3 聖女は恋をあきらめている②
「ニーナ……このお茶、神力を込めただろう? また神力を無駄使いして」
「あ、バレちゃいましたか」
あっけらかんとしたニーナに、ルイザは小さく溜息をもらす。
「バレるに決まってるだろう。私も元聖女だからね。奇跡は使えずとも、神力を感じることくらいはできる」
聖女であった者は、神力の減少や結婚により『奇跡』を操れなくなった後も、他の聖女の神力を感知することができる。
ニーナの護衛騎士を務めるルイザは、元聖女という異色の経歴の持ち主である。
代々騎士を輩出する男爵家の出身で、女だてらに王国騎士団への入団を志して剣の稽古に励んでいた十四歳のとき、不本意にも聖女の認定を受けて教会に入ることになった。
教会に入ったのはルイザの方が二年早いが、年齢は同じ。
二人ともどんな仕事も厭わずこなしたため、任務で一緒になることも多く、親しくなるのに時間はかからなかった。
ルイザは六年後、二十歳のときに神力の減少により聖女を引退し、それと同時に教会の騎士団に入団した。聖女の地位にあった間も、地道に剣の鍛錬を続けていたのだ。
以来ルイザは、ニーナ専属の護衛騎士を務めている。
「でも無駄使いっていうわけじゃないですよ。これから遠征ですし、疲労回復の効果をちょこちょこ〜っと、ね……」
もごもごと言い訳するニーナに、ルイザは呆れと尊敬の混ざった眼差しを向けた。
『奇跡』を操るのにどれほどの気力と集中力を要するのかを、元聖女であるルイザは身をもって知っている。
ましてや、薬草茶に癒やしの効果を付与するというのは、『治癒』と『祝福』の二つを同時に操れる者にしかできない、非常に高度な奇跡なのだ。
「まったく、そんなに気軽に奇跡を使うんだから畏れ入るよ。さすが、歴代最高聖女と呼ばれるだけのことはあるね」
「あはは、歴代最高齢聖女とも呼ばれてますけどね」
膨大な神力量を誇るとともに三奇跡を自在に操り、十三年もの長きにわたって聖女を務めるニーナに対しては、教会の内外から、「歴代最高聖女」との賞賛が寄せられている。
と同時に、いまだかつて二十五歳を超えて聖女の地位にあった者はいないため、ニーナは「歴代最高齢聖女」の称号もほしいままにしているのだった。
「きみの引退に合わせて護衛騎士を退こうと思っているうちに、私も二十九になってしまったよ」
「うぅ……すみません」
ニーナは、遠征など危険な任務につくことが多い上に、実家の後ろ盾もない。そんな旨味のない聖女の担当を買って出る護衛騎士は少ない。
それを知っているから、ルイザは進んでニーナの護衛を務めている。
二十九歳になっても引退せず、自分のために護衛騎士を続けてくれているルイザに、ニーナはありがたくも申し訳ない気持ちを抱いていた。
しょんぼりと眉を下げるニーナに、ルイザは緑色の瞳をやわらかに細めた。
「からかってすまない。私が好きでやっていることだからね。きみと長く仕事ができて嬉しいよ。……とはいえ、若い頃に比べて疲れが取れにくくなっているのは確かだからね、疲労回復のお茶は正直ありがたい」
そう言って、ルイザは改めてティーカップに口をつける。
ニーナはホッと表情をゆるめた。
「そう言ってもらえて嬉しいです。それに、少々無駄使いしてでも神力を減らさなきゃ、いつまでたっても聖女を引退できないじゃないですか。私、今回の遠征に賭けてるんです。今度こそ神力を使い切って、聖女の出し殻になってみせますからね!」
「その台詞、もう何度聞いたかな……」
拳を握りしめて宣言するニーナに、ルイザは苦笑を浮かべた。
聖女それぞれの神力は、人によって生まれ持った絶対量が決まっている。それは『奇跡』を行使すればするほど減少し、基本的に回復することはないとされている。
そして、一定の神力量を下回れば『奇跡』を操ることができなくなり、聖女を引退することになる。
ここ数年、ニーナは遠征のたびに引退をめざして意気込んでいるのだが、いかんせん元々の神力量が多すぎて、『奇跡』を使っても使っても一定の水準を下回るには至らないのだった。
