時計の針は戻らない
「同じやつ、もう一杯だ。」
逆さまになったジョッキの底に酒は一滴も残っていない。青年は腹立たしげな様子で店主に酒を頼む。
「いいけどあんた、金はあるのか?」
「ツケておいてくれ。」
「…はいはい。俺は払ってくれさえすれば誰でも構わないけどさ、たまには自分で払いなよ?」
「そのうちな。」
店主はいつもの分かりきった問答を繰り返し、新しいジョッキに酒をつぐ。
「はいよ、おまちどう。」
店主がテーブルに並べたのは、酒がなみなみと注がれたジョッキと出来たての肉料理。溢れる肉汁と刺激的なスパイスの香りに喉がゴクリと鳴る。
「これ、頼んでないぞ。」
「サービスだよ。あんた面倒くさがってすぐに食事を抜くだろう。
そんななりしててもあんたは俺たちの英雄だ。あんたがいなけりゃ俺達は堂々とお天道様の下なんか歩けなかったからな。」
「こんななりで悪かったな。そもそも日の下なんざ勝手に歩けばいいだろ。」
「勝手に歩けりゃ苦労しなかったんだけどなぁ。」
青年と同じ灰がかった黒い肌に銀色の髪をした店主は乾いた笑いを零す。そんな店内の様子も知らず、カランカランとチャイムの音を鳴らし、表の扉から1人の男性客が入ってくる。
「お、きたきた。」
店主は目深にフードを被った怪しげな客を、とても繁盛しているとは言い難い店内に愛想よく案内する。
「オスカーはいるかい。」
「お待ちしていましたレオニダス様、オスカーなら先にこっちで飲んだくれてますよ。」
「いつも迷惑をかけるね。今日も代金は2人分まとめておいてくれるかな。」
「迷惑だなんてそんなそんな。国王陛下に贔屓にして頂けてこっちは願ってもない事ですよ。」
輝くような金色の髪に真っ青な瞳。場末の酒場に似合わぬ風貌を持つ彼の名はレオニダス。この国の国王だ。
「ひと月ぶりかな、待たせたね。」
「遅かったな。」
「君が森から出てきていると聞いていたけれど、なかなか城から離れられなくてね。随分と飲んでいるみたいだけれど1人で帰れそうかい?」
「どう思う?」
「宿を手配させておこう。」
レオニダスは慣れた様子で店主に硬貨を渡し酒と宿屋の用意をさせる。
「お前は?」
「君を部屋まで送ったら城に戻るよ。」
「大切なお妃様と息子達が待っているからか?」
「年のせいか夜遊びが堪えるのさ。」
「はっ、よく言うぜ。」
半人半神であるレオニダスがこれ以上肉体的に老いることは無い。その証拠に彼の相貌は出会ってこの方まったくと言っていいほど変わらない。…それは、俺自身もにも言える事なのだが。
「まだ僕を恨んでいるのかい。」
「さぁ、どうだかな。」
別に隠すつもりは無い、不満たらたらといった様子でそうレオニダスに返事する。
「…息子が成人したら国王の座を譲るつもりだ。」
その言葉に、思わず体がピタリと止まる。
「そうすれば私はただの隠居老人だ。それまで待っていてくれるかい。」
「…。」
「今さらだとは分かっている。無理を言うつもりはないよ。」
隠居など、できるものか。
レオニダスは人々の心まで荒れ果ててしまった大地に国を興した。血の滲むような苦労も厭わずレオニダスは人々に尽くした。しかしレオニダスが尽くせば尽くすほど、人間は求めた。
人間はレオニダスを手放さないだろう。レオニダスも手を伸ばす人間を見捨てはしないだろう。そして、俺の事も。
見えない鎖に雁字搦めにされ、己を殺し続けるレオニダスを見ていると無性に腹が立って仕方がない。
「お前が国を造るだなんて言い始める前に、どこか遠くへ連れ去ってしまえば良かった。」
「オスカー…。」
「俺が我慢ならなくなる前に、迎えに来いよ。」
