そっと触れる手
配信が始まる。
「こんらむ〜♪」
いつもの挨拶。いつもの声。いつもの、紫月らむ。
僕はらむの膝の上にいた。
配信前、らむは何も言わずに僕を抱き上げて、そのまま膝に乗せた。ぬいぐるみを膝に置いて配信する配信者は珍しくない。きっと、らむにとってもいつものことなんだろう。
でも、僕にとっては違う。
膝の上は、温かかった。
布越しに伝わる体温。ときどき、らむが姿勢を変えるたびに、僕の体が少しだけ揺れる。マイクに向かって話す声が、真上から降ってくる。
画面の向こうには、何百人もの視聴者がいる。でも、カメラに映るのはらむのアバターだけだ。部屋も、僕も、映らない。
それでも、僕は動かない。
視聴者の視線は、画面越しにここにある。物理的には見えなくても、"誰かに見られている"という事実は変わらない。
だから、僕は静止する。完全に、ぬいぐるみとして。
「えーっとね、今日はですね〜、最近ハマってるゲームの話をしようかなって!」
らむの声は、いつもより少しだけ高い。
配信用の声だ。
僕は何度も聞いてきたから、わかる。これは、"紫月らむ"としての声。画面の向こうの、みんなに届けるための声。
でも、昨日の夜、部屋で一人になったときの声は、もう少し低かった。
「お疲れ様、らむぬい」
そう言ったときの声は、もっと力が抜けていた。配信は、順調に進んでいく。
らむはゲームの画面を共有しながら、リスナーとやりとりをしている。コメントを拾って、笑って、ときどき冗談を言う。
「え、まって、そんなこと言われても困るんだけど〜!」
笑い声が、真上から響く。
膝の上で、僕は動かない。
でも、心の中では、いつものようにコメントを打っている。
『草』
『らむちゃんかわいい』
『そのリアクション好き』
打てないコメントが、頭の中に溜まっていく。
それでも、僕はここにいる。
画面の向こうではなく、膝の上に。推しの、すぐそばに。
配信が終わったのは、約二時間後だった。
「それじゃあ、今日はこのへんで! またね〜、ばいらむ♪」
いつもの締めの言葉。配信画面が切れる音。
ふう、と小さく息を吐く音が聞こえた。
らむが、背もたれに体を預ける。僕の体が、少しだけ後ろに傾いた。
「……疲れた」
ぽつりと、呟く声。
配信中の明るい声とは、全然違う。
らむは、しばらくそのままじっとしていた。椅子に座ったまま、何も言わずに。
僕は、膝の上で静止したまま、ただ待つ。
やがて、らむが口を開いた。
「……最近、来ないなあ」
誰に言うでもない、独り言。
心臓が、跳ねた。
いや、僕にはもう心臓なんてないはずなのに。
「いつも来てくれてたのに……ここ数日、全然来ない」
らむの声は、どこか寂しそうだった。
「体調悪いのかな。それとも……飽きちゃったのかな」
僕のことを言っているのかわからないが、
違う。そう叫びたかった。
飽きてなんかいない。体調が悪いわけでもない。
ただ、ここにいるだけだ。
君の膝の上に。君のすぐそばに。
でも、言えない。
声も出せない。
「……ずっと応援してくれてたから、なんか、気になっちゃうんだよね」
らむが、僕の頭を撫でた。
ふわり、と優しい手のひら。
「らむぬい、どう思う?」
僕に聞いているのか、それとも自分に聞いているのか。らむは、小さく笑った。
「……ぬいぐるみに聞いてもね」
胸が、痛い。
いや、痛いような気がする。
僕は、推しに心配をかけている。
ここにいるのに、応援できていない。
配信にも行けない。コメントも打てない。
ただ、ぬいぐるみとして、そばにいるだけだ。
らむが、ゆっくりと立ち上がった。
僕は、膝から滑り落ちそうになって、らむの手に支えられる。
「お疲れ様、らむぬい」
そう言って、らむは僕をベッドの上に置いた。
そして、部屋を出ていく。ドアが閉まる音。
静寂。
僕は、ベッドの上で、ただじっとしていた。
どれくらい時間が経っただろう。
らむが、部屋に戻ってきた。
手には、温かそうなマグカップ。多分、紅茶だ。
らむは、ベッドの端に腰を下ろした。マグカップを両手で包み込むようにして持ち、小さく息を吹きかける。
「はあ……」
また、ため息。
「頑張らなきゃな」
呟くような声。
「みんな、楽しみに来てくれてるんだから」
らむは、マグカップに口をつけた。
そして、ふと僕のほうを見た。
「……ねえ、らむぬい」
僕を見つめたまま、らむが言う。
「私、ちゃんとできてるかな」
その声は、とても小さかった。
「楽しいって、思ってもらえてるかな」
答えられない問いかけ。
でも、僕は知っている。
らむの配信は、いつだって楽しい。
らむの声は、いつだってみんなを笑顔にしている。少なくとも、僕はそうだった。
らむの配信があるから、毎日を頑張れた。
らむの声を聞くために、仕事を終わらせた。
らむの笑顔を見るために、画面の前に座った。
それなのに、今は何も伝えられない。
らむが、紅茶を飲み終えて、マグカップを脇に置いた。
そして、ベッドに横になる。
僕は、らむの手の届く位置にいた。
「……おやすみ、らむぬい」
そう言って、らむは目を閉じた。
部屋の明かりは、まだついている。
らむの寝息が、少しずつ規則的になっていく。
僕は、動かない。
まだ、動かない。
でも。
らむの手が、僕のほうに伸びてきた。
寝ぼけているのか、無意識なのか。
らむの指が、僕の手に触れる。
その瞬間、僕は思った。
伝えたい。
何か、一つでいいから。
君は、ちゃんとできてる。
君の配信は、楽しい。
君の声は、誰かの支えになってる。
少なくとも、僕の支えだった。
だから。
僕は、そっと手を動かした。
らむの指を、握り返すように。
ほんの少しだけ。
ぬいぐるみの、小さな手で。
らむは、気づかなかった。
目を閉じたまま、静かに眠っている。
それでいい。
僕は、名乗らない。認知もされない。
ただ、そばにいる。
推しの幸せが、最優先だから。
でも、それでも。
伝えたいことがあるなら、伝えたい。
たとえ、気づかれなくても。
僕は、らむの指をそっと触れたまま、静かに夜を待った。
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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
これは、推す人と推される人、両方の目線で紡ぐ物語です。
配信の向こうで応援する日々。画面越しに聞こえる声だけが支えだった時間。そして、その声の主のそばで過ごすことになった不思議な日常。推す側と推される側、それぞれが抱える想いや孤独。その両方を知った主人公が、ぬいぐるみとしてどう寄り添っていくのか。
この物語を通して、「こんな推し方もあるんだ」と感じていただけたら嬉しいです。
もし楽しんでいただけましたら、評価やブックマークをしていただけると大変励みになります。また、感想やコメントもお待ちしています。あなたの推し活の記憶と重なる瞬間があったなら、ぜひ教えてください。
そして、「らむぬいにこんな風に動いてほしい」「こんなシーンが見たい」といったリクエストも大歓迎です。ぬいぐるみができる範囲で、皆さんのアイデアを物語に取り入れていきたいと思っています。気軽にコメント欄でお聞かせください。
それでは、次回もよろしくお願いします。
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