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第8話

「次の仕事、クロエは来なくていいから」


珍しくタルト、アリーゼ、クロエの三人が住む郊外の拠点にシロを連れて訪れたソルは、前置きもそこそこにそう告げた。


その表情は憎らしいほどにいつも通りで、タルトが準備したハーブティーを口に含み、熱さに少し顔を顰めている。


いつも通りなのはソルだけでなく他のメンバーも同じ。シロはソルの隣に行儀よく座ってジャーキーをチビチビかじり、アリーゼは鎧を脱いだラフな格好で机の上に顎を乗せ眠そうにしていた。


タルトもいつも通りの微笑みを浮かべ──いや、微かに表情が硬い気がするが……これは気のせいか?


まあ、そんな周囲の様子はともかくとして、いきなり何の説明もなく「お前、次、要らない」と言われて「そうですか」と素直に応じるクロエではない。


「ちょ、何よその言い方は? 役立たずは要らないって言われてるみたいでヤなんですけど?」


実際、クロエが一行に加わって明確に何か役に立ったかと言われると苦しいものがあるが、そこは目を瞑って敢えて強気に出る。


ソルは自分の物言いが失礼だったことに気づいたようで、素直に頭を下げる。


「いや、悪い。そういうつもりじゃないんだ」


彼は耳の後ろをかき、言葉を選びながら続ける。


「ただまあ、ぶっちゃけて言うと、次の仕事はそんな人手が要る内容じゃないし、クロエはその……向いてない」

「……結局言い方変えただけで、役に立たないから来なくていいって言ってるんじゃない」


半眼で睨むクロエに、ソルは鼻の上に皺を寄せて呻き、結局肯定した。


「……そうだな。ただ勘違いしないで欲しいんだけど、別に能力が足りないとか見下すような意図で言ってるわけじゃなく、ホントに向いてないんだよ」

「…………」


クロエは一先ず不満の言葉を収め、視線で事情を説明しろと促した。


「俺らは定期的にある部族の連中と取引をしてるんだけど、そいつらはエルフとあまり折り合いが良くない。来てもトラブルのネタが増えるだけなんだよ」

「…………ほ~ん」


曖昧に相槌を打つクロエに、ソルの弁解は続く。


「勿論、仕事についてこない以上、分け前だけ渡すって訳にはいかないけど、これまでも金銭面で不自由はさせてないつもりだし、こないだの仕事は結果的とはいえクロエが丸取りしたわけだろ?」

「む……」


別に報酬面でごねていたつもりはないが、ソルの指摘にクロエは思わず呻く。


前回、一行は迷宮ダンジョン内で増殖したスライムの駆除を行った。これに関しては元々持ち出し前提、今後の仕事を円滑にする上での環境整備の一環で報酬など期待していなかったのだが、スライムを駆除する過程で高純度の魔力結晶体を手に入れることができた。


これはいくつかの条件が重なった際に稀に発生するもので、タルトたちにとってもまだ二度目のドロップ。売却できればかなりの値段になるはずだが、タルト曰く「あまりに質が良すぎて、盗難を疑われるレベル」で、売却ルートがない。


捨てるのも勿体ないので、以前タルトがしたように新しい杖の素材として使えばいいと、魔力結晶体はまるまるクロエの物となっていた。


「あれで杖を作ろうとしたら、それなりに時間も手間もかかるだろ。俺らが今回の仕事してる間に、そっちの段取り済ませた方がいいんじゃないか?」

「…………ふむ」


それは確かに、とクロエは頷きそうになる。これだけの素材を使って杖を作るのだから半端なモノにするわけにはいかない。製作に集中したいという気持ちはあった。


そんなクロエの考えを後押しするように、タルトは彼女の肩に手を置いて、そっと微笑む。


「そうよ。せっかくだから私も今回は仕事を休んでクロエに付き合うわ。私が前に製作を依頼した魔道具屋さんを紹介するから一緒に行きま──」

「あんたはやることがあるだろうが馬鹿たれ」


しかしそんなタルトの言葉を半眼のソルが遮る。


タルトは童女のようにごねるようなポーズをとり、上目遣いにソルを見つめ反論した。


「で、でもでも! 私も今回の仕事とは相性が悪いし特に役に立つとも思えないし、正直アリーゼ一人いれば片が付く話だから、私はクロエと一緒に留守番していた方がいいと思うの!?」


