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Chapter.2 ジェーン・ドゥー

 火曜日の朝、ある男が32インチの液晶テレビから流れるマット刑事の会見を、

 チョコレートがたっぷり塗られたドーナツをつまみながら眺めていた。

 秋の陽光が差し込む真っ白なリビング。清潔で、余計な物が一切無い。

 男はアフリカ系の黒人で、名をジョイと言う。背が高く、筋肉が締まっていて、

 10月に入っても未だタンクトップを着ていた。


 「おい、待て待てベイビー。お前の分け前はもうくれてやっただろう?食いすぎるとデブになるぞ」


 砂糖とチョコレートでべたべたになった指を舐めてくるゴールデンレトリバーに、

 ジョイは真っ白な歯を見せて笑った。

 毛の長くなったゴールデンにチョコレートや砂糖がついたら目も当てられない。

 ジョイは紙で指を丹念に拭いてから、彼の眉間の前に人差し指を立てた。


 「お前は気高い犬だ、行儀もいい。ディナーは奮発してやるから、だから朝飯はもう終わりだ。俺も。お前も」


 ジョイがドーナツのパックを閉めるのを見ると、ゴールデンは暫く舌を出した後また白い絨毯に寝そべった。


 冷蔵庫にドーナツをしまうジョイの耳に、連続殺人犯の正体を暴いた刑事の得意げな声が聞こえてくる。

 処刑された犯人の生い立ち、育った環境、経歴。

 ジョイはいちいち頷きながら、口臭予防のガムを口に放り込んだ。


 「何が【ほらね】だ、人の仕事を増やしやがってクソ刑事め」


 ソファにかけた黒のスーツを、タンクトップの上から直接着込むジョイ。

 続いてズボンを穿き替え、ベルトを締め、スポーツシューズを脱ぎ革靴を履く。

 不貞腐れたようなゴールデンの見守る中、皮手袋とサングラスでジョイは変身を終えた。

 スキンヘッドを撫でながら、ジョイはこの家で唯一ドアの存在する玄関に向かう。


 「じゃあな、ベイビー。パパはキマってるか?」


 ぶぅ、と妙な声を返す愛犬に、ジョイは機嫌よく家を出た。



 ジョイの住む家は、バミューダ諸島の東、大西洋に浮かぶ孤島に在る。

 船や飛行機の主な航路から外れ、地図にも載っていない島。

 ジョイはその海岸沿いに造られたアスファルトの道路を、スーツのポケットに手を突っ込みながらに歩いた。

 少し強い潮風が頬を叩くが、晴れた海の景色は雄大で、海鳥の群が沖の方で騒いでいる。

 ジョイはこの島が心底気に入っていた。透き通るような水色の海や、都会離れした澄んだ空気は勿論のこと。

 この島に居る囚人達や、自分のイカれた仕事もひっくるめて、ジョイは満足していたのだ。


 「ジョイ=S=マグダレン。10日ぶりに朝の仕事をしに来たよ」


 島の西端、海上に造られたコンクリートのヘリポートに辿り着くなり、

 ジョイは先に待っていた白人女性に挨拶した。

 四方が海水に囲まれた、正にコンクリートの地面だけの領域には、既に上空から近づくヘリの音が満ちている。

 白衣にペンを持ち、金髪を短く纏めたいかにも科学者然とした女性は、

 ヘリを見上げたままジョイに一瞥すらくれない。

 ジョイは味の無くなったガムを包み紙に包みながら、彼女の右に紳士的な距離を保って寄り添った。


 「ケイティ。今度のジェーン・ドゥー(身元不明死体)はあまり扱いに苦労せずに済みそうだな」

 「…ニュースを見たのね」


 「あぁ、君は心理学を馬鹿にしてとりあっちゃくれないが、あの刑事は素人目に見たって嘘吐きだ。

  自分の中で真犯人を作り出しちまうタイプさ、心理学は確かに統計の積み重ねでしかないが…」


 「冤罪とは思えないわね。悪いけど」


 コンクリートのHのマークに降下するヘリの風に、2人の服や髪がばたばたと音を立てた。

 初めてケイティのスカイブルーの目がジョイを見、薄い唇が風を吸う。


