第61話 キャトリーヌ、見えない攻防
(困ったにゃ……スキルを感知されて騒がれると、下手すれば取引中止にゃ。かと言って、指を咥えて見ててもしょうがないにゃ)
堂々巡る思考の渦を抜け出すために、取り敢えず深呼吸をする。
幾分落ち着いたキャトリーヌは密室で行われる密談に耳を傾けながら、ヨシダから受けたバードビューの詳細と、スキルを感知された状況を思い出す。
(確か……バードビューは起動後に俯瞰視点から見る場所を選べるにゃ。そしてテーブルに視線を集中させたらバレたにゃ、でも起動だけなら大丈夫だったにゃ)
ヨシダのスキルは女神が与えた特別なもの、という先入観からバレたショックが大きく焦りを感じたが、思い返せばスキルの起動だけなら感知されていない事に気づく。
現にバードビューは起動したままで、彼女の視界には部屋の隅で腕を組み、目を閉じたまま微動だにしないサムライの姿が映る。
(にゃー自身は見つかってないにゃ、スキルが起動してても気付いて無いにゃ、やっぱりテーブルに注目したのがバレた原因にゃ)
状況を一つ一つ整理して確認し、気付かれた原因を特定すると、それを取っ掛かりに彼女は思考を加速させる……
……不意によぎるあの男の言葉。
「シーフは騙してナンボだ、影に隠れ、小狡く、卑怯で、狡猾で、敵を欺き裏をかけ」
久しぶりのシーフらしい仕事に、思考が釣られたか、盗賊の頭の口癖を思い出す。人生、いつ何が役に立つか分からない、消える事のない苦い思いでの中に、この膠着状態を打開するヒントがあるとは。
(分かったにゃ! 相手を騙して裏をかく、見つかるからダメなのにゃ、見つけさせれば良いんだにゃ)
作戦は決まった、チャンスは一回、生かすも殺すもタイミング次第。キャトリーヌは密談に耳を傾け、起動したままの視界を頼りに作戦開始の好機を伺う……
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一方その頃ヨシダ達は、社交界と言う初めての戦場で四苦八苦しながらも、任務をこなしていた。
(そろそろ夜会が始まって一時間、キャトリーヌからの音沙汰は無し、取引が始まってないのかトラブルに見舞われたか……しかし騒ぎが起こった様子は無いので暫くは待ちか)
「それにしても、新作演劇と聞いて少し楽しみにしてたのだが……」
「どうかなされましたか? お兄様」
隣に座るエレノア嬢の言葉に一瞬キョトンとしてしまう。間を開けてそうだったと設定を思い出すヨシダ。
(危ない、素が出る所だった)
「あ、ああ。なに、新作演劇と言う触れ込みだったが、少々退屈だったものでね」
(そりゃそうだ、演目が『英雄譚・嗚呼、栄光のヴァルムート精鋭団』だからな、喜劇かと思ったよ)
「ふふふ、実は私もですの。チラホラとお船を漕いでらっしゃる方も居ますし、皆様も退屈しておいでですわ」
夜会と言えど観劇がメインとなれば、感想の交換や拍手喝采もある。少々の雑談なら問題なく、エレノアも自然と体を寄せて囁くのだが、これがヨシダにとっては最大の試練だった。
雪の様に白く瑞々しいデコルテラインが、真紅のドレスとえもいわれぬコントラストを描く。大きく空いた胸元にムギュッと押し込められた撓わな果実は、エレノアの息遣いと共に窮屈そうに上下する。
(お、おお、絶景かな!)
人に当てられたのか、匂い立つ様な純白の谷間は薄らと汗ばみ、朝露に濡れそぼる果実を想起させ、一筋の雫がその深淵へと零れ落ちる。
その抗い難い巨大な引力に、ヨシダの眼球は自由落下を開始する。かのアイザック・ニュートンをして撓わな果実の落下で偉大な発見をしたと言う。これも探究心だと言い訳する自分と、任務とは言え貴公子たるもの、その心根が邪であってはなら無いと律する自分。
例え貴族を演じる道化だとしても、真の演者はその精神から演じると聞く。恥ずべき心はその体を表す、理性と欲望のギリギリのせめぎ合いが、ジリジリと俺の体力を奪って行く……
「お兄さま? 何だかお疲れの様ですが……」
「いや、大丈夫だ、未来を憂うあまり、理想と現実の間に在る己と言う存在に、葛藤していたのだ」
「さすがはお兄さまですわ、その様な先の事をお考えとは……遠い未来、熟れいた先になにが待ち受けているのでしょうね」
そっと体を寄せてそう囁くエレノア、ヨシダの腕には前世では終ぞ感じる事が叶わなかった、柔らかくも芯の在る弾力を感じる。
「さ、先っちょ……いや、その様な未来の事は正直分からぬ。しかし、時には決められた道を外れ運命に抗う事も必要だと思う」
「オッホン、お嬢様方、人目を憚らずその様な行い、はしたのう御座います、お気を付けあそばれますよう」
侍女兼護衛として背後に控えた瑠奈が、わざとらしい咳払いと共にエレノアの反対側からピタリとくっ付き、彼女の体温がヨシダの腕に伝わる。
ボリュームではエレノアに軍配が上がるが、そのつきたてのお餅の様な極上の柔らかさの中に、ほんの僅かに感じる自己主張とのアンビバレンツな感触は、瑠奈のアガペーを感じさせた。
「如何した瑠奈? さっきはしたないって……」
そう話かけたヨシダを遮ったのは、視線レーザーの鬼照射だった。
「ヨシダはん、後で覚えときぃーや」
耳元でそっと一言、そう言うと後ろに控える瑠奈。彼女のメンチで瞳を貫かれたヨシダは、譫言の様に「死んだ」、「死んだ」と繰り返すばかりだった……
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ヨシダを巡る鍔迫り合いから一転、技と矜持が火花を散らし、王都の闇とギルドの影が熾烈な攻防を繰り広げる離れの一角。
潜入後、かなりの時間が経過し、いよいよ商談も佳境に入る、テーブルの上には取引素材の目録や顧客名簿、その周りには下卑た表情で商談進める欲で肥えた男達、キャトリーヌは此処が好機と見て作戦を決行する。
(先ずはこの部屋の出口、扉の向こうに気配を置くにゃ、そこから逃げる様に外まで誘導するにゃ)
バードビューに頭に入れた見取り図を重ね、作戦をシミュレーションする、気配は感じさせるが、姿を確認させてなダメだ、誰も見えない居ないと判れば陽動だとバレてしまう。付かず離れず、絶妙な距離感で逃げる演出が必要だ。
(強い気配で誘導して、余計な思考をさせちゃダメなにゃ……キンチョーするにゃ)
大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける、チャンスは一回、プレッシャーは有る、しかし世のシーフ達垂涎のスキルを試す高揚感もまた感じる。
(いくにゃ!)
そう宣言するとバードビューで部屋の外に視線を置く、目一杯のの集中力でサムライを誘う。その強烈な違和感を察知して、部屋の隅で目を瞑り腕組みをしたまま微動だにしなかった彼がピクリと反応する。
「性懲りも無く、また来おったか」
何故かニヤリッと嬉しげにも見える表情でポツリと呟くと、声を上げる。
「曲者が再び現れたでござる、某は追って始末を付ける故、御免」
そう言うが早いか、部屋の扉を蹴破り廊下へと躍り出る。
「む、既に出口近くに気配が、早い……が、その気配のまま逃げるなぞ、追って下さいと言う様なもの」
自分の心眼に絶対の自信が有るのか、そう言うと走り出す。追って下さいと言ってるとも知らずに……




