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14 二人の聖女

 街の小さな診療所は、相変わらず多くの怪我人で溢れていた。

 とはいえ、昼過ぎにニーナが重傷者達に『治癒』を施したおかげで、医師や看護婦達にはいくらか余裕が生まれたらしい。相変わらず慌ただしさはあるものの、殺伐とした雰囲気はずいぶんと和らいでいる。


 診療所内には、昼過ぎに一度訪れて『治癒』の奇跡を起こしたニーナの顔を覚えている者も多くいるらしい。ニーナが診療所に足を踏み入れると、期待に満ちたたくさんの視線がニーナに注がれた。

 今はその期待に応えられないニーナは、申し訳ない気持ちで小さく頭を垂れ、廊下を進む。今日はすでにかなり消耗してしまっている。一晩体を休めて回復し、明日改めて診療所を訪れる予定にしていた。


 オリヴィアの居場所は、人に尋ねるまでもなくすぐに見当がついた。応接室を先頭に、廊下に順番待ちらしき人の列ができているのだ。

 列に並ぶ人々はいずれも怪我人であるため、壁にもたれかかったり床に座り込んだりしながら順番待ちをしている。彼らはみな苛立っている様子だった。


「まだ順番回ってこないのかよ……」

「いったいいつまで待てば……」

「昼間にいらした聖女様はあっという間に『奇跡』を起こして下さったってのに」

「それに、俺たちを並ばせるんじゃなくて、聖女様の方が病室を回って下さった……」


 あちこちで、そんな不満の呟きが漏れる。

 その一つ一つは決して大きな声ではなかったのだが、オリヴィアの耳にもしっかり届いているらしい。応接室のオリヴィアは不愉快そうに眉をしかめていた。


 オリヴィアは一人掛けのソファにゆったりと腰掛け、木製の丸椅子に座る怪我人の男に向き合っていた。触れるか触れないかという程度に患者の身体に触れながら、小声で聖典の一節を詠唱している。

 三人の侍女達がオリヴィアと患者を取り囲むように立ち、同じく患者の身体に手を触れながらオリヴィアに唱和して文言を口ずさむ。

 侍女三人を交えた仰々しいやり方は、聖女に任じられて以来続く、オリヴィアのいつものスタイルであった。


 聖女になってまだ一ヵ月とあって、『奇跡』の扱いには慣れていないらしい。発動までに十分近くの集中を要していた。

 ようやく淡い緑色の光が発生し、患者の怪我が癒える。

 患者の男が礼を述べて応接室を出たタイミングで、ニーナはオリヴィアに声をかけた。


「オリヴィア様、お疲れでしょう。そろそろ休憩をとられてはいかがでしょうか」


 オリヴィアは表情を消し、人形のように美しい顔をニーナに向けた。


「お気遣いには及びませんわ。わたくしはまだ大丈夫です」

「でも、そちらの侍女さんは具合が悪そうですし……」


 ニーナの視線の先では、オリヴィアの侍女の一人が手を胸に当て、顔を青ざめさせている。

 オリヴィアの目つきが険しくなった。


「あなたにわたくしの侍女をご心配頂く必要はありませんわ。あなたたち、何も問題ありませんわよね?」


 オリヴィアが侍女達に順々に視線を向けると、三人はビクリと身を震わせ、無言で顔を見合わせた。一人がおずおずと口を開く。


「お、おそれながらお嬢様、メリンダはもう限界かと……。少し休ませてやっては頂けないでしょうか?」


 オリヴィアはきゅっと眉根を寄せて、メリンダと呼ばれた侍女を見やった。


「あなた、まだ大丈夫ですわよね。そうでしょう?」


 メリンダは虚ろな目をオリヴィアに向けたが、浅い呼吸を繰り返すばかりで何も答えない。

 それまで黙っていたルイザが静かに口を開いた。


「オリヴィア嬢。男爵家の出でありながら侯爵令嬢たるあなたにこのようなことを申し上げるのは不遜と承知の上ですが……使用人を大切に遇するのも主たる者の務めなのではありませんか?」


