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17 出涸らし聖女は夢を見る

『……さま……聖女様……』


 ニーナを呼ぶ、慕わしい声。

 その声に応えて重たい瞼を持ち上げると、心配そうにニーナを見つめる空色の瞳と目が合った。

 太陽のように輝く金色の髪に、明るい空色の瞳。


『良かった、聖女様、気がつかれて……』


(クレイグ隊長……)


 そう呼びかけようとして、目の前の相手がひどく幼いことに気付く。


(ウィル君……)


 ああ、これは夢だ。ウィルと出逢った頃の、懐かしい夢。

 気づいて微笑んだニーナに呼応するように、幼いウィルもまた頬をゆるませた。




 客間のベッドサイドには毎日美しい花が飾られていた。

 花瓶を置いて、ウィルが振り返る。


『はい、お花はいつも僕が。庭にはもっともっとたくさん咲いてるんですよ。ニーナ様にもお見せしたいなぁ』


 歩けるようになったら、お庭を案内してくれますか?

 そう聞けば、『はい!』という元気な返事と、はにかんだような笑みが返ってきた。




 小さな手に引かれて、色とりどりの花に囲まれた庭園を歩く。


『えっ、食べるんですか?』


 このお花は美味しいんですよ、と白い小花を示すと、ウィルは目を丸くした。

 お茶にするんです、と言えば、『飲んでみたいです!』と目を輝かせた。




『……ぅ……』


 一口飲むなり泣きそうな顔になったウィルに、無理はしなくていいですよと言ったが、『大丈夫です……絶対に飲みます……!』と譲らなかった。

 それならばと、あえて薄く淹れ、一匙のハチミツを加えたものを差し出した。


『美味しいです! これなら飲めます!』


 ニーナの淹れたお茶を飲み干し、ウィルは満足げに笑った。




『俺、濃いお茶も飲めるようになったんです。……もう、十二歳の子どもじゃないので』


 低く甘く、囁くような声に顔を上げる。

 少年は青年へと姿を変え、けれど明るい空色の瞳は変わらずニーナを一心に見つめている。


『これを渡したくて』


 ウィルがその大きな手の平をそっと開く。

 そこにあったのは、黄色い芯に白い花びらの小さな野花。


『食べるんですか?』


 幼い声が脳裏に響く。

 雷に打たれたような衝撃がニーナを貫いた。 


(マトリカリア!!)