ソルはそんなタルトの訴えに露ほども心を動かされた様子もなく、目を細めてフンと鼻を鳴らす。


「向こうの長老が出てきたらどうすんだよ。古語が話せるのはあんただけだろ」

「向こうにも通訳できる人はいるから特に不自由はないと思うの!」

「言葉の解釈を相手に委ねるリスクは言われなくても分かってんだろ」

「で、でもでも……!」


タルトは尚も反論を続けようとしていたが、それを遮ったのはソルではなくクロエだった。


「あのさ、やっぱり私も行きたい」


彼女は挙手して、キッパリと自分の意思を表明した。そして他のメンバーが何か言うより早く言葉を続ける。


「勿論、報酬は前貰ったから要らない。杖は今すぐ必要なわけじゃないから急がないし。皆が知ってるのに、私だけ知らないっていうのは、その……なんかヤダ」

『…………』


仲間の視線が自分に集中し頬が微かに紅潮するのを感じながら、しかしクロエは俯かず真っ直ぐに前を向いた。


「……まあ、そういうことなら──」

「でもでもでも! 絶対絶対に後悔すると思うの! だからクロエは私と一緒に──むぎゅ」


ソルはなおも参加を渋ろうとするタルトの頬を掴んで黙らせ、クロエに最終確認を行う。


「そういうことなら参加するのは別に構わない。人手はいくらあっても困らないしな。ただ、タルトの様子を見れば分かると思うけど、正直呪文遣い向けの仕事じゃないから、後悔しても知らないぞ」

「……うん、大丈夫!」


ふんす、と意気込むクロエの背後で、やり取りを黙って見守っていたアリーゼが、ニチャァと不気味な笑みを浮かべていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


『グォォォォゥ!!』

『殺せ! 殺せ! 殺せ!』

『クソったれな耳長を食い散らかせ!!』


──来るんじゃなかった。


クロエは目の前で膨れ上がる闘争と殺意の熱を前に、この仕事に志願したことをシンプルに後悔した。


兜をとって左脇に抱え美麗な素顔を露わにしたアリーゼが前に進み出、相対するオークの群れの中から一際体格の良い若い雄が大戦斧を担いで現れる。


二人はタルト一行とオークたちの中間地点で三メートルほどの距離を開けて立ち止まり、挑発的に睨みあい、口を開いた。


「生きて帰れると思うなよ、耳長」

「殺さないよう手加減してやるから、安心しなガキンチョ」


アリーゼは兜をかぶって背中から大剣を抜き、オークは飛びかかれるよう腰を屈めてグッと力を込める。


そして何の合図も掛け声もなく、次の瞬間。


──ガギィン!!


「くたばれぇ!!」

『────っ!!』


大剣と戦斧がぶつかり合い、火花を散らした。


れ! ゾッド! っちまえ!』

『その鎧ごとぶっ潰せ!!』

『くそ、俺と変われ! る気あんのか!?』


──ダン! ダン! ダン!


