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15 聖女の矜持

 街はすっかり夜の闇に沈んでいた。

 商店は一部の酒場を除いて扉を閉ざしており、家々も灯りを小さくして寝支度に入っている。

 時折遠くで人の話し声や生活音が聞こえるのを除き、あたりは静かだった。石畳を歩くニーナ達の足音が小さく響く。


「騎士団の皆さんは、昼間崩れた壁のあたりで野営をしているのでしたよね」


 結局、日が落ちるまでに仮の防御柵は完成に至らず、猪の魔獣によって破壊された外壁は、その崩れた部分が剥き出しのままになっている。

 騎士団の面々は見張りと防衛のため、崩れた壁のすぐ内側あたりにテントを張って野営をしているという話だった。


 野営場所に近付くにつれ、人の気配が大きくなる。騎士達はまだ起きて活動しているらしい。

 小さな焚き火に近寄ると、数人の騎士と共に夕食の後片付けをしていたバージルが顔を上げた。


「あれっ、ニーナ様とルイザさん、なんかあったっすか?」

「忙しいところをすまない。オリヴィア嬢がこちらに来なかっただろうか?」

「ああ、来たっすよ」


 あっさり返ってきた言葉に、ニーナとルイザは顔を見合わせる。


「本当ですか! オリヴィア様は今どちらに?」


 するとバージルは渋い顔で片眉を上げ、親指を立てて背後を示した。


「隊長のところっす。なんかさっきから、ごちゃごちゃ言ってて。隊長も部屋に戻るように説得してるみたいっすけど……」


 バージルの示した方向に進むと、テントの傍らで立ち話をするウィルとオリヴィアの姿が目に入った。


「……でしたら、ニーナさんを今すぐ王都に追い返して下さいませ」


 聞こえてきた内容に、ニーナとルイザは思わず足を止めた。


「そうでなければ、わたくし、お部屋には戻りません」

「そのようなご冗談を……」


 オリヴィアは胸の前で手を組み、訴えかけるようにウィルを見上げている。対するウィルは困惑している様子だ。


「冗談などではありませんわ。わたくしは本気です。本気で、隊長であるウィル様にお願いに参りましたの」

「……聖女様方の派遣は確かに騎士団の要請に基づくものですが、具体的な派遣を決めるのはあくまで教会です。隊長といっても、俺には聖女様の割り振りを決める権限はないんですよ」

「そのようなこと、我がアクロイド侯爵家の力をもってすれば、後でどうとでもできることですわ。あくまでもニーナさんをこの街に残すとおっしゃるなら、わたくしが王都に戻ります」

「オリヴィア様、そんなことをおっしゃらないで下さい。騎士団にもこの街にも、オリヴィア様とニーナ様、お二人の力が必要です」

「でも、わたくしもう耐えられませんわ。ニーナさんの態度は目に余ります」

「……どういう意味ですか?」


 ウィルが訝しげに眉を寄せる。


「あの方、平民の出ですのに身分もわきまえずにウィル様に馴れ馴れしくなさって」

「俺はそんなふうに思ったことはありませんよ」

「わたくしに対しても無礼なふるまいばかり」

「……確かにあなたは侯爵家のご出身だ。ですが、教会内においては聖女同士はあくまで対等。教会の外の身分や階級は持ち込まれないという認識ですが?」

「そのようなこと、所詮は建前にすぎませんわ。教会内においても、貴族階級と平民とでは聖女の扱いは異なりますもの。ニーナさんだって重々ご承知のはずですわ。なのに、わたくしをあのように蔑ろになさって……」


 不意にオリヴィアの声に涙が混ざる。声を震わせ、上目遣いにウィルを見つめた。


「わたくし、もう限界ですわ……。あの方、皆の前でわたくしのことを役立たずと罵って……診療所から追い出したのです……」

「ニーナ様がそのようなことを?」

「ええ……。確かにわたくしは聖女になって日が浅うございますわ。でも、誠心誠意励んでおりましたのに……それなのにわたくしから強引に仕事を取り上げて……。ご自分の方が優れた聖女だと見せつけ、皆にちやほやされたいがために……」


