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第9話

「もう……痣になってるじゃない」

「ぐふふ……」


マザーたちオークに案内された洞穴の住居で、タルトが鎧を脱いだアリーゼの治療をしている。オークの戦士たちとの連戦に加え鎧の上からマザーに殴り飛ばされたことで全身痣だらけだったが、アリーゼ本人はご満悦といった様子で端正な顔に気味の悪い笑みを浮かべていた。


「グランにも勝った……リベンジ完了」

「ふざけるな耳長! マザーが乱入してきたどさくさに紛れて襲い掛かってきおって!」


左腕を折りダランとぶら下げたオーク──グランがアリーゼの反論にいきり立って反論するが、彼女はそれを鼻で笑う。


「ぐふふ……負け犬の遠吠え」

「貴様っ! 表に出ろ! 今度は一対一で叩きのめし──」


──ドゴォッ!


「喧しい! あたしの客の前でキャンキャン騒ぐんじゃないよ!」


マザーがぶん投げた水入れに顔面を強打されたグランがその場から五メートルほど吹き飛び、壁にぶつかって沈黙する。息はあるようだがピクピク痙攣していて意識はない。唖然とする周囲をよそに、マザーは子供に軽い拳骨でもくれてやった後のように、やれやれと嘆息した。


「全く……腕折れてるくせに何イキがってんだか。ケガが悪化でもしたらどうする」

『…………』


直前の一撃さえなければ完璧だっただろうが、賢明な者たちは沈黙を守った。


「ぐふふ……おっしゃる通りです、マザー」


自分自身マザーにぶん殴られた後だというのに、アリーゼはそのことを抗議するでもなく楽しそうに追随する。付き合いの長い仲間たちはそれを『久しぶりに暴れてハイになってやがる』と見抜き、胸中で嘆息した。


「おう。それにしても耳長。あんた前より大分動けるようになってたじゃないか」

「ゲフッ! ぐふ、ぐふふふふ……」


マザーにバンと背中を叩かれ、むせて少し顔色を悪くしながらも気味の悪い笑みをやめないアリーゼ。マザーはそんな彼女の頭を乱暴に撫でながらニヤニヤと続けた。


「頑丈なだけで若造どもの相手が精々かと思ってたが、中々……もうちょいしたら、本格的にあたしが撫でてやってもいいかもね」

「ぐふ……ふ……」


アリーゼの顔色が一気に悪くなるが、巻き込まれたくないので誰も関わろうとはしなかった。


この洞穴に来る道すがらクロエもソルから説明を受けたが、先ほど行われていたアリーゼとオークの若手たちとの乱闘騒ぎ──ソル曰く「レクリエーション」──は、戦闘種族であるオークの闘争本能を充足させるためのものであったらしい。


オークは現在では亜人として人類圏の一員という扱いをされているが、元々長きにわたって人類と戦争を繰り広げてきた好戦的な種族だ。人類圏で暮らす者たちはその戦闘本能に蓋をして生きているものの、遺伝子に刻まれた戦いへの渇望はそう簡単に抑えられるものではない。他の種族との間で衝突を起こすなど日常茶飯事。窮屈な人類圏での暮らしを捨て積極的に人類と敵対する道を選ぶ者も珍しくはなかった。


同族間で闘争本能を満たせればよいのだが、殺しは無しと取り決めていても熱が入れば事故は起こる。剛腕のオーク同士が戦うのだから猶更だ。


そして例え殴られてもことが終われば恨みっこなしと言えるならまだ良かったが、オークは本質的に執念深く恨みを忘れない。オーク同士の模擬戦は必然、中途半端なモノにならざるを得なかった。


そんな時オークたちが出会ったのがタルト一行でありアリーゼだ。


アリーゼもまたオークに負けず劣らず好戦的で、常にその力を振るう機会を欲していた。しかも強固な鎧を纏った彼女の防御力は絶大で、並のオークではほとんど痛痒を与えることができぬほどに頑丈。また戦闘技術は並か少し上程度で、攻撃は雑。一撃でオークを倒せるほどではないし、致命傷にもなりにくい。体力──正確には鎧を動かす魔力──だけはあるので長期戦になりやすく、オークたちの闘争本能を満たす上でアリーゼは格好の相手だった。