「聖女を引退したいなら、婚約するという手もあるが、それは考えないのかい?」
「え、婚約なんて無理ですって。私、もうじき三十ですよ? 婚約の申込みも全然ありませんし」
熱い薬草茶にふぅふぅと息を吹きかけながらニーナは答える。
聖女は、『奇跡』を操れないほどに神力量が減少すると引退する。
それとは別に、神力量にかかわらず聖女を引退する方法が、婚約である。
実際、貴族階級の聖女の多くは、婚約を理由に聖女を引退する。
貴族階級の聖女の場合、家同士の取り決めなど、教会の関与の外で婚約が結ばれることが通常だ。
もっとも、実家の後ろ盾がない平民の聖女の場合は話が別で、聖女との婚約を望む者は、教会を通して婚約を申し入れる必要があった。
申し入れがあると教会から聖女本人に話が伝えられ、聖女が婚約を望めば、婚約と引退に向けて準備が進められることになる。
ニーナはこれまで、教会経由で婚約の申し入れを受けたことは一度もない。
……実のところ、二十五歳を過ぎたころまではちらほらと婚約の申し入れもあったらしいのだが、ニーナを手放したくない教会が秘密裏に握り潰していたのである。
そのことをニーナが知ったのは、つい最近のことだった。
「恋愛結婚の道もあるだろう? 恋人を作って、恋人から教会に婚約を申し入れてもらえばいい。数年前ならともかく、今のニーナの神力量なら、教会も縁談を勝手に握りつぶしたりはしないと思うよ」
「恋人を作るなんて、もっとありえないですよ。だいたい、教会にいる限り出会いなんてないじゃないですか」
ニーナは気のない様子で、熱い薬草茶をちびちびと啜る。
薬草茶に付与された疲労回復の効果は、付与したニーナ自身には効果を及ぼさない。『奇跡』は、自分自身に施すことはできないのだ。けれど疲労回復の効果はなくとも、薬草茶の温もりと一緒に、わずかながらニーナ自身の神力が身体に戻ってくるのがじわりと感じられた。
「そうでもないと思うが。きみはよく第六騎士団に帯同して遠征に行くんだし、過去に騎士と結婚した聖女は多い。第六騎士団に誰か気になる人はいないのかい? たとえば……クレイグ隊長とか」
「えっ、ないですないです!」
ニーナはぴょこんと肩を揺らしてから、苦笑いで手をぴらぴらと振った
ルイザは小さく首をかしげてニーナを見つめる。その緑の瞳が妖艶に細められた。
「おや、なぜ? 人柄、容姿、家柄どれをとっても結婚相手として不足はないと思うが」
「不足があるのはむしろ私の方ですよ! クレイグ隊長は伯爵家の方なんですから。たとえそうでなくたって、あんなに若くてキラキラした方が、私なんかに興味を持つわけないでしょう?」
ニーナは澄ました表情を取り繕い、再びマグカップに唇を寄せた。
ウィル・クレイグ。二十二歳、独身。
伯爵家の三男にして、王国騎士団の正騎士である。
現在は、魔獣の討伐と魔獣被害からの復興支援を主な任務とする第六騎士団の隊長を務めている。
剣の腕は王国でも五本の指に入り、他の騎士団員からの人望も厚い。第六騎士団の団長に昇格するのも時間の問題だと言われている。
その上、ウィル・クレイグは極めて優れた容姿の持ち主だった。
太陽の光を集めたような金の髪に、爽やかな空色の瞳。名工の手による彫刻のように整った顔でありながら、わずかに垂れた目に甘さがある。
すらりと背が高く、騎士として鍛えた体躯は引き締まっている。と言っても筋骨隆々というわけではなく、騎士服や正装に身を包めば貴公子然とした優美さがあった。
その剣の腕と容姿が買われ、王族の近衛を任務とする第一騎士団から声がかかっているという噂もある。
道を歩けば誰もが見とれ、たまに夜会に顔を出そうものならたちまち貴婦人達に取り囲まれる。
聖女達の中にもウィル・クレイグに憧れる者は多く、彼の武具に『祝福』を施す依頼が来たときには、誰が担当するかで若い聖女達がきゃあきゃあと揉めるのが常だった。
「そうかい? 彼はニーナにずいぶんと好意的だと思うがね。隊長に就任して以来、遠征の前にはいつもああやって挨拶にやって来るし」