 瞬間、ニーナの目の前が白く爆ぜた。






 意識を失っていたのはほんの一瞬であったらしい。

 力を失い地に落ちる寸前だったウィルの手を、ニーナはしっかりと握りしめる。愛おしむようにそっと自身の頬に押し当ててから、ニーナは自身の懐を探った。


 取り出した白いハンカチを、もどかしい思いで広げる。包まれていたのは、野営地でウィルにもらい、お守り代わりに忍ばせていたマトリカリアの花。

 ニーナの神力を付与された花は、まるで摘んだばかりのようにつやつやと輝いている。


 ニーナはそのマトリカリアの花を、自身の口に放り込んだ。奥歯で噛みしめると、青く苦い味が口中に広がる。

 強引に飲み込んだ次の瞬間、腹に収めたマトリカリアから、自分自身の神力が身の内に沁み込むのをニーナは感じた。


 ウィルの右手を自身の頬に当てたまま、ニーナは大きく息を吸い込んだ。

 深い祈りと共に、全身全霊を込めてウィルの身体に『治癒』を注ぎ込む。


「あなたを絶対に死なせない……! 生きて、もっと私の人生に関わって……私に、あなたの人生に関わらせて下さい!」


 ニーナの全身が淡く温かな緑の光に包まれる。その光はウィルの身体をも包み込み、傷口でキラキラときらめいた。

 流れ出ていた血が止まる。傷口が見る間に塞がっていくのを、騎士達が声もなく見守った。


 やがてウィルの呼吸が穏やかになり、顔に血の気が戻る。

 ゆっくりと瞼が開き、空色の瞳がしっかりとニーナを捉えた。


「ニーナ様……」


 その声を聞き、安堵に胸を震わせた瞬間、ニーナの意識は今度こそ途切れた。





 面会者訪問の連絡を受けたニーナは、ルイザを伴い、一般開放区域にある小さな礼拝堂に急いでいた。

 浮き立つ心そのままに、ニーナの足取りは軽い。


 ノースウッドでの死闘から二ヶ月が過ぎた。

 ウィルの傷を癒やした後、神力酔いを起こして気を失ったニーナは、すぐさま街の教会に担ぎ込まれた。

 神力酔いには、医者の治療も聖女の『治癒』も効果がない。ただひたすら休息を取り、回復に努める他はない。

 限界を超えて『奇跡』を行使し続けたニーナの神力酔いは深刻で、目覚めるまでに三日、ベッドから出るまでにさらに十日を要した。

 この間、聖女の任務は、神力酔いから回復したノースウッド常駐の聖女達と、新たに中央協会から派遣されてきた聖女が担った。


 ウィルはニーナの『治癒』により一命を取り留めたものの、すぐに動き回れるほどには回復しておらず、他の聖女の『治癒』を受けながら数日間の静養に努めた。

 そんな中でもウィルは毎日ニーナの見舞いに訪れ、ようやくニーナが意識を取り戻したときには目を潤ませて喜んだ。


 オリヴィアと三人の侍女達はというと、間もなく増援にやってきた騎士団に連れられて王都に戻っていった。

 オリヴィアが偽聖女であったことは多くの人の知るところとなり、オリヴィアとアクロイド侯爵は教会と王家を謀ったとして裁判にかけられることになった。


 調べによればアクロイド侯爵は、オリヴィアに聖女の肩書をつけることで、王太子妃に選ばれることを目論んでいたらしい。オリヴィア自身は王太子妃にたいして関心はなく、ウィルに近づきたいとの思いから父親の勧めに乗ってしまったらしい。