結果、両者の利害が一致し、アリーゼと若手オークたちは顔を合わせるたびにあの乱闘騒ぎを起こすように。


ちなみにアリーゼが勝つ毎に、負けた相手はこちらが持ち込んだ商品を言い値で購入し、逆にアリーゼに勝てれば商品を一個プレゼントと言うのが戦う上での取り決め。ただそれは取引全体から見ればほとんど影響はなく、戦う上での形式上の口実に過ぎなかった。


タルトたち他にメンバーにとっては全くどうでもいいやり取りだったが、アリーゼのストレス発散と、オークたちと気持ちよく取引するために、毎度付き合わされている形だ。




「マザー。先ほど自分たちに頼みがあると仰っていましたが、先に取引を済ませても構いませんか?」


アリーゼの手当てがひと段落し、場が落ち着いたタイミングでソルが恭しく切りだす。マザーが鷹揚に頷いたのを確認し、彼は自分たちが持ち込んだ大きなズタ袋四つ分にもなる商品を、シロと二人でマザーの前に袋ごと差し出した。


「ゾッド! 確認しな」

「はっ!」


マザーの指示で数人の若手オークが袋の口を開き、中の商品を取り出して確認する。


「────っ」


その商品を知らなかったクロエは、声を上げそうになるのを住んでのところで堪えた。


袋から出てきたのは斧や槍の穂先など鉄製の武器類。多少くたびれたものもあるが、どれもかなり大振りで重量感がある。


オークたちはしばし武器をためつすがめつしていたが、やがて満足そうにマザーに向かって頷いて見せた。


「よし。そんじゃ、次はこっちの番だ」


パンパンとマザーが手を叩くと、洞穴の奥から数名の女性オークが籠に何かを載せて運んできた。クロエがざっと見た限り、鉱石や何かの甲羅と鱗、干物のようなものが並んでいる。


今度はタルトが前に進みでて、運ばれてきた品を一つ一つ鑑定していく。五分ほどかけて全ての品を鑑定したタルトは、満足げに一つ頷き、口を開いた。


「……結構な品をありがとうございます。ですが、いつもの交換レートと比べて、少しいただく物が多いように思いますが……?」

「なに、頼みごとの礼の前払いだ。気にせず受け取ってくれ」


マザーはニヤリと笑って言い放ち、タルトとソルは顔を顰めそうになった。


頼みごととやらはなるべくフラットな状態で話をしたかったので先に取引を済ませようとしたのだが、どうやらマザーの方が一枚上手だったらしい。先に報酬を貰ってしまえば断りづらくなるし、ここから適当なレートになるよう選んで品を突っ返すのも角が立つ。


タルトとソルは顔を見合わせ、仕方なく一旦運ばれてきた品はその場に置いたまま、ソルが口を開いた。


「……まだ自分たちがお役に立てるとは限りませんが、一先ずその頼みとやらについてお話だけでも聞かせていただけますか?」

「ああ。そう肩肘張らないでおくれ」


マザーはソルたちの反応を面白がるように話を続けた。


「実のところこの問題に関しちゃあたしらオークはまるで役立たずでね。あんたらに頼るしかないって有様さ」

「……ご謙遜を」


その気になれば一〇秒とかからずこの場にいる全員──若手オークを含め──を皆殺しにできる化け物が何を言う、と皮肉を込めてソルが返す。しかしマザーは少しだけ表情に苦い色を宿してかぶりを横に振った。


「いや、こいつは謙遜でも何でもない。ホントにあんたらに頼るしかないんだよ。何せ相手は亡霊ゴーストだからね」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