二人の闘争を前に、オークたちの熱狂はますますヒートアップしていき、彼らの踏み鳴らす足音が地鳴りのように半迷宮に響き渡った。


その熱に押されるようにアリーゼとオークの戦いは激しさを増していき──




「…………ナニコレ?」


突然始まった乱闘騒ぎに、クロエは目を白黒させ辛うじてその問いを絞り出した。


“ある部族の連中との取引”と言われてクロエがタルト一行とやってきたのは、この迷宮都市周辺に点在する半迷宮の一つ。『なぜこんな場所に?』という疑問はあったものの、取引のための商品だと重い荷物を持たされて疲弊していたクロエにそのことを口にする余力はなかった。ただ横ではタルトが同じように重い荷物にひぃひぃ言っていて、この仕事を嫌がっていたのはこれが理由かな、なんて呑気なことを考えていただけ。


その認識が甘かったと気づいたのは、魔物の見当たらない半迷宮を三層まで進んだ時。


三層の入口には見張りらしきオークの戦士が二人立っており、彼らはタルトたち──正確にはアリーゼの鎧──を見るなり一人が伝令のために置くに走っていった。


『まさか取引相手ってオーク?』とクロエが怖い想像に思い至り、もう一人の見張りに無言で促されるまま後をついて行くと、待っていたのは武装したオークの集団。身を竦ませるクロエを尻目にアリーゼが悠然とオークたちの前に進み出、いきなり決闘騒ぎ(?)が始まった形だ。


「…………ナニコレ?」


クロエは壊れた人形のように問いを繰り返すが、隣にいるタルトは珍しく顔色悪くビクビクしており、クロエの問いが耳に入っていないようだ。


普段竜種相手でも笑みを崩さないタルトの様子にクロエはそんなにヤバいのかと冷や汗を垂らすが、一方でソルとシロは平常運転で特に怯えた様子がない。一体どちらの反応が正解なんだと首を傾げつつ、クロエは一先ず話が聞けそうなソルの服の袖を引っ張った。


「……………ナニコレ?」


ソルはクロエの質問の意味を考えるように顎に手を当ててふむと考えこんだ後、オークたちを指さし、


「今日の取引相手と───」


続けて指先を剣戟を交わし合うアリーゼとオークに向け、


「取引前のレクリエーションみたいなもんだな」

「ええ……?」


ソルの回答はクロエの問いに対する回答としては過不足ないものだったが、今回は問いの方が悪かった。クロエはしかめっ面の横でクルクル指を回して、より詳しい答えを引き出すべく問いを捻りだした。


「えと、ツッコミどろこはあるけど、まず……オークと取引って、いいの?」

「特に禁止する法律があるわけじゃなし、いいんじゃね?」

「いや、法律はそうなんだけど……」


クロエはソルが意図的に答えをぼかしたことを察して、追及の言葉を呑み込んだ。


そもそもオークとはシロたちコボルトと同様、亜人種に分類される種族。地域によっては魔物と見做されることもあるが、少なくともこの迷宮都市エンデ周辺では亜人種にも一定の人権が認められている。


これだけ聞けば、タルトたちがオークと取引を行うことは別におかしなことではないように思えるが、オークは小柄でか弱いコボルトとは異なり極めて強靭な戦闘種族。彼らは生まれついての戦士であり、本能レベルで闘争を求めずにはいられず、人類圏で暮らしていても頻繁にトラブルを起こしている。


世間の認識は良く言って『生まれついての犯罪者予備軍』、悪く言えば『言葉を喋る魔物』であり、オークを敵として排除しない理由は、明確に敵対すると厄介だからでしかない。オークたちもそんな人類側の意図を理解しており、通常は致命的な衝突を避けるため山野に集落を作って暮らしていた。


クロエはそんな準犯罪者的存在であるオークと取引を行うことに関する世間体的なものを気にしていたわけだが、ソルの反応を見る限り、やはり問題はあるようだ。


ただ、これに関してはあくまで取引が周囲に知られたらの話で、さほど問題が逼迫しているわけではない。


今本当に差し迫った問題は、自分たちの生命に関わるもの。


「あのさ……取引相手の皆さん、随分ヒートアップしてるみたいだけど……危なくない?」


オークたちの殺意と闘争心に塗れた視線は、中央で戦うアリーゼだけでなく、クロエたちにも向けられていた。エルフとオークは古来からの因縁の相手ということもあって、特にクロエに向けられた視線はどす黒く淀んでいるように感じる。


