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意外に動けるらしい

——まずい。

状況を理解して、真っ先に浮かんだ感情はそれだった。

ここは、推しの部屋。

配信環境が整った、紫月らむの“裏側”。


もちろん、顔は見えない。

カメラは使っていないし、

配信画面に映るのは、いつもの可愛いアバターだけだ。

でも。


「……よし、準備できた」


その声が、

イヤホン越しじゃなく、

すぐそばから聞こえる。

僕は今、彼女の膝の上に座らされている——

ぬいぐるみとして。


「今日もよろしくね」


らむは、配信前のルーティンなのか、

自然な動作で僕の頭をぽん、と撫でた。

……やめてほしい。

いや、やめないでほしい。

感情が忙しすぎる。


それより問題なのは——

ちょっと動ける。

試しに、ほんの少しだけ。

指先——もとい、ぬいの手先に意識を集中させる。


ぴく。


……動いた。


「?」


らむが一瞬、手を止めた。

やばい。

反射的に、完全静止。


「……気のせい、かな」


らむは小さく笑って、そのままマイクのスイッチを入れた。


「みんな〜、こんばんは!紫月らむだよ〜」


始まった。

いつもの声。

いつものテンション。

コメント欄が、画面の向こうで一気に流れていくのが想像できる。


——ああ。


これだ。

この瞬間のために、

僕は今まで生きてきた。


「今日も来てくれてありがとう。無理せず、ゆっくりしてね」


推し活あるある。

「無理しないでね」と言われると、

なぜか余計に全力で応援したくなる。


……いや、今日は無理だ。

ぬいだから。なぜならぬいぐるみだから。


でも存在を主張しては行けない気がする。

らむは配信中も、ふとした瞬間に僕を見る。

コメントを読む合間。

水を飲むとき。

笑ったあと。


「……ねえ」


マイク越しじゃない、小さな声。


「今日は、なんか落ち着く」


心臓が、跳ねた。

もちろん、僕が返事をすることはできない。

でも、それでも。ほんの少しだけ。

うなずく代わりに、頭を、ほんの数ミリ傾けた。


「……え?」


一瞬。

らむの動きが止まる。


「……今」


沈黙。

コメント欄は盛り上がっているはずなのに、

この部屋だけ、時間が止まったみたいだった。


「……気のせい、だよね。疲れてるのかな」


そう言って、らむは笑った。

けれど。その笑顔は、さっきより少しだけ、


“確かめるような”色を帯びていた。


——まずい。


でも同時に、

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

推しが、僕の存在に、ほんの少し気づいた。

僕は、この距離で、この時間を、見守ることを選んだ。 ぬいぐるみとして。


コメントしたい。推しの言葉に反応したい。

でもそれは叶わない。真上から聞こえる推しの声。特等席で聴けて嬉しい。でも、反応できない悲しい。わかってくれるだろうかこのジレンマ。


いきなり愛用のぬいぐるみが動いたら、それはもう、ホラーになる。お祓い一直線。

今の自分が生きているのかすら危ういこの状況。

慎重に冷静にならねばならない。

楽しそうに話すらむ。

その声に癒されながら、今の状況を整理する。

今の僕はぬいぐるみだ。某ねずみの王国のお話でも言っていた。


見られてはいけない。


いくら愛用のぬいぐるみでも、いきなり動いたらさすがに怖すぎる。

らむはもしかしたら受け入れてくれるかもしれない。そう思うけど、実際には分からない。画面越しの紫月らむしか知らないのだから。


定期的にらむに撫でられる頭。ぎゅっとされる。幸せな状況ではある。

今は配信を楽しもう。

現実逃避は大事だよね。

そう思いながら特等席で配信を聴いた。


時計の針が頂上で重なる頃。


「じゃあそろそろ今日の配信は終わり!今日も来てくれてありがとう!またねー!」


今日も癒される配信だったな。

らむの配信を聴かないと一日が終わった気がしない。

この数ヶ月毎日聴きに来ていた配信。らむは気づいてくれていただろうか。僕がきていないことに。

気づいても一日ならたまたまかと思うかもしれないけれど。これからも配信にはいけないだろう。

悲しみを堪えながらでも、彼女を支えることができればそれでいい。推しの幸せが僕の幸せだ。


