四辺形ぶるーす
麻雀知らない人でも楽しめると良いけど どうでしょう?
俺は今、大学の同期と卓を囲んでいる。
場所は大学の頃通った、決して綺麗とは言えない、雑居ビルの二階の雀荘。
個室もフリードリンクも無い昔ながらの造りだが、持込OKで料金が安い。
インフレで死ぬよりデフレで耐える方が庶民の息は続くと考える俺や貧乏学生にとっては、大変ありがたい場所なのだ。
「最後の一局。何か賭けませんか?」
上家に座る辻さんが、ペットボトルのフレーバーティーを一口喉に流し込むと、撫でるような声を発した。
「いいですよ。何を? 場代とか?」
「そういうのは、ちょっと生々しいかな~」
対面に座る武藤が澄ました表情で答えると、否定の見解が戻った。ざまあみろ。
上家に座るのは辻まひる。俺の天使だ。
アニメから抜け出してきたような可愛さ。少し小柄な体型。
七分袖のゆったりとした薄茶色のカットソーに、冷房と日焼け対策だろうか、白のストールを両肩に当てている。
髪は黒。気持ち長めのミディアムに、ゆるいウェーブ。
初めて会った時はストレートだったが、髪型の変化に気付いたのは俺が最初だった。
「あれ、辻さん髪型変えた? いいじゃん」
「あ、わかった?」
「分かるよ~」
大学の研究室。
先に入っていた辻さんにおはようと声を掛け、その日の一日が始まった。
笑顔を向けられて、瞳が開く。胸が突き上がった。
清楚なイメージだった彼女が、可愛さを纏ったのだ。
直後に背後から武藤が現れて、至福の時間を奪っていった――
呆然となったまま、声を掛けられなかった自分を悔やんだ…
しかし時間を戻しても、俺には軽薄な会話が出来そうにない。
それだけは認知して、同時に八つ当たりの感情が湧き出した――
その日から、武藤の態度はあからさまに変わった。
辻さんとの会話が増えたのだ。
増えたと言っても、辻さんにその気は無かった……ように思えた。いや、思おうとした。
俺の天使に纏わりつくハエのよう。
ちょっと待て。それでは辻さんがう〇こになってしまう。他に適当な比喩は無いものか…などと考えながら、俺は一つの真実を胸に隠した。
恋愛の成就は好意を持った順番ではない。行動を起こした順に権利が与えられるのだ――
「じゃあ、ラス引いた人が、トップにご飯驕るってのはどうですか?」
木曜日。時間は21時を回った辺り。
それぞれが仕事を片付けて集まった訳だが、そろそろ小腹も空いてくる時間である。
「OK」
「それくらいなら…」
対面の武藤が承知を告げると、下家の桂木が低い声を発した。
4人のうちで唯一の既婚者。
大学卒業から1年も経たないうちに式を挙げ、自由がなくなったと言いつつも、幸せな新婚生活を送っていると窺える。
肩幅の広いがっしりとした体型。傍から見れば、一人だけ年長者に見えるだろう。
2か月に1回ほど現れる4人組。恐らくは、上司と部下三名。お店のスタッフはそんなふうに思っているに違いない。
「ゆーき君は?」
覗き込むようにして、辻さんが尋ねる。
不意打ちに、思わず頬が染まった気がした――
「いいよ」
短く答えて、勝負が始まった。
「奢りって、今日じゃなくても良いんだよね?」
「当然。二人の話だし」
配牌からの第一打。親の武藤の質問に、発起人の辻さんが答えた。
……待てよ?
二人の話? つまりは、勝ったら辻さんとご飯に行けるってこと??
人生の勝負所は不意にやってくる。この半荘の勝利を切っ掛けに、バラ色の人生が拡がるかもしれない――
これは、絶対に勝たねばならん! 俺は全身全霊で挑む決心をした。
正面に座る武藤をチラッと見やると、相手も気づいたか、不敵な笑みを浮かべている。
お前の気持ちなんてバレてんだよ。まひるは俺のものだ!
言葉には出さないが、気概は確かに伝わった。
手牌は軽い。負けるか! 先ずは先制して主導権を握ること――
いやいや冷静になれ。
俺は山から牌を引き、中を打牌した。
「ポン」
むきー!
対面から声が掛かった。
いや、タンピン系だし。中なんていらんし!
軽く和了ろうとしているのは俺だけじゃなかった…
武藤、許すまじ!