クロエからすると『何でこんな所に連れてきた!?』と怒鳴りつけたい気持ちだったが、ソルは事前に取引相手がエルフと折り合い悪くクロエはこの仕事に向いていないと伝えていたので文句を言うこともできない。


せめてソルから『大丈夫だよ』という気休めを引き出したかったのだが、良くも悪くも彼は正直だった。


「あ~……迷宮ダンジョン内だと慣れた場所でも絶対に安全なんてことはないだろ? そんな感じ」

「一緒にしないで!」


ソルの言葉を小声で鋭く否定したのは、身体の前でギュッと杖を握りしめるタルト。


「オークなんて油断すると同族間でもノリで殺し合い始めるような野蛮な種族じゃない。魔物よりよっぽど危険よ!」


いつになくピリピリした様子のタルトに、クロエはおずおずとツッコむ。


「い、いやタルト。気持ちは分からないでもないけど、流石に魔物より危険ってのは言い過ぎじゃない?」


地竜の口の中に頭突っ込んだり、ワームの群れに笑いながら突っ込んでいこうとする女に怯えられるのは流石にオークであっても心外だろう。しかしタルトの反応は劇的だった。


「何言ってるの! 魔物はね、ちゃんとその行動原理さえ理解すれば危険を避けることはできるの! でもオークは半端に理性がある分、魔物より突拍子もない行動を取るから予測が役に立たないの! 人間だって本当の馬鹿より頭のいい馬鹿の方が何しでかすか分からなくて怖いでしょ!?」

「うん、まぁ……それはよく分かる」


その頭のいい馬鹿の代表が何言ってるんだという言葉を呑み込み、クロエは半眼で同意した。


その上で、興奮するタルトをあやすように続ける。


「でもほら、ソルもシロもそんなに怯えてないし、そこまで怖がることはないんじゃない?」


そうソルとシロに視線をやると、二人は微妙な表情で応じた。


「まあ、俺らからすればタルトの奇行に付き合うのも、いつ気が変わって殴りかかってくるわからん連中と付き合うのも怖さとしてはどっちもどっちだし、正直今更」

「ワフ」

「なんでよ~!?」


二人の落ち着きは特に根拠があってのことではなく、単に感覚が麻痺していただけだったようだ。


──気持ちは分かる。


『────(ゴゴッ)!!』

「グアアアァッ!?」


と、そんなやり取りをしている内に、どうやら決闘騒ぎはアリーゼが相手のオークを大剣で殴り飛ばし、勝利したようだ。アリーゼの剣は刃引きされていたようで、オークは殴られて起き上がることこそできていないが、命に別状はないらしい。


