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協奏曲 〜君と。〜  作者: AZURE
そして、時は流れ。
46/51



 毎日大学や練習、バイトに勤しむ機械的な日々を送っていたら、特に何もないまま夏休みに突入し、真夏の暑さに悩まされることになった。


 僕は夏が嫌いだ。でも好きでもある。どっちだって言われそうだけれど、どっちも本当なんだ。暑いのは嫌だけれど、夏は大切なあの人と出会った季節だから…。


 休みに入ってしばらくは、実家に帰らずアパートで過ごした。店長に無理矢理バイトを連日入れられたからだ。


 「ま、お前が店の顔だからな。若いし大丈夫だろ」


 30代後半の渋いおじさん店長は、仕事が終わった僕にニヤリと笑った。別に嫌いではないけれど、よく僕に構ってくるので鬱陶しい。


 「…」


 「まぁ頑張ってや。実家に帰るときは遠慮せずに言っていいから」


 「…分かりました」


 「ん。この連勤が終わったらご褒美やるからな」


 店長はぎこちなくウィンクした。無精髭を生やしていて見かけは怖いけれど、根は優しいことを僕は知っている。


 そんなことで、僕は連続勤務の真っ只中にいる。労働基準法か何かの法律で決められている労働時間ギリギリだと思う。


 忙しくて体力的に大変だけれど、何もしていないよりは気持ちが楽だ。頭の中を空っぽにできる。


 バイトで明け暮れ、隙があれば自分の練習。もう自分でも何日目か分からなくなって来たある日の夜、店長から電話が掛かってきた。



 「…もしもし」


 「おー、冬夜。俺だ。毎日ごくろうさん」


 またシフトを入れられるのかと怯えていたら、明日で連勤が終わるぞという話だった。


 「あ…はい」


 ちょっと拍子抜けした。店長からの電話は、あまりいいことがなかったからだ。


 「何だその不満そうな口は」


 「いえ…ただ本当に明日で終わるんだなって、実感がわかないだけです」


 「…ぷ」


 はははははは、と店長は声をあげて笑った。何が面白かったのかよくわからない僕は、むくれたくなった。


 「…何笑ってるんですか」


 「冬夜は真面目だなと思って。あんまり無茶するなよ」


 「無茶させたのは店長です」


 ごめんごめん、と向こう側で笑いを堪えているのが聞こえて、僕は電話を切りたくなった。


 「…で、何なんですか、用件は」


 話を戻すと、店長は笑うのをやめ、ひとつ咳払いをした。


 「冬夜、明日の夜空いてないか?」


 「はい?」


 聞き返すと、店長は例のご褒美の件だ、と言った。


 「明日。他のバイト生何人かと呑みに行くんだよ。親睦の意も兼ねてな。お前も来いよ」


 「え…」


 「ま、お前たちのお陰で売り上げ上がってるからな。全部俺のおごりだから。バイト終わったら俺の車で直行な、じゃ」


 「え、ちょっ、待ってっ…」


 僕の待ったの前に、電話を切られた。いつものように強引だ。


 (呑みって……)


 「…は~…」


 何考えているのだろうか、店長は。僕がお酒飲めないことを知っているはずなのに。


 でもよくよく考えたら、そんなことをする店長もなかなかいない。


 (…店長は店長なりに頑張っているのかな)


 アメとムチではないけれど、僕らがやめないで働けるように、ちゃんと使い分けているのかもしれない。


 何だかんだ言って、あの人はいい人だと思う。


 (でもまぁ拒否権はないよな…)


