異世界召喚されたボディビルダー、ポージングだけで人間と魔族を黙らせる
「ヴァルグ・ゼノア! ノルド・マヴァル! ヒュム・ギルア!」
(動くな! 魔族の新兵器か! 人間側へ近づけるな!)
「ザグル・クラグ! ヒュム・セイム! マヴァル・ノルス!」
(そいつを囲め! 人間どもの召喚兵器だ! 魔族の陣へ入れるな!)
もちろん、俺には何ひとつ分からなかった。
目を開けた瞬間、俺は戦場のど真ん中にいた。
右には鎧姿の兵士たち。
左には角や牙を持つ魔族たち。
両方とも武器を構え、両方とも血まみれで、両方とも俺を見て固まっている。
俺の足元には、半分砕けた石の魔法陣があった。
人間側から飛んできた白い光と、魔族側から伸びた黒い炎が、ちょうどそこでぶつかっている。
たぶん、そのせいで何かが暴発した。
そして俺が出た。
戦場の奥では、森が青黒く燃えていた。
人間も魔族も、その炎を相手の仕業だと思っているらしい。
少なくとも、怒鳴り声と武器の向きはそう見えた。
俺は黒いタンクトップにハーフパンツだった。
大会前日の最終確認中、そのままの格好である。
半年かけて絞った腕も肩も脚も、隠す気がない。
そして何より、照明が最悪だった。
夕方の逆光で、腹筋の影が妙に浅い。
「待て。今の俺を見るな。光が悪い」
「ロウガ・ゼノア! ヴェルド・ギルア! アルス・ノルド!」
(名を名乗れ! どちらの陣営の者だ! その肉体は何だ!)
「ドグマ・ゼノア! ヒュム・クラグ! ザルド・ナイン!」
(答えろ! 人間の兵器か! 武器はどこに隠している!)
「何て!? 敵扱いされてることだけは分かる! 俺は怪しい者じゃない! 佐藤健二、三十二歳! 職業、プロボディビルダー! 独身!」
「グラン・ヴァルド! ゼノア・ラギア!」
(叫んだぞ! 異界の呪文か!)
「ザグル・ノルス! メギア・クラグ!」
(声を封じろ! 術が発動する前に止めろ!)
人間側の弓が、さらに深く引かれた。
魔族側の杖も、さらに黒く光った。
「さらに激怒した!? 独身が悪いの!?」
通じない。
名前も、職業も、独身も、減量の苦しみも通じない。
右からも左からも殺意が来る。
「待て待て待て。俺はどっちの味方でもない。というか、ここがどこかも分かってない」
人間の騎士が槍の石突きで地面を叩いた。
魔族の戦士が牙をむき、俺の足元を指す。
たぶん、跪けとか、動くなとか、そういう圧だ。
だが、断る。
大会前日の脚は、立っているだけで精一杯だ。一度膝をついたら、立ち上がる時に大腿四頭筋が泣く。
俺は両手を上げた。
降参のつもりだった。
人間側が弓を引く。
魔族側が杖を光らせる。
「なんでだよ! 降参ポーズは万国共通じゃないのかよ!」
矢じりと魔法の光が、同時に俺へ向いた。
終わった。
俺の人生、異世界で五分もたなかった。
その瞬間、体が動いた。
両腕を上げる。
肘を曲げる。
腹を締める。
脚も抜かない。
正面を向いたら、この形になる。
フロントダブルバイセップス!
(正面から肉体の完成度を示す、基本にして王道のポーズ!)
「殺すなら殺せ! せめて上腕二頭筋だけでも見ていけ!」
矢が止まった。
魔法の光も止まった。
人間側の神官らしき老人が、杖を落とした。
魔族側の黒いローブの女が、口元を押さえた。
兵士も、魔族も、全員が俺を見ている。
「アルス・メギオン、ヴァルド・セイラ、ノルド・ザルド、ミラ・オルガ……!」
(あ、あれは古き聖句の第一節! 真の勇者にしかできぬ、己が正面を神へさらす姿! 武具を持たず、敵意を隠さず、鍛え抜かれた両腕で“我は逃げも隠れもしない”と告げる誓いの形! なんということだ……! なんという御姿か……!)
「グラド・メギア、ゾルド・ノルス、ヴェイン・オルガ……!」
(魔族の古伝にも残る第一の姿! 刃を捨て、正面より立ち、己の肉体のみで争いの前に現れる者! 失われし勇者の形だ……!)
