私たちの未来へ
“お疲れさまお昼ご飯会”が終わったあと。
合格発表までなんとなく気持ちが落ち着かなかった私は、ぷらぷらと近所の緑地公園を散歩していた。
時間があるなら自己採点をすべきなのはわかっていたけど、はっきり言って手ごたえはあった。だから気持ちの半分、いや三分の二くらいは合格を信じてた。
確信はしてない。ただ、信じてただけ。
でも、ここで自己採点をしたら“自分を信じている自分”を全否定しそうな気がしたから、あえて散歩に出かけた。緑地公園は芝生の広場や竹林、木の破片が敷いてあるふかふかした散歩道に、真ん中あたりに大きな池があって親子や犬を散歩させている人たちがたくさんいる。
十分ほど歩いてから、目についたベンチに座った。
そして通りすがる大人には『この人はもう受験終わったんだー、お疲れさまですー』と思い、小さい子には『キミはこれから受験なんだねー、頑張ってー』なんて勝手なことを思いながら、お散歩をする人々をぼんやりと観察していた。
「お、やっぱり夏芽ちゃんも落ち着かなかったか」
「え?」
振り返ると、そこにはセイさんが立っていた。ランニングでもするつもりなのか、ジャージ姿になっている。
「はい、まぁ。なんとなく自己採点もできなくて」
「自己採点なんかいらないよ。桜帝は文章問題で部分点くれるから、下手になんかやるよりおとなしく結果待ってたほうがいい」
「……そう言ってもらえて、よかったです」
「うん。隣、座ってもいい?」
「あ、どうぞ」
お尻を真ん中から左側にずらし、聖さんが座るスペースを空ける。
「そういえば朝、推しが星鳳に通ってた、って言ってたけど」
「え? あぁ、はい。もう推しじゃないですけどね」
たった一回見かけただけだし、今はもう顔もはっきり思い出せない。
「……それって、フロスト王太子殿下のことですか?」
「っ!?」
息が止まりそうなくらいびっくりする。セイさんには、フロストさまのことはなにも話していないのに。
「アレですか。本番直前になると塾が“成功した元塾生”を呼んで成功体験を発表させがちなんですけど、それでやってきた星鳳の生徒が殿下だった、とかいうオチですか」
「そ、そのとおり、です」
なんだろう。すごく恥ずかしい。
あれだけ好きだったフロストさまをあっさりと忘れた冷たい女、と思われただろうか。でも、別に嫌いになったわけじゃない。
やっとわかっただけ。
私は最初から、フロストさまを本当の意味で好きじゃなかったんだ、ってことに。
「前世を覚えていようがなんだろうが、僕も人の心が見えるわけじゃないんでなんとも言えないですけど、その推しに興味がなくなった、っていうのは別に悪いことでもなんでもないと思いますよ。むしろ一回会っただけで粘着されたら、そっちのほうが怖い」
「それは、そうですね」
──あぶない。目が覚めなかったら私、ヤバめのストーカーになってたかもしれない。
「この前、フロストさまの妹さんに家に来ないかって誘われたんです。塾で一番頭がいい子なんですけど、その子とは別に仲良くなかったし、なんで? って思いました。で、その提案をしたのがお兄さん、フロストさまだったんです。でも、そのお誘いは断りました。ほら、玲寧を連れて来た日です」
「なるほど。そうだったんですか」
「はい。でも、そのあとは特になにも新しいお誘いとかなかったんで、フロストさまに前世の記憶があるのかどうか、わかりません」
記憶があるとしたら、一度断ったことで察してくれたのかもしれない。
玲寧と同じく記憶がないとしたら、妹の学力をさらにアップさせるための何気ないアドバイスだったんだろう。
「私、前世に引っ張られすぎてたなって反省したんです。そしたら急に、すっきりしたんですよね。フロストさまのことがどうでもよくなったっていうわけじゃないんですけど、私が大切にしないといけないのは今の人生だし、向き合わないといけないのは受験だなって思い知った感じです」
「それで正解ですよ。貴女の中には十六歳のエルルーナ嬢がいるのだとしても、実際の貴女は小学校六年生の青井夏芽です。よく、一人でその考えまで持ってこられましたね。偉いですよ」
「……ありがとうございます」
うわ、涙出そう。今のこの落ち着かない気持ちの状態で優しいことを言われると、泣きそうになる。
「その様子なら、もう話しても大丈夫そうですね」
「? 話って、なんですか?」
