お部屋を探検するぬい
朝、らむが部屋を出ていった。
「ちょっと買い物行ってくるね、らむぬい」
そう言って、僕の頭を撫でてから、バッグを持って玄関へ向かう。ドアが閉まる音。鍵をかける音。それから、静寂。
僕は、ベッドの上で動かないまま、しばらく待った。らむの足音が完全に遠ざかるまで。エレベーターの音が聞こえなくなるまで。念のため、さらに数分。それから、ゆっくりと体を起こした。
誰もいない。らむの部屋に、僕だけ。
こんな状況、リスナーとしてあり得ない。推しの部屋に一人でいるなんて、普通なら絶対に許されない領域だ。でも、今の僕はぬいぐるみだ。らむが置いていった、ただのぬいぐるみ。
それでも、胸の奥に罪悪感のようなものがある。見ていいのか。知っていいのか。らむの私生活を、こんなふうに覗いてしまっていいのか。
でも、僕は動いた。ベッドから降りて、部屋の中を見回す。
らむの部屋は、思ったより狭かった。ワンルーム。ベッド、デスク、クローゼット、それから小さなキッチンスペース。配信用の機材がデスクの上に並んでいる。モニター、マイク、ライト。画面越しのイラストじゃない。実物だ。
壁には、何枚かポスターが貼ってある。アニメのキャラクター。ゲームのイラスト。それから、手書きの目標リストみたいなものも。「登録者10万人」「オリジナルグッズ制作」「コラボ配信5回」。達成済みのものには、赤いペンでチェックが入っている。
僕は、ゆっくりと部屋の中を歩いた。ぬいぐるみの体で歩くのは、思ったより難しい。足が短いし、バランスも取りづらい。それでも、少しずつ慣れてきた。
デスクの横に、段ボール箱がいくつか積まれている。中を覗くと、グッズのサンプルらしきものが入っていた。アクリルスタンド、缶バッジ、ステッカー。どれも、らむのアバターがプリントされている。まだ発売前のものだろうか。
それから、クローゼットの前を通り過ぎる。扉は少しだけ開いていて、中には服がぎっしり詰まっている。私服。配信では見たことのない、普通の服。らむが、普段着ているもの。
僕は、それ以上見るのをやめた。ここから先は、越えてはいけない気がした。
代わりに、デスクの反対側に目を向ける。そこには、小さな棚があった。本棚、というより、雑貨を置くための棚。上には観葉植物。真ん中の段には、何冊か本が並んでいる。裁縫の本。手芸の本。それから、ぬいぐるみの作り方みたいなタイトルの本も。
その下の段に、小さな箱があった。木製の、手のひらサイズの箱。蓋がついていて、表面には小さな三日月のマークが彫られている。
僕は、その箱に近づいた。そっと、手を伸ばす。でも、鍵を開けられない。ぬいぐるみの手では、細かい作業ができない。。
諦めかけたとき、箱の蓋が少しだけずれているのに気づいた。完全には閉まっていない。隙間から、中が見える。
糸だった。色とりどりの刺繍糸が、きれいに巻かれて入っている。紫、黒、金色。それから、小さな針と、ボタンがいくつか。
これ、もしかして。
僕は、自分の体を見下ろした。淡いラベンダーパープルの毛並み。黒いリボン。金色の三日月の刺繍。そして、紫色のボタンの目。
らむが、作ったんだ。このぬいぐるみを。
手作り。自分の手で、一針一針縫って。形にした。
らむは、裁縫が趣味だと言っていた。配信で、たまに話していた。
「最近、ぬいぐるみ作りにハマってて」って。
でも、それがこのぬいぐるみだったなんて。
僕は、棚の前でしばらく立ち尽くしていた。
どれくらい時間をかけて作ったんだろう。どんな気持ちで、一つ一つのパーツを縫い合わせたんだろう。目のボタンを選ぶとき、何を考えていたんだろう。
わからない。でも、わかることが一つだけある。
らむは、このぬいぐるみを大切にしている。
配信のとき、膝の上に置く。疲れたとき、話しかける。寝るとき、そばに置く。
それは、ただのぬいぐるみだからじゃない。らむが自分で作った、大切なものだから。
僕は、棚から離れた。それ以上、見るのはやめよう。
部屋の中を歩いて、ベッドに戻る。元の位置に、できるだけ正確に。らむが出ていく前と、同じ場所に。同じ向きで。
そして、動きを止める。
静寂が戻ってくる。部屋は、また何もなかったかのように静かだ。
僕は、ただのぬいぐるみに戻る。
でも、知ってしまった。らむが、このぬいぐるみをどれだけ大切にしているか。この体が、どれだけの時間をかけて作られたか。
僕は、推しの幸せを願ってここに来た。認知されるためじゃない。名前を呼ばれるためでもない。ただ、らむが笑っていてくれるなら、それでいい。
そばにいる。それだけで、十分だ。
しばらくして、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま〜、らむぬい」
らむの声。
足音が近づいてくる。部屋のドアが開いて、らむが顔を出す。買い物袋を持ったまま、僕のほうを見て、小さく笑った。
「ちゃんと待っててくれたね」
らむが、僕の頭を撫でる。
僕は、動かない。ぬいぐるみとして、ただそこにいる。でも、心の中で思う。
おかえり、らむ。
---
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
これは、推す人と推される人、両方の目線で紡ぐ物語です。
配信の向こうで応援する日々。画面越しに聞こえる声だけが支えだった時間。そして、その声の主のそばで過ごすことになった不思議な日常。推す側と推される側、それぞれが抱える想いや孤独。その両方を知った主人公が、ぬいぐるみとしてどう寄り添っていくのか。
この物語を通して、「こんな推し方もあるんだ」と感じていただけたら嬉しいです。
もし楽しんでいただけましたら、評価やブックマークをしていただけると大変励みになります。また、感想やコメントもお待ちしています。あなたの推し活の記憶と重なる瞬間があったなら、ぜひ教えてください。
そして、「らむぬいにこんな風に動いてほしい」「こんなシーンが見たい」といったリクエストも大歓迎です。ぬいぐるみができる範囲で、皆さんのアイデアを物語に取り入れていきたいと思っています。気軽にコメント欄でお聞かせください。
それでは、次回もよろしくお願いします。
ほぼ毎日22:10更新中
---