 ニーナは呆然と立ち尽くした。あのまま続けていれば魔力酔いを起こして倒れるのは確実だった。だからこそ休息を取るよう助言したことを、そのように捉えられていたなんて。

 心臓がドクドクと嫌な音を立てる。ニーナは無意識に、胸元に忍ばせたマトリカリアを服の上からぎゅっと掴んだ。


「わたくしが頼れるのはウィル様だけなのです。どうかわたくしを助けて下さいまし……」


 オリヴィアが大きな瞳に涙を浮かべ、ウィルに縋り付こうと手を延ばす。

 それをやんわりと押しとどめ、ウィルは深く息をついた。


「オリヴィア様。俺はその場にいたわけではありません。ですが、これだけは自信を持って言えます。ニーナ様はそのような方ではない」


 きっぱりとしたウィルの言葉に、ニーナははっと息をのんだ。

 一方のオリヴィアは涙を溜めたまま目を見開く。その瞳が剣呑に細められた。


「……わたくしが嘘をついていると、そうおっしゃいますの?」

「そうではありませんが……何か誤解があるのではないでしょうか。もう一度ニーナ様とお話をなさってみては? もしご不安なようでしたら、俺もご一緒しますので」

「そう……。あくまでもニーナさんの肩を持つとおっしゃいますのね。でしたらわたくしにも考えがありますわ。後悔なさっても知りませんわよ」


 オリヴィアがツンと顎をそらし、挑発するような目をウィルに向ける。

 ウィルはそれを、静かに見返した。


「後悔することなどありませんよ、絶対に」

「……もうけっこうです」


 オリヴィアは身を翻し、教会とは違う方向に歩き出す。ウィルは溜息をついてそれを見送り、後を追おうとはしなかった。


 ニーナは、詰めていた息をほぅと吐き出した。


「ルイザ、私達でオリヴィア様を追いかけましょう。これは教会内で解決すべき問題です」

「ああ、仕方ない。まったく、あのお嬢様は……」


 舌打ちするルイザと共に、オリヴィアの歩き去った方向に急ぐ。

 騎士団のテントの間をすり抜け、行き着いた先は外壁の崩れた場所だった。

 レンガ造りの壁は無惨に壊れ、人の背丈を優に越す高さの穴がぽっかりと暗い口を開けている。

 けれどそこにオリヴィアの姿はなく、見張りと思しき騎士がオロオロした様子で穴の外に目をやっていた。


「今しがたこちらにオリヴィア嬢が来なかったか?」


 ルイザが声をかけると、騎士はホッとした様子で振り返った。


「良かった、今誰か呼びに行こうと思ってたところだったんです。オリヴィア様が壁の外に出て行ってしまわれて」

「なんだって!?」

「危険だからとお止めしたんですが、聞いてくださらなくて。侯爵家のご令嬢を力ずくでお止めするわけにもいかず……」

「事情はわかった。オリヴィア嬢は私が追うから、君は急いでこのことをクレイグ隊長に知らせてくれ」

「わかりました」


 騎士は一礼して駆け出した。

 

「ニーナ、君は壁の内側で待っていてくれ」

「いえ、私も行きます。オリヴィア様が出て行かれた原因は私にあるみたいですし……。私がきちんとお話をして、戻って頂きます」

「あのお嬢様が君の言葉に耳を貸すとは思えないがね……。ま、いざとなったら無理矢理担いででも連れ帰るさ」

「乱暴は駄目ですよ。相手は侯爵家のご令嬢なんですから」

「わかってるさ」


 見張りの騎士が示した方向に、二人は急ぎ足で進む。暗闇の中で、オリヴィアのまとうワンピースが白っぽくゆらめくのが見えた。


「オリヴィア嬢、戻ってくれ。こんな夜更けに街の外を出歩くのは危険だ」


 ルイザが呼びかけるが、オリヴィアは立ち止まらない。


「オリヴィア様、戻りましょう。みんな心配しています。私のことがご不快なのでしたら、顔を合わせずにすむように工夫しますので……」


 ニーナの声に、オリヴィアが足を止めた。追いついたニーナ達を振り返る。


「ウィル様とのお話を立ち聞きなさったのね。本当に品性の卑しいこと」

 