 オリヴィアの顔にさっと朱がのぼった。美しい顔を歪め、ルイザを睨みすえる。

 悔しそうに唇を噛んだ次の瞬間、オリヴィアはすとんと表情を消し去り、立ち上がった。


「休みたいなら好きになさい。わたくしは宿舎に戻ります」


 そう言い残すと、オリヴィアは侍女達からもニーナ達からもぷいと顔を背け、さっさと応接室を出て行った。オリヴィアの護衛騎士が慌てて後を追う。


 オリヴィアの足音が遠ざかると、残された一同は揃って息を吐いた。

 緊張の糸が切れたようにメリンダがずるずると床に座り込み、他の二人が慌てて支えの手を延ばした。

 ニーナもメリンダの傍らにしゃがみ、その額にそっと手の平を当てた。


「少し熱がありますね。眩暈と吐き気もあるでしょう? 水分と、もし食べられるようなら何か消化の良い物を食べて、ベッドでゆっくり休んで下さい。こればっかりは私の『治癒』でも癒すことはできないので……」


 メリンダが弱々しくうなずいた。

 他の二人がメリンダに肩を貸して立たせようとするが、メリンダは足に力が入らないらしく、なかなか立ち上がることができない。

 「仕方ない……」と呟き、ルイザが侍女達に歩み寄った。


「メリンダ嬢、失礼するよ」


 言うが早いか、ルイザはメリンダの脇と膝の下に手を差し入れ、メリンダを横抱きにして軽々と抱え上げた。

 労わるように、やわらかい微笑みを腕の中のメリンダに落とす。


「大丈夫かい? 宿舎まで送って行こう。きみたちは教会の一室を与えられているのだろう?」

「は、はい。ルイザ様、ありがとうございます……!」


 侍女達は顔を輝かせ、口々に感謝の言葉を述べる。ルイザに抱きかかえられたメリンダも、声は出せないながら、ぽーっと頬を染めてルイザを見上げている。


(あら、またルイザのファンが増えたみたいですね)


 涼やかな美貌で男のように髪を短く切り、すらりと騎士服を着こなすルイザは、さながら男装の麗人である。時折、こうして無自覚に王子様然としたふるまいをしては、女性ファンを作っているのだった。


「ニーナ、きみも絶対に無茶はしないように」


 ニーナに釘を差し、ルイザはメリンダを横抱きにしたまま応接室を出て行く。二人の侍女達も、ニーナに丁重に頭を下げてからルイザの後を追った。


(さて、ではもう一働きといきましょうか)


 気合いを入れて腕をまくり、桶に汲み置かれた水で手指を丁寧に洗う。

 廊下には、オリヴィアから『治癒』を受けるために並んでいた患者達がまだ何人も列をなしている。

 今日はもう『奇跡』の行使は控えるつもりでいたが、具合の悪い中、長い間待っていた患者達を放置してこのまま立ち去るのは忍びない。せめて列に並んでいた人達にだけでも、『治癒』を施すつもりだった。

 そんなニーナの考えは、ルイザにはお見通しだったようだが。


「お待たせしましたが、『治癒』を再開します。私の方から順に伺いますので、その場に座ってお待ち下さいね」


 応接室の外で成り行きを見守っていた患者達に微笑みかける。患者達から安堵と歓迎のざわめきが起きた。





「無茶はするなと、あれほど言ったのに」

「すみません、つい……」


 ルイザの呆れ声に、ニーナはベッドに横になったまましょんぼりと眉を下げる。


「でもおかげで、こうしてお部屋を貸して頂くことができましたし……」


 ニーナ達がいるのはノースウッドの教会の一室だ。

 診療所の患者を『治癒』で癒やしたおかげで数人が退院できることになり、その分、教会に収容されていた怪我人が診療所に移れることになった。これによって教会の部屋に空きが出たため、ニーナ達もベッドのある個室で休めることになったのである。ちなみに、オリヴィアとその侍女達は、侯爵家に忖度した教会により、早々に個室を与えられていた。


