5
日曜日もこういちの家で2人きりで過ごした。ぼくらを隔てる物は何もなく、邪魔をする者もいなくて、こういちのことで頭をいっぱいにできた。心も躰もこういちで満たされて、これでしばらくは会えなくても大丈夫そうだ。
「最近やけに嬉しそうだな」
何かあったのか? と次の日学校に着いた途端に黒木君は聞いてきた。ぼくは幸せを独り占めしたくて、あえて答えなかった。
そのまた次の週末もこういちとデートをした。と言っても2人で買い物に行っただけだけれど、でもそれだけで楽しかった。
最近、何事もうまくいく気がする。フルートだって学校の勉強だって、前向きに頑張れる。恋の力って偉大だなと感じた。そしてこういちの存在も凄いなと思った。
ルンルン気分のぼくを黒木君は怪しんでいたが、何を聞いても無駄だと悟ったみたいで何も言ってこなかった。
そう言えば黒木君はどうしたのだろうか。少し前とは変わった。なんというか、最近までは少しふさぎ気味というか、笑うのも無理して笑っているような気がしていたのだが、今週に入ってからはどうしてかまるで別人のようによく笑うようになった。何があったのか知りたいという好奇心が勝って、ぼくはお昼休みの時間に聞いてみた。
「…黒木君、最近何かありましたか?」
今は黒木君と屋上で2人きりだ。
「何でそう思う?」
黒木君はお弁当を食べる箸を止め、まっすぐにぼくを見つめた。その顔も、いつもより穏やかだ。
「いや…これは単なる気のせいかもしれませんが、黒木君、ここのところ雰囲気が変わったなって思ったんです。何もなかったら、ごめんなさい」
黒木君は目線をそらして考え込んだ。しばらく間を置いて、黒木君は口を開いた。
「……あったよ。いろいろとね」
「いいことですか?」
「いいこと…なのかな」
「だって、黒木君、明るくなりましたもん」
本当に急激に変化した。ついこの前まではどことなく落ち込んでいるように見えたのに、今では何事もなかったように落ち着いている。何かあったのか、それが知りたかったのに、黒木君はいじわるをしてぼくの話に変えてきた。
「そう言えば、冬夜、お前こそ最近やけに嬉しそうじゃないか。ケータイとかまめにチェックしてるし」
「そ、それはっ…」
ハチが回ってきてぼくの心臓はドキドキ言い始めた。こういちと幸せ絶頂なことがバレてしまう。
「何だ、恋人でもできたのか」
「う……」
「あら、図星?」
黒木君はニヤリと笑った。言い返さないとマズイとぼくは慌てる。
「こ、恋人なら中学のときからいますっ…! あ…」
「自分で墓穴掘ったね。それにしても意外だなぁ……冬夜に彼女…想像つかないな」
ぼくはますます窮地に追いやられてしまった。こういちと付き合ってることは絶対にばれたくない。黒木君が信用できないわけではないが、まだカミングアウトする気にはなれない。
「失礼なこと言わないでくださいっ。そっちこそ、どうなんですかっ……まさか雰囲気が明るくなったのは、最近恋人ができたとか」
「んまあ、当たりかな」
「そうだったんですか! それで……お相手の方は…?」
「おおっと、ここまでだな。冬夜の方を教えてくれたらその先も教えるけど」
「いじわる…」
「そうだよ、俺は意地悪な男だ」
ぼくは完全に言い負かされてしまった。いじけていると、黒木君は散々笑い飛ばした。
「笑わないでくださいよっ…もう」
「ごめん、お前ホント可愛くて」
「悪かったですね!」
「おや、俺は褒めたんだけど」
「男に可愛いって言うのは、 褒め言葉に入るんでしょうかっ」
「ああ、入るよ。俺も言われることあるしな。言った本人がいい意味で言ってるなら、褒め言葉に入るよ」
「黒木君って…可愛いって言われるんですか。…意外だ……ぼくはどちらかというとカッコいいなって思ってるんですけど」
「まあ、それは人それぞれなんじゃないか」
ぼくはいろいろと言いくるめられた気がしてたまらなかったが、口では黒木君に勝てないと悟った。でも勝てないのは口だけではないだろう。体格差ではぼくの方が劣るし力でも負ける。顔も黒木君の方が美形だし、成績だって……そう考えると黒木君には何一つ勝てるものはないのだと気づいた。悔しくは感じない。だって、元々が全然違うのだから。
