よく忘れてしまうけど
家がある。
鍵を回せば、自分の居場所がちゃんとそこにあって、
靴を脱ぐ場所も、荷物を置く場所も決まっている。
お風呂は、入りたい時に入れる。
蛇口をひねればお湯が出て、
今日は少しぬるめにしようか、なんて気分で温度を選べる。
それが特別だなんて、考えたこともなかった。
ご飯もそうだ。
空腹は、基本的に我慢するものじゃない。
冷蔵庫を開ければ何かしらあって、
最悪コンビニに行けばどうにでもなる。
お腹いっぱいになる、という行為に、
努力も覚悟もいらない。
夜は、安心して眠れる。
屋根があって、壁があって、
誰かに追い出される心配もなく、
明日の朝が来ることを疑わずに目を閉じる。
こういう幸せを、
生まれた時からずっと与えられてきた。
だから、たぶん。
今の生活が「とんでもなく幸せだ」と言われても、
ピンとこないのだと思う。
欠けたことがないものは、
満たされていると気づきにくい。
失ったことがないものは、
ありがたさとして形を持たない。
不満がないわけじゃない。
むしろ、細かい不満ならいくらでも思いつく。
でもそれは、この土台があるからこそ
出てくる贅沢なノイズみたいなものだ。
誰かが必死で手に入れた「普通」を、
自分は最初から持っていただけ。
それだけの話なのに、
それを誇ることも、卑下することもできずに、
ただ当たり前として生きている。
幸せに鈍感になったんじゃない。
ただ、幸せの基準線が、
最初からずっと高い位置に引かれていただけだ。
今日も、家に帰って、
お風呂に入って、
ご飯を食べて、
安心して眠る。
それを幸せだと感じなくても、
それが幸せじゃないわけじゃない。
たぶん、そういう世界で、
僕は静かに生きている。




