6 お似合いの二人
ノースウッドの街を目指す騎士団と聖女の一行は、合間に数度の休憩を挟みながら旅を続け、日が落ちる前に野営地に到着した。
元々の計画では、王都とノースウッドの間にある街で宿を取り、翌日の昼頃にノースウッドに到着する予定だった。
だが、聖女オリヴィアが急遽遠征に参加することになり、計画は変更を余儀なくされた。出発が二時間遅れた上に、旅に不慣れなオリヴィア達のためにこまめに休憩を挟んだため、予定していた街に辿り着くことができなかったのだ。
やむをえずその日は道中で野営し、翌日の日暮れまでの到着を目指すことになった。
野営地に選ばれたのは、街道から少し逸れた場所にある開けた草地だった。近くには澄んだ川が穏やかに流れていて、飲み水を確保することもできる。
「バージルさん、これで大丈夫でしょうか?」
ピンと張ったロープを地面に打ち付けた杭に括りつけ、ニーナはバージルに声をかけた。
「どれどれ……」
結び目を確認するように引っ張ってから、バージルはグッと親指を立てた。
「バッチリっす! ニーナ様さすがっすね~」
「ふふ、ありがとうございます」
てきぱきと野営の準備を進める騎士たちに混じり、ニーナとルイザも自分たちが使うテントを張る作業を行っていた。バージルと、もう一人の騎士がそれを手伝っている。
騎士団と一緒に遠征に出ることの多いニーナは、必然的に野営をする機会も多い。野営の段取りにもすっかり慣れ、積極的に騎士団の作業を手伝うのが常だ。
ただ、そのような聖女は極めて稀で、力仕事は騎士団に任せきりにするのが普通だ。
侯爵家のご令嬢であるオリヴィアも、野営地に着いたものの馬車の中にこもったまま姿を見せていない。テントが出来上がるまでは馬車から出ないつもりなのだろう。オリヴィアの三人の侍女達も馬車の周辺でお喋りに興じており、設営を手伝うつもりはないようだった。
「よいしょっと」
立ち上がってうーんと腰を伸ばし、ニーナは出来上がったばかりのテントを見上げる。ルイザと一緒に使用する予定のテントは、大人二人が並んで横になればいっぱいになるほどの小さなものだ。
ニーナは荷物を荷馬車から移動させるため、踵を返した。
少し離れた所で大き目のテントを張る数人の騎士達の姿が目に入る。最も地面の平らな場所を選んで設えられた二つのテントは、オリヴィアとその侍女たちのためのものだ。
騎士達の作業を指揮しているのは、隊長であるウィル・クレイグである。いつもであればニーナがテントを張るのを付きっ切りで手助けしてくれるウィルは、今日はオリヴィア達のテントにかかりきりになっている。
ニーナはその様子を、見るともなしにぼんやりと眺めた。
「あ〜……なんか、手伝いがオレで申し訳なかったっす」
不意にかけられた声に、ニーナは「えっ」と肩を跳ねさせた。
振り返れば、バージルが申し訳なさそうに頭を掻いている。
「いや、いつもは隊長が手伝ってたっすから」
「そんな」
ニーナは慌ててかぶりを振る。
「バージルさん達が手伝ってくださってとても助かりました。ありがとうございます」
騎士団の遠征に同行する機会の多いニーナは、騎士団に何人もの顔馴染みがいる。バージルもその一人であり、気さくに接してくれる彼の手伝いに不満などあろうはずがない。
心をこめて礼を述べると、バージルはニカッと人好きのする笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえるとありがたいっすけど。あ、でも、隊長もニーナ様のことものすごく気にかけてたっていうか、ニーナ様の手伝いに行きたいのに〜って裏で散々ぼやいてたんで! そこは誤解しないであげてほしいっす!」
なにやら熱心に訴えてくるバージルに、ニーナはくすりと微笑んで見せる。
「そんなに気にされなくて大丈夫ですよ。オリヴィア様にとっては初めての遠征ですし、クレイグ隊長が気にかけてくださって、むしろ教会の人間としてありがたく感じているくらいです」
「あ〜……あれは初めての遠征だからっていうより、オリヴィア様のご指名のせいな気が……」
「オリヴィア様は侯爵家のお嬢様ですものね」
ウィルがオリヴィアに付きっきりなのは、野営地に着いてからだけのことではない。途中の休憩のたびに、「ウィル様にエスコートして頂きたいわ」というオリヴィアの求めに応じて、彼女をエスコートしていたのだ。
ウィル・クレイグは隊長であるというだけでなく、今回参加している隊員達の中で最も家柄が良い。平民出身のニーナにはあまりピンとこないが、貴族階級のオリヴィアにとってはそういう肩書や家柄も大事なことなのだろうと想像する。
騎士団としても、貴族階級の聖女となればひときわ丁重に扱うのも当然なのだろうと思われた。
「まぁそれもあるっすけど……」
バージルは言葉を濁し、渋い表情になる。
「オリヴィア様って、どんな方なんすかね? 平民のオレらにはちょっと近寄りがたいっていうか、どう接したらいいもんやら」
「そうですね……」
バージルの問いに答えるべく、ニーナは言葉を探す。が、よくわからない、というのが正直なところだった。
聖女としての資質についてならともかく、人柄となると、持っている情報はバージルと大差ない。
一ヵ月前に聖女の認定を受けたばかりのオリヴィアとの交流は、これまでほとんどなかった。挨拶程度の会話を何度か交わしたことがあるだけだ。
