第32話 ハルク・ブルーガー、竜災の夜
皆の視線が、ギルドマスターに突き刺さる。フレアは唇を固く結び、鬼灯はその巨体を微動だにさせず、キャトリーヌはいつもの快活さは無く、瑠奈は、祈るように両手を胸の前で組み、皆一様にじっとその言葉を待っていた。
重い沈黙を破ったのは、ギルドマスター、ハルク・ブルーガーのため息だった。隻眼を閉じ、まるで脳裏に焼き付いた光景を振り払うかのように一度だけ首を振ると、ゆっくりと口を開いた。
「あれはもう15年は昔になるか……ワシがまだ『鉄塊の旅団』を率いて、現役のS-ランク冒険者として名を馳せていた頃の話だ」
その声は、いつものような覇気はなく、どことなく湿り気を帯びていた。
「その時、ワシら『鉄塊の旅団』は、ギルドからの使命依頼をこなし、ソルバルドの街へ帰還する途中に寄った、今は無いとある街での、出来事だった」
今は無いとある街……フレアの故郷があった場所だ。彼女に視線をやると、その顔は青く、肩が微かに震えている。
「日も傾き一晩の宿と補給を行う為にワシら一行が立ち寄ったのが、フレアの住んでいた街じゃった。然程大きくも無く、取り立てて珍しくも無い、普通の街だった。」
遠い過去の記憶を懐かしむでも無く、ただ淡々と語り始めるギルマス。その胸中に収めたあの夜の記憶は如何程か、俺はギルマスに語らせた事に、少しばかりの後悔を感じずにはいられなかった。
「ワシら一行が一夜の宿に決めたのが、その街で最も大きな宿屋で、フレアの両親が営んでいた所だ。その当時のフレアはまだ3つか4つの可愛い盛りでな、ワシらもその小さな看板娘に癒されたもんだ」
(あのフレアが……それだけあの夜の出来事が、まさに人生を変えてしまう程の出来事が……有ったのか)
「その夜は指名依頼も終えて、少しばかり羽目を外したのが裏目に出た。街の全てが寝静まる頃、突然の竜の襲来。吹き荒れる灼熱のブレスは悉く街を焼き、その圧倒的な膂力で破壊の限りを尽くしたのだ」
「な、突然か? 何の前触れもなく、突然竜が街に現れて襲って来るなんて事が有るのかよ?」
俺は信じられないとばかりに声を荒げて、ギルマスに問う。人間と同等以上の知能を持ち、プライドの高い竜種がそんな事をするのが信じられなかった。
「ああ、後に調べて分かった事だが、どうやら竜の巣にちょっかい出した馬鹿な冒険者が居たらしい」
馬鹿な冒険者、一瞬嫌味な貴族の冒険者が脳裏に浮かんだ……いつの世も馬鹿は始末に負えないのか。
「ヤツらはエルフの秘薬、竜眠香を焚いて巣にいたメス竜を眠らせ、討伐後に卵を盗んだ。その馬鹿どものせいで、とんだとばっちりだ。だが、その時はそんな理由が有るなど知る由もなく、ワシらは竜と対峙するほかなかった」
「そ、そない理不尽な……それやったら、ギルマスらは関係あらしまへんやないですか?」
「そんにゃー、逆恨みにゃ」
「然り、タイミング良く居合わせただけだ」
今まで、ギルマスの話を静かに聴いていた瑠奈達も、ギルマスの濡れ衣に口々に抗議の声を上げる。
だが、住処を荒らされ、同胞は殺され、未来まで奪われ怒り狂う彼に、人間の冒険者の所属の違いなど意味が有るだろうか? それこそ人類全てを恨んでもおかしくは無いだろう……
「当然、ワシらも黙ってやられる程人間が出来ちゃいない、総勢30余名の『鉄塊の旅団』は、総力を挙げてヤツに立ち向かった。だが、相手は本物の古代竜クラスじゃ。仲間たちは次々と倒れ、ワシもこの右目を、あの戦いでくれてやった……」
自分の無力さにか、はたまた散って行った仲間達への後悔の念か、ギルドマスターの拳が、ギリと骨が軋むほど強く握りしめられる。今の俺にその胸中を慮るには、少しばかり経験が足らなかった。
「……あの夜は正に地獄じゃった。そんな中、ワシは五組有るパーティの一つ、酒場の熊の親父こと、ガント・ベアードに指示を出した。『生き残った住人達だけでも連れて、この場から脱出しろ!』と……。燃え盛る街の中から、逃げ惑う大人や、泣き叫ぶ子供たちを必死でかき集め、脱出させた。その中の一人がフレアだったのじゃ」
「ああ……覚えてるさ……あの夜の事は一生忘れる事はない」
フレアが、掠れるように声を漏らす。彼女にとってあの夜の記憶は魂に刻まれた、癒える事の無い傷だろう。
「この片目も、くれてやったなどと言えば聞こえは良いが、手も足も出せず吹っ飛ばされて、挙句に瓦礫に突っ込んで潰れたものだ。何がS-ランク冒険者か、古代竜を前にワシらなど無力でしか無かった」
「そんな事はない! おっさんは……鉄塊のハルクは、アタシ達を救ってくれた、紛れも無い……英雄だ!」
今まで俯き加減で話を聞いていたフレアが突然立ち上がり、声を荒げて、否定する。
「そうだぜ、ギルマス。アンタ達はその竜に一矢報いたんだろ? 紛れも無い古代竜に」
「ああ……そのために払った代償は……途轍もなく大きかった。ワシはそのツケを払う為、このギルドの長となり、今でもこうして生き恥を晒しとる訳だ……これが、あの夜の出来事の顛末だ」
そう、悔恨と贖罪の念を吐露して、ギルマスは沈黙した。
仮面の紳士とギルマスの証言、何方も嘘は無いのは、ほぼほぼ確定だろう。ただ現状は状況証拠だけで、確証は何も無い……か。