「あぁ、必ずだ。約束しよう。」
レオニダスと出会ったきっかけは、ずっと昔。住処にしていた森の奥深くでの出来事だ。魔族がはびこる暗闇の時代。あいつは腕の立つ魔術師を探して辺境の森までやってきた。
「あなたはこの森に住まう魔術師様ではありませんか?私はレオニダス。どうか、魔王を打ち倒すために手を貸して下さい。」
突如現れた旅人を俺は鼻で笑い飛ばした。忌み嫌われるダークエルフの住処にわざわざ土足で踏み込んでまで何の用事かと思いきや、聞くに足らない話らしい。
「魔王を倒す、ねぇ。どんな理由があってそんなに面倒な事をしに行くんだか。」
「旅の占い師に言われたんです。私は魔王を打ち倒すことができる勇者だと。人々を救うために今すぐ旅立たないといけないと。」
「勇者ねぇ。ありがたいお告げの後、その占い師とやらにやたらと高い剣やら薬草なんかを売りつけられなかったか?」
「仰る通り占い師から旅に必要な装備や道具を買いました。どうしてご存知なのですか?」
「そりゃあお前、昔っからある詐欺商法だからだよ。
怪しい水晶玉を覗きながら『あなたは勇者です』なんて吹かしておいて、いい気になった相手にそこいらのガラクタを高い値段で売り付けるんだ。」
「詐欺?そんな、まさか。」
「そんな高い金を出してまで買った物に興味がある、見せてみろ。」
レオニダスは疑う素振りも見せず荷を手渡す。
(育ちも悪くなさそうだが、根っからのお坊ちゃんなのかね。)
俺は呆れながらその荷を覗き込み、絶句した。
「…師。」
「はい?」
「占い師。名前はなんて言ってた。」
「彼はモーリスと名乗っていました。この森に腕の立つ魔術師がいると教えてくれたのも彼です。そういえば少しあなたと雰囲気が似ていた気がします。」
「似てるって、耳くらいだろうがよ。」
俺が知っている名前とは違うようだが、どうにも見知った顔が頭から離れない。
長い耳に白い肌、白金の髪をしたハイエルフ。エルフ共を束ねる上位種の姿が。
「…買い出しの予定もあったし、少しだけお前の旅に付き合ってやる。満足したらさっさと故郷に帰れ。」
「本当ですか!」
レオニダスはぱっと顔を明るくする。
こいつの話が本当ならば、適当な理由を付けて追い返す訳にはいかなくなった。実に腹立たしい話だが、あいつの『予言』はよく当たる。多少面倒だろうがあいつがそうすべきだと言うのならば、その話に乗っておくに越したことはない。
「一体俺に何をさせるつもりなのかね、師匠は。」
何にしろそう簡単な事ではないだろう。森を出る時の嫌な予感は的中した。
『魔王を討つ。』
そんな大口を叩くだけの事はあり、レオニダスの剣の腕前はそれなりだ。体も頑丈で多少の炎じゃビクともしない。前衛としては申し分のない人材だ。
けれども魔術に毒、罠に金勘定…あまりにも弱点が多すぎやしないか?レオニダスの寂しい懐を温めるため、道中ダンジョンに寄ったはいいものの、外に出るまで気が気でなかった。
「お前、俺がいなかったらこれからどうするつもりだったんだ。丈夫とはいえただじゃ済まない所だったぞ。」
「何度も助けていただき、ありがとうございます。本当に言い訳の仕様もありません。」
「はぁ…まったく。」
溜め息を付きながら、腰を下ろし傷の手当てをしているとレオニダスが目を輝かせる。
「魔術師様は実に多才ですね。魔術は勿論、剣だけでなく罠の解除に癒しの呪文まで、それだけの実力をお持ちなら引く手あまたなのではありませんか?」
「魔術師様だなんてやめろ、オスカーでいい。
