第7話
迷宮九層。
地上への帰還途中、一行は見通しの良い岩場に背を預けて休憩をとっていた。
本来であれば魔物を気にしなくてよい安全地帯で休憩しておきたかったが、安全地帯は五層毎にしか存在せず、手前一〇層の安全地帯は他の冒険者たちで一杯だった。
空きスペースがないわけでもなかったが、冒険者たちからあまり評判の良くないタルトたち一行。迷宮内でトラブルを起こしてもつまらないと、安全地帯を通り過ぎ次の九層で水分と栄養の補給を行っていた。
新入りのクロエはメンバーの悪評の煽りを受けた形だが、そうした事情は予め承知していたし、加入以降金銭面でも経験面でもそれ以上のメリットを享受していたため、特に不満らしきものは抱いていない。周囲の警戒はソルとシロに任せ、のんびりナッツとドライフルーツの保存食を摘まんで一息ついていた。
「…………ありゃ」
しかしそうして気を緩め過ぎたのが良くなかったのかもしれない。口寂しさからつい保存食を運ぶ手が進み、気が付けば握り拳二つ分はあった保存食を食べつくし、葉で編んだ包みが空になっていた。
さほど高いものではないし、もう帰るだけなので問題はないが、この空の包みはどうしようとクロエはゴミになった包みを注視。持って帰るしかないよね、と当たり前の結論に至ったタイミングで、視界の端に蠢く粘性の生物を発見し「ラッキー」と呟いた。
「てい」
クロエは包みをクチャクチャに丸めると、岩場の影から這い出してきた小型のスライムにシュート。それは見事に命中しスライムの身体の上でポンと跳ねると、飛び出してきた触手状の腕に巻き取られる。そしてスライムの体内に取り込まれ、一〇秒も経たずジュクジュクと消化されていった。
「あ」
その様子を見ていたタルトが何かに気づいたように声を上げる。
「え? な、何かあった?」
その様子に、クロエは何かしてしまったのだろうかと自身の行動を振り返る。
あの包みは店で保存食を買った際についてきたもので、長く使えるものでもないので捨てて問題はない。またスライムにゴミを食べさせるというのは迷宮の内外を問わず一般的な行動で、タルトなんかは良く掃除して出た魔物の糞などをまとめてスライムの餌にしている。
タルトはビクッとしたクロエの反応に気づいて苦笑。
「あ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんだけど」
「ああ、うん。別にそれはいいんだけど……何か驚くようなこと、あった?」
クロエの疑問にタルトは日なた──階層にもよるが迷宮の天井の大部分は地上の環境を模したように淡い光を放っている──に這い出てきた小型スライムを指さし、口を開く。
「ほら、スライムが日の差してる場所まで出てきてる。この辺りで大分数が増えてるんだわ」
──それが?
クロエが首を傾げ、そう疑問を口にするより早く、他のメンバーがタルトの言葉に反応した。
「あ~、もうそんな時期か」
「ワフ……」
『…………(ハァ)』
三人とも憂鬱というほどではないが、洗い物を溜め過ぎた主婦のようにどこか億劫そうな空気を漂わせている。
「前、処分したのって何時のことだっけ?」
「三か月前だったかしら」
「……サイクルが早くなってね?」
「う~ん、最近暖かかったから、気候も影響してるのかもしれないわね~」
興味深そうに呟くタルトにソルは嘆息して頭をかく。
「……ま、文句言ってもしゃあねぇか。積み立てはあるし、次のタイミングで処理しとくか?」
「そうね」
ソルとタルトは方針を決め同意するが、話について行けず置いてけぼりにされたクロエは顔を顰めて抗議する。
「ちょっと! 私を無視しないでよ」
「あら、ごめんなさい」
そう口にしながら特に反省した様子のないタルトたちに溜息を吐き、クロエは改めて疑問を口にした。
「それで。処理するってなんのこと?」
タルトは少しだけ楽しそうに目を細め、
「ん~……一言で言うと、スライム狩り、ね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
スライムとはこの世界で最も嫌われている魔物の一つである。
厳密に特定の種を指す言葉ではなく、取り込んだものを何でも消化してしまう不定形の粘性生物に対する総称。
