3
気づけばフレイヤはミカエルに庇われ階段の上に立っていた。
魔時計はどうやら飛び降りる直前に戻してくれたらしい。
あの恐ろしかったヘンリーの姿を見て、震える手を胸にあてた。
戻ってきてしまったからにはフレイヤに大した魔法はつかえない。
けれど、たったひとつ。淑女が身を守るために必ず教えられるその魔法。
みっともないことこの上ないけれど、フレイヤは逃げないために大きく口を開き、叫ぶ。
「誰か、助けて!!!!」
声に魔力をのせ、思い切り叫び助けを呼ぶ。
恥ずかしがってご令嬢たちはなかなか使うことのできない、フレイヤもはじめてつかうその魔法は王城に響き渡った。
舞踏会の会場にいる者たちは何事かと怯えているかもしれない。
でもこれで兵士たちが来るのも時間の問題だろう。
「な……」
「…!フレイヤ!よくやった!」
ヘンリーは目を見開く。おとなしいフレイヤがそんな大きな声をだすとは思わなかったのだろう。
ミカエルも驚いていたが、すぐに受け入れる。フレイヤがおとなしそうに見えて思い切りがいい性格なのだとすでに知っていた。
ミカエルはフレイヤへ下がって!と叫びそのままヘンリーへと切りかかる。
対処におくれたヘンリーはそのまま体制を崩し、剣を階段下へと落とした。フレイヤはおちていった剣をつかむと階段を駆け下りそのまま思い切りなるべく遠くへと放り投げた。
ヘンリーがもっていたのは魔剣だ。持っていなければ強力な魔法は使えない。
ミカエルはヘンリーの上に乗りあげ、暴れる相手に体全体を使ってそのまま抑え込む。
それを見たフレイヤはすぐさま靴を脱いで手に持ち、全速力で階段を駆け上がった。
「フレイヤ!?下がって…」
ヘンリーともみ合うミカエルの制止を無視してフレイヤは腕を振り上げる。
怒りのまま手に持ったヒール部分をヘンリーの頭にたたきつけ、叫んだ。
「私は!!人形なんかじゃない!!!!」
叫んで一気に涙がでた。血を吐きそうなくらい喉があつい。
感情を殺し人から人形になった地獄の3年間と、この男から己を守るために自分を抑え込んだ記憶だけの6年間。
およそ9年、この男に囚われていたのだとおもうと感情が一気に爆発し、逆上して抑えられない。
もう一度腕をふりあげたとき、後ろから抱きすくめられ止められる。
暴れようとして、その香りに気づいた。彼がいつもつけていた香水と、それに混じる汗のにおい。
「落ち着けって…もう大丈夫だから」
勢いのままくるりとフレイヤを回転させた男は、真正面からフレイヤを見る。
エリオットだ。
黒い髪に吊り上がった赤い目。目つきが悪くて最初は怖かったけれど、ずっと恋しかった。
会いたくてたまらなかった人物が目の前にいて感情が追い付かず、ぼたぼたと涙をながしてひどい顔をしているフレイヤをみて一瞬泣きそうな顔をしたかと思えばはは、と笑った。
「…あんた、相変わらず泣くのも怒るのものへったくそだなあ。」
「なんで、どうしてここに…」
「なんとかなった…だから迎えに来た」
エリオットに涙をぬぐわれだきしめられる。そのあたたかさに昔を思い出す。
子どものころ。ミラと喧嘩してぐずぐずと木の下で泣いていたとき。2つ下の目つきの悪い男の子は呆れてフレイヤの手をひいてくれた。途中でこけて歩けないと泣くと、その小さい背中でフレイヤを背負ってくれた。
あの時の安心感を思い出して、そのまま膝が崩れ落ちる。
気を失う寸前に振り返り見えたのは、兵士に取り押さえられこちらに手を伸ばし絶望の表情を浮かべるヘンリーの姿だった。
---
目を覚ますと、よく知る伯爵家の自分の部屋だった。
もしかしてまた巻き戻ったのだろうか、そう思って手首を見たら令嬢とはおもえない悲惨な傷口が露わになる。
「巻き戻ったんじゃないんだ…」
呟いた声はかすれて、起き上がろうとすると全身が痛んで呻いてしまう。
けれどそれは確かに生きている痛みだった。
ベッドから起き上がろうとすると部屋の扉が開く。
暗い顔をしたジェーンうつむいたままが桶とタオルをもって部屋に入ってきた。
声をかけようとして咽せてしまう。あんなに大きな声をだしたのははじめてだから喉が枯れてしまったのだろうか。
「お嬢様…?」
「ジェーン…お水をもらえない?」
「ああ…!よかった…!目が覚めたのですね…!」
ジェーンは起き上がったフレイヤを見て驚きそのまま桶を床におとした。
ガシャンとなかなか大きな音をたて水が彼女の足元を濡らす。
そんな桶なんて見向きもせずジェーンはフレイヤに駆け寄り抱きしめた。
少しやせただろうか。懐かしい匂いに目をつむると騒ぎに気付いたのか家族たちが部屋に乗り込んでくる。
母、父、兄にかわるがわる抱きしめられ、昔からいたメイドたちに涙ぐみながら手を握られる。
体中の傷を嘆き悲しまれたが、生きてここに帰ってこれたのだから安い対価だと心から笑うことができた。
少し落ち着いたあと、兄がヘンリーの状況を教えてくれた。
精神を病んだ、もしくは罪を犯した王家の血筋のものが収監される塔で生涯を管理、監視されながらそこで過ごすことになるそうだ。
本来であれば犯したその罪の重さから首を落とされてもおかしくないが、ヘンリーの血の濃さを考えるとそう簡単に処刑もできないらしい。