 「あなたの二流心理学を信じないわけじゃないけれど、少なくともアーシュ=バールマンはまともじゃないわ」

 「そうか、どうまともじゃない?」

 「アーシュは逮捕されてから、ずっと【うん】としか発言していないのよ」


 ヘリが着陸し、黒い迷彩服を着た兵士が数人、ヘリポートに降り立つ。

 その一人が持ってくる何らかの書類にサインをしながら、ケイティはジョイに続けた。


 「4ヶ月。良いジョイ?22歳の女の子が4ヶ月もの間刑事に対して【うん】としか言わなかったの。

  死刑を宣告されても顔色一つ変えずにうんうん言ったり沈黙してただけ、あなた調査書を読まないの?」


 「22歳なのか?可哀想に」


 ケイティはその台詞を聞くなり猛獣のように眉間に皺を刻み、

 更に歯を剥いてジョイのすねをヒールで蹴りつけた。


 膝を折って悶絶するジョイを置いて、ケイティはヘリから運び出される担架に向かう。

 毛布がかけられた担架には、顔色の悪いロシア系の女が寝ていた。

 痛んだココア色の髪、ごろりと転がるグレーの目……

 ケイティはペンのキャップで唇を叩きながら、その顔を覗き込む。


 「まるで亡霊ね。ジェーン・ドゥー」





 それから、半日。

 島の中央に在る病院のような施設に運び込まれたアーシュは、ジョイとケイティに散々に弄りまわされた。

 拘束衣を着たままレントゲンを何枚も撮られ、得体の知れない薬剤を注射され、体の隅々まで検査される。

 黒い迷彩服の兵士達は外科的な処置を終えた後アーシュを椅子に縛り付け、気がつけば何処へと消えていた。

 今、アーシュは自分と同じ安物の椅子に座った、ジョイと名乗る黒人と向き合っている。


 「それで……大学をやめたのは何故?成績は良かったんだろう」

 「父が、無駄金を使うなと怒ったから」

 「パパは授業料をケチったわけだ」

 「私は自分で働いて払っていたわ。でも支払いが追いつかなくて、請求書を見られたの」


 「…へぇ、そりゃ凄いな。苦学生だったわけだ…

  大学に通っていた事はパパは知らなかった?」


 「私が入試に受かった時、あいつは刑務所の中だったわ……知ってて訊いてる?ミスター・ジョイ」

 「いや、知らなかった。パパの名は……【アッシュ】?君の名前と全く同じスペルだな」


 手にした資料に目を落とすジョイに、アーシュは青白い顔を右にそむけた。

 グレーの視線の先には、壁に凭れたケイティがいる。

 アーシュは持ち前の掠れた、甘ったるい老い猫のような声を彼女に投げようと、口を阿呆のように大きく開く。


 「その目、カラーコンタクト?」

 「自前よ」

 「嘘。スカイブルーなんて、人形みたい」


 ケイティはアーシュの台詞に苦笑し、ジョイと目を見合わせた。

 黒いハイヒールが壁際から離れ、アーシュの縛られている椅子に近寄ってくる。


 「聞いていたより、ずっとおしゃべりね。【ミス・ベネリ】」

 「……何、それ」


 「Benelli Model 3……あなたの愛銃。5人の妊婦は全てこの銃で撃たれている。だから、ミス・ベネリ。

  ゴシップ誌で自分の記事を読む趣味はない?」


 「ゴシップは嫌いなの。

  人につけられるあだ名も嫌」


 「たとえば?」


 ジョイが会話に口を挟む。


 「どんなあだ名がある?教えてくれよ」



 「…あんた達何なの?」


 ようやく顔を正面に戻すアーシュに、ジョイは椅子から立ち上がり、自慢の綺麗な歯を見せた。

 すっかり陽の落ちた窓越しの景色を背に、スーツを着た黒人は両手の指を組んで、それを腹に当てる。


 「君と同じだ。ジェーン・ドゥー…いや、俺の場合男だから、ジョン・ドゥーだがね」

 「だから、何で【身元不明死体】?私は生きてる。不思議だけれど」

 「知りたいか?」


