後編
この日、英梨は正に
“ビギナーズラック”
競馬もパチンコも、宝くじさえ買ったこのない彼女がつきまくった。するのは当然、ルーレット。赤か黒か。ついでに数字は適当に賭けていけば良い。最初は小さな金額で賭けていた英梨だったが、次第に大胆になり、掛け金もせり上がる。そして目の前にできるチップの山、どよめき。大掛かりなパーティーでいずれテレビ中継も有ると言う、そのカメラクルーが運気をつかんだ彼女にスポットライトを当てる。
会場の雰囲気は最高潮に達し、沢山の人達が覗き込む様にルーレット台に集まっていて。歓声に惹かれた諗が、いつの間にか彼女の後ろで目を輝かせて立っていた。
「凄いじゃん」
はっと振り向き見上げる英梨に
「……」
何かを話しかけた。
「えっ? 何? 聞こえない」
彼は彼女の耳にかかる髪の毛をそっと指先で摘まみ上げ、
「今晩の英梨ってかなりいい感じ」
耳に唇を触れさせながら、そっと繰り返した。瞬間、彼女の躯に電撃が走った。
「いつ、嫌っ」
小さな悲鳴は、大勢の人に押される力にかき消される。彼は成り行きでなのか、図ったのか、英梨の真後ろにぴったりと体を寄せ、背中から抱くかの様に立った。そして両手を彼女の脇から前に出し、ルーレットテーブルに自分の分の偽札も置いたのだ。
「俺の分も一緒に賭けてよ」
背中越しに彼の心臓の音が聞こえ、暖かい体温を感じた。それから
「英梨が赤だって言えば、俺も赤。英梨が黒だって言えば、俺も黒。俺、人生の全てを英梨に賭けてるから」
などと、意味深な言葉を口にした。
軽快なジャズのリズムに、人々の熱気、ホイール(回転盤)の回る音。そして英梨を包み込む男から立ち昇るガーデニアの香りと、のど仏の奥から聞こえる低音の笑い声。
全てが熱に浮かされた様だった。
勝ちが来る。そして小さな負けが来て、再び大きな勝ちのうねりが来る。諗のチップも倍になって積み上がり
「やったね!」
彼は英梨の頭に頬ずりし、さも恋人を労るかの様に、両手で彼女の腰を抱きしめる。ディーラーが片方の眉を上げ、わざとらしい仕草で
“分かっていますよ、お幸せに”
のベタな表情。
「放してよ」
泣きたい気分。
「良いじゃないか。今、みんな盛り上がってんだし。照れるなって。もう、大好きだよ、英梨」
彼は一層彼女にすり寄り、開けたジャケットの内側が彼女の剥き出しの肩を滑る様に撫でる。英梨の我慢も限界だった。これ以上、彼の傍にいる事すら辛い。好きだから、好きだからこそ中途半端な
“大好き”
は、鋭く彼女に突き刺さる。
「それでは最後の勝負になります」
ディーラーがベルを鳴らし、最後の賭けを促す。英梨は一切合切を黒の24に賭けた。駄目で元々。
“ブラックで駄目駄目な24歳”
英梨は勝手に下手なオチを付けた。そのとき突然閃いて
「私ね……結婚するから」
相手もいないというのに、一世一代の大嘘が彼女の口からこぼれた。
「もう、こんなの、無理」
こうやって女としてみてくれない男に人生費やして、朽ちていくなんてまっぴらご免。きっと明日になったら朝一で結婚相談所に飛び込んで、誰でも良いから相手を見つけるんだ。その時、目の前のディーラーが大げさな身振りで球をルーレットに向かってトスした。
「それって……」
諗はきょとんとした顔で立ちつくしたかと思うと、
「やっとその気になってくれたんだね!」
と店中に響く様な大声で叫んだ。盤の上で球が跳ね、カラカラと音が鳴り響く
「はぁぁぁああ???」
彼は英梨に巻き付けていた腕に力を込め抱え上げると(どこにそんな力&スペースがどこに有ったのか)周りの人の山も何のその。ぐるぐるぐるぐる、彼女を回し始めた。
「やったぁ!」
世界が回る、目が回る、ルーレットも回っている。ついでに、気持ち悪い。
「諗、止めてくれぇ〜」
英梨は情けない声で懇願した。
「死ぬ」
絶対これは悪夢だと思った。周りのみんな、総立ちで拍手。でも、彼らですら何が起こっているかよく分っていない、とりあえず笑っておけ、な笑い顔。
「ヤッホー! やっと俺と結婚してくれる気になったんだ!!」
これは新手のびっくりか? やっと下ろしてもらえた英梨は、ふらふらしたまま思わず諗にしがみついていた。
「もう、心配させるなよ、英梨。俺とは一緒になってくれないのかなって、もう無理かなって、諦めそうになってたんだぜ」
抱きしめる彼の腕の力が弛む事はなく。
「へっ?」
見上げた彼女の唇に、彼の唇が重なった。
「むぐぐっ……」
キスするのが初めてだ、とは言わない。でも、これほど前触れもなくキスされた事はない。しかも、ぜんぜんロマンテックじゃない。思わず息を止め、すぐに胸が苦しくなり
「きゅ〜〜〜」
バタバタと彼の胸を拳で叩いた。
「あはははは」
諗、笑い。
“笑うな!”
