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12 もう待たないことにします

「へ!? あの、クレイグ隊長、えぇと……!?」


 あわあわと言葉を探す。顔が熱い。いつの間にか眩暈と吐き気はおさまっていたが、代わりに熱が出てきたような気がする。

 動揺するニーナにつられたように、ウィルもまたカァッと顔を赤くした。


「す、すみません! うわ、俺、なんて厚かましいことを……。そうですよね、俺が隣にいたら休めないですよね、すぐにルイザさんを呼んで……」


 そう言って立ち上がりかけたウィルの袖口をニーナは咄嗟に掴んだ。

 振り向いたウィルの目が見開かれるのを見てようやく、自分が大胆なことをしでかしてしまったことに気付く。ますます顔が熱い。ウィルの顔を見ていられなくて、ニーナは顔を俯ける。それでも、彼の袖を離すことはできなかった。


「あの……で、では、肩を貸して頂けますか……?」


 蚊の鳴くような声で言うと、ウィルは小さく息をのみ、「喜んで」と甘やかに目を細めた。


「えぇと……それではよろしくお願いいたします……」

「こちらこそ……」


 互いに頬を染めて向かい合い、ぎこちなくお辞儀をする。

 それからニーナは意を決して、そっとウィルの肩に身を寄せた。

 けれど、肩に触れるか触れないかというところでウィルが身体を強張らせたのを感じ、慌てて体を起こす。


「す、すみません、重たいですよね! やっぱり私……」

「いえ大丈夫です! 鍛えていますのでニーナ様の一人や二人……いや、ニーナ様はこの世に二人といない唯一の方ですが……と、とにかく! 安心してもたれかかってください!」

「は、はい……!」


 勢いに押されるように、ニーナは再びウィルに身体を寄せた。ウィルの左肩に、そっと頭をもたれる。ウィルは今度は、微動だにせずニーナを受け止めた。


 触れている頭に感じるウィルの肩は、どっしりとした安定感があり、適度に柔らかい。そして溜息が出るほどに温かかった。


「眠ってくださっても構いませんからね」


 やわらかな声がとんでもなく近くで聞こえて、ニーナの心臓が跳ねた。 


(そ、それは無理だと思います……!)


 全身が心臓になってしまったのではないかと思うほどドキドキしている。こんな状態で眠れるわけがない。


「あの、眠たくはないので……何か、その、お喋りをしませんか?」


 静かにしていると、暴れ回る鼓動の音がウィルにまで聞こえてしまいそうで、ニーナは咄嗟にそう提案する。ウィルは、「ニーナ様がお辛くないなら」と頷いた。

 けれど、自分からお喋りをもちかけたくせに、気の利いた話題は浮かんでこない。


「えぇと……そうですね、クレイグ隊長はその、えぇと……」


 何か言わなくてはと思いながら、もごもご口ごもっていると、「ニーナ様」とウィルが穏やかに話題を引き取った。


「その、『クレイグ隊長』という呼び方なのですが」

「は、はい」

「もし良かったら……昔のように名前で呼んでいただけませんか? あ、もちろん、聖女を引退されてからで構いませんので」

「昔のように、というと……ウィル君?」


 懐かしい呼び名を、おずおずと口にする。出会った時からウィルが正騎士になる頃まで呼んでいた呼び名だ。するとウィルは、片手で自身の口元を覆った。耳がほんのり赤い。


「うわ……懐かし……。嬉しい……ですけど、ちょっと気恥ずかしいような……」

「あっ、すみません、ウィル君では子どもっぽいですよね……。では、ウィル様……?」

「俺に『様』など不要ですよ。どうぞ呼び捨てにしてください」

「それでは私が落ち着きません。クレイグ隊長はご立派な騎士様で、貴族様なのですから。クレイグ隊長こそ、私に『様』なんていりませんよ」

「そういうわけには。ニーナ様こそ、他に並ぶ者のない史上最高の聖女様ではありませんか」

「今は聖女でも、引退すればただの平民ですから……」


 そう口にしたニーナは、今更ながら重大なことに思い至る。


「あの……そもそも、私が聖女を引退したら、クレイグ隊長とお目にかかる機会はなくなってしまうと思うのですが……」


 聖女と騎士という関係であればこそ、こうして行動を共にすることもあり、言葉を交わすこともできる。けれどニーナが聖女を引退してしまえば、貴族階級に属するウィルと平民であるニーナの世界が交わることはないだろう。


 会うことがなければ、名前を呼ぶ機会などあろうはずがない。

 はじめからわかっていたことなのに、そんな未来を思うと気持ちが沈んでしまう。


 するとウィルは、「機会がないなら作りましょう」と、なんでもないことのように言った。


「?」


 首を捻り、ウィルの横顔を見上げる。それに気付いたウィルが、ニーナに視線を落として微笑んだ。


「ニーナ様は、聖女を引退されたら王都に住まわれるご予定なのですよね? でしたら、俺に王都を案内させて下さい。行きつけの美味い飯屋やパン屋をご紹介したいんです。あっ、菓子店とかの方が良かったらちゃんと調べておきますので!」