遠征に出発してからも、休憩のたびに「お困りのことはありませんか?」と声をかけたが、「何も問題はありませんわ」と整った微笑を返され、それで会話は終わってしまっていた。
見たところ、ニーナが格別避けられているというわけではなく、連れてきた侍女達やウィル以外とはあまり会話を交わしていない様子だった。近寄りがたいとバージルが感じるのも無理からぬことと思えた。
「意欲的な方……なのだと思いますよ」
ゆっくりと言葉を選んで答える。なにしろ、聖女達から敬遠されている騎士団との遠征に立候補したくらいなのだ。本人ではなく父親の侯爵の意向ではないか、とルイザは推測していたが、オリヴィアを見る限り嫌々参加している様子はない。
「意欲的、っすか……。はあ、まあ、なるほどっすね」
バージルは片眉を上げ、妙に納得した様子でうなずいている。
「といっても、慣れないことも多いだろうと思いますので、騎士団の皆様にもサポートして頂けるとありがたいです」
「そりゃもちろんそのつもりっすけど、当のオリヴィア様は隊長以外お呼びじゃないみたいっていうか……」
そのとき、オリヴィア達のテントの方から騒がしい声が聞こえてきて、バージルとニーナは口を噤んだ。
見れば、オリヴィアの侍女達と騎士団員が言い争っている。正確には、侍女達がものすごい剣幕で騎士になにやらまくし立てている様子だった。
「……ですから! もっとまともな毛布はないのかと聞いているのです! このように粗末で薄汚れた毛布をお嬢様に触れさせるだなんてありえませんわ!」
「その、毛布はこれしか、それに、これはあの……」
どうやら、騎士団が準備した野営用の毛布に不満があるらしい。侍女達に詰め寄られた騎士は毛布を抱えたまましどろもどろになっている。
その様子を見てニーナは眉を下げる。
準備された毛布は、侯爵家の者の目には粗末に映るのかもしれないが、ごくごく一般的な品質のものだ。そもそも騎士団の野営用の毛布が高級品であるはずがないのだし、新品ではないとしてもきちんと清潔に管理されている。
「あ〜、これは間に入った方が良さそうっすね」
「ええ、私も行きます」
ニーナとバージルが揃って歩き出したときだった。
「おやめなさい」
鈴を鳴らしたような声が響いた。
馬車から姿を現したのはオリヴィアだった。月光に照らされたような淡い金の巻き髪が揺れ、純白の聖女のローブを彩る。ローブの裾からのぞくのは、張りと光沢のある生地で仕立てられた淡い紫色のワンピースと、きれいに磨き上げられた編み上げブーツに包まれた足。侯爵令嬢であるオリヴィアにしては地味な格好なのだろうが、それでもなお、大輪の白百合のような気品と華やかさがあった。
オリヴィアは皆の注目を意に介した様子もなく、ウィルにエスコートを受けてしずしずとステップから地面に降り立つ。ウィルの左手に右手を預けたまま、形の良い青い瞳を侍女達に向けた。
「あなたたち、そのように大声を出してははしたなくてよ。毛布のことならば、わたくしは気にしませんわ」
「ですがお嬢様、このように粗末な毛布……」
顔をしかめてなおも言い募る侍女の言葉を、オリヴィアは目線だけで制す。
「わたくし達は騎士団の遠征に参加しているのよ。騎士団の皆様と同じものを使うことに何も不満などありませんわ」
美しい微笑みをたたえ、きっぱりと言い切ったオリヴィアに、周囲で成り行きを見守っていた騎士達から感嘆のどよめきが起こった。
侍女達は黙って頭を下げ、恭順の意を示す。侍女達から責め立てられていた騎士は見るからにホッとした様子だ。
オリヴィアをエスコートするウィルもまた、安堵の表情を浮かべていた。
「オリヴィア様、ご理解頂き感謝いたします。侯爵家でお使いのものとは比べるべくもありませんが、聖女様方の毛布は新品を用意しておりますので、どうぞ安心してお使い下さい」
「まあ、ウィル様。お心遣い嬉しゅうございますわ」
オリヴィアが可憐に頬を染め、傍らのウィルを見上げる。それにウィルが柔らかな微笑で応える。
そんな二人の様子に、周囲の騎士達から今度は感嘆の吐息がもれた。
ニーナもまた、内心でほぅ……と息をつく。
(こういうのをお似合いというのでしょうね。まるで絵画でも見ているみたい……)
思わずそんな感想を抱いてしまうほど、ウィルとオリヴィアが並び立つ様は華やかで美しかった。服装こそドレスや正装ではないものの、まるで物語に出てくる王子様とお姫様のようだ。
(私とは、もともと住む世界が違いますものね……)
聖女と騎士という関係があればこそ、ウィルとも気さくに言葉を交わすことができる。けれど、そのような立場がなければ、貴族階級に属するウィルの世界とニーナの世界とは、一生交わることはなかったに違いない。
そう考えたとき、胸の奥にほんのわずかな痛みが生まれたような気がしたけれど、ニーナはそれを見ないようにした。
「は~、なんか絵に描いたような美男美女っすね」
バージルもまた、感心したような呟きをもらしている。
「オリヴィア様の印象がちょっと変わったっす。これならなんとかやっていけそうっすね」
「ええ、良かったです。……さ、暗くなる前に設営を終えなくては」
微笑み合う二人からも自分自身の気持ちからも目を背け、ニーナは足早に荷馬車へと向かった。