俺に何ができた所で、醜いダークエルフな事に違いはない。俺達が表に出れば手を引かれる前に四肢を裂かれて終いだろうよ。」
「どうして、そんな仕打ちを受けなければいけないのですか。」
「どうしてって、お前相当な田舎から出てきたんだな。人間は神の代弁者を名乗るエルフ連中を信奉している。神を信じず、侮辱する存在のダークエルフはまぁ嫌われるだろうさ。」
「オスカーは、こんなにも親切な人なのに。」
レオニダスがくしゃりと顔を歪ませる。
「見ず知らずの他人のためにわざわざそんな顔するな。いいんだよ、俺達は慣れてるから。
さっさと近くのキャラバンでアイテム換金して、必要な物を調達したら帰るぞ。お前も故郷に帰る分の水と食料買ったら帰れ。お前に旅は向いてない。」
本音だった。このままじゃレオニダスは魔王城に辿り着く事もできない。諦めきれず悔しさを滲ませるレオニダスを引き連れ、馴染みの訳ありキャラバンへ向かおうとした矢先だった。
「今向いてなくてもこれから努力すればいい。1人でできないなら他者の力を借りればいい。」
「は?」
俺の視線の先に立っていたのは長いターバンで髪と耳を隠した長身の男性。そして。
「あ、モーリス様。」
「ティベラ!!」
俺とレオニダスは同時に彼の名前を呼んだ。
「久しぶり、レオニダス。
そしてそんな埃臭い名前は止めてくれオスカー。今の私は旅人のカーリムだ。」
彼はまるで子供に言い聞かせるかのように俺の頭を撫でる。俺は苦虫を噛み潰したような顔でティベラ、師匠の手を振り払った。
「お二人はお知り合いだったのですね。」
「あぁ、そうさ。無事にオスカーを森から連れ出せたようだね、レオニダス。えらいえらい。」
レオニダスはキョトンとした顔でそう尋ね、師匠は嬉しそうに頬を緩める。
「その一方でオスカー、お前はお使いの1つもこなせないのかい?」
「使いっ走りに魔王の首なんて頼むな!そもそもそんな物持って帰ってきて一体どうなる。なんの得もないだろう!」
「そうかな。魔王を倒せば君達は英雄だ。金に名声、地位だって手に入るんじゃないかな。」
「名声、地位…。」
レオニダスがそう小さく呟いた。
「それになにより、お前は森に閉じこもりすぎだ。もう何年あそこで引きこもっている?」
「90、いや100年、くらい…?」
「100年もあれば世界も少しは変わっている。心機一転、社会勉強して来るといい。」
「…どっちにせよもう少しこいつに付き合えって事か。はいはい、分かりましたよ。」
師匠と言い争った所で無益だ。この人は断った所でどこまでも執拗に付いてくる。それに、返しきれないほどの恩がある。
「そういやちょうどあんたに会えたら聞きたい事があったんだ。あんたレオニダスに色々売りつけたみたいだけど、あの剣どこから持って来た。」
レオニダスが買い取った商品はどれもこれも貴重な品ばかりだった。その中でも一際目を引いたのが長剣。
何重にも重ねられた複雑な魔術に、名のある職人が丁寧に研ぎ上げたであろう刃先。伝承にある聖剣を思い出させるこの一品は、そんじょそこいらで買えるような代物ではないと言い切れる。
「そりゃあ聖剣がある場所なんて1つだけだろう。ハイエルフの隠れ里だよ。」
「…許可は?」
「指名手配犯の私が取れるとでも?この前報奨金の金額がまた上がったんだ、見るかい?」
思わず頭を抱えた。師匠は悪びれる様子すら見せない。
「どうせ捕まった所で、あんたならそこまで重い罪には問われないだろう?100年くらい牢で反省してきたらどうだ?」
「そんな退屈な思いまっぴら御免さ。
お前、物を隠すのは得意だろう?神に選ばれただのなんの、上手いこと言っておいてくれ---。」