 僕は若干落胆しながらも、明後日実家に帰る準備を始めた。


 翌日は1日働きずくめ、夕方約束通り店長が迎えにやって来た。メールで表に出るように伝えられ、僕はそれに従うと、従業員の駐車場に黒光りした車が止まっていた。


 後部座席には、何人か若い人が乗っていた。皆何度か一緒に働いたことがあるから、知らない人はいなかった。窓越しに僕に手を降る人もいた。


 僕は早足で車に近寄り、運転席を覗きこんだ。ワイルドな身なりの店長は、ハンドルに手をかけていて、いつもより格好よく見えた。


 「あの、こんばんは…」


 僕は恐る恐る助手席のドアを開けた。店長は僕を見るなり、遅いっと一喝した。


 「連絡してから何分かかってるんだよ」


 「…ごめんなさい……」


 「まぁ、許す」


 早く乗れ、と促され、僕は後ろの皆に一言挨拶を交わしてから、慌てて店長の隣に座った。


 「さぁ、行くぜっ」


 店長の掛け声とともに、黒い車は動き出した。内装も革張りで落ち着いた雰囲気がある。きっと高いんだろうな、と思うと、自分の体が縮こまった。


 どこに連れていかれるんだろう、と内心ドキドキしながら過ぎ行く景色に心を委ねる。


 店長行きつけの居酒屋は、思っていたよりも近くにあった。僕らはそのシックな店の前で降ろされ、店長は近くの駐車場に車をとめに行った。


 その間、残された僕らは店長を待つのと同時に店の様子を伺う。木造の古い家をかたどった建物に、店の名前が入った暖簾が下がっている。大きさはそれほどない。


 要するに、いかにも居酒屋って感じのところだ。


 僕のほかには、同じ大学生の男の人と大学院で科学の勉強をしているという女の人が来ている。ふたりともすごく大人っぽいので、僕が幼く見えて恥ずかしい。居酒屋なんて入って怪しまれないか不安だ。


 「…何かしこまってるんだよ」


 駐車しに行っていた店長が戻ってきた。そして僕らを見るなりそう言って笑い出す。僕ら三人、特に僕は馬鹿みたいにカチコチになっていたらしく、店長は僕の頭を小突いた。


 「…イテッ」


 「今日は無礼講でいいからな。ていうか俺、そんなの気にしないし」


 「嘘だ」


 「嘘じゃない」


 店長は長めの黒髪を揺らし、ニマッとはにかんだ。そして何故か僕の両頬を引っ張る。


 「ヒテテテテテ、ヤメヘっ…」


 何でこんなことするのか分からないけれど、今の店長はご機嫌みたいだ。その切れ長の目は楽しそうに細められている。


 それにしても僕をいじるのはやめてほしい。


 「…店長は春日井くんがお気に入りですね」


 僕がひどい目に合わされている中、男子学生が呑気に言い放った。


 「…まあな。こいつが手もつけられないくらいの生意気なんで」


 やっと離してくれた。頬っぺたの表面がジワジワ痛い。


 「違います、店長がいじわるなんです」


 「さ、中入るぞ。冬夜、大人しくしとけ」


 「「大人」しくって…!」


 僕と店長の一連のやり取りに、周りの二人は口に手を当てて笑っている。


 (何なんだよ、皆バカにして…っ)


 僕は不満たらたらだったけれど、店長に手を引かれて強引に連れ込まれた。座敷の席を予約していたみたいで、店長は僕をその部屋の一番奥に押し込んだ。もしかしたら適当なところで切り上げようと思っていたのがバレたのかもしれない。


 隣に座ってきた店長はてきぱきと注文し、それほど時間がたたないうちにおつまみや酒類が出てきた。他の三人が早速グラスを持ち上げているのを見て、僕も仕方なく真似をする。


 「カンパ~イ」


 僕を除いて全員が、一気にグビッといった。僕もあまりお酒は得意ではないけれど、一口だけ飲んでみる。アルコールの匂いが鼻にツンときて、喉が焼けるように熱くなった。


 (ん…あつ…)


 その一口だけで頭がボーッとした。他の三人は楽しそうにおしゃべりをしているけれど、僕はたまに相づちを打つのが精一杯だった。よく分からないけれどフワフワとして気分が良くなってしまった。