「何て!? なんで両方とも急に泣きそうなの!?」
右も左も、明らかに空気が変わった。
さっきまで殺す気だった人間が膝をつき、魔族まで武器を下げている。
俺には意味が分からない。
だが、見られている以上、雑なポーズはできない。
俺は右半身を前に出し、胸を張った。
サイドチェスト!
(胸の厚み、腕、肩、脚を横からまとめて見せるポーズ!)
「トーラ・カルディア、ゼルム・ノヴァ、リグ・ヴェルム、カルディア・オルス……!」
(聖句第二節! 胸を隠さず、横より誓いの厚みを示す勇者の姿! 心臓を守る胸郭をあえて神前へ示し、偽りなき契約を人と魔の前に刻む形!)
「ザルガ・トーラ、メギド・ヴェルム、ノルド・カイム……!」
(魔の古伝にも同じく刻まれし誓いの姿! 胸を閉ざさぬ者に、偽りは宿らぬ!)
「盛り上がるな! 俺はまだ何も分かってない!」
人間側から、古い巻物が開かれた。
魔族側からも、黒い石板が掲げられた。
そこには、同じような絵が描かれていた。
両腕を上げる男。
胸を張る男。
背中を見せる男。
そして、全身の筋肉を前に集める男。
人間と魔族は、殺し合いの真っ最中だった。
なのに、その絵だけは、両方が知っているらしい。
「なにこれ。両陣営共通のポーズ表?」
俺の言葉は通じない。
だが、巻物と石板を見て、人間も魔族もざわついている。
どうやら俺のポーズが、その古い絵と一致してしまったらしい。
この世界、言葉より筋肉のほうが神聖らしい。
人間の神官が、震える指で巻物の三つ目の絵を示した。
魔族のローブ女も、石板の同じ絵を指す。
背中を向けて、両腕を曲げている男。
「背中指定か」
俺は、人間と魔族がにらみ合う場所へ歩いた。
どちらに向けばいいのか分からない。
だから、巻物と石板の絵に合わせることにした。
怖いに決まっている。
剣も槍もある。
魔法も飛んでいる。
だが、今は前を向いて威張る場面じゃない。
俺は背中を向け、両腕を曲げた。
バックダブルバイセップス!
(背中を向けて両腕を曲げ、背中と腕の強さを示すポーズ!)
戦場から音が消えた。
背中がつりそうになる。
脚も震える。
だが、ここで閉じたら負けだ。
俺は背中を広く見せるように、肩甲骨を寄せすぎず、腕を張った。
「ゼヴァン・メギオン、グランディア・ノルド、カルマ・ロウガ、ミラ・ザルド……!」
(あ、あれは聖句第三節! 背を向けてなお逃げぬ者の姿! 斬られる覚悟で争いの間に立ち、その背に罪と命と沈黙を負う、守護者の形! あの背は、争いを止める背だ……!)
「ゾルド・ゼヴァン、ガルド・オルガ、セイラ・ノルス……!」
(魔の古伝に曰く、真の勇者は背をもって争いを隔てる! その背を越えて刃を振るう者は、魔にも人にもあらず!)
「お前ら、俺の背中に何を見た!?」
最初に剣を下げたのは、人間の兵士だった。
次に、魔族の戦士が槍を下げた。
戦場の音が、遠くなる。
勝ったのか。
負けたのか。
何が解決したのか。
何も分からない。
人間の神官が巻物の最後を開いた。
魔族のローブ女が石板の最後を示した。
肩と胸と腕を、前へ集めた男。
それまでの絵とは、空気が違った。
正面から誇る形でもない。
胸を張って誓う形でもない。
背中で争いを隔てる形でもない。
全身を前へ固め、何かを受け止める形だった。
「いや待て。その絵、絶対に最後のやつだろ」
人間も魔族も、息をのむ。
神官は泣きそうな顔で俺を見る。
ローブ女も、震えながら俺を見る。
その時だった。
燃える森の向こうから、黒い影が立ち上がった。
人間でも魔族でもない。
煙が固まったような巨体。
顔のない頭。
枝みたいに長い腕。
その足元で、まだ消えていなかった火が、青黒く燃え上がる。
「フィニス・ロウガ! クラグ・ヴェルド!」
(終わりの影だ! 森を焼いた災いだ!)