 ちなみに、ノースウッドへの遠征に同行したのは、侯爵の指示ではなくオリヴィアの独断だったそうだ。


 アクロイド侯爵家に対しては、多額の罰金や領地の一部没収など厳しい処分が予想されている。

 国王の信頼は完全に失われ、政治の場での発言力も地に落ちることだろう。

 オリヴィア自身も、戒律の厳しい修道院に送られる予定だ。

 三人の侍女達は教会から聖女の認定を受け、僻地の教会に派遣されることになった。聖女を引退するまで王都へ戻ることは許されないそうだ。


 また、アクロイド侯爵から多額の賄賂を受け取り、オリヴィアに偽りの聖女認定を与えた教会の上層部も、揃って失脚することになった。

 この機に教会内部の浄化も進む見込みだが、教会の腐敗は深刻で、体制が整うまでには相当な時間がかかりそうだ。


 ニーナとルイザは、ニーナが神力酔いから回復し、魔獣襲来の後始末が一段落した頃、ウィル率いる部隊と共に王都に帰還した。

 帰還後は、遠征の報告や偽聖女の件で事情を聞かれるなど慌ただしい日々が続き、気づけばあっという間に一ヵ月が経っていた。


 そして今日、ニーナは面会者が訪ねてきているという知らせを受け、ルイザと共に一般開放区域の小さな礼拝堂にやって来たのだった。

 礼拝堂の扉の前で、ルイザが足を止めた。


「私はここで待っているよ。二人で話しておいで」

「……いいんですか?」

「きみたちを信用しているからね。……まあ、万が一間違いがあったとしても構いはしないだろう。ニーナの引退がほんの少し早まるだけのことでね」

「もうっ、ルイザったら……」


 片目をつむりいたずらっぽく笑うルイザを真っ赤な顔で睨んでから、ニーナは礼拝堂の扉に手をかけた。


 重い扉を開くと、ステンドグラスの光の中に佇んでいた人がゆっくりと振り返った。金の髪が光を弾き、空色の瞳が優しく細められる。


「ニーナ様」


 その声に、その笑顔に、ニーナの胸がどきりと高鳴る。


「クレイグ隊長……」


 ドキドキと忙しない胸を手で押さえ、ゆっくりと進む間に、ウィルの方からニーナに歩み寄った。


「ありがとうございます、お時間を取って頂いて。……俺の話、聞いて頂けますか?」

「お願いごと、ですよね」


 ニーナはコクリとうなずく。ノースウッド教会の裏庭で交わした会話は、はっきりとニーナの記憶に焼きついている。ウィルの願いに応えたい、と思ったことも。


 ウィルがニーナの前に片膝ついた。ニーナの右手をそっと掬い取る。空色の瞳が、緊張の色を宿してニーナを見上げた。


「ニーナ様、ずっと……初めて会った十二歳のときからずっと、あなたをお慕いしていました。どうか、俺の妻になっていただけませんか?」


 その言葉を耳にした瞬間、ぶわり、とニーナの体を温かな波のようなものが駆け抜けた。

 ウィルの大きな手の中で、指先がかすかに震える。

 反対の手を胸に当て、ニーナは静かに深呼吸した。


「……本当に、私でいいのですか?」

「ニーナ様がいいんです」

「でも私、あなたよりずっと年上で……」

「たかだか七つです。じきに誤差になりますよ」

「だけど……クレイグ隊長と私では身分が違います」「そんなこと気にしないで下さい。伯爵家の生まれと言っても、俺は跡継ぎではありませんからね。身分なんて、あってないようなものですよ」

「クレイグ隊長のご家族は反対なさるのでは……」

「ご心配には及びませんよ。家族は皆賛成してくれています。俺の家族にとっても、ニーナ様は恩人ですから」

「……」


 言葉を失うニーナを、ウィルが真摯に見つめる。


「俺はニーナ様と一緒に生きていきたい。……ニーナ様さえよろしければ」


 恋なんて、結婚なんて、自分には縁のないものだと、とうの昔に諦めていた。

 そんなニーナの心を、ウィルの熱い眼差しが溶かしていく。

 心を決め、ニーナはウィルに微笑みかけた。


「私も……私もです。あなたと一緒に生きていきたい」

「ありがとうございます!」


 ウィルが笑顔を弾けさせた。

 立ち上がり、ニーナを正面から抱きしめる。

 真っ赤な顔でニーナは固まった。


「く、クレイグ隊長……!」

「ウィル、と」


 耳元でウィルが囁く。


「……ウィル」

「はい」

「ウィル、あなたが好きです」

「俺もです。これまでも、そしてこれからも、あなただけを愛しています」

 

 広い背中に、そっと両手を回す。応えるように、ニーナを抱きしめる腕に力がこもった。

 全身が幸福感に包まれる。


 ステンドグラス越しの色鮮やかな光が、二人を祝福するようにきらきらと降り注いぐ。

 広い胸に頬を寄せ、ニーナは静かに目を閉じた。




 それから二ヵ月後、紆余曲折の末に二人は婚約。史上最高聖女と讃えられたニーナは、皆から惜しまれつつ聖女を引退した。

 ……はずだったのだが、ニーナはその後も結婚するまで、特例として、教会の要請を受けて臨時聖女として活躍した。

 その傍らには常に、騎士であり婚約者であるウィルの姿があった。


 婚約から半年後に二人は結婚。婚約後に加熱したウィルの溺愛は結婚後も変わらず、恥じらいながらそれに応えるニーナの姿がたびたび目撃されている。

 その後、二人は男女の双子を授かり、家族四人いつまでも仲睦まじく暮らした。


 長く民に尽くした史上最高聖女と最強騎士の夫婦の物語は、国民に広く親しまれ、後の世まで長く語り継がれたという。




〈了〉

最後までお読み頂きありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく面白かったです! ワンコなウィルにはニーナと一緒にもだキュンしました! どんなときも聖女の仕事に真摯に向き合うニーナもかっこよかったです! それと、お話や描写がとても丁寧で、どの…
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