知能は限りなく低く、本能に従って動く極めて原始的な生物で、水気のある場所ならどこにでも湧いて出る。サイズや消化力など個体差は大きいものの、基本的に動きは鈍重で不意打ちを受けたり対処さえ間違わなければ、さほど怖い魔物ではない。
厄介なのは不定形ゆえに通常攻撃がほとんど通じないこと。一応、核となる部分を破壊できれば理論上倒すことは可能だが、両断した程度では分裂して数が増えてしまうこともあり、確実とは言えない。
またその体液は強い酸性を帯びており、金属製の武器防具は腐食し、すぐ使い物にならなくなってしまう。
弱点は乾燥──火であり、確実に倒すなら魔法一択。
しかしそうして貴重な呪文遣いのリソースを注ぎ込んで倒しても、素材などをドロップすることはない。
その上、万一不覚を取って敗北すれば悪食により死体が消化されてしまうため、蘇生もほぼ不可能。
冒険者からすると倒す意味のない、ただただ厄介なだけの魔物として忌み嫌われている。
なお、近年の研究で食べさせる餌によって体液の酸性を中和し無害化できることが判明し、エロ目的でスライムを求める好事家が発生。テイムに失敗して毎年相当数の死者が確認されていた。
「スライム狩りかぁ……」
予め今日はスライム狩りです、と伝えられていたクロエは、迷宮内を歩きながらその言葉を口の中で転がすように呟く。
一般的な冒険者からは忌み嫌われているスライムだが、実のところタルトたちはそのスライムを積極的に利用することが多い。
というのも、単に迷宮に潜って魔物を狩ったり素材を採取するだけの冒険者と異なり、タルトは調査のために迷宮内で実験したり魔物に餌をやって飼いならしたりしており、その結果色んな種類のゴミが発生する。そうしたゴミを放置しては生態系が崩れるからと、タルトたちは都度ゴミをまとめてスライムに食べさせていた。
クロエからすると、タルトたちとスライムは一種の共生関係を構築しているようにさえ見えたのだが……
「スライム狩り……何で?」
日頃自分たちが活用していて、しかも倒したところで何のメリットもないスライムを狩る必要があるのか、クロエは首を傾げた。
「ねぇ、何で?」
「……何で俺に聞くんだよ」
クロエが尋ねたのは魔物に詳しいタルトではなくソル。
「いや、タルトが動く理由は調査研究とか本人の趣味が絡むから気にしても無駄だし」
「ええ? 言い方~」
タルトの抗議を他のメンバーは黙殺する。
「でも今回はソルもこれが必要なことだって認めてるわけでしょ?」
タルトの動機はクロエにも理解できないことが多々あり、アリーゼやシロは周囲に流されがちだが、ソルは基本的にパーティーとしてのメリットがなければ動こうとしない。だが今回彼は決して前向きではないにせよスライム狩りに否定的な態度を見せていない。つまりこの行動には合理的な理由がある、ということだ。
「……まあな。ほら、迷宮内でスライムが増え過ぎると困るだろ」
「ん~? 増え過ぎて困るのは皆一緒だと思うけど?」
ソルの回答にクロエは首を傾げた。
確かに迷宮内でスライムが増え過ぎると襲われるリスクが高まるため望ましいことではない、というのは理解できる。
だが、それは自分たちだけのことではなく、迷宮に出入りする冒険者全員にとって言えること。自分たちだけが手間と労力をかけて迷宮内の環境整備に尽力しようなんてのは、ソルの行動原理からすると違和感がある。
「俺らは戦闘を避けるために獣道みたいなとこも良く使ってるからな。当然そういうとこの視界は良くないし、スライムが増え過ぎるリスクは他の連中より高いだろ」
「……なるほど」
その理屈は少し弱い気がしたが、まあ理解できる。
更にソルはいつも通りホンワカした表情を浮かべているタルトに視線をやり、ボソリと付け加えた。
「……ついでに言うなら、俺らがゴミを食わせてるせいでスライムが増えてる側面もないわけじゃないし。万一その光景を誰かに見られてて、後から何かトラブルでも起きたら、責任を追及されるかもしれん」
「……なるほど!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おお~……」
