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協奏曲 〜君と。〜  作者: AZURE
そして、時は流れ。
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 爺の隣にいた人物は、俺を見るなり青ざめた顔をした。


 ひと目でこいつが誰か分かった。3年前この病院で別れたときから背はずいぶん伸び、顔も少し細くなったが、相変わらず色白で痩せている。


 その人は目を泳がせ、挙動不審に俺と爺を交互に見た。まるで、助けを求めているように。


 「…高橋さん、僕はこれでおいとまさせていただきます…すみませんっ」


 いてもたってもいられなくなったのか、やつは慌てて立ち上がり、この部屋を去ろうとした。本能的に捕まえなければいけないと感じた。やっと会えたのに、このチャンスを逃しては次はない。


 部屋から逃げようとする彼の手首を掴む。彼はビクッとはねて、振り返った。


 その大きな瞳からは、今にも溢れそうな涙で一杯だった。


 俺は驚いたのと同時に、胸が高鳴った。前にも同じようなシーンを目にした気がして、彼に見いってしまった。


 彼の華奢な手も、熱くなっていた。


 しかしそれはつかの間、「離して」と悲痛な声と共に、彼は俺を振り切り、再び逃げ出した。


 「おい…っ、待てよ…!!」


 長い通路をゆく彼の背中が、どんどん小さくなっていく。


 「…坊っちゃん、追いかけなされ」


 爺の声が聞こえた気がした。


 頭で考えるよりも先に体が動いていた。本能で、やつの後を追う。


 本当は爺の見舞いに来たのだけれど、もう一度出直そう。まずは、あいつのけりをつけなければならない。


 病院の中だというのに、彼は全力で走っている。だから俺も、負けじとスピードを出す。彼の名前を呼んでも、一向に止まってくれる気配はない。


 建物の中を抜け、病院の敷地内を出た。それでもまだ追いかけっこは続く。細くてか弱そうなクセに、意外と足が速い。


 逆に俺の脚が遅くなったのかもしれない。怪我したせいで。


 無我夢中で走っていると、ふいに黒木が言っていた言葉を思い出す。


 『……あいつは今でも、自分のせいだと思っているんだ……だから自分を責めて、萎縮して、自分を見失ってしまっている。…誰が慰めても駄目なんだ…』


 長らく激しい運動をしていなかったために、息が苦しくなる。ついでに、怪我した右脚が痛み出す。


 数メートル先の小さな背中は、まだ遠い。


 『…お前以外はな……』


 夕方とはいえ、真夏のくそ暑い中俺たちは何をやっているんだろうか。汗がにじむ。道行く人、驚いて俺たちを振り返る。


 「おいっ、止まれよ!!」


 叫んでも無駄だ。うまくいかない状況に、だんだん苛立ちが芽生えてきた。


 俺は最後の力を振り絞って地面を蹴りあげた。太ももの筋肉がピリピリする。


 少しずつ距離が縮まっていく。左手には道路、右手には大きな公園が景色を変えていく。自分の肺が限界にきていても、気づかなかった。


 やつは俺を撒こうとしたのか、突然右手の公園に入っていった。俺も歯軋りしながら進路を変える。


 茂みの中に入っていく。俺はあと数十センチのところまで迫っていた。意地でも捕まえてやる。俺は手を伸ばす。まだ届かない。でもあとちょっと…――。


 「…冬夜…っ!!」


 身を一瞬宙に浮かせ、目的の獲物に飛び付いた。華奢な身体を腕に抱きしめ、そのまま芝生の地面に崩れ落ちた――。




 ――温かい。


 いつの日か味わった感触。


 この形。この温もり。この、柔らかさ――


 ぼやけた頭でも、はっきりと理解できるものがあった。


 “こいつ”、だ――。




 「……ばっ、離せよ…っ!」


 胸の下の獲物はもがく。俺は目を覚ます。


 倒れた衝撃で頭を打ったらしく、目の前がチカチカ光っている。


 「離せったら…離せ!!」


 俺は身体をどけて、か弱い青年を自由にした。苦々しい顔をしている彼は、起き上がって俺を睨む。


 「…なんで…ッ、ついてくるんだよっ!!」


 彼は瞼を涙いっぱいにして泣き出した。俺はいまだに頭がくらくらして、言い返す元気がなかった。


 頭を押さえ、彼をぼんやり眺めていたら、ぐわんぐわん揺れていた視界が、一気に落ち着いた。


 (…前もこいつが泣いていたのを、見た。しかも、この目で)


 覚えている。


 彼は傷と埃にまみれて、俺の名前を読んでいた。


 あの時俺は、こいつに笑ってと諭した記憶がある。


 (…思い出した)


 闇に包まれていた部分に、光が差し込んだみたいだった。


 確か、学校ではいつも隣にいた。一緒に海へ行ったこともある。けんかもした。デートもしたし、迸る熱い夜だって――。


 (こいつは、“冬夜”だ。長年自分の中の自分が探し求めていた恋人だ)


 荒れていた中学の頃、俺はこいつに出会った。あの日も今のように夏だった。道でうずくまっていた冬夜を、この公園に連れてきたんだ。


 (…ああ、そうだ…)


 それから関係が始まった。まもなく冬夜から告白された。俺は内心びっくりしたけれど、とても嬉しかった。すぐに俺は、こいつが好きになった。後で、どうしようもなくなるくらいに。