亡霊ゴーストを魔物と見做すかどうかについては、実のところ識者の間でも意見が分かれている。


例えばこれがスケルトンやグールといった肉持つ不死生物アンデッドであれば、自然ならざる亡者として魔物に分類することに違和感はない。


しかし亡霊ゴーストは現世を彷徨う故人の魂──と思われるもの。例えば死んだ自分の身内が、何かの未練で現世に留まり亡霊ゴーストとなっていたからと言って、それを魔物扱いされるのは決して気持ちの良いことではないだろう。


だが一方で、ほとんどの亡霊ゴーストは生前の妄執にとらわれ真っ当な自我や知性を失っており、人を襲い害することも珍しくない。故に、そもそも死後現世に留まること自体が不自然であってはならないことであり、魔物として積極的に祓うべきだと主張する識者は多かった。


どちらの主張にも共通しているのは、亡霊ゴーストが地上に留まっているのは不自然な状態であるということ。発見されれば専門家によって処理されるのが一般的であった。




「【除霊ターン・アンデッド】!」


半迷宮の一角を徘徊する亡霊ゴーストの一団を、タルトの放った浄化の光が包み込む──が。


『グォォォォォォ!!』


しかし七、八体いた亡霊ゴーストの内、タルトの呪文で祓うことができたのは一体のみ。他の亡霊ゴーストたちは恐慌状態となり、呪文を使ったタルトに襲い掛かってきた。


「ありゃりゃ──【破邪結界プロテクション・イーヴィル】」

『…………(ゴゴゴ)』


傍に控えていたクロエが結界を張り、アリーゼが身に纏う鎧の瘴気で亡霊ゴーストを威圧してタルトを守り、その隙に再びタルトが呪文を唱える。


「え~い……【除霊ターン・アンデッド】!!」

『グガァァァァァ!?』


タルトの渾身の呪文は先ほどより強い光を放ち、亡霊ゴーストたちを怯ませたものの、完全に祓うには至らない。


僧侶クレリックは対アンデッド戦のスペシャリストであり、その上級職である司祭ビショップのタルトもその系統の呪文は習得しているが、呪文を習得していることと実際に対処できるかは別問題。


上級職ではあってもレベルの低いタルトの呪文では、アンデッドの格や性質によって効果が及ばないことが多々あり、良い効果が出るまで繰り返し試行するしかないのが実態だった。


「あ~ん、もう! こういう力技は得意じゃないのに~!」

「タルトしかそっち系の呪文は使えないんだから文句言わない。ほら、あたしの結界が効いてる内に、もう一回」

「うう~……【除霊ターン・アンデッド】!」




アンデッドへの対抗手段を持たないソルとシロ、そしてマザーたち数名のオークは、タルトがヤケクソ気味に呪文を連発する様子を離れた場所から観察していた。


「……苦戦してるねぇ」

「仕方ありませんよ。さっきも言いましたけど、タルトは呪文を使えるってだけでアンデッド戦の専門家じゃありませんから」

「ワン」


渋い顔をするマザーに、ソルとシロが仲間をフォローするように言う。


「おっと、すまないね。別に文句を言ったつもりはないんだ」

「分かってますよ」


苦笑するマザーに、むしろソルは気持ちは分かると同意する。何せ対処が必要な亡霊ゴーストはあそこに見えるものだけではない。唯一の頼りがこの程度の数に四苦八苦していては、誰でも渋い顔にもなろうというものだ。


ここにいるマザーたちオークの一団は対霊戦の攻撃手段を持たない。呪術師系オークはいるが、彼らでは今クロエがやっているように結界を張って凌ぐことはできても、根本的に対処することができない。


彼らがオークでなければ教会に対処を依頼することもできただろうが、宗教家の多くはその宗派の成り立ちから亜人種に厳しい。オークが助けてくれと言ったところで余程の金銭でも積まない限り忙しいと無視されてしまうことは想像に難くなかった。


──いや、そうじゃなくてもこいつは……


いくらタルトが未熟とはいえ、通常自然発生するレベルの亡霊ゴーストであればこれほど対処に苦労することはない。うっすら半透明に見える亡霊ゴーストたちの装いを見やり、ソルはタルトたちが苦戦している理由と、このオークの依頼の背景を概ね推察していた。