セイさんは黙ったまま、いきなり右目に片手を突っ込んだ。
びっくりして声も出ない私の前で、聖さんは緑のカラコンを一つずつ外していく。
「あの、それ外して平気なんですか? これからランニングするんじゃないの?」
「これ、度が入ってないんで問題ないです」
「あ、そうなんですね」
じゃあ、カラコンはほんとにただのファッションだったんだ。痛くないなら、私もやってみようかな。
なんてことを考えていると、セイさんは外したカラコンをポイっと地面に放り投げた。
「ちょっ、なにしてるんですか!?」
「これはもう、いらないんですよ」
セイさんは焦げ茶色の目で、地面に転がる緑のレンズを見つめている。
「結論から言いますと、塾で一番頭がいい子のお兄さんは王太子殿下ではありません。普通に現代の中学生男子です」
「え? で、でも」
あの中世的な、整った顔。私は見た瞬間、フロストさまだと確信した。彼がフロストさまだということに、間違いはないはずだ。
「彼と対面するちょっと前に、貴女は前世を思い出していた。おまけに、すぐ近くにはライバルの聖女。そんなときに、殿下と雰囲気の似た少年が現れた。気持ちと記憶が引きずられたとしてもおかしくありません」
「……あの、そんな慰めいらないです。私はもう、吹っ切れてるから」
「慰めじゃないです。王太子殿下は別にいるんで」
「……え?」
──王太子殿下は、別にいる?
「嘘! え、私の知ってる人? 誰なんですか!?」
「僕の兄ですね。兄の涙です」
「あ、セイさんのお兄さん、ですか。……お兄さん!?」
あの優秀だっていう、今は海外にいるお兄さん?
「なんで!? 私のときみたいに、見てすぐわかった感じですか!?」
「見てすぐっていうか、僕は小さいころから前世の記憶があったんですよ。で、兄もそうだったみたいでわりと早めにお互いのことを話し合いました。あ、今さらですが僕は前世でキール・トリトメウスという名前でして」
「いや、聞いてもわかんないし。今さらそんな自己紹介いらないです」
──待って。
ということは、フロストさまも私のことを知っていたってこと?
「じゃ、じゃあ、フロストさまは、なんで私に話しかけてくれなかったんですか」
「貴女の記憶がなさそうだったからですよ。でも、彼はずっと罪悪感と後悔に苦しんでいました。あの処刑の直前に、リザベルがついた嘘のすべてが明らかになったんです。殿下は急いで処刑の中止命令を出したそうですが、あと一歩のところで間に合わなかった」
「……そうですか」
指を伸ばし、首の後ろをそっと撫でる。
痛みを感じる前に死んじゃったから苦しさとかはぜんぜん感じないけど、首が落ちたんだよな、っていう謎の感覚は残っている。
「ちなみにリザベルはあなたの処刑二日後に、同じ断頭台にかかりましたよ。特に騒ぐことなく、静かな最期でした」
「へぇー……」
なんて言えばいいのかわからない。
ただ、ざまあみろ、という気持ちがまったく出てこないことに少し安心する。それを知ったところで今さらだな、としか思わない。
「殿下はあんなに早く処刑命令が下るとは思ってなかった、とおっしゃっていました。だから言ったじゃないですか。あのとき大声で叫んだり暴れたりしていたら、時間稼ぎにはなった。殿下はすぐそこまで来ていたらしいですよ? プライドなんて捨ててあがけば、きっと助かったはずなのに」
そうかもしれない。でも、助かったあとに私が幸せになったかどうかはわからない。
「フロストさまには、ずっと冷たくされてきました。私がリザベルに嫌がらせをしていたのは本当なので、そのせいかもしれません。だとしても、急に優しくされたところで元サヤなんてありえないです」
「ですよねぇ。だから殿下も、貴女をそっとしておこうと決めたんです。いつか貴女の記憶が戻ったときのことを考えて、自分が近くにいないほうがいいと留学までして」
聖さんは、緑のカラコンをスニーカーのつま先でずっとつついている。
「……あの、セイさん。今朝は答えてくれなかったですけど、もしかして金髪と緑の目にしたのって」
「あぁ、これ。なんていうんですかね、たとえ記憶が戻らなくても、金髪と緑の目の男がいいヤツだって思ってもらえたら、あなたの心のダメージも少なくてすむかな、と」
「あー、そうだったんですね……」
そんなことまで考えてくれてたんだ。この人、ほんとにいい人なんだなぁ。っていうか、こんなに優しい性格なのによく処刑人とかやってたな。
