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最近、冬夜がおかしい。
近づいてきたと思ったら、そそくさと離れていくし、向こうから話し掛けてきたと思ったら、急に黙りこくって顔を赤らめているし、何がしたいのかさっぱり分からない。
昼休みに一緒に弁当を食べていても、ずっと下を向いているし。
「冬夜」
「う…はい」
ほら、返事の仕方だって変だ。
「何だよ、その変な返事は」
「何でもないです……」
俺と目を合わせようとしない。仮に俺を見たとしても、少し目線が外れている。
俺はやつに近寄り、顎に手を当て、冬夜に上を向かせた。
「冬夜」
「ひっ……は、はい」
「おまえ、どうした? 最近隠し事とかしてるだろ」
「隠し事…なんて…」
冬夜は頬を朱に染め、目を泳がせた。
「…してません」
「いーや、なんかおかしいぞ、おまえ。何かあったのか?」
俺の問い掛けに冬夜は困った顔をした。
「何もないです……」
それは嘘だ。
そんなこと、今の冬夜の表情を見れば分かる。
「ふーん……それって、俺に言えないこと?」
冬夜は赤い顔で首を縦にブンブンと振る。
なんだそりゃ。
俺に言えないことって、一体何だろう。
「こ、こういち、この話はもうやめにしようよっ」
「何で」
「だって……」
紅い唇がキュッと結ばれる。冬夜は、再会した時は大人しくて何を考えているのか分からないような雰囲気を漂わせていたが、今は何をするにもぎこちなくて、どこか焦っているようにも見える。
俺が近づきさえすれば、やつはかあっと赤くなって動けなくなってしまう。
一体全体、冬夜は何を考えているのだろう。
「ふーん…まあ、いいや。いくら聞いても口を開いてくれなさそうだしな」
俺は冬夜から離れ、もうひとつパンの袋を開ける。
その時冬夜が小さくため息をついたのを、俺は聞き逃さなかった。
モシャモシャとパンを頬張っていたら、尻ポケットの携帯が細かく振動したので、取り出して開くと、現在の彼女からの着信だった。
あまり好きではない相手だけれど、礼儀として電話は取らなければ。
「ちょっと悪ぃ」
俺は立ち上がって数歩歩いたところで立ち止まり、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
『あ、もしもし晃一? 今何やってんの?』
「……屋上で飯食ってる」
『あ、ならそっち行っていいかな? あたし、まだお昼食べてないから』
「あー別にいいけど、2人きりとはいかないぜ?」
『…え? 誰かいるの?』
「ああ。俺の友達が」
さっきから、背中に当たる視線が痛い。
振り返って見てみると、冬夜が物欲しげな顔でこっちを見ている。
……。
「……やっぱ、ダメだわ。今日の昼は誰かと食べて」
『えー、何でよっ。っていうか、いつもそうやって一緒にいさせてくれないのね』
「しょうがないだろ。俺にだって事情はある。じゃな」
『ちょっ…』
電話の向こうでは怒った口調で何かを言い続けていたが、俺が強制終了させるて、携帯を元あった場所に突っ込む。
この女とはもうそろそろ終わりだな。いちいちしつこいし、妙に媚々しているから、あまり好きではない。
来るもの拒まずなだけに、俺は人を本気で愛したことはない。
告白されたら、取り敢えずオーケーする。何回かデートして、たまに抱くこともあるが、大抵俺のほうが先に飽きてしまうのだ。
それは今まで「付き合った」女が皆そうだった。やり捨てだと思われても仕方がない。
一夜を共にしても、俺の冷えきった心を温めることができたやつはいなかったのだから。
「……ごめん、冬夜」
俺は苦笑いを隠しつつ冬夜の元へ戻った。弁当を食べている冬夜の表情は、明らかに暗い。
「…大丈夫か冬夜」
「…大丈夫。………さっきの電話って、彼女さんから?」
やつの形の良い口から発せられる声は、蚊のようにか細い。
急に電話が来て、不満に思ったのだろうか。でも仕方のないことだった。
「…そうだよ。まあ、もうそろそろ別れるけどね」
「何で?」
「何でって……そんなのは言葉で説明しがたいけど、あいつとの雰囲気が悪いから」
「へー……」
冬夜は目を逸らし、一文字に口を結びながら複雑な表情をした。喜んでも寂しがっても軽蔑もしている顔。
何でお前は、そんな顔をするんだ?
俺と彼女のことなどほとんど知らないくせに。
俺が彼女と別れたって付き合い続けたってお前には関係ないことだろう?
何でお前は嬉しさと悲しさを同時に噛み締めたような表情を見せるんだよ。
まったく意味がわからねぇ…。
「…か、彼女さんと、うまくやってくださいっ……」
冬夜は震える声で早口に言うと、まだ半分も残っている弁当を片付けはじめた。
やっぱり冬夜はおかしい。持ってきた弁当はいつもならゆっくりとだが完食するし、第一しゃべり口調が変だ。噛むはつっかえるは口籠もるは。いつもの冬夜の、きれいな音楽のように心地よく流れる美声が、今では盤の傷ついたレコードのようにぶちぶち切れる。
いったいどうしたんだ、冬夜?
俺に言えないことってなんだ?
俺にはお前が気になって仕方がないんだ。
お前のこと、聞かせてよ…――。
困ったように顔を赤らめてそそくさとその場から逃げようとする冬夜の細い腕を、勢いよく掴んで引き寄せた。途端に冬夜がヒッと小さく悲鳴を上げる。
「―…冬夜、なぜ俺を避けようとする?」
「だって…」
俺に背を向けてうつむく冬夜は、細かく震え、叱られた子犬のように恐怖に堪えているようだった。
「だって……こういちが…」
「俺が何だ」
「…言いたくないよ。言ったら、ぼくと一緒にいてくれなくなることは目に見えているもの」
「…そんなの分かんないじゃねえか。言ってみろよっ」
「言って嫌われたら嫌だっ!! なら、言わないほうがましだっ」
声の大きさがどんどん大きくなっていく。掴んだ冬夜の手が熱くなっている。
「俺が気になんだろ。だいたい、お前最近態度が変すぎる。そんなお前と付き合ってて、知りたくないほうがおかしい。言ってみろよ、じゃないと俺は本当に口聞かないからな」
後半はほとんど脅しだ。俺だって冬夜と何も話せずにいられるワケがない。でもこれくらい言わないと、冬夜は心を開いてくれないだろう。
「こういち……」
「本気だかんな。一緒にいたいと言っておきながら、心の内を見せないでいるなら、俺も同等のことをするまでだ。口なんて聞いてやんねぇ」
尚も面積の狭い背中を向け続ける冬夜が、小さく啜り上げた。
どうやら俺は、冬夜を泣かせてしまったらしい。
「…わ、分かったよっ……分かったから、そんなこと、い、わないで……」
冬夜は体をこちらに向き直らせ、ウル目上目遣いで俺を覗き込んだ。
「…ぼくのこと気持ち悪いって、思わない?」
「思わねえよ」
「…嫌いに、ならない?」
「ならねえよ」
「…絶対だよ?」
「ああ」
冬夜は眉をハの字に下げて、心配そうな顔つきで喉をゴクリと鳴らした。
「ぼく…――」