過去なんていらない➁
「うん、わかっ──」
「それから青井さんが仲いい今泉さん? だっけ? あの子を誘ったりしないでね」
「え? あ、うん……」
人の家にお呼ばれしてるのに、自分の友だちを勝手に呼ぶ気はない。ただ、わざわざ言ってきたのがすごく気になる。
「試しに訊くけど、それってなんで?」
「私はさ、今泉さんも呼ぼうかって言ったの。別に仲いいわけでもない私んちに一人で来るのは嫌かなって思ったから」
「まぁ、嫌ってこともないけど」
気まずいっちゃ、気まずい。
「仲いい今泉さんと一緒なら安心だろうし、私としても二人きりで気まずくなったときのためにもう一人くらいいたほうがよかったんだよね」
緒方さんも、気まずいって思ってたんだ。
「でもさ、なんでか知らないけどお兄ちゃんがどうしてもダメだって言うの」
「へぇ、お兄さんが」
うんうん、と頷きながら、なんとなく玲寧のほうを見る。
「……っ!?」
玲寧と目が合った。目が合うと思ってなかったから、思わずフリーズしてしまった。
「あ……」
玲寧は、ニコリと笑った。けど、今までみたいな明るい感じも元気もぜんぜんない。それでもいっしょうけんめい笑顔になっている。
「今泉さんって三人姉妹なんだってね。お姉さんが二人とも星鳳らしいよ」
「そう、なんだ」
──知らなかった。そんな話、したことなかったから。
「プレッシャーがハンパないだろうね。あの子、かなり勉強できるのにどんどん成績が落ちてくもん。ま、他にも原因あるみたいだけど」
「まって、他の原因ってなに?」
玲寧の家が“星鳳姉妹”ならプレッシャーを感じるのはわかる。でも、それ以外になにがあるっていうの?
「今泉さん、ビジュいいじゃない。芸能人レベルっていうの? 実際にスカウトされたことあるらしいし」
「あー、うん。それは知ってる」
玲寧が芸能事務所からスカウトされたことあるっていうのは有名な話。塾でもほとんどの子が知ってるんじゃないかな。
「それがちょっと前、塾の目の前でスカウトされたみたいなんだよね」
「へぇ、そうなんだ。それで?」
「たまたま見ちゃったスタンダードクラスの女子たちが、イヤがらせしてるみたい」
「え、まさか……嫉妬?」
「じゃない? うわ、本当に声かけられてるじゃん、ってムカついたんじゃないかな」
「そんな、玲寧が頼んでスカウトしてもらったわけじゃないのに……。それでいじめなんて、ひどい」
緒方さんはクールな顔のまま、鼻で笑った。
「この時期になるとさ、男子も女子も、どうしてもついていけなくなる子が出てくるでしょ」
「まぁ、うん」
「で、そういう子たちってさ。ほかの子を道連れにしようとすることがあるんだよね」
「……うん」
「つるむと気が大きくなって、“上手くいってそうな子”を引きずりおろしてさ。その子がまた別の子を引きずる。そういう、悪い流れになるんだよ」
緒方さんの言ってること、わかりたくないけどわかる。そういう雰囲気、感じたことがあるから。
気になって、ちらっと玲寧のほうを見る。玲寧はもうこっちを見てなくて、テキストをぼんやり眺めていた。
「イヤがらせの現場を見たわけじゃないけど、なんとなく想像つくよ。『調子に乗ってる』とか言われたんじゃない? 」
「そんな……」
「今泉さんとあの子たち、学校もクラスも違う。いつもなら気にしなかったかもしれないけど、まぁタイミングが悪かったんだろうね」
緒方さんは淡々と言いながら、ノートをめくっている。
「……そっか」
そうだよね。うん、あの子にしてはよく頑張ったと思う。でも、そろそろ無理しなくてもいいんじゃない? うん、公立の中学に行けばいいんじゃないかな。きっとそっちのほうが合ってるよ。
ほんの少し顔が綺麗だからって、なに? それでなにもかも、上手くいくとでも思ってるの?そんなことで、星鳳に合格するわけないじゃない。
フロストさまがまた、アナタに夢中になるなんてそんな都合のいい話だってあるわけないでしょ。困った人。いったいどうやったら、そこまで夢を見られるわけ?
「青井さん、日曜はうちに来るってことでいい?」
「そうだね、日曜はぜひ……」
──いや、待って。ちょっと待って。
緒方さんに返事をしかけたところで、私の心に私の声でストップがかかった。ねぇ、私、なんでここまで玲寧を見下してるの?
ううん、いいのよ。
だって私は、公爵令嬢……じゃない! 違うでしょ! ここは現代日本で、異世界じゃない!
私だって公爵令嬢なんかじゃなくて、一般家庭の子供だよ? それに、玲寧は友だちでしょ? すごくいい子だよ? 模試の点数が最悪だったとき、嫌みを言う子たちからかばってくれたのを忘れた?