そんなこんなしているうちに学校が終わり、帰り際に携帯をチェックすると、こういちからメールが入っていた。その内容にニヤけてしまいそうになった。あまりニヤニヤしているとまた黒木君に言われてしまう。ぼくは口元を必死で引き締めながら本文を読んだ。
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to 冬夜
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今日部活なくなった
会おう?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
とても簡潔な文章だったが、これはいつものことだ。ぼくは了解と返信しておいた。
「黒木君また明日!」
「…ああ」
ぼくは後ろの席の目ざとい黒木君に今の表情を見られないように、顔を隠しながら猛ダッシュした。
最近は胸がドキドキワクワクで、憂鬱なことなんて全部はね除けてしまえそうに思えた。
電車に乗り込んで待ち合わせの駅に行く。そこはぼくとこういちが朝学校に行くときに利用している駅だ。
電車の関係でぼくの方が早く着き、しばらく駅の中でぶらぶらしていた。もうそろそろ着くよというメールが来たので、ずらりと並ぶ自動改札機の前で待っていた。
「ねぇ君」
横から声がした。だけどぼくとは関係ないと思い振り向かなかった。
「…ねぇ君、無視するとは酷いんじゃないの」
「え」
気付いたときにはぼくは3人の男の人に囲まれていた。どれも長身で色黒で、耳ばかりか鼻や唇にまでピアスを開け、見るからに怖いお兄さんだった。
「君、どこ高?」
「ヨシ、見れば分かるだろ。桜ヶ丘だよ」
「うわ、めっちゃくちゃかわいーやん。色白いし肌つるつるだし彼女にしてー」
お兄さんたちは口々に言った。ぼくはどう対処したらいいのか分からなかったので黙っていた。
「…でもヨシ、こいつの制服男もんだぜ」
「いいだろそんなんどーでも。ほとんど女なんだからよぉ」
「ねぇ君、オレらと遊ばん?」
お兄さん達が触らんばかりに近寄ってくる。
「やっ…」
ぼくは後退りするけれど、すぐ後ろの壁が当たってしま う。
「…それとも誰か待ってたの?」
「え…ぼくは…」
「待ってるやつなんて忘れてさ、オレらと楽しいことしようぜ」
ヨシと呼ばれた男がぼくの左手首をガシッと掴んだ。周りの2人もぼくが逃げられないようにがっちり囲んでいる。
「…や……だ…っ」
怖くて足が竦みそうになっていた時、ヨシと呼ばれた男のもう片方の手が何ものかによって振り上げられた。ぼくも含め不良たちは、乱入者に注目する。
「そいつ、俺のツレだけど?」
こういちだった。彼はヨシという男の腕を笑顔でねじり、相手が痛がっているのにもかかわらず力を緩めなかった。
「ヤメっ、痛ぇよ!! ふざけんな!!」
「ふざけてんのはどっちだよ?」
こういちはあくまでも笑顔で不良たちをしばいていた。その姿はまるで狼のように獰猛で、頼もしい反面背筋がゾッとした。
不良たちを一蹴りで追い払い、こういちは心配な顔つきで近寄ってきた。
「大丈夫か、冬夜…何かされなかったか」
言うなりこういちはぼくの肩を抱いてくれた。先ほどの恐怖もこういちの体温で溶けていく。ぼくはうん、と頷いた。
こういちは安心したようにため息をついた。
「それはよかった。…ごめんな、もう少し早く来れば」
「ううん……こういちのせいじゃないから…」
抑えようとしているのに声が震える。涙も、気付かぬうちにあふれ出てきた。
「…ゴメン…」
「いいよ。冬夜が謝ることじゃない。ほんと、おまえ1人にはしておけないなぁ」
こういちは苦笑した。そしてみんなが見ている前にもかかわらずぎゅっと抱き締めてくれた。
「…こういち……」
「いつもどこか危なっかしいというか……だから傍にいて守ってやりたくなるんだよな。前みたいに俺がいつも傍にいてやれたらいいのに」
