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11 どちらになさいますか?

 ノースウッド教会の小さな裏庭を、ルイザに支えられて歩く。その足取りはふらふらと覚束ない。木陰に設置されたベンチにようやく辿り着くと、ニーナは崩れるように腰を下ろした。


「まったく、無茶しすぎだよ。神力酔いを起こしかけているんだろう? 水を貰ってくるから、おとなしく座って休んでいること。いいね?」

「ありがとう、ございます、ルイザ……」


 浅い呼吸の合間にか細い声でお礼を言うと、ルイザは軽く片手を上げて応え、教会の建物内に戻っていった。


 木々に囲まれ春の若草の茂る裏庭には、ニーナの他に人の気配はない。

 ニーナはベンチの背もたれに背を預けて目を閉じた。お守りのように懐に忍ばせたままのマトリカリアに、服の上から手をやり、吐き気を逃すように深呼吸を繰り返す。


(久しぶりの感覚ですね……)


 軽い眩暈と吐き気。頭痛とまではいかないが頭も重い。

 ルイザの言うとおり、ニーナは神力酔いを起こす寸前だった。人前で気を張っていた間はさほどにも感じなかったが、一人になるとその感覚はよりはっきりとした。


(だけど、無茶をしたとは思っていませんよ。あれは必要なことだった……)


 猪の魔獣に対抗するためにニーナが用いた『奇跡』は、『祝福』と『浄化』の合わせ技だった。

 魔獣から瘴気を祓う『浄化』。それを行うには通常、聖女は魔獣に直に触れる必要がある。

 けれどニーナは『祝福』を合わせることで、手を触れた地面に『浄化』を付与し、その地面を媒介にして、範囲内の地面に接する魔獣達に対する『浄化』を試みたのだった。


 ニーナは長い聖女生活の中で、生きた魔獣を直接手で触れて『浄化』した経験がある。

 また、魔獣の死骸に直に手を触れず、物を媒介にして間接的に『浄化』の効果を及ぼしたこともあった。

 だが、生きた魔獣を相手に、間接的な『浄化』を試みたことはない。それも、同時に十数体もの大型魔獣を相手に。

 ニーナにとっても、これは一か八かの賭けだった。そしてニーナはその賭けに勝ったのだ。


 浄化後の猪達は、すでに魔獣でないとはいえ正気を失って暴れていた。その駆除を騎士団に任せ、ニーナは休む間もなく街の診療所に駆けつけた。


 診療所は、前回の襲撃で負傷しながらいまだ聖女の『治癒』を受けられずにいる者で溢れかえっていた。

 ニーナは、患者達のベッドを回り、怪我の重い者から順に『治癒』して回った。

 さすがに全員を全回復させるだけの余力はないと判断し、通常の医術に任せて支障ない程度までの回復にとどめる。


 診療所の重傷者を治癒し終えたら、次は教会へ。教会も臨時の救護所として多くの怪我人が収容されていた。

 ここでも重傷の者から優先して治癒し、命に関わる者、重大な後遺症が残るおそれのある者を全員治癒し終えたところで、ルイザからストップがかかったのだった。


 「ニーナ、きみは今すぐに休むべきだ」とルイザから真剣な表情で言われたニーナは、少しの逡巡の後、おとなしく従うことにした。

 ニーナ自身にも、このままでは自分が神力酔いを起こすだろうという自覚があった。


(まだ怪我をされた人がたくさんいるのに……。『浄化』や『祝福』にも手が回っていない……)


 ぐるぐるとそんなことを思いながら、いつの間にか微睡んでいたらしい。すぐ隣に人が座った気配で、ニーナの意識はゆるゆると浮上した。


「ルイザ……?」


 顔を俯けたままうっすらと瞼を開けると、紺色のズボンに包まれた膝と、水の入ったコップを持つ男の手が目に入った。

 ぼんやりと目線を上げれば、空色の瞳が心配そうにニーナを見つめていた。一気に目が覚める。


「えっ、クレイグ隊長!? あの、ルイザは……?」


 ウィルが空色の瞳をやわらかく細めた。


「すっかり遅くなってしまいましたが、昼食をお届けしようと思ってニーナ様達を探していたんです。そうしたらルイザさんとバッタリ会いまして。お水のお届けと、ニーナ様がちゃんと休むよう見張っておくようにと仰せつかりました」

「そ、そうだったんですか……」


(もう……ルイザったら、いったい何を考えているんですか……!)