「もう! 無理無理! 無理です~!!」


そうこうしていると、対処を終えたタルトがプリプリ文句を言いながらソルたちの方に戻ってくる。一先ずその場にいた亡霊ゴーストは姿を消していたが、完全に祓えたのは半数ほどで、残りは一旦その場を立ち去っただけ。またしばらくすれば再出現してくるだろう。


「ご苦労さん。ま、無理に急かしはしないから、ゆっくり祓ってくれればいいよ」

「そういう問題じゃありません~!」


笑いながら労うマザーに抗議するタルト。

普段の彼女なら上位者であるマザー相手にこんな態度は取らないのだが、疲労で感情の抑えが利かなくなっているのか、歯を剥き出しにしてウガー、と叫んだ。


そんな彼女の態度を無礼と怒ることもせず、マザーも、その周囲のオークたちも黙って受け入れている。


つまりは確信犯か、とソルは自分の推察に確信を深めた。


「自然発生で心当たりはないって言ってたけど、絶対ウソじゃないですか~! 普通の亡霊ゴーストならまあ、多少数がいても二、三日で祓えると思いますけど、宗教家の亡霊ゴーストなんて相手にできるか~!!」


タルトが憤慨している通り、この半迷宮に出現している亡霊ゴーストは皆、僧侶クレリック神殿騎士テンプルナイトといった宗教家がベースとなっていた。


一般人だろうと宗教家だろうと死んでしまえば一緒だろうと思われるかもしれないが、強い信仰心を持つ者の亡霊ゴーストは非常に厄介な存在だ。何せ一般人の亡霊ゴーストと比べてけた外れにしつこく、祓うのが難しい。


そもそも大前提として、信仰心の強い者が死後亡霊となることはほとんどない。それはほとんどの宗教において人は死後現世を離れ、天界や冥府、喜びの野、星界といった“あの世”に行くと信じられており、信心深い者は迷う必要がないからだ。


そのため、信仰心の強い宗教家が亡霊ゴーストになるのは現世に強い執着があるケースなどに限られ、その執念の分だけ祓うのが難しい。


また僧侶クレリックなどが使う【除霊ターン・アンデッド】の仕組みは、宗派ごとの死後世界観の押し付けだ。現世に留まっている魂に対し『死者はあの世に行くものだ』という宗教的な価値観をぶつけ、多数派意見で圧迫して説得するようなもの。そうした死後世界観を承知の上で現世に留まっている魂に対しては効き目が薄い。


そのためそういった背景のある亡霊ゴーストであれば事前に説明するのがスジ。タルトが興奮して憤慨するのも当然と言えた。


「それで、マザー。まさか誤魔化せると思ってたわけじゃないでしょうし、事情は説明していただけるんですよね?」

「ん? なんのことだい?」


この期に及んで惚けるマザーに、ソルは半眼でツッコミを入れた。


「いや、あの亡霊ゴースト、どいつもこいつも聖印をチラつかせてて、しかも相当な手練れだ。あんなのが現世を彷徨う理由なんていくつもないと思いますけど?」


マザーがちらり周囲を見回すと、タルトたちも同様に冷たい目で自分を見つめており、部下たちは負い目があるのか黙りこくって助け舟を出すつもりはなさそうだ。マザーは天井を見上げ、大きく溜め息を吐いて口を開く。


「……ふぅ。別にあたしとしちゃ騙したつもりも誤魔化したつもりもないんだがね」

「事情説明を敢えてしないのは、一般的に騙したり誤魔化したりしてるって言うんですよ」

「……事情を知らない方がいいって場合もないかい?」

「そりゃ、事情を知らないまま手を引かせてくれる場合でしょう。事情は知らせず手も引かせずじゃ、ただいいように使ってるだけじゃないですか」


まさしくその通り。ただいいように使われていて欲しかったのだが、さすがにそこまでは甘くないかと、マザーは観念して大きく息を吐いた。


「……あんたらの想像の通りさ。そこにいる亡霊は、あたしらがぶっ殺した連中の成れの果てだよ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


