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「え…今何て……?」
こういちはため息をひとつつき、同じ言葉を繰り返した。
「俺、おまえと一緒にいられなくなるかもしれないんだ」
ぼくは何が何だか混乱して、目の前が真っ暗になった。
「どうして……」
何で…。ずっと一緒にいてくれるって言ってたじゃないか……。
「親の仕事の都合でね」
こういちは苦いものを噛み締めるように、ひとつひとつの言葉を紡ぎ出した。
「両親の仕事がどっちも海外に移ったんだ。だから俺も向こうに住めっていう話。だけど俺はこっちの高校に入ったし、今は海外に行きたくないと伝えたんだ。そうしたら大喧嘩になった」
ぼくは聞いていて非常に複雑な心境だった。行かないでと言いたいところなのだけれど、他の家族の問題には口出しできない。
「……それに冬夜がいる。俺はおまえから離れたくないんだ」
「こういち……」
「俺はね、学校に通う間は日本でやっていくつもりだよ。でも万一、海外に行くことになるかもしれないんだ」
「…そっか……」
それなら納得できる。
でもやだな……こういちが海外に行っちゃったら、すぐに会いに行くこともできなくなる…。
寂しいな…。
続きは歩きながら話そう、とこういちが言うので、促されるままこういちの隣を歩いた。
「そんな暗い顔するなよ」
ぼくの肩にこういちの手を置かれたので、振り向けば彼は苦笑いしていた。
「……大丈夫。俺は絶対こっちにいるから。冬夜は心配しなくていいよ」
「でも……本当に、ご家族と一緒じゃなくていいの?」
「いい。あんな親よりおまえの隣がいい」
「ご家族は悲しまない?」
「悲しむわけないだろ。今まで放置してたんだからさ。別にいいんだよ」
こういちは別に何でもないというような口振りだったが、ぼくは心に何かが引っ掛かった。
というか、こういちってすれ違い親子の典型的なパターンだな…。こういちは、親に構って貰えなくて、寂しく思ったりしたことはなかったのかな……。
「俺のことは心配するなよ」
こういちはぼくの考えていたことを見透かしたように言った。
「……おまえが一番心配しなきゃなんないのは、おまえだろ。あと1週間ちょっとで入試だろ?」
「…うん」
「今はそれに専念して。なるべくだったらこんな話、受験が終わってから言いたかったんだけど…」
「……無理にごめん……でも、聞けてよかった」
「そうか?」
「こういちが1人で抱え込んでいるのを見るよりは、いい」
「ふーん…」
「ふーん、じゃないでしょ。ぼくはこういちが大切だからね? だから……心配になっちゃうんだよ」
「俺もこれ言って、妙に気にされて冬夜の受験に支障が出たら嫌だったんだ。だから言わなかった。自分からこれ聞いたんだから、冬夜にはちゃんと本領発揮してもらわないとな」
「うっ…はい」
「大丈夫。俺が傍にいるから」
「うん」
「頑張れよ」
こういちはニッコリと笑ってぼくを勇気づけてくれた。こういちの海外行きはちょっと気になるけれど、でもこういちの言い付けのとおり、今は受験に専念しよう。
……大丈夫。こういちが傍にいてくれるって言ってくれたから。
それからの1週間は、まるで矢のように過ぎ去っていった。ちょっぴり不安はあったけれど、こういちのおまじないのような言葉で、ぼくは安心して受験の日を迎えることができた。
朝こういちと連絡を取り、いよいよ試験会場に向かった。試験会場とはもちろん桜ヶ丘高校のことだ。ピリピリした空気の中、ぼくは校門の前で「この学校に通えたらいいな……」とぼんやり考えていながら立っていた。
「あ、春日井くん」
後ろから呼ばれて振り返ると、同じ門下の前田俊哉くんが眼鏡をずり上げていた。
「前田くん…おはようございます」
「おはよう。どうしたんだい? こんなところでぼけっとして」
前田くんはこちらに近づいてきた。彼は、全国の大会で入賞するような、すごい腕の持ち主だ。ぼくは到底及ばない。多分……この高校も合格は間違いなしだろう。ぼくは少しかしこまってしまった。
「…ちょっと考え事を」
「余裕だなぁ…僕なんてここまで歩いて来るのに一苦労だったのに……」
「え」
「僕、極度の方向音痴なんだよ。さっきも何回も迷っちゃってさ」
前田くんは肩を上げてわざとらしくため息をついた。前田くんは、そのクールそうな見た目には似合わない、少しおどけたところがあって話しやすい人だった。ぼくはすぐに打ち解けて、緊張もほぐれた。
演奏は、落ち着いてできたと思う。何人かの先生の前に立つと、やはり緊張したけれど、こういちの言葉を思い出して焦らずに吹いた。完璧な演奏というわけではないけれど、自分の納得のいく演奏ができた。
ぼくはソルフェージュなどの試験を次々とこなし、3日間にかけて行われた入試を終え、帰宅した。疲れたけれど、自分の力は出し切ったという達成感でいっぱいになった。
結果はまた1週間後だ……。
1人では行きたくないな。