「次は俺だ……!」

『ガンツ! 狼殺しのガンツ! 耳長をぶち殺せ!』

『ウォォォォォッ!!』


これで終わりかと思いきや、オークたちの中から今度は棍棒を持った戦士が現れ、再びアリーゼと殴り合いを始めてしまった。


エルフ特有の豊富な魔力を膂力に変換して戦うアリーゼにはまだ余裕がありそうだが、しかし不公平な戦いにクロエは抗議の声を漏らす。


「ちょ、何? え、一戦したら終わりじゃないの!?」

「一応、こっちは十人抜きが勝利条件だな」

「はぁ!? どういうレクリエーションよ!?」


思った以上に不利な条件にクロエが目を丸くする。

ソルはクロエの抗議に『俺に文句言われても』と顔を顰めつつ、このレクリエーションのルールを説明した。


「見ての通りアリーゼが負けるか、十人抜きするまで続く殴り合い。一応、お互い死なないように配意はしてるが、事故で死んだら蘇生所行きだな」

「何の意味があんのよ。強い奴としか取引しないみたいな戦闘民族の発想?」


取引前に殴り合うという意味不明なやり取りに、理解できないとクロエが首を傾げる。


「いや? 取引自体は勝とうが負けようが行われる。こりゃ単に、溜まったもんをスッキリさせようってだけの話だ」

「…………は?」

「一応、負けた方は勝った方の言うことを一つ聞くことになってて──」

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


クロエの顔が真っ赤に染まる。


「そそそそ、それってまさかアリーゼが……!?」


クロエの脳裏に、故郷で枯れ枝たちから教わったオークたちにまつわる数々の言い伝えが頭をよぎった。


先にも少し触れたが、エルフとオークは神話の時代から続く因縁の仇敵である。仲が悪くなった切っ掛けを正確に把握している者はもはやどこにも存在しないが、エルフであるクロエは先達たちからオークがいかに野蛮で悍ましい生き物かを幼い頃から伝え聞いてきた。


もちろんその全てを真に受けたわけではないが、それでもクロエの認識の根底には、オークが下劣な存在であるという意識が刷り込まれている。


その一つが、オークは凄まじい性欲を持つ下品な生き物で、他種族の女性を襲って孕ませてしまうというもの。


負けた方が勝った方の言うことを聞くと聞いて、アリーゼがオークの慰みものになる様を想像してしまったのはやむを得ないことだった。


「グハァッ!?」

『────(グッ)!』


視線の先ではアリーゼが二人目のオークを倒し、三人目との戦いが始まっている。


「ととと、止めなくちゃ………!?」

「はぁ? 何でだよ?」

「だだだって! もし負けたらアリーゼがオークたちの慰みものに……!!」


そして興奮したオークたちは勢い余って自分にまで、と豊かな想像力を働かせていたクロエだったが、仲間たちから帰ってきた視線は冷ややかだった。


『…………』

「な、何よその目は!? アリーゼが心配じゃないの?」


一瞬たじろいだクロエに、三人は深々と溜息を吐き、顔を見合わせた。そして代表してタルトが──何故か半笑いで──口を開く。


「……あのね、クロエ。オークにもね、ちゃんと男の人と女の人がいるの」

「そ、そんなの分かってるわよ。でも男は女がいたら我慢できない生き物だってお姉ちゃんが──」


クロエの反駁を右手を前に出して遮り、タルトが続ける。


「うんうん。でもね、クロエ。例えばあなたがエルフの男性だったとして、目の前に裸のオークの女性がいたとしたら欲情して襲い掛かるの?」

「はぁ!? そんなわけないじゃない!」

「どうして? 男は我慢できない生き物なんでしょ?」

「オークに興奮するエルフなんているわけないでしょ、気持ち悪い!」


いや、ひょっとしたらいないこともないかもしれないが、それは間違いなく“変態”と呼ばれる類の者だろう。


「そうよね。見目が近しい種族間ならともかく、異種族に欲情するとか普通あり得ないわよね」


タルトはうんうんと頷きながら問いを口にした。


「じゃあどうして、クロエはオークたちがエルフのアリーゼに欲情すると思うの?」

「はぁ!? そんなの──」


アリーゼが、エルフが美しいからに決まっている、という言葉をクロエは呑み込んだ。


幼い頃からずっとオークは下劣な種族で、女は捕まったら孕まされてしまうと教わってきたクロエの喉の奥に、いつの間にかトゲのような違和感が刺さっていた。


そして、その違和感をタルトの言葉が具体化する。


「私が知る限り、オークがエルフやヒューマン相手に欲情したなんて実例は一つも存在しないわ」

「でも私の故郷じゃ、そう教わって──」

「あのね。もしオークがエルフに欲情するような美的感覚の持ち主だったとしたら、繁殖活動に支障がでるでしょ?」

「…………」


言われて、なるほど、と納得する。

例えばエルフの感性を持つクロエがそのままオークの男の身体に憑依したとして、オークの女相手に興奮するかと言われれば、絶対に無理。


エルフとヒューマン程度の違いならまだしも、エルフとオークではあまりに見た目がかけ離れ過ぎている。オークの感性がエルフを“美しい”と感じるようなものであれば、オークは子をなすことができずとうの昔に全滅していただろう。


