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2 聖女は恋をあきらめている①

「ニーナ、お邪魔するよ」


 礼拝堂から自室に戻ったおよそ三十分後。

 ノックに続いて扉を開けたのは、赤毛の女騎士ルイザだった。


「あぁ、ルイザ。もしかしてもう集合時間ですか? 遠征の荷造りはほとんど済んでいるのですけど、薬草茶の調合があと少し残ってて」


 ニーナは作業の手を止めることなくルイザに応える。

 その目は部屋の中央に陣取る作業台上の天秤にじっと注がれ、匙を持つ手は天秤の皿と薬瓶との間を忙しく行き来している。


「いつもの薬草茶かい?」

「はい。今回の遠征にも持って行こうと思いまして」


 聖女であるニーナの自室は、教会の立入禁止区域の中にある。聖女達が住む居住棟の一室だ。

 割り当てられた小さな部屋は、壁と扉で二つに仕切られ、寝室と、小さな台所付きの居間に分かれている。


 その居間は聖なる乙女の部屋らしく小綺麗に片付けられて……はいなかった。

 ぎっちりと本が詰め込まれた本棚。収まりきらない本が、床や椅子の上など、そこかしこにいびつな塔を作っている。

 台所の棚は、最低限の調理器具や食器がある他は、大小様々な薬瓶に埋め尽くされていた。それぞれの薬瓶には、乾燥させた葉や草、得体の知れない粉が収められ、一つ一つにラベルが貼られている。


 窓際に目をやれば、窓枠に花や草の束がいくつも吊るされている。

 日当たりの良い丸テーブルの上には笊が並び、そこにも生乾きの草が広げられている。

 床には収納箱や本が積み上げられ、その上も籠や笊などの置き場と化していた。


 様々な物で溢れかえった部屋。けれどまめに掃除はされているらしく、埃っぽさはない。

 染みついた生活感と乾いた草花の香りに満たされた空間は、訪れる者に不思議な心地よさを感じさせた。


 ルイザは主の了解も得ずに部屋に足を踏み入れると、床の障害物を慣れた足取りでかわし、窓枠のテーブルセットにたどり着く。

 椅子に積まれた本を遠慮のない手つきで床に移動させてから、木製の座面を軽く手で払い、長い足を組んでゆったりと腰掛けた。


「それなら、そう焦ることはない。出発は二時間延期になった。そのことを知らせに来たんだ」


 ニーナは匙を持つ手を止め、顔を上げた。


「延期? 何かあったのですか?」 

「聖女オリヴィアが突然、遠征に帯同したいと言い出してね。その準備のための時間さ」

「オリヴィア様が遠征に?」


 ニーナは目を瞬く。


「私も驚いたよ。てっきり腰掛けのつもりだろうと思っていたからね」


 聖女とは、聖なる力を身に宿し、『奇跡』と呼ばれる力を操ることのできる女性である。

 稀有な存在であり、聖女の認定を受けることは非常に名誉なこととされている。


 その多くは、十歳から十四歳頃の間に力に目覚め、教会から聖女の認定を受ける。

 聖女は教会が保護する決まりになっており、教会内に、住処と、能力に応じた任務を与えられる。――保護という名の囲い込みである。


 聖女の力に血筋は関係ないとされており、その出自は様々だ。ニーナのような地方出身の平民もいれば、貴族のお嬢様もいる。

 貴族階級であっても、聖女の認定を受けた以上、教会の「保護」を拒絶することは許されない。


 とはいえ、貴族のお嬢様の場合、長く教会に留まることを、本人も家族も良しとしないことが多い。そのため、危険の伴わない任務を形ばかりこなしながら、せいぜい半年から一年ほど腰掛けで聖女を務めた後、結婚が決まったとして引退するのが普通だった。


 実際のところ、聖女は結婚相手として非常に人気がある。

 「女神の娘」という神聖さ。清純で慈愛に満ちたイメージ。『奇跡』は処女(おとめ)にのみ行使できるものであるため処女(おとめ)の保証もあり、ついでに教会とのパイプもできる。


 そのようなわけで、聖女が引退後に結婚相手に困るということはなく、容姿に優れた平民出身の聖女が、望まれて豪商や下級貴族に嫁ぐことも珍しい話ではなかった。

 貴族階級の間でも、箔をつけて良い縁談を引き寄せるため、娘を聖女にと望む者は少なくない。

 中には、不十分な能力しかない娘に聖女の認定を受けさせるため、教会に金を積もうとする者さえいるほどだった。


 ただし、貴族階級出身の聖女達は、働いたこともなければ、働く気もないお嬢様ばかりである。教会から与えられる任務に積極的な者は稀だ。ほとんどの者は怪我や病気の者に近寄ることを恐れるし、平民に混じって行動するというだけで眉をひそめる。