 テントで夜を明かすことも覚悟していただけに、ニーナもルイザもホッと胸を撫で下ろした。普段であればテント生活も苦にはしないニーナだが、さすがに体力を消耗しすぎていたからだ。ベッドで休めた方が早く回復することができる。


 ルイザがメリンダを教会まで送り届けて診療所に戻ったとき、ニーナはちょうど列に並んでいた患者達への『治癒』を終えたところだった。

 「大丈夫ですよ」と気丈に微笑んで見せたが、立っているのもやっとなほどに疲れていることは、ルイザにはお見通しだったらしい。問答無用で横抱きにされ、教会まで運ばれたのだった。


 あてがわれた小さな部屋で、二人で軽めの夕食をとった後、ニーナは気怠い身体をベッドに投げ出していた。


「きみはもう夜着に着替えて休んだ方がいい。体を拭くための湯とタオルを借りてくるから、その間に着替えておくんだよ」


 そう言ってルイザが部屋を出ようとしたときだった。

 ノックの音に続き、「ニーナ様、ルイザ様、失礼してもよろしいでしょうか」と声がかかった。聞き覚えのあるその声は、オリヴィアの侍女のものだ。なにやら焦ったような響きがある。


 ニーナはルイザと顔を見合わせ、体を起こしてベッドに腰掛けた。

 ドアを開けると、果たしてそこに立っていたのは、メリンダを除くオリヴィアの侍女二人と、オリヴィアの護衛騎士だった。


「あの、お嬢様がこちらにお見えにならなかったでしょうか?」


 侍女の言葉に、ニーナとルイザは再び顔を見合わせる。


「いや、こちらには来ていないが」


 ニーナもうなずく。診療所で別れて以来、オリヴィアの姿は見ていない。

 侍女達は不安そうに眉根を寄せている。


「夕食後、一人になりたいとおっしゃったので、しばらく遠慮していたのですが……。お休みの支度をしにお訪ねしたらお部屋におられなくて……」

「なんだって。きみは何をしていたんだ?」


 ルイザがオリヴィアの護衛騎士に険しい目を向ける。護衛騎士はビクリと肩を震わせてから、おどおどと視線を泳がせた。


「あ、あの、部屋の前で見張りを。オリヴィア様が出て行かれたのは少し前のことです」

「ではあのお嬢様は自分の意志で出て行ったんだな? なぜ同行しなかった」

「オリヴィア様が付いて来るなとおっしゃったので、その……」

「護衛騎士は聖女の使用人ではない。そのような命令を聞く必要はないんだがね」


 ルイザが呆れたような溜息をつく。護衛騎士は「申し訳ありません」と身を小さくした。


「ともかく、皆で手分けして探そう。何か厄介事に巻き込まれてはことだ」


 ルイザがてきぱきと指示を出し、オリヴィアの侍女達と護衛騎士とで、まずは教会内と診療所を探すことになった。


「ルイザ、騎士団の野営場所にいらっしゃる可能性もあるのでは? もしいらっしゃらなくても、クレイグ隊長にはお知らせしておいた方がいいと思います。場合によっては騎士団の手もお借りしましょう」

「そうだな。私一人で行ってくるからニーナは休んでいるように……と言っても聞かないんだろうな」

「はい、私もオリヴィア様を探します。こんなときに私だけのんびり休んではいられませんもの。大丈夫、少し休めたおかげで元気になりましたから」


 ニーナは笑顔を作って見せたが、ルイザの表情は渋い。


「仕方ない。それに、万が一のことを思えば、なるべく私はニーナのそばを離れない方がいいか……」


 状況からすると、オリヴィアは自分の意志で部屋を出た可能性が高い。けれど、そこに何者かの思惑が介在した可能性も完全に否定することはできない。同じ聖女であるニーナを一人にすることは避けた方がよい。

 護衛騎士としてそう判断したらしいルイザは、溜息混じりにニーナの同行を了承した。


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