ぼくらは肩を組みながら行く宛てもなく歩きだした。鉛のような空気の中、着いたところはいつもの公園だった。こういちは黙って公園の奥へとずんずん進んでいく。その足のペースの速さについていけなくなりそうだった。
奥の茂みに足を踏み込んだら、まるで森のなかにいるような気分になった。周りは木々と草で完全に遮られていて外からは見えない。空からだって枝を張った木が邪魔して見えないだろう。
ちょっと薄暗い、木漏れ日が何とも言えない2人だけの空間が広がった。
「冬夜、こっち向いて」
言われたように振り向くと、こういちに頬を両手で挟まれた。唇がタコみたいになる。
「ぁに…?」
「可愛い」
こういちはクスリと笑い、そのまま顔を近付けて唇を重ねた。
「ん…ふっ……」
迷うことなくこういちの舌先がぼくの口内を犯す。息ができないほど激しく絡められて頭がぼーっとした。膝がカクンと折れた。こういちに抱き止められてぼくは草が生えている地面に横たえられた。
こういちは上に跨ってキスを続けた。上顎をなぞられて舌先を吸い上げられれば、下半身がジュンと熱く痺れてしまう。
「ぷはぁっ……こういち…?」
唇が離されると、こういちはぼくの首に顔を埋めた。そしてジュッと吸う音と共にチクッと痛みが走った。
「こういち…ここで…」
するの? と問い掛けたら再び唇にキスをされた。また狼モードになっていて、話を全然聞いてくれない。
「…ここではしないよ。準備もしてないから」
唇を離して見つめ合う。こういちの顔からは人間らしい表情が消えて、欲情の色だけを讃えていた。
「でも……おまえに触れていたくて」
「こういち…」
こういちは首筋に沿ってキスを再開した。チュ、チュッとリップ音が聞こえて恥ずかしくなった。こういちは時々キスマークを付けながらぼくの服を脱がせて体中にキスをしていった。
靴下を脱がされ足の先まで口付けされる。左のふくらはぎの内側と足首にも赤い跡が残されていた。
ぼくは自分の中心が熱くなっていることを必死で考えないようにした。ぼくだって男だ。好きな人に触れられるだけでドキドキなのに、ましてや際どいラインやこういちに発見された性感帯の部分に口付けられたら、鋭敏に反応してしまう。
「こういちっ…も、だ…」
こういちの躰によがりすがると、こういちは焦点の合っていない目でぼくを見つめた。
「……な、に…?」
「いや、冬夜がエロい顔してるなって思って」
「…え」
ぼくは羞恥で顔が赤くなった。こういちはニヤリと笑い、ぼくの高ぶった熱を手と口で処理した。ぼくはあっけなく果ててしまった。
「はぁ、…はぁ、」
射精後の疲労感でぐったりしていると、こういちは微笑みながら余裕の表情でぼくの頭を撫でた。
「何か、その余裕むかつく」
「ははっ。まぁ冬夜よりは早くないしな」
「笑わないでよっ。ぼくだって必死に耐えようとしてたのに…」
「そんな冬夜が好きだよ」
こういちはニッとはにかみ、ぼくの頬にキスを落とした。こういちが触れているだけで嬉しくなった。
「こういち…」
「ん?」
「ぼくも付けたい…」
こういちはにこっと笑いながら「何を?」と聞いた。ぼくが言いたいこと分かっているくせに、意地悪な人だ。
「…き、キスマーク…」
「……付けてくれるの?」
「うん…だってぼくばかりだもの」
「ふーん……なら」
ここに、とこういちは地面に胡坐をかいてシャツのボタンを外し、襟元を広くした。ぼくはこういちの前に膝をつき、そのきれいな首筋に吸い付いた。こういちみたいにうまくできないけれど、こういちは喜んでくれた。
「だって冬夜につけてもうらうの初めてだから」
ありがと、とその長い腕でぼくを抱き締めた。
ぼくたちはそんな風にしてお互いにキスマークを付け合った。こういちが付けたものは鮮やかでくっきりとしていて、しばらくは消えなさそうだ。特に首筋の見えるところなどは分かりすぎるので、翌日学校に行くときは絆創膏を貼った。それを見て母さんはニヤニヤしていた。学校に行っても黒木君に笑われた。挙げ句の果てにはぼくが昨日情事をしていたと誤解されてしまった。
「あつあつだな」
「…だからそういうのじゃないんですって!! もうっ」
「だったら何?」
「う…」
