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少々やり過ぎたかなという後悔に俺は苛まされた。
ベッドに運んだ途端、冬夜は疲れたのかすぐに寝入ってしまった。俺としてはここからが本題だったというのに。
また俺はお預けを喰わされた。少し未練が残ったが、今回のことは仕方がない。冬夜は慣れない海で緊張もしていただろうし、あの男にも襲われたのだ。その時点でもう精神的な疲労はピークだったはずだ。さらに俺と情事を交わすことなど無理に近かったのかもしれない。
それでも冬夜は俺を受け入れようとしてくれた。疲れていたにも関わらず俺の想いに応えようと懸命になっていた冬夜を見て、俺は嬉しくなった。もっと深く愛したいと思った。
「冬夜……」
呼び掛けても、冬夜はベッドでぐっすり寝ているので、返事はない。
その安らかな寝顔に俺の頬は弛んだ。
こんなに美しい造りの、まるで天使のような人に、惚れ込まないわけがない。中身も純粋でひたむきで、まるで俺好みに作られたかのようだ。
俺はベッドサイドに立ち、冬夜の細身の体に毛布を掛け直してやった。空調が効いた部屋では、何も掛けないでいると体調を崩しやすい。
「おやすみ、愛しい人よ…」
かがんで冬夜の白い額にキスを落とし、指で頬を撫でてやった。「ん…」と甘ったるい声を上げた冬夜は、寝返りを打った。
俺は寝る前に冬夜の自宅に電話をいれ、本人が疲れているため外泊させるとだけ伝えた。まだ夕食を食べるような時間だったので、電話の向こうではヤカンがピーピー鳴る音がしていた。
『あら、そうなの…迷惑掛けてごめんなさいね…。じゃあよろしくお願いします』
そう言った冬夜の母親の声は、凛としていて落ち着きがあり、どこか冬夜のそれに似ていた。
「はい。明日の朝にはご自宅の方にお送りします」
ありがとう、助かるわと電話越しの声は安堵したようなため息をついた。
電話を切り、携帯をポケットにしまった。寝るには少し早いが、特に何もすることがなく、夕飯を食べる気にもならなかったので、部屋の電気を消してもう一台のベッドに横になった。暗くなった室内では規則正しい寝息だけが聞こえる。
「こういち…こういち…」
寝入り端に突然名前を呼ばれ、びっくりして起きてみれば、隣の冬夜が寝言を言っていたようだ。一体何の夢を見ているのか、穏やかに笑っている。
「…こういち…すき……」
心臓を鷲掴みされたような気分になった。不意討ちとはこの事を指すのだろうか…。寝言で告白だなんて…この人は、俺がどれだけまいるか知らないんだ。
可愛くて可愛くて、自分のものにしてしまいたい。いっそのこと、自分の腕に閉じ込めて、逃げられないようにしてしまいたい。
一瞬、無理矢理にでも奪ってしまえば良かったのではないか…という思いが脳裏をよぎったが、俺は大きく首を横に振った。
いくら欲しくても、相手が望まなければ手に入った気がしない。お互いを求め合うくらいに愛し合えたら最後までいこう。
俺は再び眠りの闇に呑み込まれた。夢を見ることはなく、目覚めた最初に見た顔も冬夜だった。完全に明るくなっても冬夜は気持ちよく寝ていて、それを起こすのに罪悪感を覚えたが、チェックアウトする時間も迫っていたので、仕方なく華奢な体を揺さぶった。
「冬夜、起きなよ」
ん…、と声を上げただけで冬夜は一向に目を開けようとしない。何度トライしても目を覚まさないので、痺れを切らして冬夜の上にまたがると、スプリングが軋む音に反応してようやく起きてくれた。
「こ、こういち…」
冬夜は上瞼と下瞼がこれ以上ないくらいに離れ、驚いた表情で硬直していた。
そんな冬夜も愛しい。風呂場での妖艶な冬夜もいいが、こうやって素直な反応を見せるのも、そそられる。
「おはよう、冬夜」
欲望に負けて、いわゆる寝起きにキスをした。いつもより激しいものだったにも関わらず、冬夜は弱音を吐かず受け取ってくれた。
「こういち…いきなり過ぎ…」
眉根を寄せて愛しい人は憤慨するが、拒絶の色は全くうかがわせない。俺はそれが堪らなくて、もう一度ならぬ二度もキスを施した。
