第三王子の夢を見るわたし
その子供は、何度も何度も殺される。
くじけぬよう前を向いても、心折るように、人に世界に殺される。
そんな『彼』の夢を五年も渡り見続けたのだ。私の心が、彼に奪われてしまっていても、仕方のないことだと思う。
私が不思議な夢を見はじめたのはまだ小学生のとき。その夢の中は、なんと、中世風のファンタジー世界で、『彼』はある国の王子様。最初に見たのは、国の兵士たちに囲まれて、幼い子供の彼が首を切り落とされるという衝撃的なものだった。
なのに彼は、その後も、魔法で、剣で、太陽の日差しに焼かれて、何度も死を繰り返して。なのに……生きることを諦めなかった。
ただの、夢。誰に言っても信じられることもない、あり得ない夢。だけど忘れられない夢。
高校生活は、少し忙しくて、だけど中学生の頃より広がった交友関係と自由があって、きっと穏やかなものなんだと思う。
少なくとも暗殺者が追いかけてくることはないし、誰かと死闘を繰り広げることもない。
なんてことを考えて……首を振る。
ただちょっと、授業の終わったばかりの教室の喧騒に、平和を感じ取ってしまっただけだ。
「美青ー今日、部活行く?」
「うん。マキちゃんも?」
「おうよ」
授業が終わり、荷物を鞄に入れていると、マキちゃんに声を掛けられる。マキちゃんは、同じ読書部のお友達。眼鏡をかけたくせ毛をおさげにしてる女の子。
読書部は、本を読む専門の人もいれば、物語を書く人も入り混じっている。わりと何しててもいい感じの緩い部だ。その中でもマキちゃんは読専の人。いつも面白い物語を教えてくれる。私はこの部活をとても気に入っている。
鞄を持ってマキちゃんを追いかける。
「今日はなにするの?」
「ウェブ小説を最後まで読みたいところ」
「最近読んでる人多いね」
「それは佐伯先輩が書きだしたからであろう」
「え……先輩が?」
「うむ……口外はしない方がいいと思われる」
「本当にね……外の人にはね……」
同じ部活の佐伯夕貴先輩は、私たちがいうのもなんだけれど、どうして読書部という地味な部活にいるのか分からないハデな人種の人なのだ。
まず、すごい美男子だ。
サラサラの茶色の髪と薄い茶色の瞳、そしてスラリと背の高いバランスの取れた体躯は外国の血を感じさせるもので、クォーターという噂がある。すっと通った鼻筋、薄い唇、甘やかさを感じる綺麗な瞳。顔が小さすぎて、こんな日本人この世界にいたの?と思うくらいの美形だ。
なのでとにかくモテる。彼が歩くだけで、遠くからでも分かる。女の子がざわつくのだ。そんな人普通いる?存在がまるでどこか遠い世界の貴公子だ。
だけど、佐伯先輩自体は、控えめな性格で、あまり表に出ることは好まないみたい。
本が読むのが好きで、読書部に「目立たないようにこっそりと」通っていた。色んな本を山のように読んでいて、ご自分でも小説を書かれている。私が入部したときには、さわやかな笑顔で迎えてくれたものだ。
「バレたら大変そうだね」
「うむ……苦労がしのばれる」
私たちは佐伯先輩の優しい人柄好きなので、出来るだけ騒ぎ立てないように、周りからも佐伯先輩を隠してあげられるように、少しだけ気を遣って過ごしている。
成績も優秀らしくて、張り出されるといつも上位に名前を見る。生徒会長選も勧められたらしいけれど、断ったらしい。生きてるだけで注目されてしまうとは大変だ。
「こんにちわー」
「にちわー」
窓際の椅子に座った佐伯先輩は、今日も本を片手に読書中のようだった。木漏れ日がサラサラの髪を薄く透かしている。色素の薄い彼の神々しいお姿をうちの紺色のブレザーの制服すら引き立てているように思える。
視線を上げると、茶色の瞳を少し細めるように微笑んだ。
「こんにちわ」
マスクが甘すぎる、と思う。
「今日人すくないっすね」
「テスト近くなってきたしね」
マキちゃんと先輩が世間話をし出したのを聞きながら、私は椅子に座ってノートとペンを取り出した。実は私は毎日の夢ノートを付けている。
毎日見る変わった夢を、創作のようにしてノートに残している。大事な思い出を残しておきたいのだ。夢なんて、そんなに長く記憶しておけない。だから、小学生のころからずっと日記に書いていた。
書いていると不思議な気持ちになる。
私のまわりには、毎日の宿題とか、女の子同士のちょっと気を遣う人間関係とか、好きな男の子がどうとか、そんなことばかりなのに、夢の世界はこことはまるで違って、生きるとか死ぬとか、そんなことばかりで。
明るい日差しの中でお気に入りのノートに好きなキャラクターのペンで書き綴ることは、なんだか、重い物語や、辛い気持ちを少しずつ成仏させていくような、そんな気持ちになるのだ。
集中していて気が付かなかったけれど、急にノートに影が落ちた。顔を上げると、佐伯先輩が私を覗き込んでいた。綺麗な瞳が私をまっすぐに見ている。
「何書いてるの?」