一般に広く信仰されている光の神々は亜人種に対して決して好意的ではない。それは彼らの祖先が、自分たちと対立する闇の神々、あるいは日和見を決め込んだ中立の神々を信仰していたことに由来するが、だからと言って表立って亜人種と敵対し、排除しようとするほど好戦的な宗派はあまりない。


例外は秩序と正義を司る至高神──その信者の中でも過激派と呼ばれる一部の者たちだ。


彼らは亜人種だけでなく裏社会の人間やゴロツキなど、“正しからざる”者たち全般を敵視しており、冒険者をならず者と呼んで衝突することさえ珍しくない。


彼らはその過激な態度から世間からも白眼視されがちで、決して勢力としては大きくないのだが、質の悪いことに武闘派の力を持つ者たちの間でこそ、その思想は根強くはびこっていた。




「勘違いしないで欲しいんだけど、あたしらも好き好んであの連中をぶっ殺したわけじゃない」


そう言った後、マザーは少し考えこんで訂正した。


「……いや、歯ごたえのある奴と殺り合ってる時は多少楽しんでたけど、それでもこっちから仕掛けたわけじゃない」

「そこはどっちでもいいですけど」


ソルはマザーの言い分に嘆息し、その要旨を簡潔にまとめて見せた。


「要は過激派の連中からずっと刺客が送り込まれてて、皆さんはそれを返り討ちにしていた。あの亡霊ゴーストは、返り討ちにした連中の成れの果て、とそういうことですね?」

「ああ」


鷹揚に頷くマザーに、ソルは首を傾げて質問を続けた。


「刺客が送り込まれてくる理由に心当たりは?」

「あいつらはあたしらが都市の中どころか、穴倉にいるのも気にくわないって連中だ。心当たりなんざあり過ぎて、どれのことやら」


肩を竦めるマザーに、ソルはさもありなんと頷き同意する。


そのやり取りを背後で聞き、首を傾げたのはクロエだった。彼女はタルトを指でツンツンとつつき、こそっと耳打ちする。


「……ねぇねぇ。ソルはあっさり相手の言うこと信じてるけど、オークが自分たちから仕掛けたって可能性はないのかな?」


タルトはその疑問に、唇に指をあてて一瞬考えるそぶりをし、やはり小声で答えた。


「……ないと思うけど……そもそもオークの側から仕掛ける動機は何?」

「……例えば、闘争本能が有り余って……とか?」

「……それならこの集落を離れて人類と敵対する道を選ぶでしょ。それに何か事情があったとしても、相手は選ぶんじゃないかしら?」

「……それもそっか」


クロエには暴力的で好戦的なオークのことだから、という意識があったが、タルトの説明に確かにオークから仕掛けた可能性は低いかと納得する。


二人がそんなやり取りをしている間にも、ソルとマザーは認識のすり合わせを続けていた。


「自分たちに事情を隠したのは、取引を中止されるリスクを考えてのことですか?」

「……まあ、そうだ」


マザーはソルの質問に一瞬眼光鋭く彼を睨みつけた後、肯定。そして身体を屈めソルに顔を近づけ続けた。


「それで──それを知ってお前さんはどうするつもりだ?」


このオークの一団が教会の一派と対立しているとなれば、彼らと取引し、武器を流しているソルたちも教会に睨まれるリスクがある。そうでなくとも、オークと取引しているということ自体、世間的にはあまり風聞の良いことではない。マザーが取引の中止を危惧するのは当然のことと言えた。