 こういう時って、普段思い悩んでいることがちっぽけに思えてきて、どうでもよくなる。


 いつもこうだったらいいのに。


 僕は二口目を飲んだ。お酒が伝っていったところがジリジリする。


 「…あれ、冬夜、全然減ってないのにもうデキあがってんのか?」


 早いことに二杯目を頼んで飲み干している店長は、僕を見てからかう。


 「…うるひゃ…」


 「そーいやお前、酒弱かったな。今思い出したわ」


 「……」


 普通の状態だったらムカつくところだけれど、今は気にならない。逆に甘えたくなって、朦朧とした頭を店長の肩に預けた。


 「と、うや…っ?」


 僕の行動が予想外だったのか、店長は驚いて体を硬直させた。僕は口の中から笑いが込み上げた。


 「……弱いですよ…。しかも未成年です…」


 視界がボヤけて感覚が鈍くなる。頭の中だけは羽のように軽くなったみたいで、幸せが沸いて出てきている錯覚にとらわれた。


 「お前、…眠いのか…?」


 僕は頷いた。眠いと言うか、店長の隣は安心してしまう。いつも鬱陶しいとか言っているけれど、本当は気にかけてくれて嬉しいのかもしれない。


 冬夜、と彼が呼ぶ声を聞き、僕は目を閉じた。ふわりと肩を抱き締められ、久しぶりに幸福に包まれながら、ゆっくりと意識を手放した…――。



***



 (…あれ…?)


 ふかふかのベッドから頭をもたげ、薄暗い部屋の中でぼんやりと今の状況を考える。


 (…僕って…)


 飲み会に行っていたはずだ。そして途中から眠くて意識がなくなって、…それから記憶がない。ここはどこなのだろう?


 突然、んがぁぁぁっと普段聞きなれない騒音がした。


 (え…)


 僕は跳ね起きた。何と隣には店長が口を開けて寝ているではないか。


 「え…、え、え?」


 頭も体も、一瞬で凍りついた。なぜ、この人が同じベッドで寝ているのだろう?