ふわっと先輩から甘い匂いがするような気がした。息を吸うようにフェロモンを出しているような先輩の顔を間近に見て、ひるんでしまう。
「えっと……これは、おじいちゃんの小説の二次創作です」
「へえぇ?」
私のおじいちゃんは小説家だった。ちょっとは有名な人で、ファンタジー大作をいくつも書いているのだけれど、代表作はフェイラル国物語だ。
「面白そうだね。どの作品?」
先輩は、以前おじいちゃんのファンだと聞いたことがある。興味津々に聞いてくる。
「あの、フェイラル国物語の第三王子が、もしも生きてたらって……」
「え……あの、暗黒王子?」
「そうです。あの彼が、生き残ってて、世界中の人に疎まれながらも、一人で国を救おうって奮闘するんです……」
先輩はちょっと驚いたように瞬きをして私を見つめた。
「それは変わってるね。だけど面白そうだ」
「生き返ったときには未来のことを予言のように知っているようになってて、本来勇者が行うことを先回りして、来るべき神獣との戦いに備えていくんです……」
夢の世界をぼんやりと思い浮かべながら言っていると、佐伯先輩が真顔で私のノートを覗き込んでいる。お顔が近すぎた。
「あ、あの……」
「ああ、ごめんね」
佐伯先輩は身を引くと、考えるようにしてから、何かを思いついたように言った。
「俺も二次創作を書いてみたいな……」
「え?」
「フェイラル国物語の……いいかな」
「ええもちろん」
「書いたらウェブに載せるから、アカウント教えておくね」
「ありがとうございます。私も教えますね」
そうしてその日は先輩とアカウントを教え合って、先輩のウェブ小説が読めるようになってしまった。
今までは連絡先も知らなかったし、誰かを介さないでこんな風に話したのは初めてな気がした。というのも、みんな先輩に少し気を遣っているので、連絡先を教えてください!なんて突撃するような後輩はいないのだ。
帰宅中、初夏に向かう季節の気持ちの良い風を感じながら、夕暮れの街並みをぼんやりと見つめる。
帰ったらご飯何かな、とか、そろそろ試験勉強真面目にやらないとな、とか、佐伯先輩の小説後で読もうとか、いろんなことをごちゃごちゃと考えながらも、いつしか気持ちは夢の中の光景を思い出してしまう。
『生きなくちゃ……!生き延びなくちゃ……!!』
夢の中で、まだ小学生の私と歳の変わらない小さな男の子が、懸命に泣き叫んで生きていた。
胸の前でぎゅっと拳を握る。私はこんなとき、決まって切なくなるのだ。
家に帰ると、お母さんがバタバタと音を立てて忙しそうに動き回っていた。リビングのソファの上にはごちゃごちゃと旅行用品が散らばっている。
「ただいまおかあさん。どうしたの?」
「ああ、美青、大変なの」
「うん?」
「おじいちゃんが体調が悪いみたいなの、ちょっと泊りで見てくるわ」
「え、大丈夫?」
「もう歳だからね。一緒に暮らせればいいのだけど……」
作家のおじいちゃんはおばあちゃんが亡くなったあと、思い出深い古い一軒家に一人で住んでいた。私たち家族と一緒に住むには狭すぎる家なのだけど、頑なにそこから離れようとしなかった。だけど、あの古いおうちは、私にも思い出がたくさんあって、気持ちが分かるので反対なんて出来ないのだ。
「おとうさんのことよろしくね」
「うん。心配しなくていいよ。気を付けてね」
おかあさんが出かけるのと同時におとうさんが帰ってきたので、私はご飯を炊いて炒め物を作って夕食にした。
おじいちゃん大丈夫なのかな……そう思うと、あまり食が進まない。私は自他ともに認めるおじいちゃんっこだ。おじいちゃんが書く物語も大好きだけど、優しく賢いおじいちゃんが大好きだった。
とはいえ宿題と予習と、試験勉強を終え、寝る前に思い出して先輩の小説を読んでみたら、とても上手な文章で、純文学のような少し難しい小説を書かれていた。奥深いテーマと、繊細な描写と心の動きが描かれていて、ああ、先輩らしいなって思った。
(一見派手な感じの人だけど……思慮深いっていうのか、そういう感じのする人なんだ)
私も今度何かネットに書いてあげてみようかな。なんてそんなことを考えながら電気を消して布団に入る。
目を瞑り、眠りに落ちるまでのほんのわずかの時間……毎日少しだけわくわくする。
『彼』の夢は、昼寝しても見れないのだけど、夜中に寝ると大体見れるのだ。よく覚えていない日も多いし、彼の苦しみに共感して辛い日もあるのだけど、それでも、見させてもらえるものはどんなものでも大事に思える夢。
(誰も、信じないよね)
同じ夢を見てるなんて、だって、頭おかしいもん。
しかも、おじいちゃんの小説の二次創作だよ。ないない。100%ない。
私だってそんなこと分かってる。
(でも……)
あの夢の中の彼の姿は、いつだって私に勇気をくれる。
彼の姿をほんの少し見守れるだけで嬉しい。
いつ終わるのか分からないこの夢がずっと続いてくれたらなって私はちょっとだけ思ってる。