「やっぱりお姫さまはキスで目覚めさせないとな」
皮肉たっぷりに言うと、冬夜はばつの悪そうな顔をした。
「昨日はごめんね、こういち…早く寝ちゃって…」
冬夜はしおらしく俯いた。どうやら冬夜にも、風呂場での行為は前菜でしかないことを理解しているらしい。
「何か…ぼくの我が儘で……ごめんなさい」
思っていたより罪を感じさせていることに気づいて、俺はそんなこと気にしないと宥めてやった。
「だって…このホテルの代金も払ってもらったのに…」
「冬夜には払えなかっただろ。そん時いくら持ってたんだ」
「…1万」
「ほらな、そんなんで2人分はおろか、自分の分だって払えないだろ。しかも元はと言えば外泊しようと決断したのは俺だし。それにその借りは十分返してもらったよ」
「え…」
「昨日の冬夜…きれいだった。普段なかなか見られないおまえの姿を見られただけで十分だよ」
冬夜は顔を赤らめた。可憐な少年、と言っても過言じゃないだろう。
「冬夜、好きだよ」
俺が言った側から冬夜は俺の胸に顔を埋めて泣き出した。
「冬夜…?」
「ち、ちがっ嬉し泣きだからっ…」
「…ホントおまえすぐ泣くのな」
「ごめんなさいっ…」
「謝んなくたって許してるよ。冬夜だから」
俺は冬夜の顔を上げさせ、柔らかな頬を伝う透明な涙を指ですくってやった。冬夜はにっこりと微笑み返し、俺はまたその形のよい唇を奪っていた。
「はんっ……あ…」
舌を巧みに使い、冬夜の弱いところを突く度に、冬夜は艶っぽい鳴き声を上げる。もっと聞きたいという欲求が、止めることを拒む。
「あん……だ、ダメだよっん、んはぁ…」
切羽詰まった声色になってきた冬夜を執拗に追い詰める。熱く湿った吐息がキスの合間にふりかかる。
全部が全部、愛しい。
愛しいからこそ、冬夜の全部を知り尽くしたい。
唇を離し際に銀糸がかかり、俺は冬夜の口の端に垂れた液体を舐め取った。まるで獣並みの行為だが、それがまた新鮮で楽しかったりする。
「冬夜……もう出なきゃね。その前に朝食を済ませないと」
うん、と頷いた少年は、どこか寂しげに見えた。
「また…こういちとお出かけしたいな」
ぽつりとこぼれた言葉に、俺は嬉しさを噛み締める。
「今みたいにいじめられてもいいのか?」
冗談半分で言ったつもりなのに、冬夜は白い頬に朱を差し、照れながら首を縦に振った。
「いじめられるっていうか……ますますこういちが好きになった。強姦されたときの手の感触は、全くといっていいほど忘れられた。今残っているのは、こういちのだけだよ。ぼくの肌がこういちの手によって塗り替えられる度、頭の中がこういちのことでいっぱいになったんだ。愛されるって何て素敵なことだろうって感動して…そんなことできるのは後にも先にもこういちしかいない。ぼくは与えられた分返せてるか分からないけど、こうやって、たまには好きな人と密着して過ごすのもいいなって思ったの」
しっかりした発言に、冬夜がひとつ殻を脱いで、どんどんオトナになっていることを肌で感じた。いつか抜かされる日も遠くないかも……。
「でもこういうのはたまにでいいと思う。さすがに毎日やってのめり込みたくはないもの」
いかにも冬夜らしい考え方に、俺はにやけてしまった。流されず、自分の意思をはっきりと言える強さは、ひ弱そうな見かけと相反しているが、それがあるからこそ俺たちはうまくいっているのだと思う。
俺にお預けを喰わすことができるのも、おそらく冬夜だけだろう。
「…分かった。さ、早く着替えて。朝飯食うぞ」
俺たちは身支度を整え、荷物をまとめた。朝食はホテル内にあるレストランで済ませ、バイキングを楽しんだら、早々とホテルを出た。
行きと同じように電車で帰る。かたんかたん、とリズムよく流れる電車の音も、見上げた青の空も、何もかも新鮮だった。隣にいる同い年の男も、一昨日とは違った、余裕のある笑みを浮かべている。
俺たちは少しずつ大人になっていく。
一段一段確実に。
もう後戻りはできない。
真夏の暑い日差しを受けて、俺たちは青々と生い茂る草のように。