黒木君は何にも言えない僕に意地悪く笑う。
「黒木君だってっ…」
「何?」
黒木君はぼくの首筋の絆創膏を見てからかうけれど、黒木君の首にも赤い吸い跡があった。
「黒木君だって……首に赤い痕があるじゃないですか……。髪に隠れて見えないところにあるから、どうやらみんなは気づいていないようでしたけど、ぼくは見つけちゃってハッとしました」
「…あ、ああこれね」
黒木君は自分の首筋に手を当て、照れたように笑った。どうやら黒木君にも恋人がいるらしい。どんな人なのだろうか。黒木君の首筋にキスマークを残しているのを見るかぎり、情熱的で積極的な人物なのだろう。双子の弟……ではないと思う。あの2人は好きな人を見るような目でお互いのことを見ているけれど、まだ避け合っていてそんな柄ではない。しかし、彼らは好き合っていると断言できる。命を懸けてもかまわない。その証拠に、体育の時間、黒木君は足をひねった弟を先生に頼まれて保健室に連れていき、帰ってきたときの顔がとても幸せそうだった。体育が終わった後も保健室に飛んで行っていたし、教室に戻るのも弟と二人三脚していた。保健室で何があったのかは知らないけれど、この日から彼らは急に一緒にい るようになった。
2人がいきなりそうなったのを見て周りの人は驚き、裏でこそこそと噂をし始めた。あの2人は立っているだけで存在感があり、入学時から騒がれていた。今までも、何故ばらばらに住んでいるのかとか双子なのに他人行儀だとか言われていたが、今回はその噂を上回るくらい、皆が彼らに注目し、色々な憶測を重ねていた。
しかし彼らはそんなことは少しも耳に入っていないのか、休み時間ごとに会っては2人だけの世界を作っていた。まるで彼らだけは別の世界に住んでいるようで、話し掛けるのも勇気がいった。そんな様子を見てチャラ男こと零士は、
「何かあいつらお似合いじゃねー…? にしても最近べったりし過ぎだよな」
と不服そうに言った。
「うん、そだね」
「耀が弟と話してるときのあの顔っ! 極上の笑顔振りまいちゃってさ~、どんだけ弟好きなのって感じだよ。オレたちと話してるときじゃあんな顔、しねーのに」
「何、焼き餅焼いてんの?」
「焼いてねぇよ! 妬くんだったらやきもち!」
「まあしょうがないよ。兄弟愛には勝てないから」
「う~、くそっ、邪魔しに行く!」
「あ、ぼくも!」
ぼくらは、ベランダで手摺りに寄り掛かっている2人に手を振り、声をかけた。ぼくらに気づいた黒木君は、弟と喋りながらこちらに向かって頷いた。ぼくらは顔を見合わせてベランダに行った。
「よーにぃちゃん。話に混ぜてくんねぇかな?」
零士はわざと不良のような口調で言った。黒木君はいいぜと返した。
「えーっと、こっちが弟の…」
「聖です。初めまして」
零士が言い淀んでいるうちに、弟の聖君は名前を述べた。外見や優しい物言いは育ちがいい雰囲気を醸し出していた。間近で見るとけばけばしい女の子よりも綺麗で、零士は赤くなった。
「は、初めまして…オレは相葉っす、相葉零士っすよ、よろしく」
零士は完全にロックオンされてしまったようだ。聖君にふわりとした笑顔で「よろしくね」と微笑まれれば、鼻を押さえてどこかへ行ってしまった。きっと鼻から赤いものが滴れてきたのだろう。
「えっと、ぼくは春日井冬夜です」
「あ、あの時ぶつかっちゃった人だよね。あの時はごめんね」
「いえ、こちらこそ不注意でした」
ぼくと聖君が謝り合っていると、黒木君は横でクスクス笑っていた。ぼくも聖君もむすっとした顔をしてい れば、黒木君は「ごめん、なんか似たもの同士だって思って」と笑いを堪えた。
黒木君が言うとおり、聖君とぼくは似ているところがたくさんあって、話も合った。ぼくらは溶け込むように仲良くなっていった。後々には、聖君はぼくの大親友となった。
黒木君たち双子に囲まれて、ぼくは毎日が充実したものになった。お互い良き友であり、良きライバルだ。日々刺激し合って自分の腕を磨いていった。こういちとも定期的に会い、恋愛の方も順調にいった。
約1か月くらいは1日1日身が詰まっていて忙しかった。そして、幸福だった。
あの日を、迎えるまでは。