13 野暮というもの
それからほどなくしてバージルやオリヴィア達が街に到着したとの報を受け、ニーナとウィルは束の間の休憩を終えることになった。
眠るなんて絶対に無理だと思っていたのに、ニーナは気付けばウィルの肩にもたれかかったまま眠っていた。
一部始終を近くで見守っていたに違いないルイザは、からかうようなことは何も言わず、「顔色が良くなったようで安心したよ」とだけ言って微笑んだ。
実際、わずかな時間でも眠れたのが良かったのか、ニーナ自身も驚くほどに神力酔いの症状は軽減していた。おかげで、いくらか昼食のビスケットを齧ることもできた。こまめに休憩を挟みながらであれば、夜まで倒れることなく乗り切れそうだ。
ニーナはウィルやルイザとともにオリヴィア達を出迎える。
バージルの手を借りて馬車から降り立ったオリヴィアは、人形のように無表情でいたが、ウィルを視界に入れるなりパッと顔を輝かせた。振り払うようにバージルの手を離し、ニーナやルイザには一瞥もくれることなくウィルに駆け寄った。
「ウィル様! ようやく追いつけましたわ! これから聖女としてウィル様のお役に立てるかと思うと、わたくし嬉しゅうございます。さっそくウィル様の鎧と剣に『祝福』を授けてもよろしくて? 魔獣との戦闘で消耗なさったでしょう? さあ、どこか落ち着いた場所で――」
そう言ってのばしかけたオリヴィアの手を、ウィルがやんわりと押しとどめた。
「オリヴィア様、我々騎士団の武具でしたら大丈夫ですよ。ニーナ様のおかげで、先ほどの戦闘ではほとんど消耗していないのです」
無言のまま、オリヴィアの美しい眉がピクリと寄った。
「貴重な神力ですから、より優先すべきことに使ってください。この街の警備兵たちの武具はほとんど『祝福』の効果が切れていますし、診療所や教会にはまだ『治癒』を受けられていない怪我人が多くいます。詳しいことは、ニーナ様にお聞きいただけると――」
「承知いたしましたわ」
ウィルの言葉を遮り、オリヴィアは可憐な笑みを浮かべた。
「ウィル様がそうおっしゃるなら、わたくしはお怪我をされた方々の治療に回ることにいたします。さ、皆さん、参りますわよ」
オリヴィアはやはりニーナにはちらとも目を向けることなく、三人の侍女と護衛騎士を引き連れて歩き去った。
その後ろ姿を見送り、ルイザが呆れ顔で溜息をついた。
「やれやれ。あそこまで無視されると、いっそ清々しいほどだね」
「ここに来るまでの道中もあんな感じだったんすよ~。置き去りにされただの、ニーナ様だけ特別扱いはおかしいだのと、ひとしきり騒いだ後はもうだんまりで。オレら騎士は、扱い空気って感じだったっす」
げっそりと疲れた表情でバージルがぼやく。ウィルが苦笑し、ねぎらうようにバージルの肩をポンポンと叩いた。
「おまえには気苦労をかけたな」
「いや〜、そりゃまぁ魔獣と戦うのに比べたら、なんてことないっすけど……。ていうか、着いたら魔獣倒し終わってたんでぶったまげたっすよ! 猪の魔獣を十数体も! しかも騎士団の被害はゼロってマジっすか!?」
「ああ、全てニーナ様のおかげなんだ」
猪魔獣の群れを倒した方法をウィルが話して聞かせると、バージルは「うっひゃ〜!」と目を丸くした。
「ニーナ様、マジでスゴいっすね! 『奇跡』でそんなことができるなんて知らなかったっす!」
「実は私も初めてで……本当にうまくできるか、内心ドキドキだったんです。でも、クレイグ隊長が信じてくださったから……」
「俺はいつだってニーナ様を信じてますよ」
ニーナが隣のウィルを見上げれば、ウィルがそれに甘やかな微笑みを返す。
そんな二人の様子をじーっと眺め、バージルは「ん〜?」と首をかしげた。
「お二人さん、なんかあったっすか?」
「へ!?」と、ニーナとウィルは声を揃えてバージルに顔を向ける。
「朝と比べて明らかに距離近いっすよね? なんていうか、空気も妙に甘ったるいような?」
二人は同時に顔を見合わせ、パッと飛び退くように距離を取った。その顔は真っ赤に染まっている。
「あ〜っ! やっぱり何かあったんすね!? なんすか、なんすか!? 隊長、もしかしてついに告は――」
「そのくらいにしておけ、バージル。それ以上は野暮というものだぞ」
「あっ、ルイザさんは知ってるんすね!? ひどい、オレだけ仲間はずれじゃないっすか! ブーブー! オレだって隊長のためにニーナ様にアピールしてき――むぐっ」
真っ赤な顔のウィルが、バージルの口を塞ぐ。
「バージル、頼むからおまえはちょっと黙っててくれ……。ほら、仕事に戻るぞ! それではニーナ様、また後ほど!」
「は、はい……!」
モゴモゴと抗議を続けるバージルを引きずるようにして、ウィルは他の騎士団員達のもとへ戻って行った。
ウィル達の後ろ姿を見送りながら、ニーナはいまだに熱いままの頬に両手を当てる。
そのニーナの肩を、ルイザがポンと叩いた。