 楽しそうに話すウィルに、ニーナは目を瞬く。


「あの、教会の外のことには不慣れなので、案内していただけるのは正直ありがたいですが……でもお忙しいのにご迷惑では……?」

「迷惑だなんてとんでもない! 少しでも頼っていただけるなら、むしろ嬉しいです」

「……本当にお願いしてもよろしいのですか……?」

「もちろんです!」


 ウィルは嬉しそうに目尻を下げてから、不意に緊張の色を浮かべた。


「あの……その街歩きのときに、ニーナ様に聞いていただきたいことがありまして。聞いていただきたいことというか、お願いしたいこと、なのですが……」

「もちろん、私にできることでしたら」


 薬草茶を淹れてほしいとか、そういうことだろうか。などと思いつつ、ニーナは小さく首をかしげる。


「でも、引退後でいいのですか? まだ数年は先になると思うのですが……」

「大丈夫です。……ニーナ様が聖女を引退されるまで、俺、ずっと待ってますから」


 力強い光をたたえる空色の瞳に射貫かれ、ニーナは小さく息をのんだ。

 当たり前のように未来を語る明るい瞳。囚われてしまいそうだと思いながら、ニーナは目を逸らすことができない。


「いつまでだって待ちます。ニーナ様は、『奇跡』を扱えるうちは引退せずに聖女の任を全うすると、そう心に決めておられるのですよね? 俺、その邪魔はしたくないので……」


 ニーナは目を瞬き、「え?」とウィルの言葉を遮った。


「あの、別に心に決めているというわけではないのですが……」

「えっ、そうなのですか!?」


 ウィルが目を丸くする。


「はい。婚約の申込みもありませんし、結果的にそうなるとは思いますけど……」

「婚約の申込みがない? 今まで一度もですか? そんなはずは……」

「あ、若い頃は時々あったらしいのですが、教会が私に内緒でお断りしていたらしくて」

「……なるほど、そういうことだったんですね……。俺、てっきり……」


 ウィルは深い溜息をついてから、何事か得心がいった様子でうなずいた。


 頭の右側、右肩、二の腕。触れた場所から感じるウィルの体温は、ニーナよりわずかに高い。

 相変わらず心臓は忙しないのに、それと同時に、ニーナはこれまで感じたことのない不思議な心地良さに包まれていた。


 その温もりに溶かされたかのように、ニーナの口からポロリと言葉がこぼれ落ちた。


「私……二十歳を過ぎた頃、周りの聖女達が次々と引退していくのが羨ましくて仕方なかったんです」


 ウィルは無言で、ニーナの声に耳を傾ける。


「いえ……正直に言うと、とても辛かった……。どうして私だけこんなに神力があるんだろう、どうして私には誰も婚約を申し込んでくれないんだろう、どうして私だけ聖女を辞められないんだろうって、気持ちが塞いでしまって……。でもね、クレイグ隊長のおかげで私、気持ちを切り替えることができたんですよ」

「俺、ですか?」


 ウィルが不思議そうに首をかしげる。ニーナはうなずいた。


「クレイグ隊長、騎士見習いになったときに、私にその報告をしに来てくださったでしょう? 魔獣を倒すために騎士を目指しますって」

「……もちろん覚えています」


 それは今から九年前。ニーナがウィル少年の命を救った約一年後のことだ。

 細い身体に騎士見習いの制服をまとって教会を訪ねてきたウィルの姿を、ニーナは今でもありありと思い出すことができる。自然と口元がほころんだ。


「私、あの時すごく感動したんです。魔獣のせいで死にそうな目に遭って、普通だったら恐怖で外に出られなくなっても仕方ないくらいなのに、なんて勇敢なんだろうって。あの時のウィル君は眩しいくらいに輝いていて……こんな素晴らしい子を助けられて本当に良かったって、自分の聖女の力が誇らしく思えたんです。それから私、聖女を続けることに前向きになれたんですよ。たとえ結婚できなかったとしても、力が続く限り聖女を続ける人生も悪くないな、って……」


 静かに耳を傾けるウィルの目がゆっくりと見開かれていく。

 その目はほんの一瞬泣き出しそうに歪んでから、やわらかに細められた。


「……俺、ちょっとはニーナ様の人生に関われていたんですね」

「ちょっとではないですよ。これまで腐らずに聖女を続けてこられたのは、ウィル君の……クレイグ隊長のおかげなんですから」


 九年前のことだけではない。正騎士になってからは、何度もその剣でニーナを守ってくれた。嬉しそうに薬草茶を飲んでくれたことも、どんなに励みになったか知れない。

 そして先程の魔獣との戦闘でも、ウィルは躊躇うことなくニーナの力を信じてくれた。ウィルの信頼に応えたいという気持ちが、ニーナにいつも以上の力を与えてくれたように思う。


 親友として、また護衛騎士としてずっとそばにいてくれたルイザが、ニーナにとってかけがえのない存在であることは間違いない。

 けれど、ニーナの心の支えになっていたのはルイザだけではなかった。


 思えばずっと、ウィルの存在はニーナを支えてくれていたのだ。懐のマトリカリアのようにひっそりと、さりげなく。ニーナは今さらながらそのことに気づく。


「嬉しいです、本当に。でも俺、できればもっと……」


 ニーナから目を逸らし、わずかに躊躇った様子を見せてから、ウィルは再びニーナを見つめた。その目許はほんのりと朱に染まっている。


「あの、ニーナ様。格好悪いんですが、前言を撤回させてください」

「はい?」

「この遠征から戻ったら、お時間をいただけませんか? 聞いていただきたいことがあります」

「さっき仰っていた、お願い、ですか?」

「はい。俺……もう待たないことにします」


 空色の瞳が一心にニーナを見つめている。逸らさずそれを受け止め、ニーナはうなずいた。


「……お聞きします。聞かせて、ください」


 ウィルが嬉しそうに目尻を下げる。


(私、あなたの気持ちに応えたいです。たとえどんなお願いであったとしても……)


 心の中で呟き、ニーナもまた微笑む。

 温かな心地良さがニーナを包む。ウィルの肩に身体を預け、ニーナは静かに目を閉じた。

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