 どうぞと差し出されたコップを受け取りながら、近くで見守っているに違いないルイザに心の中で苦情を言う。


 冷たい水を口に含むと、それだけで眩暈と吐き気が和らいだように感じられた。そういえば、昼前に魔獣襲来の報を受けてから今まで、水を飲むことすら忘れていた。


「ビスケットなんですが、食べられそうですか?」

「えぇと……お腹は空いていないので、お水だけいただきますね」


 空腹感がないわけではないのだが、それを上回る吐き気があり、とても喉を通りそうになかった。

 ウィルはそんなニーナの顔をじっと見つめ、心配そうに眉を下げた。

 

「ニーナ様、酷い顔色です。もしや神力酔いを起こされているのでは……」

「あ……えぇと、心配して下さってありがとうございます。でも大丈夫ですよ」


 今はまだ、と心の中で付け加え、なんとか笑みを作って見せる。

 ウィルは悔しそうに顔をしかめた。


「すみません、ニーナ様にばかりご負担をかけてしまって。隊長として不甲斐ないです……」

「いえ、あの場では他に方法はなかったと思いますから。それに、なんとかうまくいったのは、騎士団の皆さんが魔獣をうまく一ヵ所に集めてくれたおかげですよ。あれ以上広い範囲に『間接浄化』の効果を及ぼすのは、さすがに難しかったと思いますから……」


 地面に『浄化』を付与し、その力を間接的に地上の魔獣に及ぼすことで、魔獣を生きたまま浄化する。

 ニーナが立てた作戦は、おそらく過去に誰も試みたことのない『奇跡』を軸にするもの。膨大な神力量と、それを制御する力が求められる。


 ニーナ自身にも、必ず成功するとは断言できない方法だった。

 荒唐無稽だと、そんなことができるはずがないと、切り捨てられてもおかしくない作戦だったのに、ウィルは躊躇うことなくニーナの力を信じてくれた。

 そしてすぐさま他の騎士に指示を出し、ニーナの注文どおりに魔獣を一ヵ所に集めてくれたのだ。


「クレイグ隊長が私を信じてくださったおかげです」


 感謝の気持ちを込めて微笑むと、ウィルは照れたようにはにかんだ。


「以前遠征でご一緒したときに、ニーナ様が直に触れずに魔獣を浄化するのを見たことがあったので……。先ほどの『奇跡』は本当に素晴らしかったです。あのような奇跡を起こせる聖女様は、おそらく後にも先にもニーナ様だけでしょう」


 ウィルは興奮ぎみにニーナを褒め称えてから、再び表情を引き締めた。


「ただ、我々騎士団の見立てが甘かったことは間違いありません。これほど立て続けに魔獣が襲ってくるとは……」

「ええ、それは私も気になっています。『黒の森』で何かが起きているのかも。より強力な魔獣が他の魔獣達の縄張りを荒らしているとか……」

「ありえますね。バージル達が到着したら、王都の騎士団本部に使者を送り、増援を要請しようと思っています」

「私もそれがいいと思います。街の警備や外壁の修復にも人手が必要でしょうし」


 猪魔獣の突進により亀裂が入った外壁は、その後間もなく崩れ、大きな穴が空いた状態になっている。

 侵入を許す前に魔獣を倒せたのは幸いだったが、次に魔獣が襲って来るまでに修復する必要がある。ひとまずの守りとするため、バージル達が到着次第、壁の外側に、破損部分を覆うように木製の柵を設置する予定だとウィルは語った。

 今は猪達の駆除と瓦礫の片付けが一段落し、騎士団の面々も交替で休憩を取っているところらしい。


「それよりもニーナ様、このようなベンチではなく、ベッドで休まれてはいかがですか?」


 仕事の話に区切りがついたところで、ウィルは再びニーナを案じる顔に戻る。


「お気遣いありがとうございます。でも、こうして座って休めれば十分ですよ」


 そう言って微笑んで見せたが、少々強がりであることは自覚していた。

 本当なら、『間接浄化』を行使した時点で、神力酔いを起こしてもおかしくなかったのだ。幸いにもなんとか踏みとどまっているものの、このまま『奇跡』を使い続ければ間違いなく神力酔いを起こす。ベッドに横になって休むべき状況だということはわかっていた。


 だが、診療所にも教会にも、空いているベッドはない。やむを得ず床に敷物を敷いて横になっている者もたくさんいる。その人達を押しのけて、病人でも怪我人でもない自分が横になって休むわけにはいかないと、ニーナは考えていた。


 そんなニーナをウィルは無言でじっと見つめてから、至極真面目な顔で「では……」と口を開いた。


「膝と肩、どちらになさいますか?」

「……え?」


 唐突に問われた言葉の意味がわからず、ニーナはぱちぱちと目を瞬く。


「膝枕と、肩にもたれるのと、どちらがよろしいですか? ただ座っているよりは楽だと思います」


 ぽん、ぽん、と自身の太股と左肩を示しながらウィルが言う。

 ようやく意味を理解したニーナは、しばしぽかんと呆けたのち、顔を真っ赤に染め上げた。


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