しかしソルはマザーの威圧に動じることなく肩を竦めた。


「別にどうとも」

「……それは取引は今まで通り続けるって意味かい?」

「ええ」


言葉の真偽を確かめるように睨みつけるマザーの視線を見返して、ソルはさらりと付け加えた。


「そちらが今回の件の根本的な対処を望まれるなら、その相談にも乗りますよ?」


マザーは意表を突かれたように目を丸くし──その相貌をニヤリ好戦的に歪めた。


「随分と親切じゃないか。一体何を企んでるんだい?」

「企むだなんて……この取引を始めた時にも言ったはずですよ。皆さんがいなくなると、お堅い連中の矛先がスラム暮らしのこっちに向きそうなもので」


ソルの言葉にマザーはとうとう爆笑した。


「──カッ、カハハハハハッ! そういやそうだったね。いや、本人たちを前に厄介な連中の防波堤になれとはよく言ったもんだよ」

「でもそういう荒事、お嫌いじゃないでしょう?」

「カハッ! そりゃそうだ! お前さんらだけで戦うようなら、あたしらも混ぜろって文句言うところだったよ」


マザーの哄笑に、周囲に控えてたオークたちからも笑いが漏れた。


オークとの取引は、元々都市内で表立った取引が難しく武器などの物資を入手することが難しい彼らのニーズを察したソルの発案だったが、実施にあたっては事前に冒険者ギルドの上層部とスラムの上役に話を通している。


どちらかと言えばガラの良くない人間の多い冒険者たちにとって、実のところオークよりも教会過激派の方が折り合いが悪く厄介な存在だ。今はオークという防波堤があるお陰で直接的なトラブルは起きていないが、もしオークが都市から排除されるようなことがあれば、次にターゲットになるのは自分たちかもしれない。


ギルドやスラムの上層部は、そうしたリスクを避けるため、ソルたちを通じて密かにオークを支援することを選んだ。仮にオークが何か問題を起こしたとしても、支援はソルたちが勝手にやったこと、最初に被害が向かうのは自分たちではなく教会だ、と。


「それで、根本的な対処ってのはどういう意味だい?」


ひとしきり笑った後、マザーが話を本題に戻す。


「言葉通りの意味です。今いる亡霊ゴーストの対処も必要でしょうけど、このまま教会の襲撃が続く限り亡霊ゴーストの発生は止まりません。相手がいつまでも力攻めを続けるとも限りませんし、まずそちらに釘を刺すべきでしょう」

「そりゃ、理屈はそうだが……」


それができれば苦労しないと、言外に顔を顰めるマザーに、ソルはワザと惚けて見せた。


「……ああ。遊び相手として適度に襲撃があった方がいいとおっしゃられるなら、自分たちは手を引きますが?」


その挑発的な態度に、マザーは楽しそうに悪ノリする。


「ハハッ! いや、あたしはともかく男どもはそこまで豪胆じゃない。少し残念な気持ちはあるが我慢することにするよ」

「そうですか。いや、ご英断感謝します」


二人は顔を見合わせ、バカバカしそうにくっくと笑いあう。


その様子に他のオークたちは顔を見合わせ、クロエとタルトは小声で囁き合った。


「……妙に気が合ってない?」

「……悪戯っ子同士なのかしらね?」


マザーは大きく息を吐き、スッキリした顔でソルに向き直り教えをこうた。


「方針は分かった。具体的にどうするつもりなんだい?」

「そうですねぇ……タルト!」


ソルは後ろを振り向き、確認するよう仲間に質問を投げかける。


「肌感でいいから教えて欲しいんだけど、今回の亡霊ゴーストを教会に頼んで祓ってもらおうとしたら、引き受けてもらえるかは別にしてどれくらい金がかかると思う?」

「そうねぇ……理想は上級だけど、中級でも複数人雇えれば一日で祓うのは不可能じゃないと思うわ。何にせよ、金貨数十枚の喜捨は不可欠でしょうね」

「うん。その場合、宗派はどういう想定だ?」

「宗派……」


タルトはソルの質問の意味を吟味するように一瞬考えこみ、彼の言わんとすることに気づいて大きく頷いた。


「今言ったのは至高神以外の僧侶があたった場合ね。亡霊ゴーストと同じ至高神の僧侶のお祓いなら、中級どころか初級でも、とても良く効くと思うわよ。コストに換算すると十分の一以下ね」


