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協奏曲 〜君と。〜  作者: AZURE
君と。
42/51

8-3


***



 日は過ぎて、俺は晴れて退院の日を迎えた。


 着替えや本などの荷物をボストンバッグに詰め込む。しばらく世話になったこの部屋ともおさらばか、と嬉しさとも寂しさとも表現できない感情を抱き、俺は真っ白なベッドに腰掛けていた。


 今日、例の決断を下さなければならない。海外にいくのか、それとも日本にいるのか。


 でも、まだアイツのことは未解決なままだ。別に聞かなくても決断は下せる。下せるが、すっきりしてから事を決めたい。


 なぜ俺がこんなに決断に迷っているかというと、前の俺が激しく日本にとどまるのを望んでいたことに何か理由があるならば、そう簡単に事を決めてはならないと感じたからだ。


 今のところ、思い当たる節があるとすれば、事故の時助けようと思った俺の「恋人」にあると思う。というか、それ以外考えられない。


 勉強ならどこでもできるし、留学できるなら広い視野を持つことができる。スポーツをやるにしたって同じだ。爺に聞いたところ、そこら辺にさほど強い執着心はなかったというから、わざわざ日本に滞在する意味が分からない。しかし、もしその理由が「恋人のため」であったならば、海外に行かなかったのも理解できる。


 (大体、身を投げ打ってまで助けようとしたんだから、死ぬほどその恋人が好きだったってことだよな)


 そんなに入れ込んだ相手を、俺は誰だか知らないでいる。いや、4割方は感づいている。


 入院してから今日まで、俺の恋人と名乗るヤツは現れなかった。また、事故の現場に居合わせたヤツもいなかった。


 そして皆、そういう話題を振ろうともしなかった。


 爺やナースの話から類推すれば、事故の時一緒にいたのは冬夜ということになるし、もしその場に他の人物がいなければ、俺は冬夜を助けたことになる。


 前の俺が命かけて助けたヤツ…そいつは俺の恋人ということになる。


 確証はない。でも確信はある。


 野性の勘がそう言っている。


 おそらく、皆が事実を話したがらないのは、俺を驚かせたくなかったからなのだろう。記憶をなくして目覚めていきなり、「あなたは同性愛者ですよ」なんて言われても、心の準備が出来ない。すんなり受け入れられる人もいるだろうが、拒絶する人もいると思う。