兄たちは王から直々に謝罪されたという。
代わりにヘンリーとフレイヤの婚姻を無効にしてくれた。
世間には家族を失い心を病んだヘンリーが家族を人質にとり無理やりフレイヤを囲ってあのような演技をしていたのだと知らせ、フレイヤは今では悲劇の令嬢として噂されているらしい。
「ミカエル様は…?それにミラとオーブリー様も…」
「みんな無事だ。ヘンリーが彼女たちをかばおうとした騎士に切りかかったが死人はでていない。」
「…エリオットは?」
「王城にいる。うちの分も含めて今回の領地での被害を報告しにね。自分もおまえのそばにいたいだろうに家族がそばにいてやってほしいと変わってくれてね。あれは本当にいい男だよ」
「うん…」
兄にもう少し休んでいろ、と頭を撫でられメイドたちにベットへともどされた。
2日も寝ていたのだから眠気などこないとおもったのに安心からかどんどんと瞼が落ちていく。
おやすみ、フレイヤ。懐かしい家族の声に包まれて夢の世界へとおちていった。
ーーー
夢をみている。
そう確信したのは体が宙に浮いているからだ。
あたりを見渡すとどうやら王城のようだった。声が聞こえるほうに近づいてみるとだれかの話声がきこえる。覗いてみるとそこにはミカエルとオーブリーが喧嘩、正しくはミカエルがオーブリーを叱っているようだった。
「聞いたぞ、ずいぶん危ないことをしたそうじゃないか。ヘンリーを必要以上に煽るなっていってあっただろう!?」
「あら、わたくしの作った香水のおかげであの男、弱った体であなたたちのところにいったんですのよ?
感謝されてもいいくらいだわ!」
「自分の力を過信するなっていつもいってるだろ?!」
「まあー!生意気ですわ!そっちこそお友達の頼みだからってあんな化け物に一人で対峙しようとするなんて!そっちのほうがお馬鹿さんですわ!」
そういえば、と記憶をたどるとオーブリーは調香師としても優秀だと聞いたことがある。
だから押さえつけられてるとはいえあんなに簡単にヘンリーを叩けたのか。
なにもかもオーブリーの世話になってばかりだ、なにかお礼をしなくては。
そう思い考え、成功するかはわからないがいたずらしてみることにした。
まだ喧嘩をしている二人の前をとおりミカエルの後ろへ忍び寄る。
そして軽くミカエルの背中をトンッと押した。
彼は驚いた顔で少しよろけてオーブリーの肩をつかむ。
オーブリーも驚いてミカエルの顔を見つめた。
「…心配したんだ、本当に。」
「…わたくしだって心配しましたわ。…わたくし以外のために死ぬなんて許しませんわよ!」
頬を赤らめながらにらみつけられたミカエルはきょとんとしたあとはは、と笑う。
なにがおかしいんですの!と叫ぶオーブリーを無視してその体を抱きしめた。
「…やっと君のところに帰ってこれた。」
その言葉はフレイヤだけに聞こえた。
ああ、魔女様。願いをかなえてくれたのね。
幸せそうに抱き合う二人をみて思わず笑みがこぼれる。
どうかこのふたりがずっと幸せでいてくれますように。
そう願っていると体が薄く透明になっていく。気づけばまた眠りにおちていた。
ーーーー
それから3日後。
エリオットがフレイヤが起きたという知らせを聞いて飛んで帰ってきた。
メイドたちに綺麗にしてもらいぴかぴかになったフレイヤを汗と泥まみれの体で抱きしめてジェーンを怒らせたが、フレイヤが心底幸せそうな顔をしていたのでだれも邪魔をすることはできなかった。
落ち着いたところでジェーンに再度風呂に放り込まれ、両親ならびに兄と顔合わせをし婚姻の話になったがエリオットはすでに王家から婚姻許可証をもらってきていた。仕事の速さに両親は驚き兄は少し引いていたが、そのため晴れて、二人は正式に婚約者となれたのだ。
あとは若い二人で、と兄にからかわれ部屋に二人きりで放置される。
エリオットはフレイヤに近づくとフレイヤの左手をとり、薬指にフレイヤの好きなガーネットの宝石がついた指輪を通す。
「…やっと渡せた。本当は3年前渡すつもりだったんだ。」
「きれい…」
「待たせて悪かった。」
左手を握りしめたままエリオットはフレイヤに跪く。
そのままその指にキスして自身の額にそれを押し当てた。
フレイヤは目を見開いて立たせようとした。けれど思い直し、いたずらっぽく微笑んだ。
「今度こそちゃんと守るから…だから結婚してほしい。」
「…いいの?私、体中傷だらけになっちゃったけど。」
その声に顔をあげ、微笑んだ顔を見てエリオットも笑う。
「当たり前だろ。あんたどんくさいからどうせすぐこけて傷も増えるさ」
「どんくさくないもん」
ムッとして右手でエリオットの頭をぽふぽふと叩くと今度は笑い声をあげてフレイヤを抱え上げた。
「きゃあ!もう…!」
「傷まみれでもなんでもいい。ずっと一緒にいよう」
「…うん。」
抱えられたままエリオットの首に抱き着く。
ようやくここに戻ってきたのだ。そして3年越しに好きな人と一緒になる夢がかなった。
運命の分かれ道のその先で、フレイヤはようやく幸せな日々を取り戻した。
お待たせしてすみません。
ありがとうございました!