「なんかセイさんも中の人も、いい人すぎて心配になってきました。闇バイトに誘われたりブラック企業に就職したりしそう」
「中の人、ってなんですか。しないですよ、そんなこと」
「闇バイトしても、うちには強盗しに来ないでくださいね」
「だから、しませんって」
二人で顔を見合わせ、声を上げて笑う。なんだか、心がピッカピカの真っ白になった気がする。
「はぁ、笑いすぎてお腹痛い。私、もう帰ります。合格発表、全力で喜べるように体力を温存しておかないと」
「そっか。じゃあ俺は、ちょっとここら辺を走って来るわ」
「ちょっと待ってください。その前に、カッコつけて捨てたカラコンをちゃんと拾って帰ってくださいよ。ゴミのポイ捨ては禁止。それから、うちの夕飯の時間は十九時なんで、それくらいの時間になったら来てくださいね」
「……はい、すんませんでした」
聖さんは気まずそうにカラコンを拾い、そのままさっさと走っていった。
言葉づかいが、セイさんに戻ってた。
きっともう、中の人“キール”に会うことはないだろう。
そしてセイさんのお兄さんが留学から帰ってきて道端でばったり会うことがあっても、私はきっとなにも感じることはない。玲寧だけ記憶がない理由も、なんとなくわかった気がする。
リザベルはきっと、後悔していたんじゃないかな。だから、自分がしたことを忘れたかった。
逆にエルルーナやキール、フロスト王太子殿下は後悔や恨みに縛られていた。私たちはむしろ、忘れることができなかったのかもしれない。
でももう、私たちは自由だ。
だから、今度こそ言える。
「……さようなら」
私の中の、公爵令嬢。
********
玲寧と緒方さんとしばらくお喋りをしてから、塾の先生に報告とお礼を済ませた。
そういえば緒方さんのお兄さんが勉強会に玲寧を呼ばないで欲しい、と言っていたのは“玲寧が可愛すぎて緊張するから”という私に失礼すぎる理由が原因だった。
塾を出たあとは帰る玲寧を見送るため、駅まで二人で歩く。
「ごめんね、夏芽。つき合わせちゃって」
「いいよ、まだ話したかったし、塾まで戻ればバス停はすぐなんだから。それに入学したら、今までみたいに毎日会えるわけじゃないんだからさ」
「ありがと。それにしてもウケたねー、夏芽が柴犬だって」
「あれってさ、私が柴犬みたいに賢くて可愛く見えたってことだよね」
「ポジティブ!」
──こんな、どうってことのないお喋りが、ものすごく楽しい。
ちなみに緒方さんとも、連絡先を交換しておいた。
「……わたし、夏芽みたいになんでも話せる友だち、星鳳でできるかな」
ふと、玲寧がぽつりとつぶやいた。猫のように大きな目は、不安でいっぱいになっている。
「できるよ。……って言ってあげたいところだけど、それはお互いわかんないよね。でもさ、なんでも話せるのがいい友だち、ってことでもないと思う」
「そうかなぁ。友だちだったら、なんでも相談して欲しいし、隠しごととかして欲しくなくない?」
うん、わかるよ。前はね、私もそう思ってた。
「ううん、大事な友だちだからこそ、言えないこととかあると思う。だってさ、話したら相手に迷惑がかかる、とかだったら言えなくない?」
「……それは、あるかも」
「でしょ? たとえば駅でこのままバイバイして、そのあと会うのが三か月後とかになっても、いつもと同じ感じで喋ったりご飯食べに行ったりできる相手が友だちなんじゃないかな」
他にもあるかもしれないけど、今の私が思うのはそんなことくらい。
友だちが困ってたら絶対に助けなきゃいけないってこともないし、それこそ友だちでいることにこだわる必要もない。無理も我慢もしないで、くっつくのも離れるのも自然にできる関係が友だち。
それでいいんじゃないだろうか。
「ね、制服届いたら見せ合いっこしようね」
「したいしたい! 写真も撮りたい!」
「高見沢さんに頼んで撮ってもらおうよ」
「だ、だから! 高等部生とは会わないんだって!」
「あれあれー? なんで学校で会う感じになってんの? わたしは夏芽の家に行ったとき、って意味で言ったんですけどー?」
「ムカつくー!」
きゃあきゃあと笑いながら走り出した玲寧を、私も笑いながら追いかける。
なんだかんだとあったけど、玲寧に会えて本当によかった。
「あ、これかも」
──あなたに会えてよかった。
そう思える人のことを、“親友”と呼ぶのだと思う。




