かせようとするケイティの言葉に、グレーの目が瞼の裏に隠れる。


 「……あんたって、まるでストーカーみたい。島中監視してるのね」


 「えぇ、でも監視カメラは屋内のみよ。屋外では盗聴器と、静止衛星からの映像でまかなってるわ。

  盗聴器の数を聞きたい?」


 「聞きたくない。……そう言うのも全部、前に住んでた人達の遺産ってわけね。

  いつからここは囚人島なんかになったの?」


 腕に突き刺さる針と、流し込まれる薬に眉をしかめるアーシュ。

 ケイティは注射器が空になってから、それをトレイに戻して…新しい注射器を取りつつ、訊き返す。


 「いつからだと思う?」

 「…5年くらい前」


 「12年前よ。リリーストーン社の研究班がこの島を去ったのは。

  ……次は研究班が帰った理由を訊きたいんでしょ?質問屋さん」


 「好奇心は罪じゃないと思うんだけど…」


 アーシュの声が眠たげになっているのを知っていて、ケイティはわざとゆっくりと青い薬液を注射器に注入した。

 手術室特有の、必要以上に明るい照明がアーシュの瞼に降り注ぐ。


 「島に滞在する必要がなくなったからよ。12年前の時点で、彼等の目的は果たされていた。

  …今この島で行われている実験は、その延長。第2の研究よ」


 「………」


 「…いえ、正確には……【その準備段階】…」


 ケイティはそれから十数秒、アーシュの口元に耳を寄せ、呼吸のリズムを計る事にした。

 ワクチンと偽った即効性の睡眠薬が、彼女の意識を完全に奪ったのを確認するためだ。

 …そしてアーシュの寝息が死にかけた兎とさほど変わらぬ程度の、低く穏やかなものだと知ると。

 ケイティは手にした注射器をトレイに置き、足早に手術室から出て行く。



 一人残されたアーシュの元に、数分後………

 手術衣を着た男達が、3人。ドアを開けて入ってきた。

 注射器のトレイとは別に、小型のドリルや、医療用電子機器の載った大型のトレイを運び込み、手術台を囲む。

 3人の中で最も高齢と思われる男が、アーシュを見下ろしながら宣言した。


 「諸君、最後のクランケ(患者)だ。

  いつも通り頭蓋に穴を空け、目的の物を回収した後……傷口の修復を行う」


 これが最後だ、と笑みを見せる彼に、他の2人も目で笑ってみせる。


 別室に移ったケイティはこの様子をパソコンのモニターで鑑賞しながら、

 深く息をついて隣の男に問い掛けた。


 「これで、全ての被験者を回収したわけだけれど……

  彼女も【試験運転】の対象に?」


 「勿論だ。彼女ほどこちらの期待通りに成長した被験者は珍しい。

  前頭葉のチップを回収した後、試験運転をするのは当然だろう」


 「…」

 「情が移ったか?君程の人間が」


 モニターの向こうでは医師達が、眠ったアーシュの頭に小さな穴を空け、

 電子機器の脳の断層映像を睨みながら長い注射針を差し込んでいる。

 ケイティは形の良い鼻を両手で挟み込み、スカイブルーの目を男の方へ転がした。


 「結局……アーシュは本当に5人の妊婦を?」

 「いや、冤罪だよ。その件に関してはね」

 「…どういう意味です?」


 「君に説明する必要はない。

  とにかくだ、本日をもってプロジェクト・リリーは最終段階へと移行する。

  命が惜しいなら妙な出来心は起こさん事だ……本社はこの島から、君と我々だけを回収する。

  ……他に悟られたなら、君も【彼ら】の餌だ。肝に銘じておけ」


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