とっちめてやりたかったが、周りの歓声がうるさく、それどころじゃない。−−−どこかでカランコロンとベルが鳴る。何とか呼吸を落ち着け、へらへらと笑う彼をキッ! と睨めつけた。
「あんた、何ふざけてんのよ。何で私が諗と結婚するわけ? 第一、私、あんたにプロポーズされた覚えなんかないんだから!!!」
いい加減、この茶番を終わらせたかった。そのはずが
「分かった、分かった。英梨が忘れたって言うんだったら、まっ、しょうがないか。ってか、そんなに怒るなよ」
訳の分からない事を言い始め、両手を軽く上げたかと思うと、周りのみんなに
“静かに”
の優雅なポーズ。ギャンブルナイトで大騒ぎの会場は微妙な揺らぎを生んでいた。
英梨はなんだか悪い予感がした。
“忘れている?”
過去に何か有ったっけ? ってか、確かに初めて会ったとき、こいつに
『俺と結婚しよう』
と言われ,
『10年後に生きてたらな』
と答えた記憶は有った。ってか、それがプロポーズ? いや、それはないでしょう? 無理矢理笑い飛ばそうと、ぎこちない笑顔が頬に浮かび上がる。なぜか人々は固唾を飲み、誰の指示なのかバンドも音楽を止め、静寂の空間が広がった。いつの間にか二人の周り半径一メートルから人が撤退していて、諗はもったいぶった仕草で腰を落とすと片方の膝を床に着き、右手を自分の胸に当て彼女を見上げた。
「鳥井英梨さん、俺は一目見た時からあなたが好きでした。愛しています。この12年間、この気持ちは変わりません。結婚してください!」
どこかで煌めくフラッシュライト。それから、明らかに写メのシャッター音カシャッ! カシャッ! カシャッ!
『肖像権の侵害だ!』
と叫びたくても、英梨は魔法にかかったかの様に体を動かす事ができずにいいた。それをどう勘違いしたのか、彼はいかにも誠実そうな、なかば涙目で英梨を見上げた。
“それって反則!”
泣き出したいの自分だよって、英梨は思う。こんな茶番は嫌だった。本当に誠実な人間だったら、ひっそりと二人っきりで告白するってのが筋じゃない? 見下ろす彼女の頷く気配を感じる事ができず、彼は続けた。
「一生、英梨の事、大事にするから。ここに居るみんなが証人だ」
“うん、うん”
なぜか全員一致で頷くギャラリー。これは、マスゲームか? いや、罰ゲーム!!
「英梨は俺のプリンセスだ。俺は一生、えりぃの下僕として生きる!」
ああっ、下僕ね、確かにね、それも良いわよねって、いや、違う! 彼女は大きく口を開き、声にならない言葉を発しながらその唇を横にぐっと引き絞った。つまり、
「“はい”って、言ってくれたね!」
たしかに、唇はその形で動いていた!
「キャ〜〜〜〜」
どこかで歓声、
「素敵」
「ロマンスだわ〜〜」
だとか、訳の分からない女の子の叫びが聞こえ、
「絶対、無理!!!!」
の絶叫はかき消され
「むうぅっ!」
えりぃが気がついた時には、諗の腕の中で息が苦しいほどハグされていた。
フラッシュライト、カメラマン、インタビュアー、満足そうに笑うパーティーのスポンサー。
「新婚旅行は、セントーサ島のスパ・ヴィラで二人っきりで過ごそうね」
いつの間にかマイク片手に唸る諗。喝采。割れんばかりの拍手。そして男は何が起こったか分からず呆然としている英梨の耳元で囁いた。
「今の映像、ケーブルテレビで全国配信される予定だから、楽しみにしていてね。みんなに祝福してもらえるから」
再び祝福のベルが鳴らされて
「おめでとうございます。24の黒! お嬢様の勝ちです!」
洪水の様な拍手が英梨を襲った。
かくして、ギャンブルナイトは更けてゆく。
後の風の噂によると、諗が他に女がいる様に見せかけたのは、英梨の気を引くためだったとか。その度に目論みは挫折し、ただ素直に英梨の元へと戻ってきては、まるで弟みたいにあしらわれ、何度も負け越していると感じていたらしい。
「だったらさぁ、素直に好きだって、“愛している”って直球で言えば良かったじゃん」
二人きりで夜景の綺麗なレストランに誘うとか、手をつないで、見つめ合ってキスするとか。
『今晩、泊まっていける?』
『うん』
だとか、もう味わう事のできない、
“つき合っているからこそのトキメキ”
をぶつぶつと後悔し、英梨はハネムーンのリゾート地で拗ねていた。
「だから、これからは毎日“愛している”って言うから。その代わり英梨も俺の顔見たら“愛してる”って言うんだぞ」
諗はそんな英梨にすり寄り、ひょいっと顎を持ち上げるとぱくっと彼女の唇にキスをした。
「嫌だ、無理! 絶対恥ずかしいって」
彼女は最後の悪あがきをした。
おしまい♪
最後までおつき合い頂き、ありがとうございました♪
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