いやいや落ち着け…和了られた訳じゃない。奴は親。当然の策じゃないか。
「リーチ」
10巡目。テンパイ。狙い通りのタンヤオピンフ。マンズの二五待ち。場には3枚切れ。
「くっ…」
対面の心の声が聞こえた気がした。チーを加えて手牌が短くなっている。
苦しかろう。さあ出せ。マンズの三四五で鳴いているお前には、使えまい。親でも降りるなら別だがな…
「あ、ロン」
「え?」
「ピンフドラ1。2000点」
俺の安牌を切った下家から、辻さんが和了った。
イーペーコーへの手替わり考慮のダマテン。彼女らしい。
各人の雀力は、俺と武藤が一歩抜けている。
打順で言えば俺は堅実な2番打者。但し狙って大きいのも打てる。
武藤は5番打者か。打点は稼ぐも、振り込みも目に付くといったところ。
桂木は6番打者。打率は低いが一発大きいのを放り込む。
辻さんは7番打者。ユーティリティープレーヤー。そして明るいムードメーカー。
なんならマスコット。そして俺だけの天使(2回目)
先制点は辻さんが奪ったが、局が進むにつれて実力通りの展開となっていった――
……そんなこんなで最終局。
現在トップは俺。点差は二位が武藤で1600。辻さんが三位で8000点。ラスが桂木で約11000点の差。
リーチの1000点棒が左右する場況。
有利には違いないが、追われる立場の苦慮というものがある。
配牌は…悪くない。カンチャン二つを捌ければ、三色で逃げ切れる――
……待てよ?
辻さんは「ラスがトップに」 と言った…
いかん。トップを取るだけじゃイカンのだ! あほか俺! なんたるミス!
俺は慌てて雀卓の点数表示を確認した。
3900点以上を辻さんから和了るしかない…
三色ピンフ? タンヤオピンフ? ドラは字牌。使い辛い…
四巡目。引いてきたのはドラの南。
場には出ていない。さすがに切り難い。こいつの処理をどうするか…切るなら即か…
いや、トップを取るだけじゃダメなんだ。 しっかりしろ俺! とりあえず残す。
六巡目。ドラがキター!
これで鳴いて三色でOK。とりあえず形にはできそうだ。後は神に祈るのみ…
11巡目。2索を234でチーしてテンパイ。カン3ピン待ち――
「タンヤオで逃げるつもり?」
「まあ、トップだしね」
明るい辻さんの声が飛んできた。
大学時代から声を掛けてくれる彼女。少なくとも嫌われてはいない筈。
トップを取って誰かに奢ってもらうつもりだったのだろうが、今では3着で良いと思っているだろう――
しかし辻さん、タンヤオでは無いのだよ。
1000点だと思って振ってくれ!
改めて場況を確認。
上家の親はマンズが高い。ホンイツか…いや、桂木の事だからチンイツ…
不穏だが、所詮はラス。気にしても仕方がない。
対面の武藤は苦しそうだ。思考は俺と同じ筈。
第一打が6索。中張牌の切り具合から、チャンタかイッツー。ドラ単騎で満貫狙いか?
残念だったな。ドラは俺が抱えているのだよ…
「リーチ」
14巡目。親が来た。
河にはマンズが一枚。リーチ宣言牌の八万のみ。これは…ツモ和了で逆転トップまでありそうだ――
え? そしたら辻さんがラスに落ちる? おいおい…
桂木をチラッと見ると、泰然と構えている。
やることはやった。後は神のみぞ知る――
邪心は無い。コイツは純粋に麻雀を愉しんでいる――
く… それに比べて… 眩しい… これが既婚者の余裕ってヤツか…
しかし… 桂木は3ピンを1枚切っている。
辻さん、持ってるだろ? 現物を切ってくれ!
「うわ…」
武藤が落胆を吐き出した。どうやらマンズを引いたらしい。
よしよし。これでお前は親の連荘。次局に賭けるしかなくなったな。
つまりは俺のトップか桂木の逆転トップ。若しくは連荘で次局。
又は流局二人テンパイで、その場合は…辻さんがラスに落ちる!
胸がドキリと脈打った。
確率的に…十分あり得る。
「あ、ロン」
野太い声。上家の牌が倒れる。予想通りのメンホン。おいおい裏は乗るな!
「あ、裏1。一万八千」
「えー。高いー」
三万切り。
え? 辻さんなんで?
「ドラ切るより良いでしょ?」
どうやらテンパイしてたらしい。
流局=ラス回避の打牌だったという訳だ。
「負けちゃったじゃん。仕方ない。桂木君。なんか奢るね。何が良い?」
明るい声が吹き抜ける。
ああ……これは仕方がない……邪な考えを浮かべた未熟者を、天が見放したのだ…
「いや、別にいいよ」
桂木は固辞をした。
大人の振舞い…余裕か…同い年の筈だけど。
「ダメ。なんか食べたいもの言って!」
「え? じゃあ…スガキヤでいいや」
「スガキヤって…まあいいけど?」
スガキヤデート…高校生かよ。羨ましい。
「いつにする?」
「えー。ほんとに行くの?」
会計を済ませて外へ出る。初夏の風は湿気を含んで生暖かい。
都会の喧騒の中。がっしりとした背中と小さな背中を眺めながら歩道を歩く。
「残念だったな。俺らはラーメン行こうぜ」
武藤が話し掛けてきた。
仕方がない。野心の潰えた者同士、飯でも行くか…
「しっかし、マンズ切は無いよなあ…」
「ん?」
「張って無かったもん」
「……」
え? え? それってつまり?
…15分後、俺は一心不乱にラーメンを搔っ込んだ――
後日譚も考えたりしてますが、先ずは短編で。
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o