「ノルド・ヒュム! ノルド・マヴァル! ゼグラ・カイム!」
(人間でもない! 魔族でもない! あれが火を放ったのだ!)
意味は分からない。
だが、分かることはある。
人間が青ざめた。
魔族も青ざめた。
さっきまで互いに向けていた武器が、今度は同じ影へ向いた。
つまり、あれが一番まずいやつだ。
「最初から出てこいよ! 俺を挟むな!」
黒い影が腕を振り上げた。
火の粉が降る。
逃げたい。
今すぐ逃げたい。
でも、脚が動かない。
大会前日の体は限界だったし、さっきからポーズを取りすぎている。
黒い腕が落ちてくる。
俺は歯を食いしばった。
足を開く。
腹を固める。
肩を前へ出す。
胸を寄せる。
腕を前に集める。
モストマスキュラー!
(肩、胸、腕、腹を前へ集め、全身の筋肉量を正面に示すポーズ!)
黒い影の腕が止まった。
人間の神官が、巻物を抱えて叫んだ。
魔族のローブ女も、石板を掲げて叫んだ。
「オルガ・メギオン、セイラ・グランディア、ノルド・フィニス、ミラ・クラグ……!」
(英雄聖句の終節! 真の勇者が人と魔を背にし、己の肉体を最後の盾として差し出す姿! 剣を持たず、盾を持たず、ただ鍛え抜かれた全身で災いを受け止める、英雄の形!)
「グラン・オルガ、ゾルド・セイラ、ヴェルム・ノルド、フィニス・メギオン……!」
(魔の古伝に残る終わりの英雄! 争う者たちを背に、災いの前に立ち、己の全てを前へ集める者! その姿を越えて進む災いは、災い自身が膝を折る!)
「何て!? なんで敵まで止まった!?」
黒い影が震えた。
俺は何もしていない。
殴っていない。
蹴っていない。
ただ、足がつりかけた体で、全身に力を入れているだけだ。
だが、黒い影は一歩下がった。
人間の兵士が叫ぶ。
魔族の戦士が叫ぶ。
もちろん意味は分からない。
ただ、さっきまで敵同士だった声が、今は同じ方向へ向いていた。
神官が巻物の一番上を指す。
ローブ女が石板の一番上を指す。
次に二番目。
次に三番目。
そして最後。
まさか。
コンボ指定か。
「いや、俺もう限界なんだけど!?」
通じない。
期待の目だけが増える。
黒い影が、もう一度腕を上げた。
「くそっ、知らんぞ!」
俺は正面を向いた。
フロントダブルバイセップス!
(正面から肉体の完成度を示す、基本にして王道のポーズ!)
「アルス・メギオン、ヴァルド・セイラ、ノルド・ザルド!」
(第一節! 敵意なき正面! 争いの前に立つ者!)
横を向き、胸を張る。
サイドチェスト!
(胸の厚み、腕、肩、脚を横からまとめて見せるポーズ!)
「トーラ・カルディア、リグ・ヴェルム、セイラ・オルス!」
(第二節! 胸を隠さぬ誓い! 偽りなき契約の形!)
背中を向け、両腕を曲げる。
バックダブルバイセップス!
(背中を向けて両腕を曲げ、背中と腕の強さを示すポーズ!)
「ゼヴァン・メギオン、グランディア・ノルド、ミラ・ザルド!」
(第三節! 争いを隔てる守護者の背!)
最後に、全身を前へ集める。
モストマスキュラー!
(肩、胸、腕、腹を前へ集め、全身の筋肉量を正面に示すポーズ!)
「オルガ・メギオン、セイラ・グランディア、ノルド・フィニス!」
(終節! 災いを肉体で受け止める英雄の形!)
黒い影が、膝をついた。
膝があるのかどうかも怪しかったが、とにかく崩れた。
煙の体が地面へ沈み、青黒い火が消えていく。
森の向こうの炎も、少しずつ弱まっていった。
人間が膝をついた。
魔族も膝をついた。
さっきまで殺し合っていた全員が、同じように俺へ頭を下げている。
「……いや、誰か一人くらい説明してくれ」
もちろん、誰の言葉も分からない。
説明されても分からない。
その日、俺は人間と魔族と、ついでに両方を戦わせていた黒い災いをまとめて黙らせた。
一発も殴らずに。
ただ、明日の大会に出られるかだけは、最後まで分からなかった。
言葉は通じませんでした。
筋肉は通じました。
ジム通いで助かりました。