スライムの繁殖エリアに到着したクロエは、初めて見る膨大な量のスライムに驚きと僅かな恐怖が混じり合った呻き声を上げた。
切り立った崖のようになっている水場の影に、大小無数色とりどりのスライムがびっちりとへばりついている。暗がりでカラフルな粘性生物が蠢くその様を美しいととるか悍ましいととるかは見る者によって評価が分かれるところだろうが、クロエは後者よりだった。
ちなみにタルトとシロは前者、ソルとアリーゼは後者で、特にアリーゼは鎧を溶かされるのが怖いのか、後方警戒という名目でスライムからは距離をとっている。
「これは確かに増え過ぎる前に数を減らした方がいいかもしれないけど、実際どうやるの? 私の呪文じゃ、ここにいるスライムだけでも何日かかるかわからないよ?」
一般的にスライムに有効なのは火属性呪文──クロエが習得している呪文では【火球】がそうだが、今の彼女では一日五回が限界。その程度では焼け石に水ならぬ、雪山に蝋燭で暖を取るようなものだ。
ただ最近はクロエも慣れたもので『どうせ何か突拍子もないことするんでしょ?』と、腕組みしてタルトたちのお手並み拝見といった態度をとっている。
「うふふ。勿論ちゃんと考えてるわ。──シロちゃん」
「ワン!」
タルトが微笑みながらシロに呼びかけると、シロはリュックを下ろして中から巻物を取り出しタルトに手渡した。
「それは?」
「【精霊召喚】の巻物よ」
「……いい値段したんだから、大事に使えよ」
ボソリと付け加えたのはソルだ。
巻物とは呪文の力が封じられた使い捨てのアイテムで、その系統の呪文遣いが使用すれば例えその呪文を習得していなくとも呪文回数の消費無しで巻物に記された呪文を発動させることができる。高位の呪文は相応に値が張り、対象の呪文を習得可能な系統の呪文遣いでなければ使用できないといった制限はあるものの、切り札やリソース温存などを目的として呪文遣いの間では非常に重宝されているアイテムだった。
【精霊召喚】は巫女あるいは自然僧系統の中級呪文で魔術師であるクロエは使用できないが、司祭であるタルトなら発動させることができる。
「それで火精霊でも召喚するの? 持続時間が長い分、私の【火球】よりは広範囲を焼き払えるだろうけど、それでも目に付くところ全部処理してたら破産しちゃわない?」
クロエはタルトたちの狙いが分からず首を傾げた。
【精霊召喚】で召喚できるのは下級精霊だけ。とてもこの数のスライムを処理できるとは思えなかった。
「ふふ、まあ見てて」
そう言うとタルトは一歩前に進み出て巻物を空中に広げ魔力を流す。
「【精霊召喚】──水精霊!」
そして巻物が燃え尽きるのと同時、彼女の前に人間の子供ほどのサイズの丸い水の塊が出現した。そしてタルトはまだ何をしようとしているか分からずキョトンとしているクロエに微笑みかけ、既に段取りを理解している他のメンバーと併せて簡単な指示を下した。
「それじゃ、皆は私の護衛をお願いね。大丈夫だとは思うけど、万一スライムがこっちに向かってきたら、クロエが呪文で薙ぎ払って」
「あ……うん」
「それじゃあ行って──水精霊」
タルトの呼びかけに応じて、浮遊する水の塊──水精霊は駆け足程度のスピードで移動し、手近なところにいたスライムに取りつき、自身の水で包み込んだ。
『水属性の魔物に水をぶつけてもダメージはないのでは?』と首を傾げるクロエだったが、数秒後、水精霊に取り込まれたスライムの核がギュッと萎んだかと思うと、次の瞬間には核が弾けて消滅してしまった。水精霊はスライム分体積が増加したように見える。
続いて水精霊は再び近くにいたスライムに取りつき、同じように吸収を繰り返す。吸収の度に体積が増し、スライムを吸収する速度が増している印象だ。
「あれは、どういうカラクリ……?」
タルトは呪文に集中していたため、クロエは隣にいたソルに説明を求め問いかける。ソルは脱力した雰囲気を漂わせつつも、油断なく周囲を警戒しながら口を開いた。
「ああ~……俺は門外漢なんであくまでタルトの聞きかじりだけど、あれ自体は普通の水精霊だよ」
「それがどうしてスライムをパクパク食べてるの? 私の精霊のイメージと全然違うんだけど」
そう言われても、とソルは頭をかきながら応じる。