「え、でも、だとしたらどうしてオークは他の種族の女を襲うなんて話が──」

「エルフの作り話ね」


クロエの疑問をタルトがおっとりと──しかしバッサリと切り捨てる。


「エルフはオークと仲が悪いし、ほら、こう言ったらあれだけど、エルフってちょっと自分たちの見た目とか能力に自信を持ってる人が多いじゃない?」

「…………」


仲間たちの視線が「これだから自意識過剰なエルフは」と言っているような気がして──多分ソルはホントにそう思ってる──クロエは先ほどとは全く別の意味で顔を真っ赤に染めた。


「──ぶっ、ぶははははははっ!」


と、豪快な笑い声と共に、突然タルトたちのすぐ傍に現れたのは丸々とした巨体の女オーク。


『────!?』


五メートルもない間近にまで接近されていたというのに、そのことに全く気付けなかったという事実にタルトたちは驚愕し、反射的に身を固くした。


クロエはそのまま杖を握りしめ攻撃姿勢に移りそうになる、が。


「──驚かせないでくださいよ、マザー」


そのオークの顔に他の仲間たちが緊張を解き、ソルが抗議したのを見て、クロエは寸でのところで杖を突きつけるのを思いとどまった。


「ぐははははっ! 悪かったね。いや、若造たちのじゃれ合いが終わるまで出てくるつもりはなかったんだが、そこの耳長の嬢ちゃんがあんまりにも分かりやすいもんで、つい笑っちまったよ」

「~~~~っ!?」


やり取りを全て聞かれていたという事実にクロエは羞恥で顔を更に赤く染めるが、他のメンバーはこの女オークの巨体が間近にあって、全くその気配に気づけなかったという事実に冷や汗を流す。


「……相変わらず化け物ですね」

「くはっ! まだまだあんたら若造に尻尾掴まれるほど老いちゃいないよ」


そう言って豪快に笑うのはオークの次期族長と目される女性で、通称マザー。


オークは実は女性上位の種族で、長や重要な地位に就くのは皆女性。女性の本名はその女性に種を付けることを許された勇敢な戦士しか呼ぶことを許されないため、女性は皆通り名で呼ばれている。


オークの女性はあまり戦いに出ることはないが、実際の能力はオークの男性より二回りは高いとされ、寿命も倍以上違う。


マザーはオークとしては既に壮年に差し掛かった年齢だが、一〇人以上の夫を抱えた現役の女傑であり、この部族最強の戦士として恐れられていた。


「それで、わざわざどうしたんですか? いつもはこんな遊び見てられるかって、取引が始まるまで顔出すことはなかったでしょう?」


クロエが羞恥、タルトが怯え気味で役に立たないため、ソルが平然とした様子を取り繕ってマザーに問いかける。


「ん? いや、実はちょっとあんたらに頼みたいことがあってね。その前にケガでもされたらアレだってことで、こっそり護衛に立っててやったんだよ」


ま、そこの嬢ちゃんに笑わされて出てきちまったけどな、と笑うマザー。


ソルは彼女の口からでた不穏なワードに顔を顰める。


「……頼みたいこと、ですか?」

「ん? まあそれは後だ。──おい、テメェら! 何ちんたらやってんだ! それでも玉ついてんのか!?」


マザーはオークたちとアリーゼの戦いに野次を飛ばす。

そこでようやく彼らもマザーが自分たちの戦いを観戦していたことに気づき、彼女に良いところを見せようと熱狂の度合いを増した。


『ウォォォォォォォッ!!!』


その様子をニヤリと好戦的な笑みを浮かべて観戦するマザー。


その後、戦いの熱にあてられた彼女が戦いに乱入、アリーゼとオークたち相手に大乱闘を繰り広げ、タルトたち四人を除くその場の全員を殴り倒すまで一五分とかからなかったことを、ここに記しておく。

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