 それまで本気になることが分からなかった俺に、冬夜は愛を教えてくれた。彼は、退屈で鬱憤が溜まっていた日々を、パッと明るくしてくれたんだ。


 その純粋な心とあどけなさに惹かれた。見ているだけで、傍にいるだけで、優しい気持ちになれる。欠けた自分を、満たしてくれるんだ。


 現に、今だって…――。



 「…ごめん」


 俺は座ったまま、そいつに手を伸ばした。儚そうな雰囲気まるごと、自分の胸に閉じ込める。


 いろいろな感情が溢れてくる。


 「…はな、して…っ」


 冬夜は俺の胸に手を当て、小さく嗚咽を漏らした。


 「離してよ…っ、」


 「ごめん…冬夜」


 「だめ…だめ、だよ…」


 「…何が駄目なんだ?」


 聞き返すと、冬夜は黙りこくった。胸の辺りがじんわり濡れてくるのを感じる。


 「…だって、僕は…」


 数秒間があった。変な緊張が訪れる。


 俺は腕の力をゆるめ、冬夜の顔をうかがった。俯いているので、表情は分からない。


 「僕は…疫病神…だから…」


 「…疫病神?」


 「ごめんなさいっ、全部僕のせいなんだ…っ」


 「…冬夜」


 「僕がいなければ……」


 あなたに傷を負わせることもなかったのに、と涙声になる冬夜は見ていて痛々しかった。


 本当に、おまえのせいじゃないのに…。


 「…謝るのは、こっちだよ」


 冬夜が抱え込むことではない。寧ろ、俺の失態が招いたことなんだ。


 「…ごめんな、独りでつらい思いをさせて」


 もう一度、冬夜の細い肩を抱きしめる。今度は少し強めに。


 過去の記憶が蘇る。群集にたたずむ冬夜の、呆然とした顔を思い出す。


 事故の数分前のことだ。


 「い、痛い……」


 今なら、どういったきっかけでこうなってしまったのか理解できる。


 「……あの時、あの女が仕掛けた罠に気づかずにいたんだ。あの女は俺とおまえの仲を引き裂きたがっていた。俺に何をやっても無駄なんで、おまえにターゲットを変えようとしたんだな。だから…」


 話している間、冬夜の身体がどんどん硬直していくのが感じられた。


 「…冬夜?」


 冬夜は、目を見開き、俺を見上げた。


 「き、記憶…、戻ったの?」


 冬夜の驚いた顔に、苦笑いが込み上げた。泣き晴らして、赤い頬に涙のあとが幾筋もついている。


 「…ああ。もうバッチリさ」


 「そう、なんだ…」


 「うん」


 俺は両手で冬夜の小さな顔を包み、親指で涙を拭いた。


 「…あの女とは、最初から何もないから」


 「…でも、キスしてたじゃん…」


 「そんなの、無理やりされたに決まってんだろ。はーぁ、キスされるだけで最悪なのに、おまえに見られるわ、事故って記憶をなくすわ…弁解の余地もなかったわ」


 「…ほんと?」


 「本当。あの後おまえを追いかけて、これを言いたかった」


 冬夜は伏し目がちになった。長い睫毛に細かい滴が載っている。


 「…やっぱり、僕が逃げたりしたから…」


 「冬夜、それは違う」


 「え…?」


 俺は、上目遣いする冬夜の瞼に唇を寄せた。火照っているせいか、熱い。


 「……おまえは逃げ出して当然だろう。じゃないと俺が悲しい」


 「…」


 「それに、俺は別に事故で失ったものはないって思ってるから。記憶は確かになくしかけたけど、親ともうまくいってるし、むこうで何不自由ない生活を送れてるんだ」


 「へ、へぇ……」


 冬夜はぎこちなく目をそ らす。俺はその頬を両手で挟み、正面を向かせる。


 記憶にある彼と、ほとんど変わらない。


 黒目がちな瞳と、すっとした鼻筋。少し赤みがかった頬と、形のいい柔らかな唇。


 自然に自分の頬も弛くなる。


 「…おまえ以外はな」


 「…っ!」


 また冬夜の瞳は潤い始めた。嬉しそうに口元が半開きになっている。


 俺はその顔が見たい。


 「向こうで生活してるとき、いつも何が足りなかった。物質的にも精神的にも充実していたはずなのに、おまえがいないせいで、満たされねぇんだよ。可笑しいよな、記憶はないのに、心と身体がちゃんと覚えてるんだぜ」


 俺が自嘲的に笑いあげると、冬夜もつられて表情が柔らかくなった。涙が弧を描いて流れ、目を細めて抱きついてきた。


 「…可笑しくなんかない…」


 こんなに、幸せなことがあるだろうか。


 大好きな人が、傍にいる。


 俺は笑うのをやめ、冬夜の骨ばった背中に腕を回した。


 「…すごく、すごく嬉しい…っ」


 くぐもった声は震えていた。


 「…ああ」


 「好き…、大好き…」


 「うん、愛してる」




 震え崩れそうな身体を押し倒して。


 微笑む愛しい人に、ゆっくり口づけて。


 幸福の味を、いつまでも味わった。




 8月の空は青い…――。





 君が好き。


 好きなんだよ。


 好きで好きで……たまらなくなる。


 君といるときは生きているって実感できるん だ。


 君の隣で笑いたい。


 君の胸の中で泣きたい。


 君とどこまでも、たとえ世界が滅びようとも、 手を取り合って生きていきたい。


 ――……そう、君と。




【完】


『協奏曲~君と。~』完結しました。

長い間本当にありがとうございました。


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