ソルはその言葉に我が意を得たりと大きく頷き、やり取りの意味が分からず首を傾げているマザーに向き直った。


「マザー。お祓いの費用を稼ぐために、若手に少し出稼ぎをさせるつもりはありませんか?」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「どういうことだ!? オークどもがローグギルドの連中と手を組んだだと!?」


迷宮都市エンデに設置された至高神の神殿、その奥まった場所にある小部屋で老年の司教が神殿騎士に詰問を行っていた。


「オークどもを街中に連れ込むなど……あのならず者どもはいったい何を考えている!」


神殿騎士は上司の前ということもあり、苦々しい表情を噛み殺し無感情を装い応答した。


「……正確には手を組んだというわけではなく、仕事を求めるオークに事務所の護衛をさせてやっているだけ、ということのようです」

「同じことだ! 元々穴倉とは言え都市内にあの野蛮な豚どもがいること自体悍ましいというのに、街中に居座るなど……!」


司教はダンと拳を机に叩きつけて怒りを露わにする。


これは彼が宗教家として亜人種を良く思っていないということもあるが、それ以上に都市の秩序安寧を憂う者としての憤慨だった。


そもそもオークたち亜人種はこの地域では人類に準ずる人権を認められており、彼らが都市内を歩き回ろうと居座ろうと、それを咎める法は存在しない。


しかしそうした制度上の決め事は別にして、オークやオーガといった戦闘種族は人類とは感性や倫理に大きく異なる部分があり、人類と近づきすぎれば致命的なトラブルに発展するケースが多い。その為、オークやオーガは街中への一時的な立ち入りなどはともかくとして、恒常的な在住や取引などは双方避けるというのが、暗黙の了解となっていた。


これはスラムに拠点を置く裏の人間たちも例外ではなく、不要なトラブルを避けるためこれまでオークたちとは一定の距離を取ってきたはずだが……


「それに関してはローグギルドから非公式に弁明がされています」

「弁明!? この暴挙に、一体どんな言い訳があるというのだ!?」


神殿騎士は興奮した司教が怒鳴り散らすのを黙ってやり過ごし、話を聞ける状態になるまでジッと耐えた。


司教はひとしきり周囲に当たり散らした後、荒い息を吐きながら部下を睨みつけ、発言を促す。


「……今回、ローグギルドがオークを雇うに至った切っ掛けは、オークどもが急ぎ金銭を必要としていたため、とのことです」

「金だと? あの野蛮人どもが金を手に入れてどうするというのだ……?」


意外な言葉に司教は意表を突かれ、少し落ち着きを取り戻す。


オークは狩猟や採取によって生活する原始的な種族であり、金銭を媒介とした商取引を行うことはほとんどない。そもそも金銭を手に入れたとしてもオークと取引をしてくれる者などほとんどおらず、使い道がない。


司教はそれが何かの暗喩か諧謔かと首を傾げ、部下の説明の続きを待った。


神殿騎士は一瞬言い淀むように口を開け閉めした後、細く息を吐いて口を開く。


「……オークどもが金銭を必要とする理由は、奴らが住む半迷宮に大量の亡霊ゴーストが出現し、その除霊を専門家に依頼するため、だそうです」

「…………は?」


部下の言葉に司教は呆気にとられる。

言葉の意味が理解できなかったわけではない。元々オークの住処に亡霊ゴーストが発生したことは把握していたし、その原因となる刺客を定期的に送り込んでいたのは司教たち自身だ。


だが、だからと言ってオークたちがその除霊を、街の人間に頼む? そのために金銭を必要とする?