 騎士団の遠征に帯同するとなれば、出自も様々な騎士達と行動を共にしなければならず、状況によっては野宿することもある。魔獣との戦闘に遭遇する危険も大きい。様々な聖女の任務の中でも、人気のないものの一つなのである。


 そんな騎士団の遠征に、オリヴィアのような貴族階級の聖女が自ら参加を希望することは、極めて異例なことだった。


「オリヴィア様って、意外とやる気がある方なのかもしれませんね」


 薬草茶の調合に区切りをつけ、薬缶を火にかけながら言うと、ルイザは「だといいがね」と肩をすくめて見せた。


「本人よりもお父上の意向なのではないかな。そろそろ王太子殿下の婚約者選びが本格化してきたという噂だ。聖女として目立った功績を作ることができれば有利になるだろうからね」


 国王と王妃の第一子にして長男である王太子は御年十六歳。

 オリヴィアはアクロイド侯爵家の息女であり、現在十五歳と年齢の釣り合いも取れている。当然のように王太子の婚約者候補に名を連ねていた。

 

「でも……大丈夫でしょうか?」


 ニーナはわずかに顔を曇らせ、小首をかしげる。

 同意を示すようにルイザがうなずいた。


「ああ。聖女になってまだ一ヵ月だし、ニーナ以来の三奇跡の使い手とされてはいるが……」

「ええ……」


 聖女の操る『奇跡』には三つの種類がある。

 怪我や病気を癒やす『治癒』。

 武具などに、魔獣に対抗する神力を付与する『祝福』。

 魔獣に宿る瘴気を祓う『浄化』。


 大多数の聖女は、三つの奇跡のうち、一つしか操ることができない。

 二つを操ることのできる聖女は百人に一人。三つ全てを操れる聖女ともなれば千人に一人と言われている。

 ニーナはその極めて稀な三奇跡の使い手である。

 ニーナが聖女に認定されてから十三年、ニーナの他に三つの奇跡を操る聖女が認定されるのは初めてのことだった。

 

「三人の侍女さん達も連れて行くのでしょうね……」


 常にオリヴィアに付き従っている侍女達を思い浮かべながらニーナが言う。

 上流階級のご令嬢が聖女として教会に入る場合には、侍女を伴うことが許されている。オリヴィアもその例にもれず、実家の侯爵家から三人の侍女を連れて教会に入っていた。


「まぁ、そうだろうね。それも含めて上が決めたことだ。遠征に名乗りをあげる聖女は貴重だし、なによりオリヴィア様のご実家のアクロイド侯爵家は、教会にとって三本の指に入る金蔓(かねづる)だからね」

「もう、ルイザったら。もう少し言い方があると思うのですけど。えぇと……敬虔な信者とか、熱烈な支援者とか?」

「同じことさ。金を持っている者の声が通るのは、世俗も教会も変わらない」


 冷めた声音で言いながら、ルイザは胸の前で腕を組み、椅子の背にもたれた。

 ニーナは小さく苦笑し、戸棚からマグカップを二つとティーポット、薬瓶を取り出す。薬瓶の中から赤茶色の実を掬い、ティーポットにぱらぱらと入れた。


「ともかく、決まったことにあれこれ言っても仕方ないですものね。オリヴィア様はまだお若いし、初めての遠征で戸惑うことも多いはず。私もできる限りサポートしようと思いますけど、ルイザも気にかけてあげてくれますか?」


 ルイザが呆れたような溜息をついた。


「相変わらず人が好いね、ニーナは。あのお嬢様の腰巾着どもが、きみを『出涸らし聖女』と揶揄してるのを知らないわけじゃないだろうに」

「あはは、出涸らし上等ですよ」


 沸騰したお湯をティーポットに注ぎながら、ニーナは朗らかに応える。


「出涸らしの薄〜いお茶なら薬草茶が苦手な方でも飲みやすいですし、お茶の出し殻は肥料にもなるんですから」

「……きみは強いね」

「そりゃ三十年近くも生きてれば、それなりに図太くもなりますって」


 鮮やかな紅色の薬草茶をカップに注げば、湯気と一緒に甘酸っぱい香りがふわりと立ち上った。


「フ……違いない」


 苦笑をもらしながら、ルイザは笊を端に寄せ、丸テーブルの上にスペースを作る。

 そこにニーナが湯気の立つマグカップを二つ置いた。

 にこりと微笑み、自身も椅子に腰掛ける。


「はい、どうぞ。あ、言っておきますけど、これは出涸らしじゃないですからね」

「ロサ・カニナのお茶か。ありがとう、頂くよ」


 優雅な仕草でマグカップに口をつけたルイザは、その途端、わずかに眉をひそめた。


ロサ・カニナのお茶はローズヒップティーのこと。ルイザのお気に入りのお茶の1つです。

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