「タルト曰く『精霊はあくまで自然現象の延長線上の存在だから、その行動原理とできることには乖離がある』んだと」
クロエは頭の中でソルの言葉を咀嚼し、数秒の沈黙の後に答えを導き出した。
「……それってつまり『試しにと思って水精霊をスライムをぶつけてみたら、パクパク吸収出来ちゃった』ってこと?」
「リーダーらしいだろ?」
「らしいけど……」
肩を竦めて肯定するソルにクロエは呆れながらタルトに視線を戻した。
当初、人間の子供ほどのサイズしかなかった水精霊は、既にちょっとした家屋ほどのサイズにまで大きくなり、速度を増してスライムを呑み込み続けている。
「……あんなサイズの水精霊って存在していいの? タルトもちょっとキツそうだけど」
下級精霊の限界を超えて大きくなった水精霊は、それを制御する術者に相応の負荷を与えるのかタルトの額に汗が滲んで──
「前確認したけど、サイズが変わっただけで格が上がったわけでも難しい制御してるわけでもないから、特に問題はないってさ」
「……なら何でタルトはあんな顔してるの?」
「さあ? 多分“凄い呪文を使ってる自分感”出して浸ってるんだろ」
「ああ…………」
普段タルトが表に出さない上級職の悲哀と闇を垣間見た気がして、タルトはスンと表情から色を消した。
そして話題を逸らすように目の前で起きている現象について質問する。
「それで、水精霊がスライムをパクパク食べてる理屈は? 精霊が食事をするなんて初めて聞いたけど」
「……食事と言っていいのかは知らんけど、スライムってのは元々成分の99%以上が水のエレメントと魔力で構成されてて、水精霊とは近しい存在なんだと」
そう言われてみれば、水精霊とスライムは、その成り立ちは別にして、成分的には共通点が多い。クロエの勝手な印象では、水精霊に雑味を加えたらスライムになる感じだろうか。
「で、スライムに接触した水精霊はそれを自分の身体の延長だと誤認するらしくて、スライムのエレメントと魔力を吸収して肥大化する……ということらしい」
「なるほど」
またタルトがよく分からん凄い発見をしていたわけだが、クロエはもう驚かなかった。ただ、真っ当な人間ならわざわざスライムに水精霊ぶつけてみようなんて思わないだろうし、世の中っていうのはこういう理屈に合わない変人が変革をもたらしていくんだろうな、と思った。
「それはそれとして、大丈夫なの、あれ?」
「……あれとは?」
「すごいサイズになってるけど、上位精霊に進化して暴走して襲い掛かってきたりしない?」
クロエの心配通り、もはや下級精霊というより湖の化身だと説明された方がしっくりくるサイズにまで肥大化した水精霊は、空中でプルプル震えてヤバそうな雰囲気を漂わせていた。
しかしソルたちにとっては既に経験済みの事象。
「ああ。進化しそうだしタルトは進化することを期待してたらしいけど、魔力とエレメントが膨張しただけじゃ上位精霊に進化するには何か足りないらしい。多分もうすぐだから、まあ見てな」
水精霊は視界内のスライム全てを吸収し、今はただ空中で揺蕩うのみとなっている。
──ピュ!
そしてしばらく見つめていると、水精霊の身体から“水漏れ”したようにその成分が漏れ出る。
「…………あ」
そしてその僅かな漏れを契機に放水は水精霊の“膜”が破れたように広がり、あっという間に水精霊は萎んでいった。
「タルト曰く『下級精霊は肥大化した魔力と質量に耐えられず、短時間で自壊する』ってさ」
「…………なるほど」
クロエは深々と頷く。
確かにこれは凄く合理的で効果的なスライムの処理方法だ。【精霊召喚】の巻物が高価だという問題はあるものの、巫女か自然僧の協力を得られればそのコストもかからない。……いや、そのどちらも都市や迷宮とは縁遠いので協力を得るのは難しいか。
このペースなら他の階層を回っても一日で片付きそうだな、とクロエがその光景を観察していると、萎んで消滅していく精霊の内部に何か光るものが見えた。
「……お。今日はついてるな。タダ働きは避けられたぞ」
水精霊が消滅した後の地面に、高純度の魔力を帯びた拳大の宝石が転がっていた。
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