その理屈と、それが何を意味するのかが司教は咄嗟に理解できなかった。


「ローグギルドの言い分としては、オークが金銭を必要とする理由は差し迫っており、仮にこれを放置すればオークが強引な手段で金銭を得ようとトラブルを起こしたり、住処を捨てて街中に進出することが考えられる。であれば、表稼業の人間と取引をさせて街中を徘徊させるよりは、スラムで自分たちの下で管理した方が街への影響は少ない、と。これについては冒険者ギルドもローグギルドの言い分を支持しています」

「な、にを……」


──何を抜け抜けと。


司教はそう怒鳴りつけそうになるが、寸でのところで言葉を呑み込む。


確かにローグギルドの言い分は、亡霊ゴーストが発生した背景を無視すればもっともなものだろう。しかし、そもそも亡霊ゴースト発生はオークと至高神過激派──司教たちは正統派を自認──との争いが原因で、そのことを奴らが気づいていないはずがない。スジで言えば、過激派に抗議して対応させるべき話だ。


しかしローグギルドは敢えてそうせず、オークたちと手を組む方針を取った。元々直接戦闘力に不安があるローグギルドにとってオークという戦力は可能なら取り込みたい存在だったろうが、表立って手を組めば他組織からの非難は避けられない。だが今回のように『都市の平穏のため』という名目があれば、話は違ってくる。


元々オークと過激派の抗争はセンシティブな問題で、双方に非と被害があるため当人たちも表ざたにし辛いという事情があった。だからこそオークたちが他組織が介入させる可能性は低いと踏んでいたのだが、まさか抜け抜けと亡霊ゴーストが自然発生したかのように振る舞うとは。


過激派からすれば、その欺瞞を指摘すれば自分たちがやったことについても触れざるを得ず、非難することは難しい。だが、このまま放置すれば──


「名目上はただの雇用契約ですが。オークとローグギルドの結びつきが強くなれば、オークの排除だけでなく、将来的なスラムの浄化計画にも支障が出てくることになります」

「そんなこと言われんでも分かっておるわ!」


司教は言わずもがなのことを指摘した部下を怒鳴りつけ、親指の爪を噛んだ。


これはオークから生まれる発想ではない。一体誰が知恵を──荒くれ者の多いこの都市では、元々至高神の一派は周囲からあまり良く思われていない部分があった。オークとローグギルドが組んだこのやり取りに、冒険者ギルドも一枚噛んでいるとすれば……


いや、今考えるべきはそこではないと司教はかぶりを横に振った。


通常、オークが教会に除霊を依頼しようとすれば、相当な額の喜捨を積まざるを得ない。そのための金銭を貯めるためともなれば、必然ローグギルドとの結びつきは太く長いものとなる。


また、他の宗派に除霊の依頼が行けば、上同士では暗に黙認されていたとは言え、過激派の行動が何も知らない下の者たちにまで知れ渡るリスクがあり、それはなんとしても避けたい。


しばしの黙考の後、司教は深々と溜息を吐き、絞り出すように口を開いた。


「……やむを得ん。口の堅い者たちを揃えろ。ローグギルド立ち合いの下で、我らがオークどもの穴倉の除霊を執り行う」

「は……それは……宜しいので?」

「二度同じことを言わせるな。オークとローグギルドの結びつきをこれ以上強めることは避けねばならん。何より大義のために戦った勇者たちを、異教の冥府に落とす訳にも行くまい」


ただし前者についてはもはや手遅れかもしれず、後者については部下たちの信仰心を煽る欺瞞でしかなかったが。


「……はっ!」


神殿騎士は敬礼し、司教の指示に従って手配を行うべく急ぎ部屋を飛び出していく。


一人残された司教は、この筋書きを描いた者を呪い、頭を抱えた。




その後、多少のトラブルはあったものの、至高神の神殿から派遣された僧侶たちの活躍により、オークたちが住む半迷宮に発生していた亡霊ゴーストは驚くほどあっさりと浄化されることとなる。


改めて金銭を稼ぐ必要のなくなったオークたちだが、しかし彼らは今後自分たちだけで対処できない事態が発生した場合に備え、若手をローグギルドに用心棒として派遣して金銭を稼ぎ、繋がりを深めることを選択。正当な理由であり、一般人への影響が軽微であるため、他組織も表立って非難することはできず、黙認されることとなる。


そして改めて言うまでもないことだが、その後過激派によるオークの集落への襲撃はめっきりなりを潜めた。

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