 首を傾げるジョイ。頷くアーシュを縛り付けている縄を、ケイティが外しにかかった。


 「ここは地図上に存在しない島だ。ある組織が政府の許可を得て管理している。

  ……ぶっちゃけた話、リリーストーンを知ってる?」


 「誰?」


 「人名じゃない、企業名だ。ロサンゼルスに本社がある。

  政府お抱えの大企業で……そこが運営してる機関がこの島を実験に使っているんだ」


 どんな実験?そう聞こうとするアーシュの口をケイティが人差し指で軽く押さえ、拘束衣が解かれた。

 完全に解放されたアーシュは呆けたように口を開け、目の前の男女を交互に見る。

 …長時間固められていた腕が、みしっと音を立てた。


 「……何故自由にするの」


 「理由は3つだ。1つ、この島はあらゆる船や飛行機の航路から外されていて、

  しかも常に組織の職員に監視されている。

  君が脱走する事は不可能だ」


 ケイティがアーシュの腕を揉みながら、天井を顎で示す。安い蛍光灯の脇に、小さなカメラレンズが据え付けてあった。


 「2つ、組織が必要とする情報を得るには君を【放し飼い】にする必要がある。

  無用なストレスを与えるとデータに信憑性がなくなるからな」


 「情報って、何?」


 「何でも。君の体重、身長、体温の変化にスリーサイズ……行動、言動、精神状態。

  この島の住民は皆、何らかの理由で社会的に死亡した人間なんだ。だから身元不明死体と呼ぶし、

  俺もケイティも例外じゃない。

  その中で、組織のお眼鏡に叶った者だけが招待され、研究されるんだ」


 「……殺人犯の飼育場って事?」


 「犯罪者とは限らない。君の場合公式に死刑となった所を組織が手を回して回収したが、

  時には組織自体が手を下す事もある。

  俺なんかがそうだ。元はCIAの諜報員だったが、台湾で事故に遭った事にされてそのまま拉致された」


 「…CIA」

 「似合わないでしょ」


 茶化すケイティが薄汚れたシャツを脱がそうとするので、アーシュは抵抗して椅子から転げ落ちてしまった。


 「そんな汚い服、着替えを用意するから脱ぎなさいってば」

 「ケイティ、同性だからっていきなり馴れ馴れしくしない方がいい。仮にも残虐なシリアルキラーだ。だろ?」


 目を大きく開き、同意を求めるジョイに、アーシュは痺れる腕を抱きながら床から這い上がる。

 その姿はどこにでもいるような、ただの女だ。ジョイの言葉も真意とは思えない。


 「…そして3つ目の理由は、我々は君と可能な限り友好的な関係を築く必要がある、という事だ」

 「私とお友達になりたいとでも…?」


 「この島において、君に人権はない。我々も勿論同様だ。

  島主の利益のために集められたモルモットと言う点で違いはない。

  俺とケイティは積極的に組織に貢献したからこう言う、多少偉そうな態度を取れるってだけさ」


 「以前は企業の職員が現地統括者として派遣されていたのだけれど、誰かさんに八つ裂きにされちゃったの」


 ケイティのスカイブルーの細い視線に、ジョイが始めてむっつりと口を結んだ。

 2度3度、ジョイは首筋を掻き……


 「……そう、だから、死んでも構わない奴がリーダー役に選ばれたんだよ」


 と、アーシュにまた白い歯を見せて笑う。



 「まぁ、あまり怖がることはない、アーシュ。君はもう一生この島からは出られないが、

  どうせ死ぬはずだった身だ。

  住んで見れば申し訳無いぐらい恵まれた土地だし、ここには自由もある。

  …色々あっただろうが、これからは俺達と年を取って行くんだ」



 ジョイが言い終わった途端、アーシュは床に仰向けに倒れ、深く息を吐いた後……瞼を、ぱちっ、と閉じた。



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