愛するフロストさまを奪って私に罪をかぶせて、処刑にまで追いこんだのはリザベル・メリット。
今泉玲寧じゃない。
たしかに、玲寧はリザベルだ。でも、それが今の玲寧になんの関係があるの? ぜんぜん関係なくない?
「……そうだよね」
「ん? なに、青井さん」
「ごめん、緒方さん。せっかく誘ってくれたのに悪いんだけど、日曜は行けないんだ」
「そっか。急に言われても予定あるよね」
緒方さんは気を悪くした様子もなく、あっさりと頷いていた。
「今週の日曜日、玲寧とうちで勉強する約束をしてたのを忘れてた」
「へぇ、そうなんだ」
「うん。隣に、桜帝に通ってる高校生のお兄さんがいてさ。今、その人に勉強を見てもらってるんだよね。で、日曜は玲寧も一緒にやろうって」
なんで私、嘘をついてまで断ってるんだろう。
玲寧とそんな約束してないのに、フロストさまと会うチャンスを自分から手放したりして私はいったい、なにがしたいんだろう。
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、お兄ちゃんにはそう言っとくね」
「ごめんね。でも、誘ってくれて嬉しかったよ」
「私も急に言っちゃったし、気にしないで。また今度ね」
「うん、ありがとう。……あ、ちょっと玲寧のところ行ってくるね」
時計を見ると、授業が始まるまであと五分。急いで席を立って、玲寧のいるところへ向かう。
「玲寧!」
「夏芽? なに?」
大きな目がさらにぱちっと開いて、すごくびっくりしているのがわかる。うわ、まつ毛が長い。瞬きのたびに、風が起きそうなくらい。
「日曜日、ヒマ?」
「……ヒマなわけないじゃん。受験生だよ?」
さっきまで驚いていたのに、急に機嫌が悪そうな顔。今までの玲寧なら、こんなにすぐ怒ったりしなかったのに。やっぱり、色々と追いつめられてるんだ。
「うん、それはわかってるよ。そうじゃなくてさ、日曜日、うちに来ない?」
「え、夏芽の家に?」
玲寧の目が、さらに丸くなった。
「そう。実はね、今、隣の家のお兄さんに家庭教師をしてもらってるの」
私はセイさんのことと、日曜日に特別授業をしてくれるという話をまとめて説明した。
「えっ、すごく助かるけど、ほんとにいいの? だって家庭教師ってことは、夏芽の家がお金を払ってるんでしょ? 私だけタダで教えてもらうの、なんか悪いよ」
「そこは気にしないで。うちの親がまず気にしないし、セイさんなんてもっと気にしないから」
セイさんは見た目よりずっと責任感が強い。『教えてる子が合格できるなら、環境はいくらでも整えるべき』っていうタイプ。だから、“勉強に集中するために友だちを呼びたい”って言えば、むしろ歓迎してくれると思う。
「そ、そう? じゃあ、おじゃましようかな」
「よかった! 日曜日、時間は十三時からね。玲寧の家からだと、塾前のバス停から乗ったほうがいいよ。“七姫城跡公園前”で降りてくれれば、私が迎えに行くから」
「わかった。ありがとう、夏芽」
玲寧がふわっと笑った。
さっき見た無理な笑顔じゃなくて、前みたいに自然な笑顔。
「じゃあ、お隣さんに連絡しておく」
「うん。日曜日よろしくね」
玲寧に手をふり、私は自分の席に戻った。リュックからスマホを取り出し、セイさんに急いでメッセージを送る。
『聖さん。日曜日の授業ですけど、塾の友だちも一緒でいいですか? その子、成績がどんどん下がってて、すごく悩んでるみたい』
すぐに返事が来た。
『いいよ。アドバンストの子?』
『そうです。もともとすごくできる子なので、一緒に勉強すればおたがいに成績が上がると思うんです』
『オッケー。じゃ、二人分の練習問題を作っとく』
そのメッセージを見ていると、胸の中がすごくすっきりしているのがわかった。
「……うん。これでよかったんだ」
むしろ私、なんであんなに病んでたんだろう。もう一度、きちんと自分を見直さなきゃ。
まず、今の私は『青井夏芽』であって、『かわいそうなエルルーナ・ギフォード』じゃない。
そして『今泉玲寧』は仲よしの友だち。ううん、仲よしで、すごく大切な友だち。
玲寧は『私を罠にはめた聖女リザベル・メリット』とは違う。
それから、夏芽として生きていく上でもっとも大切なこと。『緒方霧人』は、もう緒方霧人以外の何者でもない。彼はもう『エルルーナの元婚約者のフロスト王太子』とはまったく別の人。
そう思わなくちゃいけない。
私は前世に引きずられて、今の自分が生きている世界を見失いかけていた。なにも悪いことをしてない友だちを心の中で笑いものにするなんて、最低だった。
これは、ただのイジメと同じ。
もう少しで、人としてやっちゃいけないことをするところだった。
──大丈夫。もう、前世なんて関係ない。
私は青井夏芽。
これからも、胸を張って生きていく。