 驚くのはそれだけではなかった。店長がパンツ一丁で寝ているのは分かるが、自分まで脱がされていたのだ。上半身とベルトのバックルだけだけれど。


 「えっ…、どういうこと…」


 何が何だか分からない。動揺して自分でもどうしたらいいのか検討もつかなくて、ただひたすらベッドの上に正座していた。


 10分はそうしていただろうか。店長がむにゃむにゃと目を覚まし、寝ぼけ眼で僕を見た。


 「…んぁ、冬夜…起きてたのか」


 彼は親指と人差し指で両目を覆い、軽く擦った。自然に盛り上がった腕の筋肉は、鍛えられた美しい形をしていた。


 僕は返事すら出来なくて、硬直したまま目の前の男を睨む。


 「…何でそんなかしこまってんだ? まだ朝の4時だぜ、寝ようぜ」


 僕は動けなかった。彼はそんな僕を見て、声を押し殺して笑った。


 「…何にもしてねーよ。心配すんな。お前が昨日泥酔しちまって起きないで、家に送ろうとも住所知らないし、仕方ねぇから俺んちに連れてきたんだよ」


 「は、はぁ……」


 「あ、信じてねぇな? ちなみにお前がそんな格好なのは、暑い暑いって自分で脱ぎ出したからなんだぜ。…昨日のお前は大変だったよ。泣くわ笑うわ脱ぎ出すわ…」


 「え…」


 店長の言っていることが理解できなかった。まったく覚えていない。


 最初店長のでっち上げかもしれないと疑ったけれど、前飲んだときも同じように意識がなくなった気がする。どうやら僕は、お酒が入ると何もかも忘れてしまうらしい。危ない。


 「…ごめんなさい……」


 僕の知らないところでいろいろ迷惑をかけてしまったことに、とても申し訳なくなった。


 「いーよ。気にしてないから。むしろ普段のお前には見られない姿を見られて新鮮だったよ」


 店長は言いながら欠伸をした。僕は目が冴えきっているけれど、彼はまだ眠いらしい。


 僕はいたたまれなくなって、うつむいた。醜態を見られたことが恥ずかしいし、店長に迷惑をかけてしまったこの借りは、いつか返さなければならない。


 その時、店長はもぞもぞと起き上がり、あぐらをかいて僕と向き合った。驚いて見上げると、気だるそうに微笑んでいる大人の男が、ゆっくりと僕の頭を撫でている。


 「…店長?」


 「お前、日頃溜め込んでんだな。つらいんじゃないのか? 自分を抑えつけるのは」


  「……」


 熱い槍が刺さって血が出るかのごとく、胸の内側からじわりと何かが溢れ出した。


 そこは、一番触れてほしくなくて触れてほしいところ。


 彼の言葉を待った。


 「…あんなに壊れる冬夜を見たら、そんな気がしてたまらないんだが」


 大丈夫か? お前、と言いながら、彼はタバコに火をつけた。


 普段のうざったさはどこに消えたのか、今日の店長は僕をからかうでもなく、ひたすら優しかった。いや、僕がいつもと違うのかもしれない。僕があまりにも鎧を外しすぎていたから……。


 「…くっ…う…」


 堰を切ったように、涙が止まらなかった。泣き出した僕に店長は目を見開いて唖然としていた。


 「す、みません…っ」


 とっさに背を向けて涙を止めようとしたけれど、苦しくて、止めるどころか嗚咽が漏れた。


 煙臭い背後で身動ぎするのが感じられた。ふわっと体温が体にかかり、後ろから肩を抱かれた。


 「…お前は何がつらいんだ? 言ってみ?」


 本気で心配してくれている声と、直接肌から伝わる温もりが心に染みた。久しぶりに直に触れる人の肌に、僕は懐かしくなって抱きついた。


 「おわっ!?」


 勢いあまりすぎて、そのまま店長を押し倒してしまった。店長はビックリした顔をし、僕を見上げていた。


 「店長…っ」


 「おいおい、どうした冬夜…っ」


 「……ごめんなさい。いつもウザいとか言って。でも本当は頼りにしてます」


 おお、そうか、と彼は照れて、上に乗っている僕の背中をポンポン叩いた。ほとんど全裸に近い状態で密着しているせいか、彼の躰は次第に固くなり、汗ばんできている。僕も顔がほてり、心臓がバクバクしている。


 泣きすぎて、感情が高ぶりすぎて、頭がショートしそうだ。


 「…好きです」


 「なっ!?」


 「ずっと店長と一緒にいたい……」


 嘘ではない。


 彼は大人だから、その年の差と包容力が安心する。


 おいおい、と店長は柄にもなく狼狽え、目を泳がせていた。


 「…冬夜、まず落ち着けよ」


 「やだ…っ」


 「やだじゃない。まだ酒が抜けてないんじゃないのか?」


 「違う…っ、店長…」


 僕はもどかしくなって、彼に覆い被さった。無精髭が生えた頬を押さえ、その薄い唇に自分のを重ねた。


 涙の味がした。


 「…っ!」


 顔を離して目を開けると、ますます固まり、怒ったように口をへの時に歪めた彼がいた。


 「あ…っ」


 彼の表情を見た瞬間、僕は正気に返った気がした。


 何をしているんだろう、僕は。


 叱られる、と危険を察知して咄嗟に躰を浮かせた。しかしどういうわけか部屋が反転し、自分が思っていた方向とは正反対に、ベッドに押し付けられていた。


 (え…?)


 僕の上には、店長という男が乗っている。久々に人の躰の重みを感じ、全身が凍りついた。


 「ばか冬夜…」


 彼は無表情だった。しかし、その瞳の奥には、熱い焔がちらついている。


 「…何だ? お前は俺に犯されたいのか」


 低く唸るような声に背筋がゾクゾクした。男は胸につけていたネックレスを外し、前髪を掻き上げた。


 犯されたいとかそういうのではない。


 でも、自分で何がしたいのかも分からない。だけれど、何かしてほしい。


 誰かに傍に、いてほしい。


 「…馬鹿。頭を冷やせよ」


 今度は店長からキスをしてきた。


 僕は何も考えられなくなって、店長のキスにほだされるだけだった――…。

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