私は知っている
「おつかれさまー、夏芽ちゃん」
「……ただいま」
一日目の入試が終わって、お父さんが車で迎えに来てくれた。
家に帰ると、なぜかリビングのソファで、セイさんがのんびりくつろいでいる。
テーブルの上には、たくさんのサンドイッチに唐揚げ、色とりどりのサラダ。それに、あったかいカボチャのポタージュまで用意されている。めちゃくちゃ美味しそうで、口の中によだれが溢れてくる。
「ほら、夏芽。手洗いとうがい、先にしちゃいなさい」
お母さんがいつもどおりの、優しい声で言う。
『どうだった? 手ごたえは?』
『答え合わせしようか?』
こんなふうにグイグイ訊いてこないところが、本当にありがたい。こんなとき、私はこのお母さんの子でよかったなぁ、って素直に思う。
──でも。それはおいといて、まずはツッコミを入れさせて欲しい。
「うん、手洗いもうがいもやる。その前になんで、うちにセイさんがいるの?」
そう言うと、お母さんは『えっ』っていう顔になった。
「やだ、夏芽。ここまで来られたのは、聖くんのおかげでもあるでしょ? もちろん夏芽が頑張ったからこそだけどね」
「そうだけど、でも」
「聖くんが勉強を見てくれたおかげで、落ち着いて受けられたんじゃない?」
「……まあ、ね」
そこは、否定しない。本当にそうだから。
「でしょ? だから今日は“初日おつかれさまランチ”なのよ。聖くんへの感謝もこめてね。ね、パパ」
「うん。校舎から出てきたときの夏芽、笑ってたから父さんも安心したよ。正直、前の夏芽だったらもっとこう、切羽つまった顔で出てくるんじゃないかと思ってた」
「え、そんなに?」
そんなことないよ、って胸を張れないのが、ちょっと切ない。
「いや、でもさ、普通こういうのって合格したあとにやるものでしょ? もし落ちてたら、セイさんが気まずくない?」
そう言いながらセイさんのほうを見る。セイさんはスマホをぽちぽちしてて、ぜんぜんこっち見てない。
「大丈夫。お祝いは、また別にちゃんとやるのよ」
「じゃあ、今日の発表で落ちてたら、また明日も受けるわけでしょ?そしたらまた、おつかれランチ会するの?」
「うん、するよ。当たり前じゃない」
「あたりまえなんだ……」
なんだろう、我が家のこの、ゆるーい感じ。
「ほらほら、早く。手洗いとうがい!」
「はぁーい」
まぁ、いっか。細かいことは気にしないほうが、人生は楽しく生きられる。はず。
「聖くん、今日、ご両親は?」
「いつもどおり、二人とも帰りが遅いって言ってました」
「そうなんだ。じゃあ夜ご飯もうちで食べていけば?」
洗面所で手を洗っていると、お母さんとセイさんの声が聞こえてきた。
「え、あー……どうしようかなぁ」
聖さんは、珍しく言葉につまっている。
「やっぱ、夜はいいっす。こんな豪華なお昼ごはん食べたら、夜までお腹も空かなそうなんで」
「なに言ってるの。男子高校生はね、学校帰りにラーメン食べても夕飯をしっかり食べるし、ご飯三杯は余裕なのよ。ウチの兄がそうだったんだから」
「いや、お母さん。それはちょっと違うんじゃない?」
だって千樹伯父さん、アメフト部だったよね? セイさんと伯父さんを同列で考えるのには、無理があるよ。
とはいえ、夜に顔を出してもらうことには賛成。
「いいじゃないですか。合格発表の結果によっては、追加で授業をお願いしないといけないし」
「ん? どういうこと?」
「夜ご飯食べたあと、一緒に確認しましょうよ。私の合格発表」
「えぇっ!?」
やだ、そんなびっくりする? セイさんと知り合ってからしばらくたつけど、こんな顔はじめて見た。
「いやー、そういう、ほら、個人情報だし、どうかなー……」
「大丈夫です。仮に落ちても、傷ついたりしないから」
「本当に、そう思ってる?」
あ、顔があのときの処刑人さんになっちゃってる。
心配と後悔がごちゃ混ぜになったような、いい人感が満載の顔。
「はい。私、そんな弱くないです。なめないでください」
「そっか。そうだったな」
セイさんはすごく優しい目で私を見たあと、へにゃっとした顔で笑った。
そして、夜の二十時すぎ。
両親とセイさんが見守る中で、私のつらくて長くて大変だった、中学受験が終わった。
********
「玲寧ー! 星鳳合格、おめでとう!」
「ありがと、夏芽! 夏芽も桜帝合格おめでとう! 一緒に星鳳へ行けないのはちょっと残念だけど、でも、おめでとう!」
次の日。
塾へ合格報告に行った私は、ちょうど玲寧が先生に星鳳合格を伝えているところを見た。
あの特別授業のあと、玲寧はすっかり元気を取り戻し、入試直前には私を抜いて二番目の席にいた。だから、絶対に受かってるって、信じてた。
「夏芽、これから高見沢さんと同じ学校なんだね」
「そうなんだけど、中学と高校で校舎が離れてるから体育祭とか文化祭とか、そういうイベント以外じゃあんまり会わないと思う」
「ふーん、そうなんだ。うん、そうなんだね」
玲寧はニヤニヤ顔で、私の脇腹を突っついてきた。
「な、なによ」
「いーなぁ、夏芽。入学前から彼氏がいるなんてすごいよ。しかも、高校生の」
──ん? 彼氏? 誰が? 誰の?