「律儀な方なのです。それに、あの方は私に限らず聖女みんなに親切だと思いますけど」
ウィル・クレイグは貴族階級の者には珍しく、二十二歳という年齢でありながらいまだ結婚しておらず、婚約者もいない。騎士団の仕事に集中したいとして、本人が縁談を断り続けているという話だった。
彼が独身を貫く理由については様々な憶測が流れているが、その内の一つに、「聖女好き」などという噂も混じっているのだった。
「それだけじゃなくて、いつも遠征の合間に二人でデートに出かけているじゃないか」
「でっ……!?」
盛大にお茶に噎せ、ニーナは言葉をのみ込んだ。しばらくゲホゲホと咳き込んでから、涙目でルイザを見返す。
「デートじゃありません! 私の薬草採取に付き合って下さってるだけです! それに、ルイザもいるんだから二人きりじゃないですし!」
「あぁ……それについては私も常々遺憾に思っているのだがね。仕事なのでどうか許してほしい」
どこか芝居がかった調子でルイザが言う。
聖女は処女を喪うと『奇跡』を操ることができなくなる。万が一の不祥事を防ぐため、聖女を男性と二人きりにしないことも、護衛騎士の重要な役目なのだった。
「だけど、クレイグ隊長が聖女の中でも格別ニーナに親切なのは事実だろう?」
「それは……私が昔、聖女の力でクレイグ隊長を助けたことがあるからですよ。義理堅く恩を感じておられるだけです」
「それだけとは思えないがね」
「もう……。いくつ歳が離れてると思ってるんですか。クレイグ隊長、私より七つも歳下なんですよ?」
溜息混じりに諭すような口調で言うと、ルイザはニヤリと口の端を上げた。
「ほう。年齢を把握する程度にはクレイグ隊長に関心がある、と」
「なっ……!」
絶句したニーナの顔は真っ赤に染まっている。
「もう〜! ルイザったら、自分は恋愛になんて興味ないくせに!」
涙目でルイザを睨むが、ルイザのいたずらっぽい笑みは崩れない。
「私が興味ないのは私自身の恋愛。親友の恋愛話となれば別さ。十六歳のときから十三年も教会に縛られてきたニーナには、この先、誰よりも幸せになってほしいからね」
その言葉に確かな親愛の情を感じ取り、ニーナはつり上げていた眉を下げた。
「そう思ってくれるのは嬉しいですけど……結婚ばかりが幸せではないでしょう? ルイザだって結婚していないじゃないですか」
さながら男装の麗人といった風情のルイザは、聖女を中心に女性陣からの人気が高い。
同時に、その美貌と情にあつい性格から、王国騎士団の中にルイザを慕う男性が少なくないことを、ニーナは知っている。
「私は昔から結婚というものに興味がなかったからね。でもきみは違うだろう? 聖女を引退したら結婚して、亡きご両親のように夫婦で薬草屋を営むのが夢だと、そう言っていたじゃないか」
「そうですね……そう思っていた時期もありましたね」
ニーナはぼんやりと窓の外に視線を投げる。中庭に植えられた木々と高い空。十三年の間変わらない景色がそこにある。
聖女を引退したら。ルイザとそんな未来の話をしたのは、二人が共に十代の頃のことだった。
あの頃のニーナは、生まれ育った村の女達のように、自分もいずれは誰かと結婚して子どもを産み育てるのだと、漠然と信じていた。
まさか二十九になるまで結婚もせず聖女を続けることになるなんて、想像もしていなかったのだ。
「今は違う?」
「引退後は細々と薬草屋をして暮らしていけたら、とは思っていますけど……結婚は、しなくてもいいかな」
穏やかな笑みを、ルイザに返す。
そこにあきらめの色が混じっていることに気付かなかったわけでもないだろうに、ルイザは「ふぅん」とだけ呟き、それ以上追及することはなかった。
「さぁて、今度こそ最後の遠征になるように、じゃんじゃん神力を消費していきますよ~!」
明るい声で宣言し、ニーナはぬるくなった薬草茶をぐいっと飲み干した。
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