「バージルにはああ言ったが……落ち着いたら私にも聞かせてほしいものだね。裏庭でどんな話をしていたのか」
「へ!?」
「おや、これでも気を遣って、会話は聞かないようにしていたんだよ」
ルイザがいたずらっぽく片目を瞑る。
ニーナは真っ赤な顔で「うぅぅ……」と呻いてから、「遠征から戻ったら報告します……」と小さな声で返答した。
ルイザは「楽しみにしているよ」とやわらかに微笑んでから、表情を引き締めた。
「ところで、あのお嬢様のことはあのままでいいのかい? 勝手に診療所に向かってしまったが……」
そうですね、とニーナは苦笑する。
「元々、オリヴィア様達にはまず『治癒』をお願いしようと思っていたので問題はありませんよ。優先順位の高い患者さんへの『治癒』はあらかた終わっていますし。あちらはオリヴィア様にお任せして、私たちは『浄化』に回りましょう」
「やれやれ……率先して汚れ仕事を引き受けるなんて、きみは本当に人が好いな」
「適材適所というやつですよ。オリヴィア様達に『浄化』は厳しいでしょう。特に今回のは……」
ニーナとルイザは、案内兼護衛役の騎士と共に、外壁の外に向かった。
壁の外では、ウィル達騎士団が中心となって、街の土木技師や大工と共に、外壁の損壊部分に木製の防御柵を設置する準備が進められていた。だが、これからようやく材料を調達するという段階であり、日暮れまでに完成する見込みは立っていない様子だ。
その状況を確認してから、ニーナ達は外壁から少し離れた農地に向かう。
そこは最初の兎魔獣の襲撃によって被害を受けた農地の一角だった。元は収穫間際のキャベツ畑だったのだろう。魔獣や人に踏み荒らされた畑には、ぐしゃぐしゃに潰れたキャベツの残骸がそこかしこで干からびている。
丹精込めてキャベツを育てたに違いない農夫達の気持ちを思うと、ニーナの胸は痛む。今後の街の食料事情も気にかかるところだ。
だが、気にはなれど、今のニーナにどうにかできる話ではない。ここまでの状態になってしまった野菜は、『治癒』をもってしても綺麗な状態に戻すのは難しいし、そもそも被害に遭った野菜の量やニーナの体調を思えば、『奇跡』でどうにかしようというのは到底現実的ではない。
ニーナは、今最もニーナがすべきことに力を尽くすのみだ。
「さて、では始めましょうか」
腕まくりをし、ニーナは荒れた畑に足を踏み入れる。
ニーナが目指す先では、浄化されないままの鼠魔獣の死骸が転がり、腐臭を放っている。
初めに襲来した兎魔獣を浄化し終えたところで、街の聖女は神力酔い寸前まで消耗してしまったらしい。二番目に襲ってきた鼠魔獣の浄化は、ほとんど手つかずのままだった。
浄化の済んでいない死骸は、人や他の動植物に瘴気の影響が及ばないよう、街の外の荒れた畑に集められていた。
ニーナは鼠魔獣の死骸の傍らにしゃがみ込んだ。死骸に近づくほどに腐臭は増し、目を背けたくなるような惨状が嫌でも目に入る。ニーナは眉を寄せながらも躊躇することなく、血や泥で汚れた死骸に手を触れた。
神力を込めると、触れたところから白い光が生まれ、鼠魔獣の体を包み込んだ。死骸から黒いもやが立ち上る。それが消えると同時に、鼠魔獣の体が縮み、あとには小さな鼠の死骸が横たわっていた。
同じ要領で、ニーナは一つ一つ鼠魔獣の死骸に手を触れ、淡々と浄化していった。
魔獣の死骸に触れなければならない『浄化』は、聖女の仕事の中でも最も嫌われるものの一つだ。長年にわたり聖女を務め、『浄化』の作業に慣れたニーナとて、決して平気なわけではない。けれど年長者としての責任感もあり、これまで率先して『浄化』を担当してきた。
今回も、生粋のお嬢様であるオリヴィアには、魔獣の死骸に触れるどころか近寄ることすら厳しいだろうと思われた。
ニーナに限って言えば、猪魔獣にしたように、魔獣に直接触れることなく浄化することも可能だ。だが、『間接浄化』は直接触れる場合の何倍も神力を消耗する。
今のニーナにそんな余裕はない。通常の『浄化』でさえ、一体行うごとに休憩を挟みながらでなければ、すぐにでも眩暈を起こしてしまいそうだった。
そうしていつもの倍以上の時間をかけて全ての鼠魔獣を浄化し終えたのは、西の山際に太陽が沈もうとする頃だった。
街の北に広がる『黒の森』にはすでに影が落ち、不気味な雰囲気を漂わせている。
「お疲れさま、ニーナ。今日はここまでにして、もう休んだ方がいい」
「そうですね、なんとか『浄化』は済ませましたし……。そういえば、オリヴィア様達は大丈夫でしょうか」
「ああ、様子を見に行った方がいいかもしれないね。神力酔いを起こしていなければいいが」
「ええ」
うなずき合い、二人は街の診療所へと足を向けた。
ちなみにニーナが肩にもたれかかって寝ていた間、ウィルははちゃめちゃにドキドキしながらニーナの頭をなでなでしたい欲と戦い続けていたのでした。