師匠の声が遠くなり、俺はパチリと目を覚ます。
年季の入った薄暗い客室を月明かりがほのかに照らしている。妙に冴えてしまった瞳を擦りながら重たい体を起こすと、頭が割れるように痛む。
「いっッッ…!」
そうだ。今日も月が昇る前からずっと飲み続けていたんだ…。これだから、酒は嫌いだ。苦くて、渋くて決して美味くはない。飲めば必ず頭が痛み、吐き気を催す。正直言って毒とそう大差ないだろう。
でも、こうやって飲んでいれば、あいつが心配して俺の事を探しに来る。
「ははっ、何やってんだか。」
情けなくて涙が出てしまいそうだ。
俺はあいつと一緒に森を出て、魔王を打ち倒した。
目的を達成して、俺はあいつを連れて森に帰るつもりだった。あいつが望むのならレオニダスの故郷に付いて行ってもいいと思っていた。でもあいつはどちらも選んでくれなかった。
魔王に踏み荒らされた人々の苦しむ姿に耐えきれなかったからだ。当時魔王最後の悪あがきのせいで国という機能の大部分は崩壊し、畑は燃やされ、人々は明日生きるための食料を奪い合っていた。誰かが救い、導いてやる必要があった。
「そんなの、エルフ連中にさせればいい。」
何の考えがあってか、レオニダスは頷かなかった。
(このままじゃ駄目だ。)
レオニダスは魔王を討った張本人、勇者だ。新しく国を造ると言い出しても反発する声は少ないだろう。そしてきっと、虫のように群がってきた大衆にレオニダスは食い潰される。
「なら、俺も付いていってやる。」
国王の相談役として、城の魔術師として必死に知恵を絞った。お前に見せられないような醜い連中は全て秘密裏に始末した。本当に面倒くさくて面倒くさくて、1人で森に帰らなかった事を何度も後悔した。けれど、お前があんまりにも嬉しそうに「ありがとう」と微笑むから俺は城に留まり続けた。あの日までは。
レオニダスが、女を娶った。人々が「次のお世継ぎを。」と求めたからだ。分かってる。それは必要な事で、俺にはできないことだ。だけど、お前の横に立てるのは、俺1人だけだと思っていたのに。
俺は逃げた。逃げるようにして1人森に帰った。けれどあいつの事が忘れられなくて、こうして酒に溺れた---。
「すまない、目が覚めたかい。」
音に気づいたのか、部屋の外にいたレオニダスが入ってくる。手にはよく磨かれた水差しとガラスのカップを持って。
「水を貰ってきたから飲むといい。ほら、自分で飲めるかい?」
「…飲めない。」
「今日はまた随分と酔いが回ってるみたいだね。」
カップに水を注ぎ替えると、レオニダスがベッドの横に腰掛ける。差し出されたカップの水をゴクリゴクリと喉の奥に流し込むと、火照った身体が冷めていくようだ。
「痛い思いをしたくなかったらもう少し考えて、…ムグッ!」
レオニダスの肩を押し倒す。青みがかった桃色の唇を舌でこじ開け、味わい尽くすかのように堪能する。レオニダスは目を細め、そっと体を預ける。その気になれば俺を押し退けるくらい容易いことだろうに。
「お前も酒、飲んでいただろう。お裾分けだ。」
「へぇ、そいつはどうも。」
レオニダスは身を起こすと俺の首筋にカプリと歯を立て、傷跡をそっと舌でなぞる。
「寂しがり屋な君にお返しだ。」
「はっ、言うようになったじゃねぇか。」
「これも君のせいかな。…それじゃあいい時間だし、城に戻るよ。」
「あぁ。」
不完全燃焼のまま、レオニダスは立ち上がる。
引き止める勇気は無い。追いかける気力も無い。だってあいつに嫌われたくないから。
「次はもっと早く来いよ。」
そう一言、絞り出すので精一杯だった。