配信が終わり、ヘッドセットを外す。


「ふう、おわったー」


らむはそっと椅子にもたれかかり、ぬいぐるみを高く上にもちあげる。


「動いたような気がしたんだけどなあ」


ラムの視線を正面に受け止めながら、とりあえず動かずじっとする。

ベッドにそっと置かれ、らむは風呂場に向かう。

シャワーの音が、扉の向こうから聞こえてくる。

一定のリズムで落ちる水音。換気扇の低い唸り。


——入った。


らむが、浴室にいる。

それを理解した瞬間、

部屋の空気が少しだけ変わった。

静かだ。配信機材も止まり、部屋にあるのは、生活の匂いだけ。

しばらく動かずにいた。


……今だ。


らむに見せたのは、ほんの一部だけ。

全部を知られる必要はない。少なくとも、今は。


まず、腕。

右。左。

さっきより、少し大きく動かす。問題ない。

次に、足。

何とか立ち上がれる。着地はぎこちないけど、少し跳ねるくらいでは転ばない。

一歩。二歩。ちゃんと、歩ける。

首。左右。上。下。視界が広がる。


……見える。


らむの部屋。

配信で映らない場所。

棚の隅に置かれた雑貨。

開きっぱなしの引き出し。

畳まれたままの部屋着。

すべてが、

「推しの生活」だった。

胸の奥が、きゅっと締まる。


次。

掴む、は無理。

試しに、床に落ちていた小さなメモ用紙に手を伸ばす。


……やっぱり、つまめない。


でも。

両手で、そっと挟む。

ずれない。

落ちない。


「……これが限界か」


声は出ない。

わかっていたことなのに、少しだけ、寂しい。

シャワーの音が、強くなった。


——時間、ない。


僕は慌てて、元いた場所にもどる。

座り方。角度。視線。

できるだけ、

いつものらむぬいに戻す。

最後に、もう一度だけ、確認する。

……動ける。

……歩ける。

……でも、話せない。

……掴めない。

意外に動けるらしい。

そして自分の姿を鏡で見ると、

パステルパープルの、ふわふわしたクマのぬいぐるみだ。

全体的に淡い紫色で、夜明け前の空を少しだけ明るくしたような色合い。

触ると指が沈み込むほど柔らかく、

抱きしめると自然と力が抜けてしまうタイプの質感。

耳は少し丸みが強く、先端にほんのり濃い紫のグラデーション。

月の形を思わせるような、やわらかなカーブを描いている。

目は大きすぎず、小さすぎず。

紫とピンクの中間色で、どこか優しく、少し眠たげな表情をしている。

胸元には、小さな月の刺繍。

金糸で縁取られていて、光の当たり方によって、控えめにきらりと光る。

首元には、細い黒いリボン。

よく見ると、星の模様がさりげなく織り込まれている。

派手ではないけれど、“夜”をテーマにしていることが分かるデザインだ。

手足は短めで、座らせるとちょこんと安定する形。

全体として、「かわいい」よりも「落ち着く」に近い。


そして。


シャワーの音が止まった。

ドアが開く気配。僕は、完全に静止する。


「……ふう、あったまった」


いつもの声。

らむは何も知らない。

それでいい。

——今は、まだ。

---


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


これは、推す人と推される人、両方の目線で紡ぐ物語です。


配信の向こうで応援する日々。画面越しに聞こえる声だけが支えだった時間。そして、その声の主のそばで過ごすことになった不思議な日常。推す側と推される側、それぞれが抱える想いや孤独。その両方を知った主人公が、ぬいぐるみとしてどう寄り添っていくのか。


この物語を通して、「こんな推し方もあるんだ」と感じていただけたら嬉しいです。


もし楽しんでいただけましたら、評価やブックマークをしていただけると大変励みになります。また、感想やコメントもお待ちしています。あなたの推し活の記憶と重なる瞬間があったなら、ぜひ教えてください。


そして、「らむぬいにこんな風に動いてほしい」「こんなシーンが見たい」といったリクエストも大歓迎です。ぬいぐるみができる範囲で、皆さんのアイデアを物語に取り入れていきたいと思っています。気軽にコメント欄でお聞かせください。


それでは、次回もよろしくお願いします。


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