神様違う違う違う、そうじゃ、そうじゃない
これは、推す人と、推される人の物語です。
名前も顔も知らない。
けれど、確かに心を支えてくれる声がある。
そんな“推し”に出会ったとき、
人はどこまで優しくなれるのか。
どこまで、誰かの幸せを願えるのか。
もし、その想いが形を持ったら。
もし、一番近くで見守れる存在になれたら。
これは、推しのそばで過ごすことになったらという少し不思議で、あたたかい日々の話。
どうか、あなたの「推し活」の記憶と一緒に、
この物語を楽しんでもらえたら嬉しいです。
推し活って、宗教に近いと思う。
毎週決まった時間に配信を開き、
通知が鳴れば最優先で駆けつけ、
アーカイブは何度も再生して再生数を伸ばす。
グッズは保存用・観賞用・布教用。
ぬいぐるみは当然、祭壇の中央。
——それが僕の、日常だった。
推しはVtuber。
紫月らむ。
画面越しにしか会えない存在で、
顔も知らない。
知っているのは、声とVtuberのビジュアルだけ。それでも十分だった。
あの声で「おはよう」と言われる朝。
少し疲れた声で「今日もありがとう、みんなちゃんと寝てね」と言われる夜。
それだけで、明日を生きる理由になった。
だから僕は、今日も推し活をしている。
……いや、今日は少し違う。
「よし」
スマホをポケットにしまい、
目の前の鳥居を見上げた。
神社。
推し活がうまくいくと噂の、ちょっと有名な場所だ。
推し活成就、当選祈願、チャンネル登録者数増加——
絵馬の内容はだいたい似たようなもの。
僕も例に漏れず、ここに来た。
鳥居は朱色で、ところどころ塗装が剥げている。新しすぎず、古すぎず。
観光地というより、地元の人に長く使われてきた神社だ。
石段は低く、ゆっくり登れば息が切れるほどではない。
両脇には狛犬が鎮座していて、片方は口を開け、もう片方はきゅっと口を結んでいる。
参道には砂利が敷かれていて、
歩くたびに小さく音が鳴る。
その音が、街の雑音を少しずつ遠ざけていく。
境内は思ったより静かだった。
風に揺れる木々の葉擦れの音。
遠くで鳴く鳥の声。
賽銭箱の横には、推し活成就と書かれた小さなのぼり。絵馬掛けを見ると、
「当選しますように」
「認知されますように」
「推しが幸せでありますように」
そんな願いが、ぎっしりと並んでいた。
その中に、自分の居場所がある気がして、
少しだけ肩の力が抜ける。
拝殿の奥は薄暗く、
差し込む光が木目を照らしている。
鈴を鳴らすと、澄んだ音が境内に広がった。
——ここなら、届く気がした。
そんな根拠のない確信があった。
願い事?
もちろん決まっている。
「これからも、推しを全力で応援できますように」
恋人になりたいとか、認知されたいとか、そんな邪なことは考えない。
ただ、推しが笑ってくれたらいい。
推しが楽しく配信してくれたらいい。
そのために、僕はここにいる。
二礼二拍手一礼。
目を閉じた、その瞬間だった。
——ぐにゃり。
世界が、歪んだ。
足元が抜ける感覚。
音が遠のき、視界が溶けていく。
「……え?」
次に目を開けたとき、
僕は立っていなかった。
というより——
視界は低く、固定され、
動こうとしても指一本動かせない。
……おかしい。
必死に状況を整理しようと、目の前のものを考える。
ゲーミングチェア。
机。
モニター。
マイク。
配信者の部屋だろうか。
そして。
視界をめいっぱい動かし周りを見渡す。
可愛らしいカーテン。
ベッドに座っているらしい。
紫色のふわふわの鼻と腕と足。
……え?
いや、待って。
これ、まさか。見間違えるはずがない、まいにち見ていたぬいぐるみだ。
推しのグッズの紫のくまのぬいぐるみ?
らむぬいだ...
理解が追いつかないまま、
背後から声が聞こえた。
「……あ、今日もかわいいね」
心臓が跳ねた。聞き慣れた声、毎日イヤホン越しに聞いていた声。
紫月らむ。
推しの声。
「よいしょ……」
優しく抱き上げられる感触。
柔らかくて、あたたかい。
目の前に長いまつ毛と長い黒髪をさらりと流し、紫のメッシュが入っている美少女がいた。近い。近すぎる。
「今日は一緒に配信しよっか」
……あ。
理解した。いや、理解できないが理解した。
神様、聞き間違えてる。
僕はたしかに「推しを応援したい」って言っただけで、
推しのぬいぐるみになりたいなんて言ってない。
違う違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
——これから、どうなるんだろう。
推しのぬいぐるみとして。
「……よろしくね」
紫月らむは、そう言って微笑んで膝に抱える。
声を出せない。
けれど。
特等席で推しの配信が聴けることに少し心が踊った。
え、でもまって、配信に入れない。
コメントできない。
連続入室日数が途絶える!!
いやまあ、声を聴けるだけでも幸せなんだけど。
嬉しい半分、かなしい半分で、配信は始まったのだった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
推し活って、誰かにとっては「ただの趣味」かもしれません。でも、誰かにとっては、今日を生きる理由そのものだったりします。
この物語は、
「推す側」だけでなく、
「推される側」もまた、ちゃんと感じている——
そんな視点を書いていきたいと思っています。
ぬいぐるみは、まだ話せません。
動けることも、できません。
けれど、想いだけは、確かにそこにあります。
次回からは、
“ぬいといっしょ”の時間が少しずつ描かれていきます。
もし、
あなたにも「推し」がいるなら。
この物語のどこかに、
自分の気持ちを重ねてもらえたら嬉しいです。
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