 吐き捨てるようにオリヴィアが言う。


「お聞きになられたのならおわかりでしょう。わたくしはもう、一秒たりともあなたの近くにいたくないの。あなたがこの街に残るなら、わたくしが出て行きますわ。あなた方の指図は受けません」


 そう言って、オリヴィアは再び歩き出す。


「まあ、ウィル様がどうしてもと懇願なさるなら、考えないこともありませんけれど」

「待って下さい、オリヴィア様――」

「卑しい手でわたくしに触らないでちょうだい!」

「あっ……」


 オリヴィアに手を延ばそうとしたニーナを、オリヴィアが乱暴に振り払う。その拍子にニーナはよろめき、尻もちをついた。

 そんなニーナを見たオリヴィアの瞳に、ふいに意地の悪いきらめきが宿った。


「ああ、そうだわ……あなたの態度によっては、戻って差し上げてもよろしくてよ」


 尻もちをついたまま、ニーナが顔を上げる。オリヴィアの赤い唇が、歪につり上がった。


「まずは地面に頭をこすりつけて、わたくしに許しを請うことね。それと、わたくしの許可なしに一切の『奇跡』を行使せず、二度とウィル様と言葉を交わさないこともお約束頂きますわ」

「なにを馬鹿げたことを……!」


 気色ばむルイザを、オリヴィアが見下すように睨みつけた。


「口を挟まないでちょうだい、嫁き遅れの男爵令嬢ごときが。さあニーナさん、あなた次第ですわ。どうされるのかしら?」

「ニーナ、こんなくだらない要求を飲む必要はない。お嬢様は私が殴りつけてでも――」

「ルイザ、駄目ですよ」


 ルイザに小さく首を振る。ルイザの腕力をもってすれば、無理矢理にでもオリヴィアを連れ帰ることは可能だろう。だがそれでは、ルイザが後でどのような咎を受けるかわからない。


 ニーナはオリヴィアの真正面に正座し、地面に両手をついた。そのままゆっくりと、額を地につける。ルイザが悔しげに唇を噛み、オリヴィアの目が楽しげに細められた。


「……オリヴィア様、私の言動で不快な気持ちにさせてしまったこと、心からお詫びいたします。どうかお部屋にお戻り下さい、お願いします」


 土下座するニーナを見下ろし、オリヴィアが愉悦に唇を歪ませた。


「ふふ、わかればよろしいのよ。これからは身の程をわきまえ――」

「ですが」


 ニーナはオリヴィアの言葉を遮り、ゆっくりと顔を上げた。


「オリヴィア様がおっしゃった二つのお約束については、お断りします。それでは聖女の任を全うすることができません」


 ニーナの瞳が静かに、そして揺るぎなくオリヴィアを射貫く。わずかに気圧されてから、オリヴィアは怒りに頬を染めた。


「そう……あくまでもわたくしに反抗するというわけね。それならば――」


 そのときだった。

 ふいに強い瘴気の気配を感じ、ニーナは弾かれたように『黒の森』の方角に顔を向けた。ルイザも一泊遅れて同じ方向を見る。


「なんですの、話はまだ終わってな――」

「声を出すな!」


 ルイザが小声で鋭くオリヴィアを制する。

 ニーナとルイザが息を潜めて見つめる先で、漆黒の闇がぬらりと蠢いた。その中心で、赤く光る目が二つ、ひたとニーナ達を捉えている。


「あ、あれはなんですの……?」


 ようやくその異形の存在に気付いたオリヴィアが声を震わせた。

 フーッ……フーッ……という呼吸の合間に、グルルルルと低い唸り声が混ざる。その音が少しずつ近づくにつれ、息苦しいほどに瘴気の気配が濃くなった。


 やがて輪郭を現した闇の正体に、ニーナは息をのんだ。


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