 もし本当に冬夜が俺の相手なら、周りのやつらは気を使って何も言わなかったのだろう。そんな気がする。


 どちらにしても、本人の口から事実を聞きたい。話はそれからだ。


 俺はゆっくり立ち上がる。少し歩けるようになったといっても、完全ではない。俺はベッドの脇に立て掛けてあった松葉杖を脇に抱える。ついでに財布を握る。


 双子の兄に電話をするため、外に出ようとした。生憎冬夜の番号を知らないし、俺自身携帯を持っていない。誰かと通話するには、1階のロビーまで足を運ばなくてはならない。


 ドアノブに手を伸ばしたら、すごい勢いでドアが勝手に開いた。ビックリして、俺は一歩引き下がった。


 「え…」


 目の前の人物に俺は目を見張った。


 冬夜だった。


 俺が長い間気になっていた、その人だった。


 「あ、ごめんこういち…」


 俺より頭ひとつ分小さいそいつは、硬直した顔でそう言った。そいつ自身も驚いたらしい。


 見たところ、いつも一緒のあの双子の姿はなく、単品でやって来たらしい。


 珍しい。


 「い、いや、大丈夫」


 あろうことか、一対一で接すると緊張してしまう。中に入ってと促し、俺はもと来た道をたどった。


 「今日…退院なんだね」


 俺がベッドに座ると、ヤツはポツリと呟いた。何だか、その言葉はひどく悲しそうで――。


 「……ああ」


 「…おめでとう。こういちが元気になってくれてよかった……」


 冬夜は自嘲的な笑みを俯いて隠し、無造作に置かれた椅子に腰を下ろした。


 どう反応してよいのか分からなかった。


 「……いや、お前こそ毎日のように見舞いに来てくれて、感謝するよ。あと双子たちもな」


 ううん、と冬夜は首を振り、下を向いて黙ってしまった。ふたりとも喋るネタがないので、会話がそれきりなってしまった。


 重い沈黙が訪れる。これが双子や健太郎だったら、一発冗談をかませるのに、こいつはどうもそうはいかないらしい。


 それにしても、この無言の時間はつらい。


 「えっとな…」


 「あのっ…」


 偶然にも冬夜と声が重なってしまった。冬夜も一瞬ビックリしていたが、ふにゃっと笑顔になった。


 不意に胸がドキッとした。


 「…ご、ごめんな、先言っていいよ」


 今まで見たことのなかった、こいつの笑った顔。同じ年の男とは思えないほど可憐で――。


 俺は動悸が激しくなるあまり、目を背けた。


 「……ありがと。こういちさ、留学するって話聞いたよ」


 どきどきしていた心臓が、止まったかと思った。ちょうど今、考えているところなのに。


 「いや、まだ本決まりじゃない …」


 「…そう、なんだ…。もうてっきりそうなんだと思ってた…。でも、すごいねっ。英語ペラペラになれるんじゃない?」


 それはそうかもしれないが、お前は寂しくないのか? 仮にも俺たち付き合ってたんだろう?


 「あ…あのさ」


 聞くなら今だと思う。今を逃したら、あとはない。


 目の前の人物は、なに? と首をかしげた。


 「いや、その…」


 可愛いという言葉がこれほど似合うヤツはなかなかいない。自分が言おうとしたことを、一瞬忘れかけてしまう。


 自分理性に鞭を打って、言いたかった言葉を吐き出す。


 「俺…さ、中学の頃から記憶がなくて、お前のことも健太郎のことも過去のことはまったく思い出せないんだ。だから…教えてほしいんだ。お前のこととか、記憶をなくす前にあったことを」


 冬夜の表情が翳ったのを見逃さなかった。俺から目線を外し、目を潤ませている。


 しばらくして、


 「…ごめんなさい…」


 声を殺してそう言った冬夜は、泣いているのを見られたくないからか俯いている。


 「こういち…本当に、ごめんなさいっ……ぼくのせいなんだ…こんなぼくのために…」


 やっぱり、お前か。


 俺が助けたというヤツは、お前のことなんだな。


 あらかた、こういう展開になるだろうと予想はしていた。


 「うん…大丈夫だから。もしそうでも、お前のこと恨んだりしないから」


 「…ありがと」


 前の俺の恋人は、袖で涙を拭った。ひとつ息をついて、ゆっくり話し出した。



 「…こういちとぼくは中学で知り合った仲なんだ。高校は別のところに通ってたけど…」


 「…うん」


 冬夜は苦しそうな笑みを浮かべている。俺はこのとき、どんな意味があるのか分からないでいた。


 「ぼくすごい人見知りなのに、とても仲良くしてもらった。やさしくていつも一緒にいてくれたし、分からないこととか悩みとか、色々聞いてくれたんだ」


 冬夜の話の「俺」は、想像とかけ離れていた。自分が思い出せる範囲の「俺」は、人に無関心で、独りでいることが好きだったはずだ。見舞いに来てくれた人の証言だってそんな感じだったから、その時はすんなり受け入れられたが、今の話はまるで別人じゃないか。いつも一緒にいて、世話を焼いていたということは、中学時代から俺は独りではなかったらしい。


 やっぱり俺はコイツのことが、好きだったのかな…。


 「…で?」


 「あ…うん…」


 冬夜は顔を赤らめてもじもじし始めた。恥ずかしいのか、下を向いている。


 おそらくこれからが、俺の聞きたかったことなのだろう。


 「…あ、あのね……変なこと言っちゃうかもしれないけど、」


 「うん」


 自分の胸もやけに騒がしくなる。


 「ぼ、ぼくが四六時中こういちの隣にいたから、…たまに恋人、とか兄弟とか言われたこともあった…です…」


 「…え」


 それだけ!?


 俺は言葉にこそ出していなかったが、何だか肩透かしを喰らったみたいだった。


 「…え、ちょい待って。…え?」


 俺は9割確信していたことが外れて、内心パニックになった。


 「あ…うん」


 対して冬夜は、冷静というか感情の薄い目で俺を見ている。


 「…ある人から聞いたんだけど、俺はお前と付き合ってるんだろ?」


 冬夜は目を見開いて静止したが、すぐに首を横に振った。


 「……付き合ってないよ」


 付き合っていない。


 今まで思い悩んでいたのが、まるで馬鹿みたいに思えた。


 「…それ、本当なのか?」


 冬夜は頷いた。火照っていた頬もすっかり赤みが引き、透明な白い肌に戻っていた。


 「…でも、俺には恋人がいると聞いたんだけど…」


 「…たぶんそれ、ぼくのこといってるんだと思う。こういち一匹狼なくせにぼくとよく絡んでたから、もしや、と誤解する人が多かったんだ。実際は仲睦まじいと言っても兄弟みたいな関係だったけど」