「え、ちょ、なに言ってんの」
「なにって、高見沢さんだよ。お隣ってだけで、あんなに優しくしてくれるかなあ」
「し、してくれるよ。私だってお隣に年下の子が住んでたら優しくするよ」
「高見沢さんのは、それだけじゃないような気がするよー?」
いやいやいや! 待って、びっくりする!
「ないよ、ないない! ないからね?」
「照れることないじゃん。うちの小学校にも、さすがに高校生はないけど中学生の彼氏がいる子、いるよ?」
嘘、いるんだ!
「いや、ほんとに違うから。セイさんはね、えーっと、なんて言えばいいんだろ、……あ、これだ。セイんは誰にでも優しいの」
「え……。そうなんだ。誰にでも優しい人なんだ。なんか、ちょっとがっかりしたな」
キラキラと輝いていた玲寧の目が、どんどん冷たくなっていく。
「あ、えっと、そういう意味じゃないっていうか、なんていうか」
──ごめんね、セイさん。誤解を解きたかっただけなのに、なんか私、風評被害ってやつにあわせちゃったかも。
「青井さん、今泉さん」
他に言いかたはなかったのか、と、頭を抱えていたら、横からポンと肩を叩かれた。
「あ、緒方さん。緒方さんも合格報告?」
「そう。お互い、第一志望合格してよかったね。おめでとう」
「ありがとう。緒方さんもおめでとう」
「ありがとー……」
せっかく第一志望の星鳳に合格したのに、緒方さんの顔に笑顔はない。
「どしたの? なんか、あんまり嬉しくなさそうに見えるけど」
「んー? そんなことないよ。ちゃんと喜んでるよ。ただ、お兄ちゃんがさ」
「お兄さんが、どうしたの?」
緒方さんはため息をついたあと、塾の廊下にあるベンチを指さした。
「ね、座ってしゃべろうよ」
「あぁ、うん」
ベンチに、玲寧と二人で緒方さんを挟むような形で座る。
「聞いてくれるー? せっかく妹が自分と同じ学校に合格したっていうのに、お兄ちゃんがぜんぜん喜んでくれなかったの。なんかさ、青井さんが星鳳に来なかったことがショックだったみたい。でもさ、青井さんが第一志望を変えたことはちゃんと言ったんだよ? ほら、前にうちのお兄ちゃんが講演っぽいことやりに来たでしょ? あのときからずっと、青井さんのことが気になってたんだって。そんなの、そう言ってくれなきゃわかんないじゃない」
緒方さんは親指の爪を噛みながら、ずっとぶつぶつ文句を言っている。知らなかった。私、緒方さんのお兄さんに気に入られてたのか。だから妹の雨音さんに私を誘うように言ったんだ。ふーん、そっかぁ。
「すごいね、夏芽! モテモテじゃん」
玲寧がニヤニヤ笑いをしながら、顔を覗き込んでくる。
「やめてよ、もう」
口ではそう言いながら、小鼻が膨らむのを必死で我慢する。セイさんはともかく、緒方さんのお兄さんに気に入られた、っていうのは悪い気はしない。
「え? モテモテ、ってなにが?」
不思議そうな緒方さんに、玲寧がわざとらしくコソコソ声で言う。
「夏芽ね、お隣の家に住んでる高校生のお兄さんと仲いいの。さっきまではもうつき合っちゃえばいいのに、って思ってたんだけど、その人ちょっと軽そうだからつき合うのはやっぱ反対って思ってる」
「ちょ、玲寧、あのさ、──」
これ以上評価を落とすのは、さすがにセイさんに申し訳ない。
「あー、そういうこと。違うよ、残念だけど。うちのお兄ちゃんが青井さんを気に入ってたのは、青井さんがおばあちゃんちで飼ってた柴犬に似てたからなんだって。それをモテというならそうなのかもしれないけど」
「え、柴犬? おばあちゃんちの?」
「そう、柴犬。おばあちゃんちの」
頭の中で恋愛ドラマ風展開を想像していたらしい玲寧は、さすがに言葉も出ないようで呆然としている。
でも、私は驚かない。
いや、柴犬に似ているからだっていうのは予想もしてなかったけど、緒方さんのお兄さん、緒方霧人さんがフロストさまではない、ということを私は知っていたからね。