 「兄弟…」


 「うん。少なくとも、恋愛関係ではなかったよ。こういち、他に好きな人いるみたいだったし」


 何となく腑に落ちない部分もあるが、本人が言うんだからそうなんだろう。実際「親友」だったという話は聞いていたのだし。


 「…本当にただの友達?」


 「もちろん。…あぁでも、ぼくは友達としてこういちのこと大好きだけどね」


 冬夜はにっこり微笑んだ。その顔に嘘はなさそうだ。


 何だ。そうだったのか。


 爺やと俺のの早とちりが招いた大きな大きな勘違い。何だ俺、ちゃんと友達がいたんじゃないか。


 「…何か…思い出せなくてごめん」


 一番の親友だという人を忘れているなんて、俺はなんて残酷なんだろう。


 冬夜は首を振って落ち着いた声で言った。


 「…ううん。大丈夫だよ。こういちに理解してくれたなら、それだけで十分だから…」


 なかなか思い出してくれないから焦ってたけどね、とヤツは苦笑いする。ああ、だからいつもじとーと俺のこと見ていたのか。


 「でも…全部ぼくが悪いから、「思い出して」なんか言えるわけがなかったんだ」


 「事故のこと?」


 「うん…」


 冬夜は目を閉じた。口を結んで伏し目がちになり、真剣な顔になって続けた。


 「…ぼくが周り見ずになって、道路に飛び出しちゃったんだ。そこは横断歩道で歩行者の信号は青だったんだけど、運悪く信号無視の車が走ってきて…」


 それで、と声は止まった。


 状況は把握した。こいつが車にぶつかりそうなところを、俺が割り込んで阻止したんだろう。以前健太郎が言っていた「自ら飛びこんだ」とは、そういうことなんだろう。


 「…ぼくの不注意だったから、ぼくが傷を負うべきだったんだ。それなのに、こういちが身代わりになってくれて…怪我もさせてしまったし、記憶、だって…」


 冬夜は泣きそうな顔をした。その大きな瞳は、透明な潤いで満ちている。


 数秒後、後ろを向いて泣き出した。


 「…ご、ごめんっ、こういちの前では泣か、ないって…決めてたのに…っ」


 しばらくグスグスして、やっと振り返った時には顔を真っ赤にしていた。目元も赤く腫れ上がり、幾筋もの涙あとがついている。


 余程、罪悪感があるのだろう。本当に心を痛めているのが伝わってくる。


 (それにしても…ひどい顔だな)


 俺自身、こんなひどい仕打ちにあうわ記憶もなくなるわで大変だったけれど、苦しんでいる冬夜の姿を見ていたらどうでもよくなった。おそらく前の俺は「冬夜」を助けたかったのだから、逆にこの怪我は勲章ものだと思う。


 「……すよ…」


 「え?」


 冬夜は突然話し始めた俺にビックリして、真っ赤な顔をあげた。俺は内心苦笑が隠せなかった。


 「…許すよ」


 「え…」


 俺は手で支えながら、唖然としている冬夜に近寄り、怪我していない方の手でそいつの頭を撫でた。


 「…許してるよ。俺はお前を助けたかったんだから、これでいい」


 「で、でもっ…」


 「結果として俺は生きてるんだし、多分これでいいんだよ。お前に死なれた方が、つらいだろ」


 皆、生きている。この小動物みたいな可愛い男の子も。


 わしゃわしゃと掻き撫でてやると、冬夜の目には再度涙が溢れだした。


 「…こういち…っ」


 「あーほらほら、泣くなって」


 こいつは見ていてほっこりする。表情がくるくる変わって面白い。


 ちょっとだけ、前の俺がこいつのそばにいた理由が分かった。


 俺は冬夜の頭を抱き寄せ、胸のなかに閉じ込めた。慰めるように、背中をぽんぽん叩いてやる。


 「俺は…大丈夫だから。もうお前が抱え込む必要はないから。…だから、な?」


 ――…泣かないで、笑って? ――


 耳の近くで囁く。冬夜は頭を上げ、泣き晴らした顔で照れるように微笑んだ。


 その顔に、少し見惚れてしまったのはここだけの話だ。



 その後他愛ない話をした。あいにく迎えの時間がせまっていてあまり長くしゃべることはできなかったが、もう前のように壁を感じることはなくなり、気軽に話せるようになっていた。


 「…じゃあ、暇になったら連絡くれよ」


 帰ろうとする親友に、俺は松葉づえをついて見送る。と言っても病室のドアまでだが。


 「……う、うん。そう…する。こういちも早くよくなってね」


 「ああ」


 冬夜は部屋を一歩踏み出し、寂しそうに口元を緩めた。


 「じゃあ…、」



 ばいばい。



 そいつはそう言って去っていった。



 俺はこのとき、最後の言葉の意味を知らないでいた。

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